夏休みが明けてすぐの定期考査が終わると、校内は一気に文化祭に向けて盛り上がりが加速する。充と至も、もれなくクラスの出し物の手伝いに駆り出されていた。もっと言えば、クラスの違う至を、充が引っ張ってきて、手伝わせていた、という方が正確かもしれない。
「至、手伝ってくれんのはありがたいんだけど。自分とこは大丈夫なのかよ」
「あー、うん。たぶん」
「たぶんって」
「いいじゃん、こっちの方が確実に作んの大変なんだからさー。至のクラスはメイドカフェなんだろ?」
「えっマジで!?」
「……喫茶店だ。一部メイド服着るやつもいるけど、俺はサイズがないから免除」
「あーね、そのサイズのはさすがに特注だもんな。見てみたくはあったけど」
「お前それ本気で言ってる?」
「あー、ちょ、ハサミ、それ取って」
口々に適当なことを喋りながら、充のクラスの男子たちが輪になって作っているのは、お化け屋敷の通路の壁部分だった。一年生の出し物の定番である。同じく定番である喫茶店をやる至のクラスの準備はそこまで手間がかからない、と聞きつけた充が、それならと至を連行してきたのだった。
「てかさ、ダチとか呼ぶ?」
「当日? 俺は一応中学の時の友達が来るって言ってる」
「俺、彼女呼ぶ」
「うわ、出たよ」
「お前らは?」
話を振られ、充は首を振る。もとより、当日は至と回るつもりだった。至も肩を竦めている。
「そういやさぁ、先輩から聞いたんだけど、うちの後夜祭の伝統ってやつ、知ってるか?」
ひとりがふとそんなことを言いだした。輪の中にいた他の男子が目を合わせて首を振る。充ももちろん知らなかった。
「なにそれ」
「好きなやつを後夜祭の時に呼び出して、告るんだって。それで毎年結構カップルが誕生してるらしい」
「まじか……!」
「それって、ちなみに男女どっちから?」
「どっちからもアリなんだって」
「うわ、女子から呼び出されるとか」
「おまえ確率を考えろよ。現実は厳しいぞ」
「けどさあ、すごくない? 呼び出されてみてえー」
にわかに場が盛り上がる。この学校の女子と男子の比率はなぜか伝統的に男子が圧倒的に多く、女子一人に対して男子が七〜八人という不均衡さだった。ちなみに市内にあるもう一つの高校はその逆で、女子が圧倒的に多い。
「でも、充とか若干ありそうじゃん?」
「呼び出される方?」
「そうそう」
「あ〜」
急に注目を浴びて、充はへらりと笑った。
「いやー、おれどっちかって言わなくても、女子にはたぶん弟とか、下手すると面白い生き物扱いされてるだけだと思うけど」
「またまたー。だってそのピン、女子からもらったやつだろ?」
正面に座っていた男子が、充の前髪を指さしてニヤつく。
「え」
すると急に、なぜか今まで黙っていた至が反応して、充の前髪を凝視した。
「そうなのか」
「え、まあ、そう、だけど……」
至からの妙な圧に、充の語尾が小さくなる。
「お、王子が追求してる」
「姫、言い訳をどうぞ」
「誰が姫だ。別にそういうんじゃねえって。あれじゃん、女子どうしでもなんかこういうの交換したりお互いにあげたりしてんじゃん。それの延長だよ。おれもおれでノリっての? わりと喜んでつけたりするからさ、面白いんだよきっと。どう考えても男としては見られてません、残念ながら」
肩を竦めて見せれば、至は納得したのかしていないのかわからない難しい顔をして、作業に戻ってしまった。
——何なんだ、この空気。
充は、長いこと一緒にいるのに、初めて、至が何を考えているのかよくわからなかった。
何かが変だ、と充は思っている。
バイト先のシフト表を開きながら、自然と眉間に皺が寄った。
「おまえ、バイトとかって何かすんの?」
高校合格が決まった時、聞いたのは充だった。
「俺はうちを手伝えって言われてる」
「あー、そっか……。至んとこ、酒屋だもんな。おれ、どうしよっかなあ……バイトの求人票? とか見ても全然何がいいのか分かんなくて」
本当は一緒にやりたかったな、と少しだけ落胆した充がため息をつくと、至も眉を下げる。
「俺も一緒にやりたかったんだけどな。でも充、明るいし、飲食とか向いてそうだけど」
「あ、マジで? じゃあそうしよかな」
そうして充は学校からほど近いファミレスでのアルバイトが決まり、互いに週二日、同じ曜日をアルバイトに充てている。それ以外の日は、小学校の頃からそうだったように毎日一緒に帰っていた。それがなぜか急に、至がアルバイトを増やすと言い出したのだ。
「それ、彼女だよ絶対!」
「えっ」
休み時間、いつものようにクラスの女子に呼ばれて輪の中に加わった充が、何気なくその話を出した途端、女子たちが色めき立った。
「私もその線に一票」
「えええ……」
「あー、ショック受けてる顔してるー、充くんかわいそうに」
「でもさ、ほら、至くんも普通にモテないわけないじゃん? 充くんみたいにアイドル顔ってわけじゃないけど、硬派な感じでカッコいいと思う子絶対いるよ」
「彼女……至に彼女、かぁ。まあそうだよなあ」
そう言いながらも、充はすぐにはピンとこなかった。あの至に、彼女? いつの間に?
「てかさ、この学校じゃなかったりするかもだよね」
「あ、わかる。二高に密かにいたりしそう!」
「意外と年上だったりして」
「うわー! でもありかもそれ」
どんどん具体的になっていく話に、充はなんだか次第に居心地が悪い気がしてきた。
「で、でもさ、なんで彼女できるとバイト増やすんだよ? 普通会う日を優先してバイト減らしたりするんじゃねえの?」
「充くん、さては彼女できたことないな? お金かかるんだよー。デートだってファミレスとかカフェとかお店はいるし、プレゼントだってするだろうし」
「至くん、そういうのすごく律儀にやりそうだよね。記念日とか」
「めちゃくちゃわかる」
女子たちの勢いをよそに、充の心は萎れていた。はじめこそピンとこなかったが、女子たちの語るイメージを積み重ねていけば、いやでも思い浮かんでしまう。
女の子の隣で、微笑む至。バイト代で買えるプレゼントを一生懸命選んでいる至。自転車や車から、女の子をさっと庇う、至。……そうしてもらえるのは、自分ではないのだ。そう思った時、充の胸を塞いだのは、祝福の気持ちより、やり場のない、名前のない、よくわからない感情だった。
「どしたの、充くん。おーい」
「あれ、落ち込んじゃったかな。充くんも可愛いからそのうち絶対彼女できるって!」
目の前で手を振られて、ハッとした。あわてて、にっと笑顔を作る。
「ああ、ごめんごめん、ありがと。俺もバイト増やそっかなーって考えてたんだ。明日、シフト提出の日でさ」
「充くんのバイト先って、あそこのファミレスだっけ」
「そうそう」
「うちらも今度いこうよ」
「お、サービスしちゃうぜ?」
「いやいやバイトじゃん!」
笑いながら、話がそれたことに充は内心ほっとしていた。
「ほんとに、増やすか……俺は別にそんなバイトつめて買うもんもねーけど……」
昼間のやり取りを思い出しながら、部屋でひとりつぶやき、充はスマホで開いたシフト表に入力を始めた。こうやって、少しずつお互いの知らないことが増えて、大人っていうのに、なっていくんだろうか。それは、こんなに苦い気持ちになることなんだろうか。その夜、充はなかなか寝付けなかった。
「至、手伝ってくれんのはありがたいんだけど。自分とこは大丈夫なのかよ」
「あー、うん。たぶん」
「たぶんって」
「いいじゃん、こっちの方が確実に作んの大変なんだからさー。至のクラスはメイドカフェなんだろ?」
「えっマジで!?」
「……喫茶店だ。一部メイド服着るやつもいるけど、俺はサイズがないから免除」
「あーね、そのサイズのはさすがに特注だもんな。見てみたくはあったけど」
「お前それ本気で言ってる?」
「あー、ちょ、ハサミ、それ取って」
口々に適当なことを喋りながら、充のクラスの男子たちが輪になって作っているのは、お化け屋敷の通路の壁部分だった。一年生の出し物の定番である。同じく定番である喫茶店をやる至のクラスの準備はそこまで手間がかからない、と聞きつけた充が、それならと至を連行してきたのだった。
「てかさ、ダチとか呼ぶ?」
「当日? 俺は一応中学の時の友達が来るって言ってる」
「俺、彼女呼ぶ」
「うわ、出たよ」
「お前らは?」
話を振られ、充は首を振る。もとより、当日は至と回るつもりだった。至も肩を竦めている。
「そういやさぁ、先輩から聞いたんだけど、うちの後夜祭の伝統ってやつ、知ってるか?」
ひとりがふとそんなことを言いだした。輪の中にいた他の男子が目を合わせて首を振る。充ももちろん知らなかった。
「なにそれ」
「好きなやつを後夜祭の時に呼び出して、告るんだって。それで毎年結構カップルが誕生してるらしい」
「まじか……!」
「それって、ちなみに男女どっちから?」
「どっちからもアリなんだって」
「うわ、女子から呼び出されるとか」
「おまえ確率を考えろよ。現実は厳しいぞ」
「けどさあ、すごくない? 呼び出されてみてえー」
にわかに場が盛り上がる。この学校の女子と男子の比率はなぜか伝統的に男子が圧倒的に多く、女子一人に対して男子が七〜八人という不均衡さだった。ちなみに市内にあるもう一つの高校はその逆で、女子が圧倒的に多い。
「でも、充とか若干ありそうじゃん?」
「呼び出される方?」
「そうそう」
「あ〜」
急に注目を浴びて、充はへらりと笑った。
「いやー、おれどっちかって言わなくても、女子にはたぶん弟とか、下手すると面白い生き物扱いされてるだけだと思うけど」
「またまたー。だってそのピン、女子からもらったやつだろ?」
正面に座っていた男子が、充の前髪を指さしてニヤつく。
「え」
すると急に、なぜか今まで黙っていた至が反応して、充の前髪を凝視した。
「そうなのか」
「え、まあ、そう、だけど……」
至からの妙な圧に、充の語尾が小さくなる。
「お、王子が追求してる」
「姫、言い訳をどうぞ」
「誰が姫だ。別にそういうんじゃねえって。あれじゃん、女子どうしでもなんかこういうの交換したりお互いにあげたりしてんじゃん。それの延長だよ。おれもおれでノリっての? わりと喜んでつけたりするからさ、面白いんだよきっと。どう考えても男としては見られてません、残念ながら」
肩を竦めて見せれば、至は納得したのかしていないのかわからない難しい顔をして、作業に戻ってしまった。
——何なんだ、この空気。
充は、長いこと一緒にいるのに、初めて、至が何を考えているのかよくわからなかった。
何かが変だ、と充は思っている。
バイト先のシフト表を開きながら、自然と眉間に皺が寄った。
「おまえ、バイトとかって何かすんの?」
高校合格が決まった時、聞いたのは充だった。
「俺はうちを手伝えって言われてる」
「あー、そっか……。至んとこ、酒屋だもんな。おれ、どうしよっかなあ……バイトの求人票? とか見ても全然何がいいのか分かんなくて」
本当は一緒にやりたかったな、と少しだけ落胆した充がため息をつくと、至も眉を下げる。
「俺も一緒にやりたかったんだけどな。でも充、明るいし、飲食とか向いてそうだけど」
「あ、マジで? じゃあそうしよかな」
そうして充は学校からほど近いファミレスでのアルバイトが決まり、互いに週二日、同じ曜日をアルバイトに充てている。それ以外の日は、小学校の頃からそうだったように毎日一緒に帰っていた。それがなぜか急に、至がアルバイトを増やすと言い出したのだ。
「それ、彼女だよ絶対!」
「えっ」
休み時間、いつものようにクラスの女子に呼ばれて輪の中に加わった充が、何気なくその話を出した途端、女子たちが色めき立った。
「私もその線に一票」
「えええ……」
「あー、ショック受けてる顔してるー、充くんかわいそうに」
「でもさ、ほら、至くんも普通にモテないわけないじゃん? 充くんみたいにアイドル顔ってわけじゃないけど、硬派な感じでカッコいいと思う子絶対いるよ」
「彼女……至に彼女、かぁ。まあそうだよなあ」
そう言いながらも、充はすぐにはピンとこなかった。あの至に、彼女? いつの間に?
「てかさ、この学校じゃなかったりするかもだよね」
「あ、わかる。二高に密かにいたりしそう!」
「意外と年上だったりして」
「うわー! でもありかもそれ」
どんどん具体的になっていく話に、充はなんだか次第に居心地が悪い気がしてきた。
「で、でもさ、なんで彼女できるとバイト増やすんだよ? 普通会う日を優先してバイト減らしたりするんじゃねえの?」
「充くん、さては彼女できたことないな? お金かかるんだよー。デートだってファミレスとかカフェとかお店はいるし、プレゼントだってするだろうし」
「至くん、そういうのすごく律儀にやりそうだよね。記念日とか」
「めちゃくちゃわかる」
女子たちの勢いをよそに、充の心は萎れていた。はじめこそピンとこなかったが、女子たちの語るイメージを積み重ねていけば、いやでも思い浮かんでしまう。
女の子の隣で、微笑む至。バイト代で買えるプレゼントを一生懸命選んでいる至。自転車や車から、女の子をさっと庇う、至。……そうしてもらえるのは、自分ではないのだ。そう思った時、充の胸を塞いだのは、祝福の気持ちより、やり場のない、名前のない、よくわからない感情だった。
「どしたの、充くん。おーい」
「あれ、落ち込んじゃったかな。充くんも可愛いからそのうち絶対彼女できるって!」
目の前で手を振られて、ハッとした。あわてて、にっと笑顔を作る。
「ああ、ごめんごめん、ありがと。俺もバイト増やそっかなーって考えてたんだ。明日、シフト提出の日でさ」
「充くんのバイト先って、あそこのファミレスだっけ」
「そうそう」
「うちらも今度いこうよ」
「お、サービスしちゃうぜ?」
「いやいやバイトじゃん!」
笑いながら、話がそれたことに充は内心ほっとしていた。
「ほんとに、増やすか……俺は別にそんなバイトつめて買うもんもねーけど……」
昼間のやり取りを思い出しながら、部屋でひとりつぶやき、充はスマホで開いたシフト表に入力を始めた。こうやって、少しずつお互いの知らないことが増えて、大人っていうのに、なっていくんだろうか。それは、こんなに苦い気持ちになることなんだろうか。その夜、充はなかなか寝付けなかった。