「失礼します」
「来たな、ハリス」

 入室早々こちらを睨みつけるドレンツ院長。
 年齢はまだ二十代半ば。
院長という肩書をもらい受けるには若すぎる年だ。
 その顔つき……どことなく、彼の父親であり、俺にとっては恩師であるグスタフ・レイナード先生の面影が見られる。
 ただ、中身については雲泥の差があった。


 ノエイル王国の王都にあるレイナード聖院。
 ここは治癒魔法の祖と呼ばれるフランチェスカ・レイナードが開業し、代々運営されている国内でもっとも歴史が長く、そして最大規模の診療所である。
 俺はここで治癒魔法師として働いていた。
 五歳からこの道を目指し、長い修業期間を経て十八になった時から働き始め、今年で十五年になる。
 幼い頃、重病に侵されて死にかけていた俺を助けてくれた、命の恩人でもある先代院長グスタフ・レイナード先生の理念に惹かれ、彼とともに仕事がしたいと努力を重ねてついに治癒魔法師としての資格を得た。

 師匠と慕う先代院長は一年前に亡くなってしまい、レイナード聖院は現在その後継者が運営している。
そんなレイナード聖院の第十六代目院長であり、先代院長の息子であるドレンツ・レイナードに呼びだされた俺は、こうして無駄に豪華な美術品で彩られた院長室へと足を運んだのだ。

「君に以前、最後通告を渡してあったはずだが……覚えているか?」

 氷のように冷たい視線をこちらへ向けながら、ドレンツ院長が迫る。
 最後通告。
 その言葉には聞き覚えがあった。

「私が先代院長とともに推し進めていた、魔草薬の研究についてですか?」

 スラスラ答えると、ドレンツ院長は「ちっ」とこちらに聞こえるよう舌打ちをする。

「分かっているのなら、なぜ呼ばれたのか……その理由についても当然察しているな」
「と、申しますと?」

 わざとらしく尋ね返すと、ドレンツ院長は再び舌打ちをしてから解説を始める。

「君の処遇についてだ。君の身勝手な行動には王家の方々もほとほと困り果てている。早急な対応を求められ、決断に至った。今日はそれを伝えるために呼んだのだ」

 大袈裟な話だ。
 俺がここでしていることをまるで凶悪犯罪のように言ってくれる。

「身勝手な行動と申されましたが、私がここで行っているのは先代院長の悲願でもありました魔草薬の研究であり、これが成功した暁には治療代を払えずに苦しんでいる多くの人々を救うことになります。そうなれば王家の方々にとっても大きな――」
「そんな話をしているのではない!」

 院長のヒステリックに怒鳴り散らすいつもの癖が発動した。
 こうなると、まともな会話は難しくなるから困る。

「俺は魔草の研究を即刻やめるよう伝えたはずだ! あの農場は潰して増築すると!」
「それに対し、私は再三にわたって正当な理由をお尋ねしたはずです。お答えいただけないのであれば従えません。何度も言いますが、あれは先代院長のご遺志でもあるのですから」
「ぐっ……屁理屈を!」

 どっちが屁理屈なんだと言いたいところだが、それはグッと堪える。
 たぶん、それを口にしてしまったらもう歯止めが利かないだろう――まあ、もう手遅れ感はあるけど。

 魔草の研究。
 先代院長の肝入りで始まったのだが、その最大の目的は「治療代を払えない人々に安価で魔草薬を販売するため」であった。

 本来であれば、来院して治癒魔法を受けるのがベストなのだが、それに頼らず、魔力を含んだ魔草と呼ばれる植物を使用した薬で症状が改善されるケースも多々ある。しかし、この魔草薬というのは過去にあまり研究がなされておらず不透明な部分も多かった。

 そこに着目した先代院長は、聖院の土地の一角に農場を作って魔草の栽培を始めた。自分たちで研究し、より多くの人の命を助けようという試みだったのだ。

 ――だが、この研究は徐々に疎まれていくようになる。
 原因は目の前にいる現院長にあった。

 彼は治癒魔法使いという限られた者しかなれないという貴重な立場を悪用し、治療の対象を貴族や商会幹部、上位ランクの冒険者パーティーなど、大金を持っている層に限定しようと動きだしたのだ。

 これは彼が独断で考案したものではないだろう。
 バックには優位な立場を利用して甘い蜜をすすろうとする不届き者たちがいると俺は睨んでいた。王家の中にもそういった考えを持つ者がいるみたいだし。
 グスタフ先生にもこうした誘いはあったのだが、頑として受け入れなかった。そんな彼の息子であるドレンツ院長も、同じように突っぱねると思ったのだが、先代院長の死をきっかけに事態は急加速する。
 
 彼はまだ若く、治癒魔法師としても見習いレベルであった。
 通例では、その場合に優秀な補佐役を置き、連携を取って聖院を運営しているのだが、ドレンツ院長はその補佐役に自分の息のかかった部下を配置した。抗議する者は片っ端からクビにして、先代院長からの流れを一気に遮断したのだ。

 先代が生きている時は大人しく鳴りを潜めていたが、止める者がいなくなったと判断して本性を現したのだろう。

 おかげで、グスタフ先生に師事された者でレイナード聖院に現在まで残っているのは俺だけになってしまった。
 そして、ついに魔草農場の廃棄に反対し続けていることを理由に俺を追放しようとしているのだ。

「あなたがそこまで魔草の研究を毛嫌うのは……金にならないからですか?」
「そうだ」

 言い訳をつけて回避するのだろうと思っていたが、真正面から肯定されるのはさすがに予想外だった。もうヤケクソになったのか?

「親父のやり方は古臭いんだよ。大体、他の連中は俺たち治癒魔法師の力がなければ長生きはできねぇんだぜ? これを利用しないなんてバカのすることだ。それを分かっているから、金持ちは高い金を払ってでも治療を受けに来るんだよ。金を払えねぇ貧乏人に生きる価値はねぇのさ」
「あなたは……そこまで……」
「いいか? 俺たちは他人の寿命を左右する貴重で特別な存在なんだ」

 治癒魔法師の存在を肥大させて悦に浸る……まるで自分が神にでもなったかのような口ぶりだった。
一体、彼はどこで道を違えてしまったのだろう。
 近くにあれほど偉大な父親がいたというのに。

「おまえをクビにするのは魔草薬の件だけじゃない。例の訪問診察についても、俺は散々やめろと通達したよな?」

 訪問診察は、先代院長の頃から続けていた。
 離島に住む少数部族だったり、ダンジョン近くで寝泊まりをしている駆けだしの冒険者たちだったり、危険な鉱山で働く炭鉱夫たちだったり――体調が悪くても、さまざまな理由で聖院まで足を運べない人たちのために、俺たち治癒魔法師は定期的に地域を分担して各地を回っていた。
 これもまた、グスタフ先生の理念に惚れ込んだからできることだ。
 しかし、拝金主義に取りつかれたドレンツ院長は、出張で予算を食う挙句に大した金にもならないこの訪問診察を完全撤廃してしまった。
 
 ――が、俺や先代院長の弟子たちはそれに従わず、訪問診察を密かに続けていた。
 もっとも、現院長派の治癒魔法師たちによって密告され、すぐにバレてしまったのだが。

「以上ふたつの理由から、おまえは我が院に相応しくない人材と判断し、今日限りで解雇すると決定した。とっとと荷物をまとめて失せろ」

 眼前を飛び交う羽虫を追い払うがごとく、「シッシッ」と手を振るドレンツ院長。
 ……これ以上のやりとりはいくらやっても不毛な結果に終わる。
 そう判断した俺は、

「分かりました。それでは私は今日限りでこのレイナード聖院をやめさせていただきます」
「おう。――何をしている? さっさと出ていけ!」

 またしても怒鳴り散らし、座っていた執務机を蹴りだす。
 短気なところは誰に似たんだか……まあ、それも今となってはどうでもいいことだ。

 俺は院長室を出ると、荷造りのためにまずは農場を目指した。
 ――が、ここで俺は信じがたい光景を目の当たりにする。

「っ!? これは!?」

 そこにあったのは、見る影もなくボロボロとなった農場の姿であった。誰かが踏み荒らしたせいで、栽培していた魔草は全滅している。おまけに、作業用にと作ってあった木造の小屋まで破壊されていた。あの中にはここまでの研究をまとめたレポートが保管してあったのだが、あの様子ではすべて破棄されているな。
 おかげで俺たちの長年にわたる魔草薬の研究が台無しになってしまった……間違いなく、ドレンツ院長の仕業だろう。
 恐らく、部下たちに命令してやらせたに違いない。

「ひどい……」

 惨状と化した農場を呆然となって眺める。

「自分の父親が心血を注いで研究していたというのに……」

 天涯孤独の身である俺にとって、今のドレンツ院長の考えはまったく理解できなかった。
ため息をつきつつ、俺はバラバラにされた小屋から小さな麻袋を取りだす。

「やっぱり、こいつには気づかなかったか」

 麻袋の中には植物の種がいくつか残されていた。
これらは全部魔草の種。
こいつがあれば、また研究ができる。
一からやり直すのは大変だが、魔草薬を研究し、たくさんの人を救いたい――それがグスタフ先生のご遺志だからな。そのためにも、特にこいつが必要不可欠だ。
俺は他の物に比べてひと回りほど大きな緑色の種を取りだす。

「こいつが残ってくれていたのは奇跡だな」

 静かに呟いてから麻袋を強く握りしめると、俺は立ち上がって歩きだす。
追いだされた以上、次の住居を確保しなければならないからだ。
目的地について、候補はいくつかあるけど、その前にこれまでお世話になった人たちへ挨拶をしなくちゃいけないし、それよりも先にちょっと寄りたいところがある。
 
 さて、これからどうなることやら。

  ◇◇◇

 追いだされた日は町の宿屋で一泊し、翌日改めて出発した。
 途中、顔馴染みの行商が俺の目指す目的地へ向かうというので、彼の馬車に同乗させてもらうことに。

「しかしあそこへ行きたいなんて先生も物好きですねぇ。そこで商売をやろうっていう私が言うのもおかしな話ですが、何もありませんよ?」
「今の俺にとってはそっちの方がいいですね」

 そう言って、俺は荷台から外の景色を眺めつつ思いにふける。

 思い返せば、前の世界にもあんな上司がいたな、と。
 ――そう。
 俺はもともとこの世界の住人ではない。
 かつての俺は日本人で、地方の中小企業で営業職をやっていた。別に人と接するのが好きだとか社会貢献だとかには興味がなく、ただ生きるために働いて金を稼ぐというくだらない日々を送っていたのだ。

 生きる意味を失いかけていたある日、俺は死んだ。
 それはもう呆気なく、ぽっくりと病で死んだ。

 自分が死ぬのだという実感も湧かないまま意識が薄れていき、次に気がつくと目の前に美しい金髪の女性が立っていた。
 自分はとある世界を管理する女神だと告げたその女性は、俺の生き様があまりにもひどすぎるので自身の管理する世界に転生させようかと提案。それが俺好みのいわゆる剣と魔法のファンタジー世界だったので乗っかることにしたのだ。
 その際、前世とはあまりにも世界観が異なるため、役に立つスキルをひとつ授けると言ってくれた。いくつか挙げられた候補の中から、俺は魔草使い《プラント・マスター》を選択。
 理由としては、女神の話を聞く限り、かなり応用の利きそうな万能スキルだったから。

 実際、この力は大いに役立ってくれた。
 当初は気ままに冒険者でもやろうかと考えていたが、偶然出会ったグスタフ先生に見出されて魔草薬師として生きていく道を選んだのだ。

 誰かのために力を使うというのは初めてのことだったので、いろんな人に感謝されて俺は舞い上がった。誰かから必要とされるのがこんなにも嬉しいなんて前世では気づかなかった。毎日与えられた仕事だけをこなすマシンのような生活ではなく、人の役に立つよう頑張る日々はとても充実していたのだった。

 ……本当はそのグスタフ先生の息子であるドレンツ院長と魔草の研究を続けられたらよかったのだが、今の彼には何を言っても無駄だろう。

 なら、ここからは俺の自由に生きる。
 魔草の研究と、困っている人たちを助けるために過ごしていこう。
 これまでと生活の本質自体は変わっていないけど、自由度はより増している。
 なんか、そう考えるとワクワクしてきたな。

 少し不安もあったけど、ここまできたらもう吹っ切れるしかない。
 そう思うと、なんだか体が軽くなったような気がしてきた。
 うん。
 暗く考えるのはやめて、しっかり魔草の研究に勤しめる環境を作りながらのんびりやっていくとするか。