「ごめんなさい、絲怡さまっ。彼とは盛り上がっちゃって、もうこの熱情を止められないのっ!」
弥花がぶりぶりしながらそう告げれば、その様子に許嫁がぐへっと頬を緩ませる。
許嫁も許嫁ながら……弥花も弥花である。
その姓が指す通り、彼女は陽亮の出身である。その立場は陽亮の先代王太子の遺した娘である。
しかし若くして病死した先代王太子を悼み、その先代王太子の弟に当たる現陽亮王が養女に迎えたのが弥花である。
本来ならば彼女こそが直系の公主である。その直系の血筋が彼女を傲慢にしたのだろうか。
しかし、その直系であるはずの彼女が陽亮の跡継ぎでもなく、王太子は現陽亮王の長子である。
本来ならば、従兄妹として王太子と婚姻させることもできただろうに、それもなく。

さらにはそんな重要な立場の公主が月亮に滞在している。その意味を、彼女は理解していないのだろうか……?

「それに……地味な絲怡公主よりも、私の方が彼に相応しいわ!」
地味……とは?自慢ではないが、前世の黒髪黒目に比べたら充分派手な気がするのだが。しかしあからさまなヒロイン顔の弥花に比べれば、確かに地味かもしれないわね。

月亮に留学して3ヶ月で、私の許嫁を寝とるとは、末恐ろしい公主である。
昔から何かと突っ掛かってきたと思えば、ひょっとしたらずっと私の許嫁を狙っていたのかしらね……?

「私はね、女主人公《ヒロイン》なのよ!」
「あ゛……?」
いけない。つい公主にあるまじき言葉が漏れてしまった。

「陽亮は神に選ばれた生命と豊穣の国……!」
正確には今は昔ね。先代王太子が病に臥したのを皮切りに、陽亮は未曾有の大干魃に襲われ、疫病と大飢饉に襲われた。
そして先代王太子が逝去し、全ての疫を地の底へと持っていったように、未曾有の大災害は終結を迎えた。
終結を迎えてもなお、滅びなかったのはさすがは神に選ばれた国と言えようか。
しかし実際に陽亮の民が生きながらえたのは、月亮が食糧と医薬品の支援をしたからだ。
月亮は支援の見返りは求めなかったが、現陽亮王は堅実にその恩を返そうとしており、今回の弥花の留学だって、陽亮を支援した月亮のことをよく学ぶようにだのと言う建前があったはずなのだが。……結果弥花は何も学ぶことはなく、私の許嫁をぶんどったわけだ。

「そして私は陽亮に受け継がれる予言書にある、運命の姫なのよ」
いや……姫って何。公主なら分かるけど。それに予言書ねぇ……そんなものがあったのなら、さきの陽亮の大災害だって予想できたのではと思ってしまう。本当にそんなものがあるのかは分からないが。今度歴史に詳しい友人にでも聞いて見ようかしらね。

「こうして貴方と結ばれるのも、予言書にあった運命」
「あぁ、弥花……!」
私、いつまでこのメロドラマを見せられないといけないのかしら。

「すみませーん、弥花公主の入室許可は与えてないので、追い出してくださいます?」
そう、私が呼び掛ければ、陽亮の公主の扱いをどうしようか悩んでいた武官たちが容赦なく弥花を引っ捕らえ、許嫁から無理矢理引き剥がして連行する。

「きゃあぁっ!?痛い、痛い放してええぇっ!」
「やめるんだ!ぼくが命じてるんだそ!将来皇帝になる……このぼくが……!」
は……?何を言ってるの……?この男。

「皇帝陛下への謀反の疑いがあります。引っ捕らえて、そこの侵入者と共に、月亮皇陛下の前につきだしなさい」
そう命じれば、許嫁は「ぼくが謀反のとはどういうことだ!」と叫び、弥花は「絲怡が虐めるわ!私は陽亮の公主なのよ!?助けて~っ!」と叫びながら追い出されていった。全く……支援される国の公主が支援する国の公主にこんな狼藉を働くとは……こちら風に言えば、丢面子《面目潰れ》だ。

そして暫くして『バカヤロオオオオォッ!』と、大声が響いてきた。
お父さまね。何とか即処刑は免れたようだけど、許嫁が今後どうなるかは……別にどうでもいい。それよりも……。

暫くすれば、私の執務室にお父さまが姿を現した。深い紫の髪に、私と同じ紫の瞳を持っている。月亮皇国の皇帝で、月亮皇・惟竜《ウェイロン》と呼ばれるお方である。

「スイ、婚約は解消させた。鄭逸は家ごと地位も財産も没収の上、月亮の片田舎に左遷する。陽亮公主は国外追放だ」
むしろ、お父さまからも呆れられているからこその、片田舎への左遷。

「でも……即処刑ではなくてよろしいので?」
陽亮公主の弥花は陽亮王に無断で勝手に殺すわけにはいかないが、皇帝として皇位を望んだものを、野放しで良いのだろうか。いや、ただのバカだから相手にしてないのかも知れないし、鄭逸の父親の鄭央《ヂョンヤン》叔父さまの降下先はそんなことは望んでいないからだろうか。

少なくとも鄭叔父さまは先代の貴妃の子だ。だがお父さまを差し置いて息子に皇位を継がせようなんて思わないだろう。何せ兄弟で一番強く、そして国を守った英雄がお父さまだ。それを差し置いて皇位を望もうものなら……ほかの叔父たちも怒るのは言うまでもないが……確実に桃《タオ》叔父さまがキレて瞬殺されるだろう。
桃叔父さまは実の叔父ではないから、鄭叔父さまと血の繋がりはない。お父さまには従順だが、粗相をすればたとえお父さまの異母弟やその息子であっても……多分容赦しない。
あの婚約破棄の場に、桃叔父さまがいなくて、アイツもおバカだけども剛運と言うか何と言うか。

「スイはその方がいいか……?ならば、やはり一族郎党即処刑を……!ちょうど暇をもて余してるアイツにでも……」
待て待て待て……!全くこの父は……!
私のことになると平気でそう言う恐いことを言うのだから!そして誰にやらせようとしてんのよ!まさか桃叔父さま!?それともまた桃叔父さまを生贄……じゃなかった、影武者にして自らやりに行く気かしら。
どちらにせよ……被害が尋常じゃなくなるからやめて欲しい。
皇帝として、強くてカッコいい存在でいて欲しいとは思うのだが、しかし冷血皇帝のようにはなって欲しくないのよね。

「いいわよ。もう。むしろあんなやつと結婚しなくてよかったわ」
「……スイ」

「けど……そうなれば、私の輿入れ先、まだあるかしら」
こうみえて、もう年頃である。同年代はほぼほぼ婚約者を決めているし……。

「それ……なんだがな」
「……お父さま……?」

「ひとつ……縁談が来ている」
「あら……!どんな縁談かしら!」
お国に貢献できるのなら願っても見ないことだが。せめて次の嫁ぎ先は、まともであって欲しい。

「……妖魔帝国の……妖魔帝・飛雲《フェイユン》だ」
「……はい?」
妖魔帝国とは、人間族ではない妖魔族が治める国である。
妖魔族とは、人間とは見た目が異なるものが多く、尻尾が生えていたり、角が伸びていたり。前世の妖怪や妖魔と近くはあるが、違うのはこの世界での彼らは、国を興し、文明を築く人類の一員と見なされる。

――――しかし、人間が妖魔族の元に嫁ぐと言うのは稀であり、逆もまたしかり。

だがそれが国同士のやり取りのために必要なのなら。
たとえその妖魔帝が……数々の恐ろしい噂を持っているとしても。えぇと……確か……恐ろしい顔を隠している、冷酷、人間をおもちゃにして遊ぶ、好物は人間の臓物とか……何とか。どこまでが本当かは分からないけどね。
でも、私は公主なのよ。

「承知いたしました、お父さま。スイは妖魔帝国の妖魔帝に、輿入れいたします」
公主として、祖国に貢献せずにどうする。私だって、お父さまの娘よ。

私の決意に、お父さまも頷いてくれる。そうして私は、妖魔帝国の妖魔帝に輿入れすることとなった。