マリンも俺の手を強く握り返して、そして、瞳に波を浮かべる。一瞬、海に泡が消えていくように。人魚姫のように、叶わない恋を想像して、恐怖が体中を支配したけど……
「私は、湊音に恋して、ソウくんにも恋した。だから、どんなソウくんも大好きだよ。でも……」
「でも?」
「もう、時間がないみたい、ごめんね。それに、ソウくんは、もう私が居なくても元気になれるでしょ?」
潤んでる瞳で、じいっと見つめるマリンを思わず引っ張って、抱きしめた。触れてるところから、お互いの脈の音が重なっていく。どちらも、何も言葉にせずに、ただ、とくん、とくんと、同じ音を奏でていた。
ザプン。
波の音で俺たちの世界は、一瞬の静寂を迎える。
「思ってること言っていい?」
「俺も同じこと思ってると思う」
俺だけの期待じゃない。
多分、きっと、そう。
マリンを抱きしめていた腕を下ろされて、指が、手が繋がれる。一ミリもない距離に、言葉はいらない気がした。
マリンが目を閉じたのを確認して、俺も目を閉じる。そっと重ねた唇は、柔らかくて、暖かくて、幸せの感触がした。
目を開ければマリンと目が合って、二人して、微笑んでしまう。この幸せが一生続いてけばいいと思った。それでも、俺とマリンの時間はもう重ならない。
そんな事実を確かめてしまって、胸の奥が軋む音がする。
「どっちも、本当の私って言ったけど、やっぱり最後は涼音って呼んでほしいかも」
「本名なの?」
「そう、涼しい音って書いて、涼音」
「涼音」
呼んだ名前は、とろけるくらいに甘い。涼音は、耳を真っ赤に染め上げて「はぁい」と小さく答えた。
「海の泡になっちゃう前に」
「泡になっちゃうのは確定かよ」
「うそうそ。泡にはならないよ。だって、両思いになれたし、幸せに、人魚の国で過ごしました。って結末。あれ、待って、ソウって湊って書いてソウ?」
「気づいてなかったのかよ」
ソウって名前を聞いたら、普通は気づくだろう。そうでもないか。いろんなソウという名前の字はあるか。湊音と同一人物だと気づくのは、難しいかもしれない。
涼音は小さい声で「きゃああ」と、悲鳴をあげて、顔を揺らした。
「気づかなかった……」
「まぁ俺も、海夢がマリンって読むとは気づいてなったけど」
「二人して漢字に弱いね」
へへへっと笑う涼音に、湊音という名前をやめることを考えていた。ソウ一筋に絞っても、いいかもしれない。涼音にとっての名前と同じで、湊音はもう消えてしまった弱い頃の俺の名前だ。
涼音に気づいてもらうために、湊音にこだわって名前を続けていたけど。涼音と再会できた今、もう俺は湊音じゃなくていい。