むしろ、メンタルの強弱が関係ないと知って、どう対処したらいいのか分からなくなった。
この病気になったのは俺の気持ちの持ちようでもなく、脳の誤作動なのだ。
自分の脳なんて操れやしないし、またいつあの恐ろしい発作が起こるか分からない。
怖くて堪らなくなって、その日からしばらく外に出られない日々が続いた。
ただただ毎日発作に怯えて過ごす日々。
ついこの間までサッカーをして輝いていた自分が物凄く前の出来事に感じられる。
学校にもしばらく行けず、長年続けたサッカーも辞めざるを得なくなった。
パニック障害を患ったことを、空っぽになったことを、友達には言えなかった。
しばらくして、どうにか学校に通おうという気になれたのもそれが理由だ。
サッカーから離れると途端に不安は軽減し、あんなに恐れていた発作の回数もかなり減った。
俺の場合チーム内での重圧がストレスとなりパニック障害を発症したので、サッカーから解放されたことで発作の軽減に繋がったのだと思う。
少し慣れてくると人前では病気を隠すことができるようになったし、また前までの俺に戻ることができた。
けれど、一度精神疾患を発症してしまうと完治するのがとても難しいと言われている。
実際に今でもたまにそのことを思い出して発作が起こることもあるし、どこで発作が起こるか分からないので頓服の薬も必ず持ち歩かなくてはいけない。
そんな自分に疲れて、どうしようもなく苦しくなる時がある。
自分は死ぬまでこの病気に囚われたままなのだろうか。
サッカーを始めたばかりの頃の、あの眩しい景色。
過去は美化されるというけれど、本当にそうだろうか。
俺には美化されているのではなく、本当に美しかったように見える。
好きなことをして自由に動き回れていた日々はもう戻ってこない。そのことに一人で何度も絶望した。
今でも数か月に一回、病院に通っている。
ずっと俺を診てくれている先生も、長い目で見て治していこうと毎回言う。
先生の言っていることは正しいし、理解もできる。その通りだと思う。
けれど俺の胸の内のこの苦しさは、長い目で見て治せるものなのかとも思う。
一度精神疾患を発症した以上、症状を軽減させることが完治に近づくと俺にはまだ思えない。
自分を取り繕って生きるようになってから、七年。パニック障害を発症してから、ちょうど三年。
感情に蓋をしてしまったあの日から、俺は壊れたまま。
みんなが思うような眩しい俺は、とっくのとうにどこかへいってしまったんだ。