――――その日は、皇后のお披露目を兼ねた妖魔帝国の式典である。秋は豊穣の季節だから、どこの国や地域でも、豊穣の祈りを込めて式典や宴が開かれるのよね。
「スイ、似合っている」
相変わらずフルフェイスのお面ながら、式典用の金の衣に身を包んだ飛雲がそう声をかけてくれる。
「うん、ありがとう」
私の本日の装いは、飛雲がこの日のためにと用意してくれたものだ。立襟の長衣は、上は旗袍のようだけど、下はゆったりとした漢服系よね。さらに上着のように羽織るのは、秋冬用に合わせて厚めな生地が使われていてもこもこだ。
「デザインには月亮のものも取り入れた」
「月亮の……?」
「うむ。胡艶にも協力してもらってな……女性に好まれそうなものを選んだ」
「そうだったの。胡艶にも感謝ね」
「あぁ。それに……妖魔族は種族によっても着られる服は限定されるが……もこもこは絶対流行ると胡艶が言っていた」
さすがは胡艶……!分かってる!一番人気は胡艶のもこもこしっぽだと思うけどね……!
「スイも似合っている」
「ありがとう、飛雲」
「抱き締めても……いい?」
「……へっ!?」
いや、いきなりそんな……!
「もこもこな……スイ……!」
ふわふわなスイぬいならいつも堪能してるはずなのだが……。うーん、つまりこの生地を飛雲も堪能したいと言うことかしら。今度ぬいようのもこもこコスを作ってあげたら喜ぶかしらね。ひとまず、デモンストレーションと言うことで。
「ほら」
もこもこな布部分を差し出してみれば。
がばりっ
「へぁっ!?」
ちょ……まるごと……私ごと抱き締めてどうする……!
「スイ……スイの匂いも、ふわふわなのも、好きだ」
えと……ふわふわなのは……生地なのだが。
「スイ」
飛雲は抱き締めた私ごと、好きだと言ってくれているのが分かるのだ。
「分かったから……飛雲、そろそろ宴会場に行かないと。みんな待っているのでしょう?」
蔡宰相や地角たちだけではなく、飛雲の臣下たちが。
「……む……名残惜しいが……仕方あるまい」
「その意気よ」
渋々私への抱擁を解いた飛雲を褒めてあげれば、お面の向こうの目が優しく笑んだのが分かった。
「行こうか」
「えぇ」
宴会場に入場すれば、そこには既に多くの出席者が集っていた。
蔡宰相や地角、範葉たちもいてくれるけど……初めて見る顔ばかりな上に、周りは妖魔族だらけ。……緊張するわね。
そんな中、飛雲にまずさきにと挨拶に来る妖魔族たちがいる。みな、まるで竜のような角や尾を持つわね。
「お久しぶりです。兄上」
「皇后陛下を迎えられたこと、お祝い申し上げます」
あ……彼らは、飛雲の弟……つまりは皇弟殿下たちだ。恐らく臣下には下っているわよね。
「あぁ、お前たちが祝いに来てくれたこと、嬉しく思う」
飛雲が声を掛ければ、飛雲の弟たちが拱手をする。
そうして挨拶をこなし、時には酒を注がれ、飲むことになるのだが。
「こちらの酒は強いから、私が飲む」
「けど……それなら……」
「心配はないですよ。皇族は竜ですから」
そう声が聞こえたと思えば、私たちの前に、また挨拶に来た方が……でも、何だか雰囲気が違うような……?
青い髪と金色の瞳、竜の尾は青い鱗で、飛雲とは同じ竜種と言えど、根本的な何かが違う気がするのは気のせいだろうか……?
「皇后陛下、私は蒼仙竜《ツァンシエンロン》と申します」
「……えとっ」
突然のことで戸惑っていれば、飛雲が声をかけてくれる。
「スイ、蒼爺《ツァンイェ》は見た目は青年でも、何故か年齢不詳のジジイだぞ」
じ……ジジイって……。そういう妖魔族もいるのかしら……?でも何だか妖魔族っぽくないと感じてしまうのは気のせいかしら……?
「皇后陛下もどうぞ気軽に蒼爺とお呼びくださいまし」
いや……気軽にって……。
だけど、何だかただ者ではなさそうね。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします、その……蒼爺、でしょうか」
「えぇ」
恐る恐る呼んでみたら、割りとすんなり受け入れられたようだ。
「私もスイと。月亮で親しまれたその名、帝国でも親しんでいただければと存じます」
それなりに皇族との線引きは必要だが、どうせなら帝国の国民にも愛される皇后でいたいもの。
「それではお言葉に甘えて、スイさま。しかしながら、お父上にはどうぞよろしくお伝えください」
「えと……お父さまですか……?」
「私は肘掛けにはされたくありませんので」
その瞬間、後ろで地角と範葉が吹いた音が聞こえたのだが……さすがにお父さまも、目の前の麗人を肘掛けにしたりはしないと思うのだけど……ジョークの一種なのかしらね?
「よ……よく伝えておきます」
肘掛けは……ほどほどにってね。桃叔父さまのためにも……。
宴は順調で、えんもたけなわである。
「スイ、そろそろ休憩を」
「でも……」
主役なのだし。
「スイは帝国での宴は初めてなのだから、適度に休むべきだ」
うーん…そう言うものかしら。
「それじゃぁ……」
お言葉に甘えようかしら。
飛雲の手を取り、私たち夫婦は一旦控え室に戻ろうとした時だった。
「お前のような化け物が、小生意気に皇后を迎え、さらにはそれが人間だと!?妖魔帝国をナメ切っている!」
はぁ……!?飛雲に対してこんな場で……一体何!?
声の方向を見れば、竜種と思われる妖魔族が立っていた。
「飛雲」
あれは一体……しかし飛雲を見上げれば、何か様子が変……?脅えてる……?ともかく、飛雲をまずは控え室に……そう、思った時だった。
「お前のその醜い面を見たら、人間の娘もきっと、国に逃げ帰るぞ!」
妖魔族の男が迫る。
「させるか!」
地角が容赦なく剣を抜き、男をなぎ払う。これで大丈夫……と思ったのだが。
「スイ!」
私に向かって、爪が伸びてきた……?スローモーションに見えるそれを飛雲が庇うように叩き落とした時。もう片方の手が、飛雲のお面を外すように振り落としたのだ。
まさか最初の男は陽動で、こちらが本命。しかし何のために……。理由など分かりきっている。
「……っ」
フルフェイスのお面が床に落ち、青銅色の髪と素顔が明らかになった飛雲が、慌てて両手で顔を覆う。
一瞬見えた素顔には、色の抜けたような肌の上に、左頬から瞼の上まで残る竜の鱗を写したよあな赤い痣が伸びていた。
「何故お前たちがここに!」
「兄上を早く避難させてくれ!」
そこに割り込んだのは、飛雲の弟たちだった。
「うるさい!俺たちを裏切ってそこの化け物についたくせに!」
「私たちだってお前たちの兄だろう?」
襲い掛かった男たちも、竜種。彼らは飛雲の兄弟……!それも兄にも関わらず、弟の飛雲が皇帝を継いだのか。
彼らは皇帝になれなかった鬱憤を、飛雲にぶつけているとでも言うの……?
「これでお前の嫁も、お前に脅えていなくなる!」
何を勝手なことを……。
一瞬見えたあの顔は……指の間から垣間見えるその瞳は、幼い頃に城で出会ったあの子だ。
顔を見られたくないと脅えた子に、ストールをあげたことがあったわね。それが……そうだったのか。
「いい加減にしろ」
その時、飛雲の弟たちまでもが息を呑んだ。
「飛の慈悲で生き長らえたと言うのに、このような宴の席に紛れ込み、飛を傷付けるのなら、飛が何と言おうと、お前らはこの場で殺してやる……!」
尋常ならざる殺意と共に、地角が指に嵌めた指輪をカラン、カランと床に落とす。あれ……多分絶対外したらまずいやつよね……?
「あの……っ、止めなくても……」
いいんでしょうか?蔡宰相を振り返る。
「と……止められるものがいますか!強いていると言うのならば、破壊大魔王の娘が第一候補ですよ!」
いや、誰が破壊大魔王の娘だ蔡宰相め!しかし……うーん……私にも一応、お父さまの血が流れてるわけだし……?でもあれをって……さすがに……。そう、思った時、私の眼前を走り抜ける範葉の姿が見えた。
「葉《イェ》!?」
「止めてください!地角さん!」
「…… っ」
え……?誰もがみな、驚いた。地角は範葉の言葉と腕に、動きを止め、範葉をゆっくりと見たのだ。
本当に……止まった……?
「範葉くんの言う通りですよ、地角。もう止めなさい。そやつらは殺す価値もない連中です。飛雲は平民とすることで彼らを罰しましたが、それでもなお、彼らを担ぎ上げたい妖魔族の手を使ってこんなところにまで来た」
そう語ったのは蒼爺である。なるほど、元々の身分故に荷担したやからが……今蒼爺の後ろでマオピーや妖魔族の武官たちに縛られているやつらだろうか。
「もう、容赦はせず処刑すべきですが」
「それは我々が」
「その方が屈辱でしょう」
そう続けたのは飛雲の弟たちだ。
「あの……彼らは何を……?」
そこまで恨まれることをしたのだろうか。
「あれらは妾子でしたから、本来は皇位を継ぎません」
直系……皇后との間に皇子が生まれなかったならともかく、皇帝になったのが飛雲なら、飛雲が直系なのだ。
「なのに、先代が飛雲に皇位を明け渡した際、自分たちの方が皇位に相応しいと噛み付いたのです」
そう、蒼爺が呆れたように語る。
「それでも飛雲は一度きりの慈悲を与え、彼らを平民として野に下らせました」
その慈悲を反故にしたわけか。
「だが、もう許しはしない」
「たとえ兄上が許しても……いや、許すまい」
弟たちは、地角に脅えたままの兄であった妖魔族たちを捕らえて拘束する。
「こちらのことは任せなさい。あなた方は……」
蒼爺はふるふると震えながらうずくまる、飛雲を見る。
「飛雲……」
手を伸ばそうとしたが、飛雲は素早く走り去る。
「飛雲……っ!」
急いで追いかけたが、飛雲は逃げ込んだ先の扉を、固く、固く閉じてしまった……。