「いいよね、海の前の高校」
「まぁ、楽しいよ」
「えっ、ここの学校なの?」
驚いて、俺を振り返ってフェンスによし掛かる。まるで疲れたというように、足をパタパタと片足ずつ振った。ビタンビタンとヒレを打ちつけていた姿と、なぜか重なってしまう。
水族館前よりも俺にとっては、知り合いの多い場所だから早く離れたい。そんな俺の思いも気にせず、マリンはプールを覗き込んでいた。
「羨ましいなぁ、楽しそう」
「何も楽しくないよ」
「無気力少年め!」
間違いない。やりたいことも、好きなことも、失った今、無気力という言葉がしっくりくる。乾いた笑い声を出せば、マリンはじっと俺の目を見つめた。
「なんかあったの?」
何かあった。今日二人目の問いかけに、情けなさが湧き上がる。隠せもしないまだまだ、大人にはなれない自分を突きつけられたようだった。
「とりあえず、もう少し行こうぜ。クラスメイトに会いたくないし」
「それもそっか」
フェンスから離れて、マリンはまたゆっくりと歩き始める。学校から遠ざかりながら、マリンに問いかけた。
「なんで人魚のフリしてたわけ?」
「人魚になるんだよね、私」
思いもよらない答えに、ポカンっと立ち止まってしまう。
「あの人にも釣り合うようになれるから、いいんだけど」
微かに聞こえた言葉に、首を傾げる。信じきってる将来の夢みたいに、「人魚」と答えた。マリンはそれでも、立ち止まった俺を置いて進んでいく。
「どうして人魚?」
「人魚って美しい声でしょ。私この声がコンプレックスなんだよね」
俺には、可愛らしい鈴の鳴るような声にしか聞こえない。それなのに「変な声でしょ」と、吐き出すように笑った。
「良い声だと思うけどな」
「お世辞はいいって」
「お世辞じゃなくて、本気」
「あはは、嬉しいよ」
感情のこもってない「嬉しいよ」に、胸が詰まる。マリンの過去に何があったか、俺は知らない。ただの赤の他人だから、なんとでも言えると思ってるんだろう。
「だから、人魚になったら美しい声をもらえないかなぁって。だって、人間になりたい人魚から声を奪ってるんだよ! 私の足を上げるから、美しい声を貰って、そしたら、聴いて欲しい人がいるんだ」
「探しにきた人?」
夜の海で言ってた「会いたい人がいる」という言葉を思い出す。そこまで、思う相手は、どんな人なんだろうか。
「そう。美しい声だから、それはもうすぐに元気出ちゃうでしょ」
「相手は、落ち込んでるわけね」
「多分ね、本当にそうかは、わからないけど」
こくんこくんと頷きながら、マリンはパインサイダーをごくごくと飲み干した。
「落ち込んでなければ一番いいんだけどね。他人に優しさを配って自分を後回しにしちゃう人だから」
独り言のようにぽつん、とマリンは声にした。今のマリンの声で「元気を出して」と伝えればいいのに。そういう簡単な問題じゃないことはわかるから、思うだけに止める。
「で、ソウくんは? 夏休み、何するの?」
「なんで急に俺の話だよ」
「だって、普通こんな学校ある時間に海に来るんだから、夏休みになったんでしょ」
ビシッと指で俺を指して、にししとまた笑う。潮風がマリンの髪をさらって、ふわりと宙に浮かせた。
「何にもないよ」
「何にもなくはないでしょ」
「俺には何にもないんだよ」
ふいっと顔を逸らせば、マリンはズカズカと近づいて俺の前に立ちはだかった。
「私は、会いたい人がいるし、動画配信もしたいし、海で泳ぎたいし、おいしい海鮮も食べたい! あとは」
指折り数えながら、やりたいことを口にしていく。普通の人間らしいやりたいことに、「人魚はどこへいった!」と言いたくなった。それでも、何個も、何個も、すぐに出てくるマリンが純粋に羨ましいと思う。
俺の思ってることがわかったのか、マリンは「人魚になっちゃう前に、ね!」と、明るい声で答えた。人魚に本当になるような気がする。そして、マリンは人魚になっても、きっと美しいだろうなと思った。