――――静寂の夜闇に、パチパチ音を鳴らす焚き火を前に、地角《ディージャオ》はボリボリと夜食を摘まんでいたのだが。不意に、闇の中なら急に湧いてでた気配に顔を上げる。

そして、その側でマオピーと寝つつも、範葉《ファンイェ》が飛び起きる。
しかしマオピーは一瞬起きて……地角をじっと見た後、何か納得したようにまた寝てしまい、範葉がキョトンとする。

その様子に、地角が笑う。

「問題ないよ。マオピーも俺の客だと悟ってまた寝たんだよ」
そう、それは地角の客でもあり、範葉にとっても、かけがえのない存在であった。

「まさかお前がここに来るるとは思わなかった」
地角が呟けば、闇の中から現れた布面の男が笑う。

「俺もお前がいるとは思わなかった」

「今は何と呼ぶべきか……。んー……維竜《ウェイロン》皇の小間使い」
「張った押すぞこの悪党め。今の名は桃《タオ》だ」

「いや、お前にだけは言われたく……ん?檮杌《タオウー》の檮《タオ》……?」

「……」
何故か黙る桃。

「桃の花の桃《タオ》ですよ」
そう、範葉が付け加えれば。

「……は、マジ!?」
「……マジだ」

「え、何。お前そう言う趣味……?でもなぁ……」
「違ぇっ!維《ウェイ》のやつが付けたんだ!俺たちは凶星の象徴なのに、よりにもよって魔除けの食いもんの名前を付けやがったんだ……!」

「いや、俺はそもそも魔除けの象徴だが」
「お前はそうだけど、俺は……っ」

「今は地角だが……」

「ふうん……地角ね」
「そうだ。俺も今の主君に名をもらった。幸いなことに、桃《タオ》にはならなくて良かった」

「おんまえなっ!立場分かってんのかよ!いいか、うちの大魔王維竜皇はお前の主の……お義父さんになるんだぞ……っ!」
「……っ」
その瞬間、地角が串をポロリと落っことした。

「……父さん、維竜皇を大魔王って……」
この世界で言う大魔王とは、妖魔のように強い者と言う意味である。

「だってそうだろ?ほんっとあの破壊魔王!」
「いや、お前が言うか」
と、地角が嗤う。

「悔しいが、そんな俺よりも強ぇのが維だからな」
「お前を屈服させて、桃なんて名付けた時点で只者じゃぁない」
クツクツと笑い合う2人。

「ところで何故お前がここに……?見送りなら済ませたのだろう」
「迎えにお前が来たからだろう」
「あぁ、確かに」

「あの後、維に首ガクガク揺らされて訊問されたんだからな!?お前のせいで散々な目に遭う俺の身にもなれ!!」
「ははははは。訊問だけで良かったじゃないか」

「お前維の訊問ナメてんだろ!俺ですら恐いんだからな!?翅《チー》のやつはひとり逃げるしさぁ……」
「あはは……一応翅の主も維竜皇でいいのかな……?維竜皇の言うことを聞いて、柄にもなくいいこにはしてるようだし」

「スイの前ではな」
「スイちゃんの前以外では違うのか」

「いつもの翅だよ」
「あっははは……っ。なら安心だ。しかしほんとにねぇ。お前たちは月《ユエ》父娘に従順な遺伝子でもあるのかな」

「何だよ、文句あんならお前も維の前に引っ張り出して、俺たち義兄弟の遺伝子なのか検証してやろうか?」
「いや、俺の主は飛だもの。巻き込まれるのは勘弁」

「お前はいつもいつも小狡いんだよっ!あぁほんと……お前ほどの悪党はそうそういない。スイが騙されたら困る!言っておくがら俺も翅も、スイを騙したら承知しねぇかんな!?」
「いや、お前に言われたくはないけど、そんなことはしないって。てか、止めるの?お前はそこ」

「数少ない義兄弟だ。維を怒らせればお前もただじゃ済まないぞ」
「お前がほかの者の心配をするようになるとは……。戦うしか能のないお前が……これもひとの親になった進歩か」

「ふん」
桃が顔を背ける。

「父さんと地角さんは、一体どういう……義兄弟と言うのは……」
それに範葉は、先ほど地角の告げた檮杌と言う名を思い出す。月亮の民ならば、誰もが知る国祖の伝承に出てくる特殊な妖魔の名であり、その義兄弟と言うならば……。

「世界にたった4人しかいない……義兄弟であり、同胞だ。もう……3人になってしまったが」

「それでもお前には、維竜皇がいるだろう?それから範葉だって」
「お前にも、そこの坊がいるんだろう」
「そうだな。俺たちがこうして、仕える主を得るだなんて、誰が想像したことか」

「初代の月亮公以来だな」
「そうだねぇ。俺たちじゃない、俺たちのずっと前の……始祖の記憶だ」

「一体何の話を……」

「葉《イェ》にその記憶がなくとも、継承せずとも、お前はいつだって俺の……俺たち義兄弟の息子だ」
「……父さん」

「さて、そろそろ戻らにゃ……維に怒られるか」
「さては黙って来たね?」

「ふん」
「父さんったら……また維竜皇に叱られるのに」
「分かっててやるのはやっぱり桃だねぇ」
地角がケラケラと嗤う中、桃の姿はそっと闇に溶けて見えなくなる。

「寂しいのか」
そう、不意に響いた声に、地角は主を振り向く。

「そうでもない。何せ今は……飛《フェイ》がいる。それに、桃のためにも、範葉やスイちゃんも見守ってやらにゃぁね。一応俺は……ンの……哥《義兄ちゃん》だからねぇ」
焚き火が奏でる火の子の音の中に掠れたその名は、範葉の耳には届かないが、どうしてかとても懐かしい人物を彷彿とさせるのだった。