至に、彼女ができたかもしれない、という想像は、思いの外、充にとって尾を引いていた。
——俺にも、言いたくなかったのか。
放課後、今日も文化祭準備のために机と椅子をよけて作業スペースを作りながら、充はそればかりを、考えていた。
自分より先に、という気持ちや、置いていかれたような寂しさも確かにありはしたが、それよりも自分にひとことも言ってくれなかった、というショックの方が大きかった。
——言いふらされたくなかったのかな。でも、それって俺が言いふらすって思ったってことだよな……。
どうやっても、悪い方にしか考えられない。無意識のうちに、自分は至にとって何でも打ち明けてもらえる存在だと思っていたことを突きつけられる。いつだって、至は自分を一番に、最優先に思ってくれているものだと思い込んでいて、しかし実際はそうではなかったのだ。そして、現実はさらに追い打ちをかけるように悪い方へと転がり始めていた。
「至は? 最近来ねーじゃん。あっちも忙しいのか?」
「……バイトなんじゃね。あんま知らないけど」
知らないのは事実だからそう答えた。そんな充を、他の男子がもの言いたげに見つめる。
「……なに」
「おまえら、喧嘩でもしたの?」
「いや? 別に。なんもねーけど」
言いながら、ああ、こっちには彼女情報が伝わっていないのか、と充は思う。それなら、下手に話さないほうがいいだろう。そう思った充だったが、別の男子の言葉に持っていた段ボールを取り落とした。
「あ、そういえば俺、至が二年の女子と付き合ってるって噂聞いた」
「は……?」
「あ、それ俺も聞いたかも。教室に二年の女子が至呼んでくれってきたってやつ」
「それそれ」
「あれ、その様子だと充は知らねー感じ? あ、俺らがバラしたらやばかったかな」
「まじごめん、聞かなかったことにしといて!」
口々に謝ってくる男子たちに、かろうじて頷くが、今聞いたことが頭の中をぐしゃぐしゃにかき回している。
——至の彼女って、うちの二年生、なのか。
彼女ができた「かもしれない」というところから一気に具体化した情報に、胸がぐっと潰されるような、空気が薄くなったような、そんな気持ちになる。急速に早まった鼓動は、しばらく収まらなかった。
至の付き合っているのは、どんな人なのか。家に帰ってからも、考えるのが止められない。知ろうとすればきっと、噂になっているくらいだから、すぐに情報は手に入るだろう。けれど、同じくらい知りたくない気持ちも強かった。
具体的に、想像してしまいそうになる。至の隣を歩く、うちの制服の女子高生。優しい目で彼女を見つめる至の姿までうっかり思い描いて、なんだかのたうち回りたくなった。
——てか、付き合うってなったら、そういうことも、するんだよな……。
ごくりと喉が鳴った。想像したくないと思っているのに、頭の中の光景はどんどん先に転がっていく。あまり女の子相手に好きだの何だのという感情を強く抱いたことはないとは言え、充だって健全な男子高校生である。クラスの男子と際どい話で盛り上がることだって普通にある。けれどよく考えたら、至のそういう話を聞いたことはなかった。
——でも至だって、普通に俺と同じ男子高校生で……。
そこまで思ってから、堪えられず頭を勢いよく振った。ひどくいけないことを考えたような気持ちになったのだ。今の半分以下の背丈の頃から知っている至で、そういうことを想像したら、何か越えてはいけない一線を越えてしまう気がした。胸がどきどきと音を立てている。そしてなにより、それが自分の知らない女子生徒に向けられるのだ、と思ったら、再び何とも言えない感覚が胸を塞いだ。
「やめだ、やめ」
胸焼けのするような気分を払うように、充は声に出した。何か全く違うことをしていた方がいい。そう思って、充は何度も読んだマンガシリーズをもう一度初めから読むことにして、ベッドに寝転がった。
悶々とした気分は解消されないまま、時間だけが進んでいた。至とは、ほとんど口をきけていない。クラスも違うし、その気になればこれだけ会話をせずに済んでしまうものなのだ、という事実に充は二重に落ち込んでいた。今までは毎日のように顔を会わせていたから、スマホでわざわざ連絡をする必要もなかった。いまさらそうするのもおかしい気がして、何もできないままでいる。
こうなってみて一番こたえるのは、びっくりするほど何をしていいかわからない時間が多いことだった。
「うー……ひま……」
口に出してから、また言ってしまった、と顔を歪める。部屋で寝転がって、スマホを見るともなく見ている。もうSNSの投稿は最新まで全部見てしまって、今は動画サイトのおすすめに出てくるものを片っ端から見ているが、そろそろ飽きてきた。なんでこんなに暇なんだ? と最初のうちは訝しく思ったが、答えはすぐに出た。バイトも部活もない日は、いつも至と一緒だったからだ。小学生の頃から変わらない習慣で、夕飯の時間まで漫画を読んだり、宿題を片付けたり、あるいは特に何をするでもなくダラダラしたりしていた。その時間が、ポッカリと空いた、ということだったのだ。
「……はあ」
とうとうスマホを投げ出して、ごろりと仰向けになる。バイトを増やそうかな、と言いはしたものの、悩んだ末、結局いつもどおりの週二日で、シフトを提出した。自分まで変えてしまったら、何かが決定的になってしまうような気がして、できなかった。このまま一体どうなるんだろう、と、天井を見つめながら充はぼんやり思った。
「全員行き渡ったかー」
がやがやとした教室で、委員会の生徒が紙束を振って見せる。文化祭当日の当番発表が行われていた。
「当日はこのスケジュールで当番だからな。サボったやつは監視付きで後片付けをやってもらうから、そのつもりで」
「うわー俺この時間かよ、昼飯どうすんだ」
「おばけが腹鳴らしてたら格好悪すぎだろ。その前に食っとけよ」
やいやいとクラスの皆が盛り上がる中、充が考えてしまうのは、どうしたって至とその彼女のことだった。
——当日は彼女と、回るんだよな、やっぱ。
自分のクラスの当番さえサボらなければ、文化祭期間中の行動は基本的に自由だ。友達が来るだの彼女を呼ぶだのと言っていた、先日の男子たちの会話が頭に蘇る。至には、結局何も聞けていない。少なくとも、充と回るつもりがないのは確かだった。
——お互いのクラスの連中に見つからないように、三年生のとこだけ回ったりとか……?
考えれば考えるほど、どんどん暗い気分になってくる。少し前までは、当然のように一緒に回るものだと思っていた自分が、すごく惨めだった。
ずっと一緒だと、勝手に思っていた。こんなに簡単に、ある日いきなり置いていかれてしまうものだなんて、考えもしなかった。おまえの彼女、今度紹介しろよ、幼馴染として挨拶くらいしときたいしな、なんて、言う自分を想像して、何故か無性に腹がたった。至の様子がおかしくなってからというもの、充は自分で自分の感情がまったく分からない。それもまた、苛立つ原因になっていた。
——それに、後夜祭もあるよな……。
思ってから、思いついてしまった自分を罵りたくなった。後夜祭は最終日の夕方から夜にかけて行われる。先日クラスの男子が言っていた「告白」の伝統は、片思いをしている側の裏イベントだが、すでにカップルになっているものどうしなら、当然二人でふらりと消えるのだろうと簡単に想像がついた。
無理だ。そう思った。シンプルに、耐えられない。かと言って、どうすればいいのかも分からなかった。そもそも何に耐えられなくて、どうなればいいのかが分からない。
——ていうか、そういうの考えるのは昔から俺じゃなくて至だったじゃん……。
こうなると、いかに自分が至に甘えきっていたか、思い知らされる。分かんねえ! と投げ出そうとする充に、いつだって至は辛抱強く付き合ってくれた。もう小さい子どもでもなし、至がいなかろうが、何とかはなるのだろう。けれどそういう問題でもない気がした。
——至が彼女だけじゃなく、俺にも時間も作ってくれるようになればいいのか? でも、至はきっと、彼女を一番大事にする。あいつはそういうやつだし、それがあいつのいいところだから……。
そうだ、と改めて充は思った。至がそういうやつだから、一緒にいるのが楽しかったし、至以外ではそういう気持ちにはならなかった。でも、至らしさを大事にするなら、自分の居場所がもうその隣にはないと認めることになる。今までのように気軽に家にも寄れないし、遊びに誘うこともできない。どちらかひとつを選ぶなんて不可能だ。矛盾する気持ちを解決する方法は、見つからないままだった。
——俺にも、言いたくなかったのか。
放課後、今日も文化祭準備のために机と椅子をよけて作業スペースを作りながら、充はそればかりを、考えていた。
自分より先に、という気持ちや、置いていかれたような寂しさも確かにありはしたが、それよりも自分にひとことも言ってくれなかった、というショックの方が大きかった。
——言いふらされたくなかったのかな。でも、それって俺が言いふらすって思ったってことだよな……。
どうやっても、悪い方にしか考えられない。無意識のうちに、自分は至にとって何でも打ち明けてもらえる存在だと思っていたことを突きつけられる。いつだって、至は自分を一番に、最優先に思ってくれているものだと思い込んでいて、しかし実際はそうではなかったのだ。そして、現実はさらに追い打ちをかけるように悪い方へと転がり始めていた。
「至は? 最近来ねーじゃん。あっちも忙しいのか?」
「……バイトなんじゃね。あんま知らないけど」
知らないのは事実だからそう答えた。そんな充を、他の男子がもの言いたげに見つめる。
「……なに」
「おまえら、喧嘩でもしたの?」
「いや? 別に。なんもねーけど」
言いながら、ああ、こっちには彼女情報が伝わっていないのか、と充は思う。それなら、下手に話さないほうがいいだろう。そう思った充だったが、別の男子の言葉に持っていた段ボールを取り落とした。
「あ、そういえば俺、至が二年の女子と付き合ってるって噂聞いた」
「は……?」
「あ、それ俺も聞いたかも。教室に二年の女子が至呼んでくれってきたってやつ」
「それそれ」
「あれ、その様子だと充は知らねー感じ? あ、俺らがバラしたらやばかったかな」
「まじごめん、聞かなかったことにしといて!」
口々に謝ってくる男子たちに、かろうじて頷くが、今聞いたことが頭の中をぐしゃぐしゃにかき回している。
——至の彼女って、うちの二年生、なのか。
彼女ができた「かもしれない」というところから一気に具体化した情報に、胸がぐっと潰されるような、空気が薄くなったような、そんな気持ちになる。急速に早まった鼓動は、しばらく収まらなかった。
至の付き合っているのは、どんな人なのか。家に帰ってからも、考えるのが止められない。知ろうとすればきっと、噂になっているくらいだから、すぐに情報は手に入るだろう。けれど、同じくらい知りたくない気持ちも強かった。
具体的に、想像してしまいそうになる。至の隣を歩く、うちの制服の女子高生。優しい目で彼女を見つめる至の姿までうっかり思い描いて、なんだかのたうち回りたくなった。
——てか、付き合うってなったら、そういうことも、するんだよな……。
ごくりと喉が鳴った。想像したくないと思っているのに、頭の中の光景はどんどん先に転がっていく。あまり女の子相手に好きだの何だのという感情を強く抱いたことはないとは言え、充だって健全な男子高校生である。クラスの男子と際どい話で盛り上がることだって普通にある。けれどよく考えたら、至のそういう話を聞いたことはなかった。
——でも至だって、普通に俺と同じ男子高校生で……。
そこまで思ってから、堪えられず頭を勢いよく振った。ひどくいけないことを考えたような気持ちになったのだ。今の半分以下の背丈の頃から知っている至で、そういうことを想像したら、何か越えてはいけない一線を越えてしまう気がした。胸がどきどきと音を立てている。そしてなにより、それが自分の知らない女子生徒に向けられるのだ、と思ったら、再び何とも言えない感覚が胸を塞いだ。
「やめだ、やめ」
胸焼けのするような気分を払うように、充は声に出した。何か全く違うことをしていた方がいい。そう思って、充は何度も読んだマンガシリーズをもう一度初めから読むことにして、ベッドに寝転がった。
悶々とした気分は解消されないまま、時間だけが進んでいた。至とは、ほとんど口をきけていない。クラスも違うし、その気になればこれだけ会話をせずに済んでしまうものなのだ、という事実に充は二重に落ち込んでいた。今までは毎日のように顔を会わせていたから、スマホでわざわざ連絡をする必要もなかった。いまさらそうするのもおかしい気がして、何もできないままでいる。
こうなってみて一番こたえるのは、びっくりするほど何をしていいかわからない時間が多いことだった。
「うー……ひま……」
口に出してから、また言ってしまった、と顔を歪める。部屋で寝転がって、スマホを見るともなく見ている。もうSNSの投稿は最新まで全部見てしまって、今は動画サイトのおすすめに出てくるものを片っ端から見ているが、そろそろ飽きてきた。なんでこんなに暇なんだ? と最初のうちは訝しく思ったが、答えはすぐに出た。バイトも部活もない日は、いつも至と一緒だったからだ。小学生の頃から変わらない習慣で、夕飯の時間まで漫画を読んだり、宿題を片付けたり、あるいは特に何をするでもなくダラダラしたりしていた。その時間が、ポッカリと空いた、ということだったのだ。
「……はあ」
とうとうスマホを投げ出して、ごろりと仰向けになる。バイトを増やそうかな、と言いはしたものの、悩んだ末、結局いつもどおりの週二日で、シフトを提出した。自分まで変えてしまったら、何かが決定的になってしまうような気がして、できなかった。このまま一体どうなるんだろう、と、天井を見つめながら充はぼんやり思った。
「全員行き渡ったかー」
がやがやとした教室で、委員会の生徒が紙束を振って見せる。文化祭当日の当番発表が行われていた。
「当日はこのスケジュールで当番だからな。サボったやつは監視付きで後片付けをやってもらうから、そのつもりで」
「うわー俺この時間かよ、昼飯どうすんだ」
「おばけが腹鳴らしてたら格好悪すぎだろ。その前に食っとけよ」
やいやいとクラスの皆が盛り上がる中、充が考えてしまうのは、どうしたって至とその彼女のことだった。
——当日は彼女と、回るんだよな、やっぱ。
自分のクラスの当番さえサボらなければ、文化祭期間中の行動は基本的に自由だ。友達が来るだの彼女を呼ぶだのと言っていた、先日の男子たちの会話が頭に蘇る。至には、結局何も聞けていない。少なくとも、充と回るつもりがないのは確かだった。
——お互いのクラスの連中に見つからないように、三年生のとこだけ回ったりとか……?
考えれば考えるほど、どんどん暗い気分になってくる。少し前までは、当然のように一緒に回るものだと思っていた自分が、すごく惨めだった。
ずっと一緒だと、勝手に思っていた。こんなに簡単に、ある日いきなり置いていかれてしまうものだなんて、考えもしなかった。おまえの彼女、今度紹介しろよ、幼馴染として挨拶くらいしときたいしな、なんて、言う自分を想像して、何故か無性に腹がたった。至の様子がおかしくなってからというもの、充は自分で自分の感情がまったく分からない。それもまた、苛立つ原因になっていた。
——それに、後夜祭もあるよな……。
思ってから、思いついてしまった自分を罵りたくなった。後夜祭は最終日の夕方から夜にかけて行われる。先日クラスの男子が言っていた「告白」の伝統は、片思いをしている側の裏イベントだが、すでにカップルになっているものどうしなら、当然二人でふらりと消えるのだろうと簡単に想像がついた。
無理だ。そう思った。シンプルに、耐えられない。かと言って、どうすればいいのかも分からなかった。そもそも何に耐えられなくて、どうなればいいのかが分からない。
——ていうか、そういうの考えるのは昔から俺じゃなくて至だったじゃん……。
こうなると、いかに自分が至に甘えきっていたか、思い知らされる。分かんねえ! と投げ出そうとする充に、いつだって至は辛抱強く付き合ってくれた。もう小さい子どもでもなし、至がいなかろうが、何とかはなるのだろう。けれどそういう問題でもない気がした。
——至が彼女だけじゃなく、俺にも時間も作ってくれるようになればいいのか? でも、至はきっと、彼女を一番大事にする。あいつはそういうやつだし、それがあいつのいいところだから……。
そうだ、と改めて充は思った。至がそういうやつだから、一緒にいるのが楽しかったし、至以外ではそういう気持ちにはならなかった。でも、至らしさを大事にするなら、自分の居場所がもうその隣にはないと認めることになる。今までのように気軽に家にも寄れないし、遊びに誘うこともできない。どちらかひとつを選ぶなんて不可能だ。矛盾する気持ちを解決する方法は、見つからないままだった。