飛雲が……引き籠ってしまった。宴会の方は蒼爺と弟さんたちがなんとかしてくれたのだけど……本題はこちらである。

「こうなったら、当分は出てこないねぇ……。まぁ、書類なら捌くとは思うけど」
地角の言った通り、こんな時でも仕事はやれと、扉の隙間から書類を差し込む蔡宰相さま。
そしてそれだけは受け取り……再び扉を閉める飛雲。

「うーん……」
どうしたものか。ここでしつこくやったところで、むしろ飛雲を追い詰めるのではなかろうか。

「そうだわ……!」
いいことを思い付いた。むしろずっとやりたいとは思っていたのだが、飛雲の素顔が分からずできなかったことだ。

「私に少し時間をちょうだい」
「何か思い付いたの?スイちゃん」

「もちろん!取って置きよ」
相手が飛雲だからこそ、これが一番イケると思うのよ。

「でしたら……それまでは皇后の仕事は休みでよいですよ」
と、部屋の扉の前から、蔡宰相がやって来る。

「仕事は宰相府で分配しますから」
「ありがとうございます!」
それならば、気兼ねなく作業に移れるわ!

「胡艷、大至急用意して欲しいものがあるの!」
「うふふ……っ。この時が来ると思って、用意しておりますわ。飛雲陛下の髪色の布」
「胡艷……!ナイスね!」
思えば、胡艷ほどのベテラン侍女である。普段はフルフェイスお面を取らない飛雲だが、飛雲の素顔は元々知っていそうだ。

「あと、マオピーは綿をちょうだい!」
「うむ、承知した」
マオピーのふわふわもこもこ綿は最高だもの!

「それでは俺は、スイさまのお仕事を手伝って参ります」
「俺はここで飛を見守ってるよ」
範葉と地角もそれぞれ役目を分担し、何だか一体感が生まれた感、いいわねぇ。

「それじゃ、早速やりますか……!」
これでも集中すれば、1日で……!ただし、家事やお仕事は完全お休みじゃなきゃキツいし……それに、今回は刺繍が多めになる予定なのだ。

※※※

ちくちくちく。

ぬいぬいぬい。

やっぱり一番の踏ん張りどころは刺繍よね。どこよりも時間を要するのが刺繍だし。

それに今回は目と口だけではない、特製なのだ。

「スイさま、少し休憩を」
「でも、胡艷、ちょっとくらいなら……」

「片手で食べられるものですので」
ニッコリと微笑む胡艷の迫力ううぅっ!うぐ……でも確かにそうね。時を忘れて刺繍をしていたが、お腹は空いている。胡艷の持ってきてくれた肉包の匂いに、お腹が空いていたことを思い出した。

「いただきまーす」
胡艷が食べやすいようにと、紙の包みにおさめられた肉包をもひっといただく。

「あら、スイさまそれは……」
は……っ。つい前世のくせで……!こちらでは言わないのだったわね。

「美味しくいただきますってこと。肉包を作ってくれたひとや、材料を作ってくれたひと……それから、差し入れてくれた胡艷たちみんなに感謝しながらいただきますって意味なのよ」
「あらあら、用意した私たちも嬉しいですわ。たーんと、召し上がってくださいまし」

「もちろん……!」
今日の肉包は、何だかいつもよりも美味しいわ。
飛雲も……ちゃんとご飯、食べてるかしら。でもきっと、ひとりで食べるのは寂しいわよね。
だから早く、飛雲をあの暗闇から救い出してあげなくては。

「ごちそうさまでした!」
肉包を食べて英気を養ったから、俄然やる気が出てきたわね。やっぱり腹ごしらえは重要だわ。

そしてさらに、作成を続ける。
刺繍が終われば、各パーツの縫い合わせである。骨組みを入れながら、綿を詰め、綿が全体に行き渡るように押し込む。
それからすべての縫い代を閉じつつ、尻尾も忘れずに縫い付ける。そして髪部分の鬘を装着。髪部分には角も装備よ。あとは長衫《チャンシャン》を着せて……と。

「これで何とか……」
それと大事な……飛雲のお面ね。
これは元々作ってあったものなのだが。ちゃんと角が出る入口も作ってある。

「完成ね……!」

「お疲れさまでした、スイさま」
「えぇ……!ありがとう、胡艷もマオピーも……!」
そうして、早速飛雲の元へと向かう。

そこには地角だけではなく、範葉も待っていてくれた。

「そろそろかと思いまして」
あはは……全部お見通しかしら……?

「それじゃぁ……」
ゆっくりと扉に近付けば。

ずぞぞ……。

ほんの僅かに扉が開いた。

「飛雲」

「……」
飛雲の赤い瞳がこちらを自信なさげに見てくる。

「ほら、見て」
見せたのは、饕餮紋のお面を被ったぬいである。

「……これは」

「受け取って」
そっとぬいを扉の隙間に差し込めば、白い指がぬいをそっと受け取った。

「私か」
「そうよ。私特製飛雲ぬいよ」

「……」

「お面も取ってみて」

「お面を……」
扉の奥で、ごそごそとお面を外す音がする。そして……。

「……これは……」
飛雲が息をのむのが分かった。

「私の……」
自分の素顔のぬいがきっと、見えているはずよ。

「私が大好きな飛雲の顔よ。お面の姿だって、素顔のあなただって大好きだから」
「だい……すき……?こんな私を……?」

「当然よ。私も今日から飛雲ぬいを持ち歩くわ。だっていつでもあなたと一緒にいられる気がするんだもの」

「スイは……私と一緒にいたいのか」
「もちろんじゃない」

そう答えれば、扉の隙間がゆっくりと広がる。その先には、私と飛雲、2つのぬいを抱っこした飛雲の素顔があった。

「スイ……おまじないをして」
「おまじない……」

「スイが私とずっといてくれるように」
「……飛雲ったら……っ」

「飛《フェイ》でいい。そう、呼んでくれ」
「……飛……」
愛称で呼ぶことは、何だか特別になれた気がしてしまう。いや……そもそも飛はとっくに私の特別ではないか。

頑張って、素顔で出てきてくれたんだものね。

「特別に……ご褒美、だからね……?」
緊張しながらも飛の頬に手を添える。すると飛が私が届くようにと顔を近付けてくれた。

だからそっとその唇に、今度は私から。おまじないをあげたのだった。

いつのことだったか。昔……月亮の城の中で出会った妖魔族の男の子。その子には、飛と同じ痕があった。

その子は、飛本人だったわけだが。お面の下から覗く赤い瞳に、何だか見覚えがあると思えたのはそのお陰だったのだろう。

そして唇を離して、瞳を開ければ、そこにはどこか照れたように嬉しそうな飛の顔があった。やっぱり、あなたはかわいいひとね。