いつもの優しい声で、俺を褒めてくれる。きっとマリンはもう、人魚になりたいと思っていない。そんな気がした。
「もう人魚になるのは、やめたのか?」
「もう、人魚になっちゃった。だから、こんないい歌声なんだよ」
「マリンが人魚になるなら、俺も人魚になって追いかけるかな」
「それは、ダメだよ」
吐き出されたため息のような、掠れた声。人魚になっちゃった。そんな言葉に、どうしてか本当にそうなってる気がしてしまう。
「でも、満足してるよ。人魚の世界も楽しいから」
「なんだよそれ、人魚と人間の恋愛は、泡になって消えちゃうのに、か?」
強い風が、髪の毛を掻き上げる。風の強さと、太陽の眩しさに目を細めた。スマホの電話越しの、波の音と、目の前の波の音が重なって聞こえる。
気のせいなのに、そんなはずないのに。同じ場所にいる、気がしてしまう。
「マリンがまだ、こっちにいる気がしちゃうな」
冗談まじりに言えば、驚いた声で、マリンが息を呑む。まさか、まさか、まさか?
そんなまさか、あるか?
現実で?
フェンスに駆け寄って、下の海を眺める。見覚えのある、黒髪が海にぽつんっと浮いていた。そして、ゆっくりと、こちらを見上げる。
目が、合った気がした。
「ミツル、悪い。帰る!」
通話を切って、父さんに「早退する」とだけメッセージを送る。力こぶの絵文字だけ返ってきたから、何かに気づいてるかもしれない。帰ったら恋バナしようとか、言われるかも。
どうでもいいか、そんなこと。階段を一段一段降りる時間が、惜しくて、数段飛ばして駆け降りる。始業式のために、体育館に移動する人の波は落ち着いたらしく、校舎は静まり返っていた。
玄関で靴を履き替えるのも、面倒だ。
上履きのまま、海辺まで駆ける。
マリンは逃げもせず、俺をじいっと見つめて、唇を緩めた。俺の口も、どんどん緩んで、弧を描く。海に飛び込んで強く抱きしめれば、確かにマリンがそこにいた。
「帰ったんじゃないのかよ」
「うん、帰るよ。帰るけど、ソウくんに最後に会いたくなっちゃった」
「話したいことたくさんあるんだろ、聞くよ」
ぱしゃんっと跳ねた海の雫が、頬を濡らす。
「聞きたいことが、一個だけあったんだけど、いい?」
ずっと、胸に引っかかって、気になっていたこと。マリンに問いかけようと、顔を上げれば、こくこくと頷く。
「なに?」
「どうして、俺とカップルチャンネルやるって、言い出したの」