マリンからの返信は来ないまま、二日が経過した。本当にもう帰ってしまったのか、どうかも俺にはわからない。だから、マリンが誰かを知ろうと覚悟を決めた。
一方的な想いを突きつけて、叶わなければ、被害者ぶる。そして、周りに嘘を吐いて回ったくせに、いまだに俺に執着。そんな、相手とやりとりをすると想像した、だけで体が震える。
「大丈夫か?」
ミツルの言葉に、ツバを飲み込んで大きく頷いた。直接会うことは叶わないだろうと、たかを括っていたのもある。湊音のアカウントから『誤解を解かせていただけませんか』とDMを送った。返事には『山形にいるので、会おう』だった。
ゾワワッと背中に走った悪寒を、腕をさすって誤魔化す。会いたくはない……
今になって、逃げ出したい衝動に駆られる。
久しぶりに来た、山形駅は都会的だった。高いビルに、新幹線、目に映るもの全てが、今は違う土地に立っているんだなという思いにさせる。同じ県内なのに。
改札前ですれ違う人たちは、忙しそうに歩いている。土産物屋さんを遠目に眺めながら、約束の時間を待ち侘びた。
こんなところまで、着いてきてくれたミツルを確認すれば、笑って俺の背中を叩く。
「俺がいるから、大丈夫だって」
「おう……」
覇気のない返事をすれば、耳に響くのは高い声だった。
「湊音……?」
顔を上げれば、いたって普通そうな女の子が立ってる。女子高校生くらいだろうか。ワンピースを身に纏って、笑顔で俺に手を振っていた。
俺を、陥れた、相手に会いに来たんだよな……?
現れた、あまりにも普通の子に、面を食らってしまった。ポカンっとしてれば、ミツルがヒジで俺を突く。
「あ、えっと、ルミカさんですか?」
初めて呼んだ名前に、心がざわざわと揺れ動く。まるで、海の中に一人沈んでいくみたいだ。ミツルの腕が俺を、掴んでいてくれたから、まだ、立っていられる。
「はい! 湊音は、ルミカって呼び捨てでいいんだよ」
るんるんっと言った表情で、ぴょんぴょん跳ねながら頷く。ルミカさんは、事前の俺の中の恐怖心を差し引けば、可愛らしい女の子に見えた。
「えーっと、そちらは?」
ミツルの方を指さして、迷惑そうな顔を隠しもしない。ぎゅっと締め付けられた唇に、歪んだ眉毛。あぁ、こんな表情でマリンのことを、非難していたのかと想像すると、虫唾が走る。
自然と握りしめていた拳を、太ももにびったりとくっつけた。気を抜くと、怒鳴ってしまいそうだ。
「ミツ。俺の友人です。二人きりだと、またあることないこと、書かれても困るので友人にも居てもらいます」
「あることないことって、ひどい……ルミカそんなことしてないのに」
しゅうんっと落ち込んでいく表情は、本当のようで、脳内がぐるぐると混乱して行く。俺は、やっぱり、何かをしてしまっていた……?
記憶にないだけで……?
問いかけたくなったが、止めるようにミツルが俺の肩を掴んだ。個室は絶対に避けると約束していたから、調べてきたカフェへ二人で向かう。
ビルを出れば、容赦ない日差しが突き刺さり、自然と汗が吹き出た。隣ではまとわりつくように、ルミカさんが何かを口にしていたが、耳に入らない。
駅下にある、パン屋併設のカフェに入る。飲み物とパンをそれぞれ、購入してから席に座ろうとすれば、すぐさまルミカさんは隣に座ろうとしてきた。
「いえ、目の前でお願いします」
常に、冷静に。敬語で、相手に隙は与えない。
ここまで来る途中で、ミツルと何度も約束したことを思い返して、まっすぐ見つめる。
「はぁあーい」
渋々と座ったルミカさんの前に、レコーダーを差し出した。
「録音させてもらいます。それと……」
「それとぉ?」
「ネットにあげさせていただく場合もあります。俺の身の潔白のために」
「私が嘘吐くって、思ってる?」
「いいえ、相違があった場合に困るからです」
淡々と吐き出す言葉は、自分の言葉じゃないみたいで、背中がムズムズとした。ルミカさんは、ムッと頬を膨らませてから、すぐに笑顔に移り変わる。
「まぁ、いいよ、それで? 湊音は、私を差し置いて、あの女とカップルチャンネルを始めたことを謝りたくて、連絡してくれたの?」
机の上で手を組んで、キラキラと俺を見上げる。一ミリも、疑いようのない真実だと思い込んだ表情で。ひゅうっと喉の奥が狭まって、じわじわと胃酸が上がってきた。
「まず、俺は……あなたのことを知りません。厳密には、コメントをしてくれていたので名前は、存じています」
「固いなぁ、私たち付き合ってるんだよ? だって、私を思ってあのラブソング歌ってくれたんでしょ?」
もっと、明確に、悪意を持って、俺を陥れたのかと思った。違う、単純に、思い込んでるんだ、この子は。日本語を話しているのに、伝わらない感覚。じとりっと背中が、湿っていく。
「勘違いさせて、申し訳ございません。でも、俺は……あなたのことを思って歌ったこともなければ、あなたに特別な思いもないです」
「また、そうやって、私の気を引きたいだけでしょう?」
強がった言葉なのに、手元を見れば、ネイルが食い込むぐらい力強く握りしめられている。認めたくない。認めない。そんな意思に、心臓がぎゅうっと掴まれた。
マリンに出会う前だったら、なぁなぁにして逃げていたかもしれない。
「勘違いさせたなら、謝りたいです。でも、俺は、君のことをちゃんと知ったのは、炎上してからなんだ。誰かを特別扱いすることはしないよう心がけていたし、リクエストのDMやコメントも偏らないようにしていた」
事実だ。誰かとそういう仲になったこともなければ、炎上のリスクを考えて、誰かを特別扱いもしないようにしていた。特に、視聴者の方は。
歌ってみたの配信者や、ミックス師、絵師の人たちは、仲間的な形で少し偏っていたかもしれない。それは、後から自分のやりとりを、見返して反省した。
平等にと、心掛けてるつもりでも、周りから見たらそうは取られないかもしれない。素直にそう思ったから、その点は謝罪しようと決めてきていた。
俺の言葉を聞いた瞬間、バンッと力強くテーブルを叩きつける。そして、立ち上がって、俺を睨みつけた。ガタガタと揺れるカップの音に、息が詰まる。
「私のこと好きだったでしょ! そうじゃなきゃ、あんなにラブソングばかり歌わないし、私のリクエストだって受けてくれたじゃん!」
「ラブソングは、他の方からのリクエストもありますし、書いていた通り、リクエストはくじ引きで決めていたました」
「っていうテイでしょ! わかってるから、素直に認めなよ!」
きゃんきゃんと頭の中に響く高い声に、耳を塞ぎたくなる。それでも、向き合わなきゃいけない。マリンを傷つけてしまったこと、マリンが消えてしまったこと。マリンに再び会うためには、俺は、これを解決しなきゃいけない。
「そんなつもりないのに、惑わしてごめんなさい。でも、そうならないように配慮していたつもりになっていました。誰かを勘違いさせないように、誰かを特別扱いしてるように映らないように。推しからガチ恋になられないように、気をつけたつもりでした」
好きになる気持ちを止めることはできない。俺も実感したから、わかってる。それでも、あの時の俺は、誰にも勘違いさせないでできてると思い込んでた。だから、純粋に、そこは、謝ろう。
「はぁ……どうしてそんなひどいことばっかり言うの? そんなことのために、ルミカのこと呼んだの? 私せっかく、湊音に会いにこんな県にまで来たのに」
体が、ぴくりと揺れる。俺に会いに、こんな県にまで、来た……?
「カップルチャンネル見る前から、湊音が鶴岡に居るってわかってたから。鶴岡まで行ったんだよ。湊音のために」
望んでない。一方通行な言葉に、ぐっと、息を飲み込む。
「でさぁ、マリンらしき女がいたから話しかけたのに、あいつ逃げるし。撮ってるところも特定して会館も行ったのに、店員に追い出されるし、もう、ほんと最悪。湊音がアカウント消すから悪いんだよ?」
マリン、という名前に反応して顔を上げてしまう。やっぱり、マリンのことを知ってる……。
「俺のせいで時間を無駄にさせたことは、ごめん。でも、俺は、君のことをずっとそう言う目でも見ていなかったし、個人的なDMや、やりとりをしたこともなかったよね?」
「普通のポストや歌で伝えてくれてたでしょ? 気づいてたから、私。ちゃんと、気づいてたんだよ」
「一ミリも、そんなつもりは、ありません……」
どんどん掠れてくる声を誤魔化すように、カフェラテを飲み込んだ。染み渡って行く。もう少しで、マリンに近づける。そう思うと、勝手に心が焦ってしまう。