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「お、入部希望?」
そう、最初の言葉は先輩から掛けられた。
もう、あの瞬間に俺は恋に落ちてた。
俺の初恋は同性の男の先輩だった。
写真部部長の夏目琉生先輩。
古い木造の旧校舎の部室棟で出逢った。
俺は美術部を見学しようと思って、旧校舎の狭い廊下を歩いていた。
埃っぽい廊下。
その時、ガタッガタタッと一つの部室の扉が、建て付けの悪さを主張しながら開いた。
シャコシャコシャコシャコ
小気味いい音。
その人は歯を磨きながら、部室から顔を出した。
サラサラの黒髪。
大きな二重の瞳。
プルっとした厚めの唇に歯ブラシを咥えていた。
驚いて立ちすくむ俺に視線を合わせる。
「んあ…ごめ…ちょっ…待ってて…」
「えっ?」
いや、俺はただの通りすがりの者で、隣りの美術部の部室へ見学に来たんです。
って言う言葉は、呑み込んでしまった。
その人は慌てて部室の中へ戻ると、奥にある洗面台で口をゆすいだ。
「ごめん、ごめん。部室の空気を入れ替えようと思ってて。まあ、入ってよ」
ポケットから出したタオルハンカチで口元を拭うと、奥の窓もカラカラッと開ける。
窓の外には桜の木が見えて、フワッと柔らかな風が部室の中を通り抜けていった。
俺は言葉を呑み込んだまま、引き込まれるように《写真部》の部室へ入って行った。
「あ、入部希望だったら、この入部届に名前書いてくれるかな?顧問の渡邉先生に渡しておくから」
「はあ」
「ひょっとしてまだ迷ってる感じ?あ、僕は3年の写真部部長、夏目琉生。よろしく」
「あ、俺は1年C組の大川敬です。よろしくお願いします」
「大川くんね。大川くんは写真好きなの?」
「えっと、…いえ。すみません」
「まあ、写真未経験で入部した奴がほとんどだから安心して。今は3年は俺入れて2人。2年が3人。1年はまだ入部希望は君1人」
夏目先輩は立ち上がると、電気ポットに水を入れた。
「大川くん、コーヒー飲む?紅茶とかジュースもあるけど」
「あ、コーヒー頂きます!ありがとうございます!」
部室でコーヒーを飲むなんて、俺にとっては何だか悪い事をしているような、大人の仲間入りをしたような、ワクワクする事だった。
夏目先輩が入れてくれたコーヒーはインスタントだったけど、凄く美味しく感じた。
「大川くん、背高いし、いい体してるよね。バスケ部とかサッカー部とかにいそう」
「いや、俺、ガタイだけはいいんですけど、運動は全く駄目なんです」
「なるほど。それで誘いから逃れる為に、この文化系部室が並ぶ、通称、《陰キャ長屋》へ迷い込んで来たわけだ」
「《陰キャ長屋》…」
「そう。体育会系の部室棟はグランドのとこに新しいのがあるだろ。こっちは木造のボロ校舎だからさ。まあ、俺はここの雰囲気好きだけど。あ、これも良かったら食べて」
丸いお菓子の缶の蓋をバコッと夏目先輩が開けると、中にはいろんなお菓子が入っていた。
「ありがとうございます」
俺は缶の中を覗き込んで、個包装になったお馴染みのソフトクッキーを取り出す。
「あ、俺もそれ好き。まだある?」
「あ、あと一個あります」
俺は同じクッキーを取り出して先輩に手渡す。先輩の手の平に軽く俺の指先が当たってドキドキした。
俺の高校生活は初恋と共に幕を開けた。