恐ろしいと噂の妖魔帝がこんなにピュアでオトメだなんて、聞いてない!


――――その晩。

私たちは夫婦の寝室のベッドにいた。本来ならば皇帝が后の元に通うか、皇帝が招くものだ。
だから普通は夫婦共同の寝室と言うのは、後宮と呼ばれる場所にはないはずだ。
祖国でもそうだったし。まぁ、夜眠れなくてお父さまのベッドに忍び込んだことならあったけど、それもお父さまの専用のベッドで、お母さまが亡くなってからお父さまは他の妃を自分の寝所には招いていない。
務めたお役目だって、妃に子ができれば、役目を果たしたとして、後宮の他の妃の元に足しげく通うこともない。我が父もかなり特殊だったとはいえ……。

「飛雲はどうして夫婦の寝室を作ったの……?」
「嫁が来ると聞いて……マオピーと胡艶のように、夫婦の寝室で共に寝たかったのだ」
うーん、やっぱりかわいいわね、私の旦那さま。マオピーと胡艶のお陰で、ますますオトメに目覚めちゃってるんだから。もう寝る時間だけどね。

「スイは……好かないか……?」
「そんなことないわ。旅の時みたいで安心する」

「……そうか……。迎えに行って、良かった」
そう言えば……そうよね……?妖魔帝自ら……しかもお忍びで迎えに来るなんて。まぁ、私の前では全くお忍びではなかったが、うちの国のみんなは知らなかったようだし……一応お忍びなのかしらね。

「あの……飛雲」
「……スイ……?」

「どうして飛雲が、自ら迎えに来てくれたの……?」
「スイが……嫁に来ると聞いて……迎えに行きたかった」
何故私なのかしら。でもどうしてかそう語る飛雲が、何か懐かしいものを思い出すように穏やかに目を閉じたのだ。私……昔飛雲に会ったことがあるのかしら……?しかしその素顔を見たことがないから、ハッキリしないわね。

「やっとスイを国に連れ帰れたな」
まるで長い間待ち望んでいたような言い方をするのね。でも、政略結婚なはずなのに、こんなにも望まれて嫁いだのなら……こんな幸せなことはないわね。

さらさらと髪を梳く飛雲の指の感触が心地よくて、今日も私はすやすやと寝入ってしまったのだった。

※※※

――――翌日。
妖魔帝国城2日目。

遂に私は……!

「完成したわ!」
自分で言うのも何だけど、私ぬい!

「まぁ、かわいらしいですわ!」
胡艶もぬいの出来を見て喜んでくれる。これをぬいバッグに収納。
因みにバッグはこちらの民芸品を利用させてもらった。何となくだけど、前世のスマホ用ポシェット中華風って感じだわ。

「あとはぬいを飛雲に……お昼でいいかしら」
「えぇ、もうすぐ昼食のお時間ですし」
そうして胡艶と共に、昼食の席へと向かう。そこで遂にぬいをお披露目だ。

「じゃん、出来たわよ。ぬい」
「……こ、これが……っ」
渾身の私ぬいを見た飛雲は、ふるふると手を震わせながらも、ポシェットごとぬいを手に取る。

「ふわふわだからって、握りつぶさないでよ?」
ぬいがかわいそうだから。
「うむ、分かっている。スイのように、大切に愛でる」
わ、私のようにって……んもぅ、何か恥ずかしくなってきちゃったじゃない……!

「あ……あと、そのポシェットは持ち運び出来るようにってポシェットだから」
「持ち運びか」

「そうよ。ぬいだもの。部屋で飾ってもいいけど、持ち歩いていろんなところに連れていってあげるのもオツなのよ」
「そうか……ぬいとは素晴らしい」
飛雲は私ぬいを色んな角度から見つめながらウキウキしているようだ。

「特別に大好きなぬいは、推しぬいって言うのよ」
「推しぬい……私はスイが大好きだ……!」
「だ……だい……っ」
こんなところで大声で!?いや、言い出しっぺは私だけど……それはそれで照れるから……っ。
そして……大好き……私のことが……。いざ正面から言われたら、顔から火が出そうよ~~っ!

「スイ、早速昼ご飯にしよう。ぬいは肩からかけるか?」
「汚さないように、小卓の上においてあげるといいかも……」
まだドキドキしてるけども、そう述べれば、城の給仕たちがささっと小卓とぬいを入れられる小籠を用意してくれる。さ……さすがは城の給仕!小籠サービスまでつくなんて……!

そうして昼食を楽しめば、私ぬいのポシェットを肩から斜めがけにした飛雲がウキウキでお仕事に向かっていった。

「大成功でしたわね」
と、胡艶。
「う、うんっ」
あんなに喜んでくれるなんて……製作者冥利に尽きるわね。


さぁ、妖魔帝国にも実りの秋が来た!秋と言えば食欲もさることながら、忘れちゃならないのが……ぬいの、秋コスよ!!

そして今私の目の前では……!

「うふふ。マオピーぬいの秋の装い、とっても素敵。私ぬいの秋の装いとお揃いなのよ?」
胡艶が自作のふわもこマオピーぬい秋帽子とマントバージョンを抱き締めながらふんわりと微笑めば……。
胡艶作、胡艶の狐耳おしっぽぬいを嬉しそうに抱いているマオピー。
胡艶ぬいは肌寒くなってくるこの時期にぴったり!ファー付き旗袍を身に纏っている。そしてお帽子はマオピーぬいとお揃いである!

2人も2人のぬいもまとめてかっわい~い!
私は私でこの秋コスを飛雲に……衣装を持ち上げたとき、その傍らに置いてあったぬいパーツを見る。私ぬい用ではないのだけど……うーん。作ってみたものの、その下の飛雲の素顔は……分からないから。だから未だにそれは、お面だけなのだが。

少し考え込んでいれば、蔡宰相と飛雲がやって来て、慌ててパーツを隠し、衣装だけを手に取った。

「スイ……それは」
「ぬい用の秋コスよ。着せてあげてね」
そう告げれば、相変わらず可愛らしく衣装を受け取る飛雲。一方で……。

「何かあったの?蔡宰相まで来るなんて」

「えぇ、その件なのですが」
蔡宰相が口を開く。

「この秋に合わせて、月亮の料理の知識と、妖魔帝国の食材を組み合わせたグルメを売り出す予定なのです」

「わぁ……素敵ね!私も食べてみたいわ!」
「えぇ、食べてください」

「……はい?」

「スイ皇后の食リポ公務の出番です!」
「えぇ――――っ!?」
ほんとにやるの、その公務!いや、美味しいものを食べられるのは嬉しいけども……!?

「明後日、帝都の広間でお披露目をしますので、準備しておいてくださいね」
「そ……それはもちろん……!」
急ではあるものの、それも月亮と帝国の友好の架け橋になるのなら、私も月亮から嫁いだ役目を果たさねば!

「……ところで……スイ」
うん……?飛雲が私の衣の袂をちょんちょんと引っ張ってくる。
何かしら、そのかわいい仕草。オトメ度上がってないかしら……?

「その……ぬいのお着替えだが……お着替えをさせると……私はスイの裸を……み、見ることに……っ」
いや、正確には私のぬいよ!?
だけどそれは、世のオタクたちが必ず通る道と言ってもいい。ぬいを着せ替えさせると……推しぬいの……素肌をまじまじと見ることになることを……っ!その葛藤に今、飛雲はいるのだ……!
それにその……。

「だ……ダメ、かしら。私たち、夫婦なのよ……?」
「夫婦……うむ……そう、なのだが……やはりスイの裸を見るのはその……き……緊張して……っ」
いつも夜、ベッドの中で抱き締めてくるのに、そこはうぶなの……?

「大丈夫よ。何なら今私が手伝うわ」
自分ぬいだもの。何てことない。

「お待ちを……!そう言うのは我々が退出してからにしてくださいます!?」
何故か蔡宰相に怒られてしまった。マオピーもさすがにそれは見られないと退出。最後の頼みの綱の胡艶は『後は若いおふたりで……っ、きゃ……っ』と言って退出していった。

いやその、私が着替えるんじゃなくて、ぬいのお着替えですけど!?

「す……スイ、私も目を瞑っていたほうが……いいだろうか……っ」
そわそわしつつもやはり気になるのか、私ぬいをちらちらと見る飛雲。

「そんなに緊張しなくていいのよ」
もちろん私はぬいのお着替えはこなれているので。
ぱっぱっぱっと着替えさせていく。

「ほら、できた」
「す……スイの裸を……裸をまじまじと……っ」
恥ずかしそうにしながらも、まじまじと見たらしいのは、それも雄の本能か何かゆえだろうか。

「とにかく……ほら。かわいくお着替えできたでしょ?」
秋コスを身に付けた私ぬいを、そっと受け取った飛雲は……優しく胸元に抱き締めた。本当に大切にしてくれて、作成者冥利に尽きるわね。

「スイ……大好きだ」
ひぁっ!?いきなりそんな……っ、急に!?そんなまっすぐに言われたら、顔が赤くなっちゃう……いやいや、そもそもその言葉は私ぬいに言ったのよね?そうよ……秋コスがかわいかったから……きっとそうよね……!?

「スイ」
しかし次の瞬間、飛雲の手が私の頬に伸びてくる。

「私もスイに、衣を贈ろうか」
「あー、えと、秋服ってこと……?」

「うむ……!」
私がぬいに秋コスを贈ったことで、飛雲も閃いたらしい。

「楽しみにしていてくれ……!」
「それなら……楽しみにしているわ」
何だかぬいがキューピットになってくれたみたいで微笑ましいわね。


――――この世界で、南瓜布丁が食べられるとは思わなかった。南瓜はかぼちゃ。布丁とは……プリンのことである!

「んん~っ!美味しいっ!秋グルメがまさかスイーツにまで……!最高だわ!」
月亮のポテトフライと帝国の妖獣肉の炒め物も最高だし、妖獣肉巻きおにぎりもなかなか……!その上……デザートまでとは……!
女子としてはありがたい限りだわ。

「うむ、私もスイが喜んでいるのは嬉しい」
お役目を終えてステージを降りれば、飛雲が待っていてくれた。
尤も装いは皇帝ではなく城市に溶け込む庶民のものだ。
お面は相変わらず饕餮紋だが、この魔除けのお面は庶民にも愛されているので、他にも身に付けるものはいるから、庶民たちもまさかこれが妖魔帝本人とは、なかなか思うまい。

なお、帝都のグルメのお披露目は次のステージへ移っていく。この後は帝都民たちにも秋のグルメが振る舞われるから、大盛り上がりである。

「たまにはこうした活気に満ちた風景を見るのもよいな」
私には目元しか見えないが、そのお面の裏での表情はなんとなく分かるわ。民が活気に満ち、グルメの祭典を楽しんでいるさまを、飛雲は誇らしげに感じているのだ。

「スイ、実は蔡宰相から差し入れをもらったのだ」
飛雲の手元には、肉包や揚げ芋、肉巻きおにぎりなどがある。

「みなで食べれるようにと」
「蔡宰相ったら」
飛雲がこうして庶民の食べ物も楽しみたいのを分かっているのね。それも……みんなで。

ステージの裏手に用意してもらった賄いスペースには、地角、範葉、マオピーと胡艶が揃っていた。

テーブルの上には、他にもスイーツなども用意されていて、胡艶が喜んでいる。マオピーがスイーツを胡艶にあーんしてあげれば。胡艶がかわいらしくぱくりと口に含む。

「スイ」
飛雲がそっと肉包を差し出してくる。

「いや、スイちゃん食べたばかりだから」
するとその時、飛雲の手を制すように地角の手が伸びてきた。

「……なぬっ」
飛雲がビクンと肩を振るわせる……!ちょ……っ、相変わらずドS大魔王っ!あれ……大魔王って確か桃叔父さまがよく呼んでいるお父さまの愛称では……?いやいや、それよりも……!

「いいわよ。飛雲からのあーんはベツバラよ」
さながらスイーツはベツバラのごとし。
むしろこのぷるぷる震えだしたかわいい飛雲をそのままにはできないもの。
飛雲が手に持った肉包に口を近付け、はむり。

「ん……っ、おいひぃ」
「スイ……っ」
飛雲が嬉しそうに声を漏らす。

「でも、お行儀が」
範葉から小言が……っ。だけど……。

「大丈夫よ。お父さまだって、たまに桃叔父さまにやってるわ!」

「餌付けされてる……?」
地角が漏らすと、範葉が吹き出す。

「むしろされてなかったら驚きよ」
「そうかも」
地角はクツクツと笑いながら、自身も肉をつまんでいた。

「私も……スイを餌付け……?」
飛雲が何だか嬉しそうなのだが……いや、むしろ私の方が飛雲に餌付けしたくなってくるのだけど……。

「あーんは……難しいかしら」
お面ごしだもの。

「スイも……あーん、してくれるのか」
「でも、手元が不安定よ……?」
お面の中に差し入れて、鼻にぶつかっちゃったりしたら大変だわ。

「任せてくれ」
飛雲がそう言うのなら。揚げ芋をひとつ摘まんで、飛雲に近付ける。

「あーん」
すると私の手をぱしゅりと掴んだ飛雲が、そのまま自身の口元に誘導し、お面の下ではむりと口にした。

「……あ、ぅ……っ」
ちょ……っ、いきなりそんな……っ!?私があーんしに行った時はこんなにドキドキしなかったのに……っ、何で今だけこんなにドキドキするのか……っ。

「ん、美味しい」
うぅ……っ、餌付けしようとしたのに、これ、完全に主導権握られてない!?
こんな予定じゃなかったのに~~っ!しかし……そんなところも……悪くはないわね……。



――――中華と言えば、ヤムチャである。こちらでは飲茶(インチャー)と呼ばれるが。それでも美味しいお茶と点心が食べられるのは変わらないわね。

「ん……美味しいわね」
「スイは相変わらずよく食べるな」
「……ひ、ひとを食いしん坊みたいに言わないでよ……!飛雲《フェイユン》ったら!」
地角じゃあるまいし。……しかも今も肉包つまみ食いしてる。

「……怒ったのか?」
「そんなんじゃないわよ」
にこりと笑えば、飛雲がホッとしたようだ。

「懲りたなら、女の子に食いしん坊みたいに言っちゃダメよ」
「……分かった。反省する」
しゅんとするところは、かわいそう……と言うよりもやっぱりかわいい。だからこそ、このひとを見捨てられないんだわ。

「そう言えば、月亮もこちらと同じように、もう秋真っ盛りなんですって」
その上、暖かい時期など限られているから、すぐに冬が来る。
それでも作物は頑張って土壌改良や肥料の開発で育ててるし、冬は氷室や天然の冷蔵庫を使って工夫してるのよね。食文化が豊かなのだって、そう言った努力のそのさきにある成果である。
冬は妖魔帝国からも食べ物の輸入をしているから、国は庶民の生活まで、安定していると思う。

「お父さまには定期的に文を出しているのよ」
まぁ、ひとり文の行き来よりも便利な伝令役を知っているけど……桃叔父さまもそんなしょっちゅうは来ないだろう。
範葉を心配して見に来ることはあるけれど。あと、伝令と言えばたまに駱叔父さまも姿を見せてくれる。
月亮国民でも、月亮の高官ですら、あまり姿を見せない激レアな皇弟殿下だ。

「どんなことを書いているんだ?」
「そうねぇ……この間は、グルメイベントのことよ。たくさん美味しいものが食べられたから。それからこの前は食リポの一環で点心教室にも参加したでしょう?」
本来皇后は料理などしないが、せっかくお話をいただいたので、体験してきたのだ。

「そうか……そうだったな」
そしてその時の点心はもちろん、飛雲に試食してもらったのも大切な思い出だ。

「でも……」
「何かあったのか?」

「いや……お父さまは何も書いて来ないけれど、陽亮の件はどうなったかなって……」
何せ陽亮の公主が、支援をしていた月亮の公主の婚約者を略奪したのだ。
まぁ、私も鄭逸とは結婚したくないし、お陰でとっても素敵でかわいい飛雲に嫁げたけれどね。
試しに駱叔父さまにも聞いてみたけど……やはり国の機密事項として探っているものだからか、私には何も心配しないようにとしか、教えてくれないのだ。

「私の耳に入ってきた限りは……そうだな。結局浮気をした2人は別れたとか」
「さすがにお父さまが許さなかったのよ」
2人は離れ離れ。鄭逸は鄭叔父さまと共に片田舎に引っ越したそうだ。そこくらいまでは駱叔父さまから仕入れられたけれど。

「だが、意外なことに陽亮の公主はそれほどかつての恋人に固執せず帰国したらしい」
「確かに意外ね……。もっと固執すると思っていたのに」
私から婚約者を略奪して、手に入れたらぽいっと捨てるだなんて、とんだ悪女よね。
女主人公《ヒロイン》を気取っておきながら……そんな傍若無人なヒロインは、なかなかいないのではないかしら……?

「それに……自分には他にも運命の殿方が4人いるらしいとのたまったらしい」
「え……?4人もいるの……?すごいわね」
皇帝や王じゃあるまいし、4人と結婚だなんて無理よ。陽亮には別に王太子がいる。
月亮に支援を受けておいて、それを裏切るような行いをした公主を後継者にだなんて……陽亮王もそこまでバカではないでしょうよ。

「何でも……四神に選ばれる運命の神子だとか。そして悪の凶星を倒すために大いなる力に目覚めるのだそうだ」
「いやいや、何言ってるの。神子は四神の方でしょ。それに……何で凶星を倒すのか……わけが分からないわ」
この世界にも、青龍、朱雀、白虎、玄武と言った存在はいるが……神子とは言え、元は人間であるはずだ。

そしてそれに対になるようにして、妖魔族には特殊な4柱がおり、それぞれ饕餮、檮杌、窮奇、混沌と呼ぶ。

しかし彼らは争っているわけではなく、それぞれがそれぞれの役目を全うしているに過ぎない。
そしてそれらは滅ぼしてしまえば世界の均衡が崩れると言われている。
だからこそ、互いに干渉しないようにして、世界の均衡を保っているのだ。

「そうさな……私も別口で確認したが……そんなものは知らないと言われた」
ん……?まるで当事者から聞いたかのような言い方よね。でも当事者は今は朱雀だけでは……?
陽亮が国宝のように外に出したがらないありがたい神子らしいし。昔は違ったようだけど……大災害の影響かしらね。昔ほど四神の力を見せびらかしたりはしていないらしい。

まぁ、したらしたらで揚げ足を取って追い返す……とお父さまが言っていたが。
月亮はただ単にお人好しってわけではないのよ。

その上、妖魔帝国と陽亮はそれほど交流がない。むしろ陽亮が妖魔帝国を敵視しているようなのよね。
四神が力を鼓舞したがるのも主に妖魔帝国に対してである。

月亮に支援を受けるようになってからは、月亮に睨まれだいぶおとなしくなったそうだけど。
まぁ……うちの友好国に敵対するなら支援はなしでも言われようものなら、陽亮は詰むもの。
月亮にとっても、必要なのは妖魔帝国の対妖獣のための武力と、冬を越すための服食品だ。

そう言う背景もあるから……朱雀ではないはずよね。妖魔帝国にも、陽亮の情勢や歴史に詳しいひとがいたのかしら。

私にもそう言った友人……姐のような存在がいるから、いてもおかしくはないわね。

「まぁ、とにかく、何かあれば我々も月亮皇と連携しよう」
「それがいいわね」
月亮と妖魔帝国が手を取り合う中……陽亮は月亮にも見捨てられそうな勢いを、何とかできるのか……。
ま、私が気にしても仕方がないか。今は祖国と、今とこれからを飛雲と生きていく帝国のことだ。

「お茶……美味しいわね」
こうして美味しいお茶を飲んで、庶民も点心を食べられる、そんな日常を守らないと。

「うむ。冬は冬で違うお茶や点心も出るから、楽しみにしていてくれ」

「えぇ」
今からでも楽しみだし……そうね。また食リポのお仕事があったら、頑張りたいわね。

――――その日は、皇后のお披露目を兼ねた妖魔帝国の式典である。秋は豊穣の季節だから、どこの国や地域でも、豊穣の祈りを込めて式典や宴が開かれるのよね。

「スイ、似合っている」
相変わらずフルフェイスのお面ながら、式典用の金の衣に身を包んだ飛雲がそう声をかけてくれる。

「うん、ありがとう」
私の本日の装いは、飛雲がこの日のためにと用意してくれたものだ。立襟の長衣は、上は旗袍のようだけど、下はゆったりとした漢服系よね。さらに上着のように羽織るのは、秋冬用に合わせて厚めな生地が使われていてもこもこだ。

「デザインには月亮のものも取り入れた」
「月亮の……?」

「うむ。胡艶にも協力してもらってな……女性に好まれそうなものを選んだ」
「そうだったの。胡艶にも感謝ね」

「あぁ。それに……妖魔族は種族によっても着られる服は限定されるが……もこもこは絶対流行ると胡艶が言っていた」
さすがは胡艶……!分かってる!一番人気は胡艶のもこもこしっぽだと思うけどね……!

「スイも似合っている」
「ありがとう、飛雲」

「抱き締めても……いい?」
「……へっ!?」
いや、いきなりそんな……!

「もこもこな……スイ……!」
ふわふわなスイぬいならいつも堪能してるはずなのだが……。うーん、つまりこの生地を飛雲も堪能したいと言うことかしら。今度ぬいようのもこもこコスを作ってあげたら喜ぶかしらね。ひとまず、デモンストレーションと言うことで。

「ほら」
もこもこな布部分を差し出してみれば。

がばりっ

「へぁっ!?」
ちょ……まるごと……私ごと抱き締めてどうする……!

「スイ……スイの匂いも、ふわふわなのも、好きだ」
えと……ふわふわなのは……生地なのだが。

「スイ」
飛雲は抱き締めた私ごと、好きだと言ってくれているのが分かるのだ。

「分かったから……飛雲、そろそろ宴会場に行かないと。みんな待っているのでしょう?」
蔡宰相や地角たちだけではなく、飛雲の臣下たちが。

「……む……名残惜しいが……仕方あるまい」
「その意気よ」
渋々私への抱擁を解いた飛雲を褒めてあげれば、お面の向こうの目が優しく笑んだのが分かった。

「行こうか」
「えぇ」

宴会場に入場すれば、そこには既に多くの出席者が集っていた。
蔡宰相や地角、範葉たちもいてくれるけど……初めて見る顔ばかりな上に、周りは妖魔族だらけ。……緊張するわね。

そんな中、飛雲にまずさきにと挨拶に来る妖魔族たちがいる。みな、まるで竜のような角や尾を持つわね。

「お久しぶりです。兄上」
「皇后陛下を迎えられたこと、お祝い申し上げます」
あ……彼らは、飛雲の弟……つまりは皇弟殿下たちだ。恐らく臣下には下っているわよね。

「あぁ、お前たちが祝いに来てくれたこと、嬉しく思う」
飛雲が声を掛ければ、飛雲の弟たちが拱手をする。

そうして挨拶をこなし、時には酒を注がれ、飲むことになるのだが。

「こちらの酒は強いから、私が飲む」
「けど……それなら……」

「心配はないですよ。皇族は竜ですから」
そう声が聞こえたと思えば、私たちの前に、また挨拶に来た方が……でも、何だか雰囲気が違うような……?

青い髪と金色の瞳、竜の尾は青い鱗で、飛雲とは同じ竜種と言えど、根本的な何かが違う気がするのは気のせいだろうか……?

「皇后陛下、私は蒼仙竜《ツァンシエンロン》と申します」
「……えとっ」

突然のことで戸惑っていれば、飛雲が声をかけてくれる。

「スイ、蒼爺《ツァンイェ》は見た目は青年でも、何故か年齢不詳のジジイだぞ」
じ……ジジイって……。そういう妖魔族もいるのかしら……?でも何だか妖魔族っぽくないと感じてしまうのは気のせいかしら……?

「皇后陛下もどうぞ気軽に蒼爺とお呼びくださいまし」
いや……気軽にって……。
だけど、何だかただ者ではなさそうね。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします、その……蒼爺、でしょうか」
「えぇ」
恐る恐る呼んでみたら、割りとすんなり受け入れられたようだ。

「私もスイと。月亮で親しまれたその名、帝国でも親しんでいただければと存じます」
それなりに皇族との線引きは必要だが、どうせなら帝国の国民にも愛される皇后でいたいもの。

「それではお言葉に甘えて、スイさま。しかしながら、お父上にはどうぞよろしくお伝えください」
「えと……お父さまですか……?」

「私は肘掛けにはされたくありませんので」
その瞬間、後ろで地角と範葉が吹いた音が聞こえたのだが……さすがにお父さまも、目の前の麗人を肘掛けにしたりはしないと思うのだけど……ジョークの一種なのかしらね?

「よ……よく伝えておきます」
肘掛けは……ほどほどにってね。桃叔父さまのためにも……。

宴は順調で、えんもたけなわである。

「スイ、そろそろ休憩を」
「でも……」
主役なのだし。

「スイは帝国での宴は初めてなのだから、適度に休むべきだ」
うーん…そう言うものかしら。
「それじゃぁ……」
お言葉に甘えようかしら。

飛雲の手を取り、私たち夫婦は一旦控え室に戻ろうとした時だった。

「お前のような化け物が、小生意気に皇后を迎え、さらにはそれが人間だと!?妖魔帝国をナメ切っている!」
はぁ……!?飛雲に対してこんな場で……一体何!?
声の方向を見れば、竜種と思われる妖魔族が立っていた。

「飛雲」
あれは一体……しかし飛雲を見上げれば、何か様子が変……?脅えてる……?ともかく、飛雲をまずは控え室に……そう、思った時だった。

「お前のその醜い面を見たら、人間の娘もきっと、国に逃げ帰るぞ!」
妖魔族の男が迫る。

「させるか!」
地角が容赦なく剣を抜き、男をなぎ払う。これで大丈夫……と思ったのだが。

「スイ!」
私に向かって、爪が伸びてきた……?スローモーションに見えるそれを飛雲が庇うように叩き落とした時。もう片方の手が、飛雲のお面を外すように振り落としたのだ。

まさか最初の男は陽動で、こちらが本命。しかし何のために……。理由など分かりきっている。

「……っ」
フルフェイスのお面が床に落ち、青銅色の髪と素顔が明らかになった飛雲が、慌てて両手で顔を覆う。
一瞬見えた素顔には、色の抜けたような肌の上に、左頬から瞼の上まで残る竜の鱗を写したよあな赤い痣が伸びていた。

「何故お前たちがここに!」
「兄上を早く避難させてくれ!」
そこに割り込んだのは、飛雲の弟たちだった。

「うるさい!俺たちを裏切ってそこの化け物についたくせに!」
「私たちだってお前たちの兄だろう?」
襲い掛かった男たちも、竜種。彼らは飛雲の兄弟……!それも兄にも関わらず、弟の飛雲が皇帝を継いだのか。
彼らは皇帝になれなかった鬱憤を、飛雲にぶつけているとでも言うの……?

「これでお前の嫁も、お前に脅えていなくなる!」
何を勝手なことを……。
一瞬見えたあの顔は……指の間から垣間見えるその瞳は、幼い頃に城で出会ったあの子だ。

顔を見られたくないと脅えた子に、ストールをあげたことがあったわね。それが……そうだったのか。

「いい加減にしろ」
その時、飛雲の弟たちまでもが息を呑んだ。

「飛の慈悲で生き長らえたと言うのに、このような宴の席に紛れ込み、飛を傷付けるのなら、飛が何と言おうと、お前らはこの場で殺してやる……!」
尋常ならざる殺意と共に、地角が指に嵌めた指輪をカラン、カランと床に落とす。あれ……多分絶対外したらまずいやつよね……?

「あの……っ、止めなくても……」
いいんでしょうか?蔡宰相を振り返る。

「と……止められるものがいますか!強いていると言うのならば、破壊大魔王の娘が第一候補ですよ!」
いや、誰が破壊大魔王の娘だ蔡宰相め!しかし……うーん……私にも一応、お父さまの血が流れてるわけだし……?でもあれをって……さすがに……。そう、思った時、私の眼前を走り抜ける範葉の姿が見えた。

「葉《イェ》!?」

「止めてください!地角さん!」
「…… っ」
え……?誰もがみな、驚いた。地角は範葉の言葉と腕に、動きを止め、範葉をゆっくりと見たのだ。

本当に……止まった……?

「範葉くんの言う通りですよ、地角。もう止めなさい。そやつらは殺す価値もない連中です。飛雲は平民とすることで彼らを罰しましたが、それでもなお、彼らを担ぎ上げたい妖魔族の手を使ってこんなところにまで来た」
そう語ったのは蒼爺である。なるほど、元々の身分故に荷担したやからが……今蒼爺の後ろでマオピーや妖魔族の武官たちに縛られているやつらだろうか。

「もう、容赦はせず処刑すべきですが」
「それは我々が」
「その方が屈辱でしょう」
そう続けたのは飛雲の弟たちだ。

「あの……彼らは何を……?」
そこまで恨まれることをしたのだろうか。

「あれらは妾子でしたから、本来は皇位を継ぎません」
直系……皇后との間に皇子が生まれなかったならともかく、皇帝になったのが飛雲なら、飛雲が直系なのだ。

「なのに、先代が飛雲に皇位を明け渡した際、自分たちの方が皇位に相応しいと噛み付いたのです」
そう、蒼爺が呆れたように語る。

「それでも飛雲は一度きりの慈悲を与え、彼らを平民として野に下らせました」
その慈悲を反故にしたわけか。

「だが、もう許しはしない」
「たとえ兄上が許しても……いや、許すまい」
弟たちは、地角に脅えたままの兄であった妖魔族たちを捕らえて拘束する。

「こちらのことは任せなさい。あなた方は……」
蒼爺はふるふると震えながらうずくまる、飛雲を見る。

「飛雲……」
手を伸ばそうとしたが、飛雲は素早く走り去る。

「飛雲……っ!」
急いで追いかけたが、飛雲は逃げ込んだ先の扉を、固く、固く閉じてしまった……。



飛雲が……引き籠ってしまった。宴会の方は蒼爺と弟さんたちがなんとかしてくれたのだけど……本題はこちらである。

「こうなったら、当分は出てこないねぇ……。まぁ、書類なら捌くとは思うけど」
地角の言った通り、こんな時でも仕事はやれと、扉の隙間から書類を差し込む蔡宰相さま。
そしてそれだけは受け取り……再び扉を閉める飛雲。

「うーん……」
どうしたものか。ここでしつこくやったところで、むしろ飛雲を追い詰めるのではなかろうか。

「そうだわ……!」
いいことを思い付いた。むしろずっとやりたいとは思っていたのだが、飛雲の素顔が分からずできなかったことだ。

「私に少し時間をちょうだい」
「何か思い付いたの?スイちゃん」

「もちろん!取って置きよ」
相手が飛雲だからこそ、これが一番イケると思うのよ。

「でしたら……それまでは皇后の仕事は休みでよいですよ」
と、部屋の扉の前から、蔡宰相がやって来る。

「仕事は宰相府で分配しますから」
「ありがとうございます!」
それならば、気兼ねなく作業に移れるわ!

「胡艷、大至急用意して欲しいものがあるの!」
「うふふ……っ。この時が来ると思って、用意しておりますわ。飛雲陛下の髪色の布」
「胡艷……!ナイスね!」
思えば、胡艷ほどのベテラン侍女である。普段はフルフェイスお面を取らない飛雲だが、飛雲の素顔は元々知っていそうだ。

「あと、マオピーは綿をちょうだい!」
「うむ、承知した」
マオピーのふわふわもこもこ綿は最高だもの!

「それでは俺は、スイさまのお仕事を手伝って参ります」
「俺はここで飛を見守ってるよ」
範葉と地角もそれぞれ役目を分担し、何だか一体感が生まれた感、いいわねぇ。

「それじゃ、早速やりますか……!」
これでも集中すれば、1日で……!ただし、家事やお仕事は完全お休みじゃなきゃキツいし……それに、今回は刺繍が多めになる予定なのだ。

※※※

ちくちくちく。

ぬいぬいぬい。

やっぱり一番の踏ん張りどころは刺繍よね。どこよりも時間を要するのが刺繍だし。

それに今回は目と口だけではない、特製なのだ。

「スイさま、少し休憩を」
「でも、胡艷、ちょっとくらいなら……」

「片手で食べられるものですので」
ニッコリと微笑む胡艷の迫力ううぅっ!うぐ……でも確かにそうね。時を忘れて刺繍をしていたが、お腹は空いている。胡艷の持ってきてくれた肉包の匂いに、お腹が空いていたことを思い出した。

「いただきまーす」
胡艷が食べやすいようにと、紙の包みにおさめられた肉包をもひっといただく。

「あら、スイさまそれは……」
は……っ。つい前世のくせで……!こちらでは言わないのだったわね。

「美味しくいただきますってこと。肉包を作ってくれたひとや、材料を作ってくれたひと……それから、差し入れてくれた胡艷たちみんなに感謝しながらいただきますって意味なのよ」
「あらあら、用意した私たちも嬉しいですわ。たーんと、召し上がってくださいまし」

「もちろん……!」
今日の肉包は、何だかいつもよりも美味しいわ。
飛雲も……ちゃんとご飯、食べてるかしら。でもきっと、ひとりで食べるのは寂しいわよね。
だから早く、飛雲をあの暗闇から救い出してあげなくては。

「ごちそうさまでした!」
肉包を食べて英気を養ったから、俄然やる気が出てきたわね。やっぱり腹ごしらえは重要だわ。

そしてさらに、作成を続ける。
刺繍が終われば、各パーツの縫い合わせである。骨組みを入れながら、綿を詰め、綿が全体に行き渡るように押し込む。
それからすべての縫い代を閉じつつ、尻尾も忘れずに縫い付ける。そして髪部分の鬘を装着。髪部分には角も装備よ。あとは長衫《チャンシャン》を着せて……と。

「これで何とか……」
それと大事な……飛雲のお面ね。
これは元々作ってあったものなのだが。ちゃんと角が出る入口も作ってある。

「完成ね……!」

「お疲れさまでした、スイさま」
「えぇ……!ありがとう、胡艷もマオピーも……!」
そうして、早速飛雲の元へと向かう。

そこには地角だけではなく、範葉も待っていてくれた。

「そろそろかと思いまして」
あはは……全部お見通しかしら……?

「それじゃぁ……」
ゆっくりと扉に近付けば。

ずぞぞ……。

ほんの僅かに扉が開いた。

「飛雲」

「……」
飛雲の赤い瞳がこちらを自信なさげに見てくる。

「ほら、見て」
見せたのは、饕餮紋のお面を被ったぬいである。

「……これは」

「受け取って」
そっとぬいを扉の隙間に差し込めば、白い指がぬいをそっと受け取った。

「私か」
「そうよ。私特製飛雲ぬいよ」

「……」

「お面も取ってみて」

「お面を……」
扉の奥で、ごそごそとお面を外す音がする。そして……。

「……これは……」
飛雲が息をのむのが分かった。

「私の……」
自分の素顔のぬいがきっと、見えているはずよ。

「私が大好きな飛雲の顔よ。お面の姿だって、素顔のあなただって大好きだから」
「だい……すき……?こんな私を……?」

「当然よ。私も今日から飛雲ぬいを持ち歩くわ。だっていつでもあなたと一緒にいられる気がするんだもの」

「スイは……私と一緒にいたいのか」
「もちろんじゃない」

そう答えれば、扉の隙間がゆっくりと広がる。その先には、私と飛雲、2つのぬいを抱っこした飛雲の素顔があった。

「スイ……おまじないをして」
「おまじない……」

「スイが私とずっといてくれるように」
「……飛雲ったら……っ」

「飛《フェイ》でいい。そう、呼んでくれ」
「……飛……」
愛称で呼ぶことは、何だか特別になれた気がしてしまう。いや……そもそも飛はとっくに私の特別ではないか。

頑張って、素顔で出てきてくれたんだものね。

「特別に……ご褒美、だからね……?」
緊張しながらも飛の頬に手を添える。すると飛が私が届くようにと顔を近付けてくれた。

だからそっとその唇に、今度は私から。おまじないをあげたのだった。

いつのことだったか。昔……月亮の城の中で出会った妖魔族の男の子。その子には、飛と同じ痕があった。

その子は、飛本人だったわけだが。お面の下から覗く赤い瞳に、何だか見覚えがあると思えたのはそのお陰だったのだろう。

そして唇を離して、瞳を開ければ、そこにはどこか照れたように嬉しそうな飛の顔があった。やっぱり、あなたはかわいいひとね。

私は生まれながらに、顔に醜い痣を持ち、腹違いの兄たちにはそれを理由に、皇太子に相応しくないと苛められてきた。

異母弟たちは庇ってくれたが、立場上異母弟たちは強くは出られまい。母上は私の幼い頃に旅たち、父上はそれも皇帝となるために必要な試練だと言う。

蒼爺はこれを先祖返りの兆しだと言ったが、そんなもの……私は欲しくはなかった。

しかし皇太子として、閉じ籠ってばかりいるわけにもいかなかった。私が閉じ籠れば、今度は異母弟たちが苛められてしまうから。私は外に出るしか……兄たちに苛まれるしかなかった。

そんな中、外交で月亮皇国に赴いた折、そこでも私は奇異の目に晒された。周りから突き刺さる視線の数々に耐えられなくなって、ひとり逃げ出し、城の庭の片隅にうずくまっていた。

「ねぇ、あなた、何してるの?」
不意に頭上からかかった声に顔を上げると、そこには美しい紫の髪と瞳の少女がいた。

「み……見るな……っ」
咄嗟に見上げてしまい、慌てて両手で顔を隠す。

「見られたくないの……?うーんと……」
少女は少し悩んだあと、自らの羽織っていたストールを外し、私の頭にふわりとかけてくれたのだ。

「見られたくないなら、それを巻いておくといいわ」
「でも……」

「いいのよ。私の叔父さまだって、いつも布面をしているのよ」
少女は人間だろう……?人間の叔父が、何故妖魔族のように布面をするのか。よほど見られたくない何かがあるのか……?私のように。しかし、私はその日、彼女に救われたのだ。

やがて迎えに来た護衛たちに連れられ、私は使節団の滞在先まで帰されたが……彼女との出会いは、忘れられぬものだった。

だから、こんな醜い顔でも……いつか、彼女に礼を言いたいと願ってきた。そんな折……弟たちが兄たちに閉じ込められたと聞き、暗い洞窟の中へと脚を踏み入れた。

「お前は騙されたんだ!」
「ここにアイツらはいねぇよ!」
兄たちの声だ……!
そして私は暗い洞窟の中へと、底へと落とされてしまったのだ。安直だった。騙されてしまった。

この帝都には……いや、妖魔帝国の城の地下には、とある凶星を封じ込める檻……洞窟がある。

そこは迷路のようで、誰も抜け方を知らない。古くから饕餮を封じてきたものたち以外は。

私がいなくなれば、弟たちはどんな目に遭うか……。こんな見た目の私でも、慕ってくれた弟たちだけは……守りたかったのに。

必死で出口を探したが、辺りは暗がりだけで何もない。

「……何故……私は……」
こんなにも無力なのだ。

【………………】

暗闇の中で何かが呼んだ気がした。

「誰か、いるのか……?」

【……は、……いない、もう、会えない……】
悲しい、声だ。

「お前は誰だ?」
闇の中に浮かび上がったのは、見覚えのある……あれは、魔除けの……。

「ここにいるのなら、お前は……」
闇の中、鎖に繋がれた獣がそこにいる。

「……ェ亮《リャン》公……」
それは、私が知っている月亮皇ではない。多分もう……いや、決して会うことのかなわない方だ。

「お前が饕餮《タオティエ》か」
その四柱の凶星は、帝国にの決まった種族の中に生じ、帝国が管理させる。
しかし月亮の神話を一度でも読んだことのあるものならば、何故彼らを月亮に還さないのか、疑問に思うだろう。
私は彼女に少しでも近付きたくて、かの国の神話にも触れた。だからこそ、分かるのだ。

「私に付いてくるか?お前の求める月亮公に合わせてやることはできないが、だが……私には、私の剣が必要だ。私の剣になってくれるか」

「剣……」

「そうだ。私と共に来てくれ」
「……」
闇の中から白い腕が伸びてくる。守りの種族たちによって作られた、代々の饕餮たちの角からできた封魔具と共に。

このような、痛々しいものを。しかし饕餮は笑う。やつらの手に渡るよりは、自分の手にあって欲しいのだと。

饕餮の手が私の手を取る。
そして私は、自らの剣に名を与えた。

地角と。

地の果てまでも、私はお前を欲しているから。

――――それからだ。今まで地角が置かれていた立場を知った。国が管理していた凶星の発生源には、無理に彼らを縛り付けることを禁じた。

兄たちを退け、弟たちを守り、成人と共に父上から皇位を譲り受けた。

兄たちは暴れたが、最後の慈悲をかけた。あれらも皇族として……父上がいたずらに妾に手を出さねば、歪むこともなかったのかもしれないから。

そして成人を迎え臣下に下る弟たちを見守りつ
つ、私はひとつの報せを耳にする。

「スイが……」
婚約解消したのだと……。
私はすぐに月亮皇に報せを飛ばした。妖魔帝飛雲が、スイを皇后に望んでいると……。


フルフェイスお面から脱却した飛には、新たな問題が立ちはだかっていた。
蒼爺に臨時の魔封じとして鱗を一鱗もらっていたが、1日でダメになってしまう。しかし飛の妖力は封じ込めなくては強すぎて、周りの妖魔族をも震え上がらせるほど。

蔡宰相たちは慣れてるらしく、平気そうだが。私もそう言えば……平気ね……?うーん、武芸はさっぱりながらも、お父さまの血を少しは受け継げたってことかしら……?

しかし……私だってただ黙って見てはいられない!蒼爺の鱗だって永遠じゃないのだから!私は祖国月亮からあるものを取り寄せていた。

「これぞ……っ!凶星をも封じる力の込められた魔封じよ!」
それは凶星が月亮の民となるために与えられたものであったが……。

「饕餮の代わりに私の旦那さまに使ってもいいかしらって、お父さまにお願いしたのよ。そうしたら、饕餮は飛の小間使いだから、その主に渡すのは構わないって」
「いやちょ……月亮皇のご厚意はそもそもだね……今、何つった?」
地角が何故かあたふたしていた。

「だから、地角は飛の側近だから……」

「小間使いって言ったよね!?今そう言ったよね……!?あの皇帝、桃のことも含めて俺たちのこと小間使い扱いしてない!?」
「何言ってるのよ、地角。桃叔父さまは肘掛け扱いよ!」
「そう言う問題と違ーうっ!」

「地角さん、月亮皇が父さんを『肘掛け』と呼ぶのは、愛情の裏返しですから」
と、範葉。
「どんな裏返しなの……!それと、それ……俺にも効くの……?」
地角が、お父さまからの仕送りを指差す。

「付けてみる?あ、でも地角はそもそもその指輪があるから……」
「あぁ……これか」
地角が指に嵌めた指輪を見せてくれる。

「それは一体どこで手に入れたの?」
陽亮は凶星を仕留める神の刃を振るう。しかし彼らを封じる術はない。彼らを封じる術を脈々と受け継いでいるのは、太陽の日陰でしか生きることのできなかった、月亮の皇族である。
それも封じると言っても、その有り余る妖力を隠すものでしかない。
つまり、月亮の民を脅かさず過ごすのなら、それを与えるから好きに生きろが月亮のモットーである。

だが月亮が受け継いでいるのは、各凶星一体につき一つずつ。桃叔父さまの場合は布面である。
それらを凶星に自由に与えられるのは月亮皇のお父さまだけだけど……今回饕餮用を送ってくれたのなら、地角のそれは、凶星用ではないのでは……?

「これは……俺が生まれた土地で付けられた、代々の饕餮の角から作られたものだ。何でも食らう饕餮の角だから、これは俺のとどまることのない妖力すらも食らう」
「そんなものが……受け継がれているの……?」

「そうだね。スイちゃんはまだ知らないようだ。俺たちはね、月亮で生かされることはできても、必ず妖魔族の決まった土地で生まれる。そしてその土地は、凶星が生まれる土地の妖魔族によって受け継がれる。延々とね」
そう語る地角はとても悲しそうだった。

「月亮まで辿り着き、月亮公の残像に辿り着けたならまだいいが……饕餮にはこんな代物が用意されているんだ。いくら願おうとも、その残像を追い掛けようとも、俺は……月亮公の元へは行けない」
地角の語る月亮公とは、地角の何代も前の始祖……神話の時代の饕餮が封具を賜った月亮の国祖のことだろう。
饕餮は一体どれだけ、自分自身の角に縛られていたのだろう。

「だが、今は違うだろう、地角」
寂しげな地角に寄り添ったのは飛である。

「凶星と呼ばれるお前たちを、閉じ込めることはもう私が許さない。そう、皇位を継いだ時に、決めた」

「……そうだったね。だから俺は……飛と共にいる」

「……あぁ。だが、もしお前が月亮公を……維竜皇を求めるのなら……っ」
飛ったら……そんな泣き出しそうな顔で……っ。

「何言ってんの。俺は肘掛けにされる義理はないよ。それに……少なくとも当代の俺の主は飛だけだ」
「……うん……っ、地角」
飛が安心したように笑みを見せる。

「そうよ、飛。飛がとっても大事にしてる側近よ?なのに私の旦那さまを泣かせるような真似をして月亮に会いに行ったら……多分地角はお父さまに半殺しに遭うわよ」
「……いや、恐いこと言わないでよ……でも桃に聞く限りは……やられそう」

「まぁまぁ、地角はこれまで通り、飛のそばにいるのだから……!それに、地角が飛に仕えてるってことで、お父さまがせっかく送ってくださったのよ?ほら、飛。付けてあげるから」
「スイが付けてくれるなら……っ」
飛が嬉しそうに私の前に立つ。やっぱりかわいいわ、このひと。

「飛……スイちゃんが付けてくれるなら、呪いの品すら平気で付けそうだ」
「付けないわよ……そんなもの」
付けてどうする!むしろ呪いの品担当は確実に地角でしょうが、この暗黒ドSっ!

そんなわけで、飛の両角に角飾りを付けてあげれば。

「うん……抑えられてる」
地角のお墨付きもあり、無事に飛の妖力も隠せたのだった。
これで蒼爺も安心ね。


祖国から届いたのは、立太子の報せである。直系は私ひとりだったから、次の皇太子は自ずと腹違いの弟から選ばれることになっていた。

「彩竜《ツァイロン》が選ばれたのね。武芸もさることながら、皇帝としても遜色なく推せるわね」

後宮の異母姉弟となると、どろどろしたものを想像してしまうかもしれないが、むしろうちは淡々としていたわよね。
それもこれも、先代が後宮を大きくしすぎたから縮小したのだ。無駄に贅沢を望もうものなら、お父さまから戦場で自分で稼いでこいと言われるから、誰もバカなことはしなかったのよ。ほんとあの父は……最恐というか。

それと……陽亮からの遣いか。

「スイ、やはり月亮には行きたいか」
「そうね……改めてお父さまにも挨拶……した方がいいと思うわよ、あなたも」
馬車に忍び込んで付いてきたこと、お父さまのことだから今頃掴んでるかもしれないわ。

「うぐ……だが……月亮皇は私の顔をどう思うだろうか」
もじもじする飛はかわいいが。

「別にどうもしないわよ」

「しかし……だな」

「恐がらなくてもいいのよ?」
おいたをしなければ、基本は平常心である。その平常心をぶっ壊してキレさせるのはだいたい桃叔父さまの仕事。

「月亮皇は……その、皇帝としても先輩だし、私としては……その、憧れ……と言うか、強いし、えっと……」
つまり……つまりこのかわいいもじもじは、単にお父さまに憧れて緊張してたってだけ!?
いや、娘としては、父に憧れてくれるのは嬉しいが。

「なら、堂々と挨拶してなんぼよ。うじうじしてたら奥歯ガタガタ言わせてくるわよ」
「ひぃっ」
あ、逆にビビっちゃった。

「月亮皇からの誘いで月亮に行くのは構わないし、陽亮からの遣いもスイちゃんがいいなら構わないけどさ……ほんと月亮皇ってなんなの。人間なの?」
私たちの話が終わらないのを心配してか、地角と範葉が来てくれたようだ。

「お父さまは人間……だと思うわ」
「何で一瞬躊躇ったのかな……?」
ニッコリドSが微笑んだ。

「だって色々と桁違いなんだもの」
「父さんを平気で服従させるのが月亮皇陛下ですので」
「……納得したわ」
範葉の言葉に、地角がうんうんと頷く。基準……桃叔父さまなの……?

「とにかく……!しっかり挨拶できれば問題ないわ!陽亮の遣いは……不安は残るけど、飛が一緒なら、大丈夫よ!」
「私が……一緒なら……!」
あら、飛の元気が出たのかしら。それならそれで、良かったわ。

それならば、早速祖国へと向かいましょうか……!

※※※

――――月亮皇国

「は、はじめまして……わ、私が……スイの……旦那……いや、夫の方がいいかな」
お膝の上でぬいを両手にお人形さんごっこって……っ!
道中暇さえあれば、飛は私ぬいと自分ぬいで、お人形さんごっこならぬ……緻密なシュミレーションを繰り返していた。見てる分にはかわいすぎるお人形さん遊び……。いや、ぬい遊び。

「飛、あのね、一応相手は月亮皇よ?もっと威厳を持ってみたらどうかしら」
さすがにもじもじ天然妖魔帝ではカッコがつかなくないだろうか。

「は……っ、威厳か……っ!お、お義父さん!私がスイを……スイをください!」
いやいや、色々ともっとおかしいことになった――――っ!ぬい遊びでテンパってるわ!完全にテンパってるわよ!

「じゃぁ、私がリードするから。ほら、ぬいを貸して」
私ぬいを受け取り、私もぬい遊びに加わる。

「お父さま、ただいま帰りました。こちらが妖魔帝飛雲、私の夫です」
「よ……よろひく……ひゃっ、噛んだっ」
かわいさ倍増すぎる~~っ!

「ほら、飛。ちゃんと言えたら、ご褒美あげるわよ」
「ご褒美か?」
「そう、ご褒美」
私ぬいから飛ぬいの頬へ、ちゅっとご褒美……なぁんて……。

「かあぁぁぁっ!」
ひぃーっ!?飛がこの上なく喜びの嵐をおおぉっ!

「あの、ぬい遊びはそろそろ……」
そう範葉の声が聞こえ、私たちは馬車が停止していることに気が付いた。開かれた扉。その向こうで盛大に吹き出す地角。微笑ましそうに見守ってくれる胡艶とマオピー、何故か地面に突っ伏してる駱叔父さまは……何であんな体勢に。

「月亮皇陛下が、出迎えに来てくださってます」
範葉の言葉に、さらにパニックになる。

「ひぁあぁぁっ!?もうお父さまがぁっ!」
「かあぁぁぁっ!」
飛も落ち着いてぇっ!

「ほら、深呼吸!」
範葉の深呼吸の音頭に、2人でゆっくりとす~~は~~と深呼吸。

「さぁ、行くわよ、飛!」
「うむ、スイ!」

「気合いは結構ですが、ぬいは胡艶さんに預けてくださいね」

『……はい』

そんなこんなで月亮へと帰ってきた私と飛が馬車を降りれば、お父さまが迎えてくれた。

「お帰り、スイ!」
「ただいま、お父さま!」
お父さまが私を抱き締めてくれる。

「……む」
ちょ……飛ったらこんなところで不満がらないでよ……!

「妖魔帝もようこそ来てくれた。前回のように馬車に籠られていなくてなによりだ」
お父さまがものっそい笑顔で告げた。

「ふぐ……っ」
負けない!負けないで、飛!

「この間は挨拶ができず……その……っ」
妖魔帝なんだからもっと威厳を~~っ!内心応援しつつも、う~ん、このぽわぽわ天然夫がかわいすぎてどうしようっ!

「……まぁいい、積もる話はあるが、歓迎してやる」
あら、お父さま……?それはサービスかしら。
しかし範葉が地角に何やら呟いているのが聞こえてしまった。

「あそこ、父さんが」
そう言えば……物陰から何だかぐったりとした桃叔父さまが見えるのだけど!?

「桃……お前、また肘掛けに処されたのか」
どうやらお父さまの大サービスは、桃叔父さまの敢闘あってのことだったらしい。