――――陽亮王国、王都の大神殿。

「……いや、勘弁してください」

「しかし、これは陛下からの……」

陽亮城からの遣いに、その国の神子は辟易していた。

「公主さまは、あなたとの婚姻を切望されております」
「あんな頭のおかしい女となんて冗談じゃない!」
神子はそう言って、大神殿を飛び出した。神官たちが果敢に追い掛けるが、神子が深紅の翼を広げて空に舞い上がれば、空を飛べぬ人間しかいないその国では、彼を止められるものなどいなかった。

※※※

神の遣いはやはり神の遣い。同じように神の使命を受けたものは瞬時に分かるのだ。

「お前は……何だ」

「あら、何も知らないのねぇ。朱雀はお子ちゃまね」

「俺は朱雀って名前じゃ……」
「でも朱雀じゃない」

「それはそうだが……お前こそ何なんだ」
見た目は美しい女性だが、その中に底知れない何かを含んでいる。

「そうね……強いて言えば、翅《チー》と呼ばれているわ」
「は……?」

「翅姐でも何でもいいわよ」
「じゃぁ……その、翅……さん」

「あら、年上の女性に臆病なの?顔はいいのに残念ねぇ」
「悪かったな」

「でもその生意気そうなところはいいわね。美味しそう」
じゅるりと舌なめずりをする翅に、朱雀がびくつくが、翅は涼やかに笑うだけだ。

「それで……?陽亮の神子さまが、どうして月亮にいるのかしら……?あなた神子なのに、先代が月亮で何をやったか知らないの?」

「……聞いてる。先代は四凶のひとつを倒したと言う話だが、その腹いせに陽亮を呪って、草木の生えない、作物の実らない土地にしたと。天候も、そのせいで安定せず、民は貧しくなる一方だとも」
「ふぅん……四凶ねぇ……」
翅は記憶を巡らす。この世界では、彼女たちをそのように言わないのだ。
その言い方をするとしたら……。翅は代々の記憶の中にひとつだけ思い当たるものを見付けた。

「それで、あなたはそれをどう思うの?」

「そうだな……陽亮は、呪われる前は、年がら年中作物が実り、年中を通し天候の安定した恵まれた土地……常春の国だったらしいと聞いた」

「そうよねぇ」

「だけど何だか……俺は気持ち悪いと思った」
「ふむ……」

「だって、田畑を耕さずとも年中作物が実るなんてあり得ないし、作物に都合のいいように雨が降り、その他は穏やかな晴れだなんて……まるで、俺たちは適切な箱庭で、養殖されているかのようだ」
「その考え方は初めてね」
翅は笑う。
彼女が見てきた記憶の中の月亮公とも違う。

「陽亮に天候が生まれたのなら、作物を実らせるのに、人間の努力が必要なら、それは……箱庭から自由になるチャンスなんじゃないのか?」
「それで、月亮に来てどうするつもり?」

「月亮皇に会えないだろうか」

「会って何をするつもりなのかしら」

「月亮は……あの女……バカな公主がやらかす前は陽亮に援助をしてくれていた。だから……月亮皇なら力を貸してくれると思ったんだ」
「……なるほどね。あなたはおこちゃまだわ」

「な……っ、そんなことは……っ」

「あなた、月亮神話をご存知?」
「陽亮神話とは違うのか?」

「違うわね。月亮神話と言うのは……」
翅が語ったその神話に、朱雀は目を丸くする。

「そんな……じゃぁ先代がやったことは……月亮の平穏を脅かすことだったのでは……?」
それならば、何故月亮はその過ちを犯した陽亮に援助をしたのか。

「誤解しているみたいだけど、月亮皇が善人なわけないじゃない。何たって、凶星である私たちの初代を拳ひとつで屈服させるほどの傍若無人よ。そして私たちがついていくのなら、相当な悪どさを持つやつでもあるの。ただ国をよく治め、民のことを想う名君だからこそ、悪人な面が上手く隠されている……いや、隠す策士だわ」
翅はケラケラと笑う。


「では俺はどうしたら……」

「あなたは陽亮に必要なものは何だと思う?」

「これからは少しでも田畑を耕し、作物が取れない冬は田畑を休ませ、今の陽亮の気候に合わせるために、土壌や作物を改良していくしかない」

「それを知っているのなら、あなたがやりなさい。たとえそれが先代の皺寄せでも、お花畑のやらかした業であっても。自分で何一つ成そうとしないのなら、陽亮皇に鼻で笑われ帰らされるわよ」

「……理不尽だな」
「神の力を持つって、そう言うことよ?だからこそ、人智を超えた力を持つの。さぁ、そろそろ帰りなさいな。いつまでもそこにいても、すぐに冬が来て、土は雪の下に埋もれるわ。少しでも田畑を耕すんじゃなかったの?」

「……分かったよ……翅さん」
そう言うと、瑞鳥は再び空に舞う。

「やれ……また月亮を脅かしに来たのかと警戒しましたが」
物陰から現れた男の姿に、翅がニコリと笑う。

「あなたも警戒心すごいわね」
「もう、間に合わないだなんて、そんなことは嫌ですから」
「江のことね……あなたたち、何だかんだで仲が良かったものね」

「俺は兄上を慕うものには優しいですよ」
「……じゃぁ、私は?」

「スイさまには素直なので特別です」
「あら、ありがとう。やっぱり私のこと心配で見張ってくれていたの?」
「さぁ、どうだか。あなたなら、のらりくらりと躱しそうですが」

「そうねぇ、そうかも」
クスクスと笑う翅に、自ずと駱崗からも笑みが溢れた。

――――そして、陽亮に帰ってきた朱雀を迎えたのは、神官長たちだけではない。

「ねぇ、朱雀!私の朱雀!」
姿を見せたのは、王に謹慎を言い付けられたはずのお花畑公主・弥花である。

どうしてか何かの力が働いているかのように、弥花は自由に動き回る。

「俺はお前のものじゃない。そもそも俺は神の遣いなんだろう?それを自分のものとのたまうのなら、それは神に成り代わろうとしている反逆者ではないのか?」
その言葉に、神官長たちがハッとする。

「ちょ……朱雀……?何を言っているの……?私は神に選ばれたヒロインで……」

「お花畑すぎて話にならない。神はお前を選んでいない」
それだけは確かなのだと、朱雀には分かった。

「みんな、これからは田畑を耕して、農業をするんだ。何もしなくとも食料が手に入る時代などとうに過ぎた。神はそう、俺たちに試練を課したんだ。だからこそ、まずは大神殿から始めよう」
田畑を耕して、冬が来る前に、最低限の実りを。

「ちょっと朱雀、何を言ってるの!?あなたは私と結ばれるために……!」

「早くこの反逆者を捕らえてくれ。俺は田畑を耕さないといけないからな」
朱雀がそう言えば、神官たちが弥花を捕らえに走る。思えばその試練でさえ、歩むきっかけとなった凶星は……弥花なのだから。

そして朱雀は早速とばかりに手に鍬を持つ。