マリンからの連絡が、途絶えた。いつもメッセージを送れば、数分も経たずに返信が来ていたのに。

 焦燥感だけが、胸の中に募る。あの日の「そっか」というマリンの傷ついた表情だけが、目の前に何度もちらついた。
 
 トゥルルル、トゥルルルという音を耳に当てながら、ため息をつく。

 部屋の中は静かで、ため息だけが充満してる。スマホを何度開きなおしても、答えは変わらない。

 原因は分かってる。昨日の夜のやりとりだ。あの後、マリンは何も答えずにただ海を見ていた。いつものような笑顔も、おふざけもなく、真剣に。
 
 マリン、という名前に聞き覚えはない。それでも、俺とマリンの間に何かがあったんだと思う。

 はぁっともう一度、大きなため息を吐いたら、隣の部屋からドンっと壁を叩かれた。

 人の言葉とも取れない音だけが、ドンッドンッという合間に響く。いつもだったら黙ってやり過ごすのに、我慢しきれなくなって、部屋の扉を開けた。

「俺が姉ちゃんに何したっていうんだよ! 毎回毎回」

 姉の部屋の前で叫べば、父さんも母さんもリビングからすっ飛んでくる。母さんは俺と姉の部屋の間に立って、「やめなさい!」と叱った。父さんは、落ち着けと言わんばかりに、俺の肩を掴む。

「母さんも父さんも、姉ちゃんにビクビク怯えてバカみたいだ! なんでこっちが我慢しなきゃいけねーんだよ、落ちたのは姉ちゃんのせいだろ!」

 俺らが何したっていうんだよ。
 俺が、何したっていうんだよ。

 みんなみんな、自分勝手だ。勝手に想像して、勝手に作り上げて、勝手に燃やして。みんなに、どんな権利があって俺は踏み躙られなければいけないんだ。

「うるさいっ!」

 姉の怒鳴り声で、家中が静まり返る。扉が開かれたかと思えば、姉ちゃんは泣き腫らした目で俺をじいっと見つめた。

「あんたには、わからないでしょうね!」
「そんなに辛いなら辞めればいいじゃん」

 ぽつり、と漏れた言葉に、本当にそうだよなと思った。俺は、辞めたくなくて、しがみついて、あの時間はいたずらに傷つくだけだったって、今ならわかる。

「あんたに、何がわかるの」
「姉ちゃんはこの街から出たいだけだろ! だったら、就職でもなんでもして出ていけばいいじゃねーか、こんな街から!」

 俺の言葉に母さんは、首を横に振るし、姉は手を振り上げる。父さんは俺をぐっと引っ張って、姉から遠ざけた。

「ソウ」

 真剣な父さんの声に、息が詰まる。だって、事実じゃないか。姉は、ただ、この家も、この街も嫌いで出て行きたいだけで……
 落ちたのだって、自分のせいだろ。

 八つ当たりできたら、俺だって、八つ当たりしてた。俺は、姉にビビって縮こまって、いつまでそんな生活をしなきゃいけないんだよ。

「お姉ちゃんの行動は良くないと思う、良くないとは思うけど……」

 母さんが涙声で呟く。相変わらず、母さんは、姉の味方なんだな。

「それでも、家族なんだから、優しく見守ってあげれないの?」

 家族なんだから? 俺は家族だから、黙って蔑ろにされ続けろってことか? うるさいと怒られ、部屋の壁を叩かれ、息を殺して自分の家でまで、我慢し続けろって?

 ドンっと壁を叩けば、家が大きく揺れた。姉は、わぁあっと大きな声をあげて泣き喚く。そして、頭を抱えて床にへたり込んでいた。

「母さん、ソウと出かけてくる」

 何も解決してない。それなのに、父さんはぐいぐいと力強い手で俺を引っ張っていく。玄関に連れ出されたかと思えば、父さんは「ん」とスニーカーを指さした。冷静になる時間が、必要だと思われたのだろうか。俺は至って冷静だった。

 マリンからの返信が来なくて、苛立っていたところに壁を殴られて、つい口に出してしまったけど。
 いつだって思っていた。

 でも、父さんの顔を見てれば逆らう気が起きない。なんだかんだ俺は、父さんが好きで、家族が大切だったから。

 素直に薄汚れたスニーカーに、足を突っ込む。そのまま、二人で家を出れば、燦々と太陽に照らされた。あまりの暑さに今すぐ家に戻りたくなったけど、そうもいかない。

 父さんはただ黙って、車庫へと向かった。俺も黙ってついて行けば、父さんは運転席に乗り込む。どこかへドライブに行くつもりだろうか。助手席に乗り込めば、エアコンが生ぬるい風を吐き出した。

 車は、ヒュウっと素早く家を置き去りにして進んでいく。どのくらい走ったかは、わからない。右手には海、左手には山がずっと続く。少し窓を開ければ、潮風が海の匂いを車内に充満させた。

 視界は青と緑に埋め尽くされたまま、父さんは口を開いた。

「ソウは、お姉ちゃんにイライラしてたんだなぁ」

 無口な父さんなりの答えなんだろう。それでも、ゆったりとした言葉に、血が頭に登っていく。イライラしてた、とか、そういうことじゃなくて。

「ソウも理解してると思ってたんだ、悪かったな」

 急な謝罪に、頭に集まっていた血は、どくんどくんと脈を立てて全身に広がる。何が言いたいんだ、父さんは。

「我慢させてて悪かった」

 黙ったままの俺に、父さんはもう一度、悪かったと口にする。いいよ、とも、文句も、どちらも口にできない。ただ乾いた喉で、唾を飲み込んだ。

「お姉ちゃん、大学に落ちただろ」

 もう、先ほどまでの怒りは収まってきた。だから、素直に父さんと会話をする。

「おう」
「勉強が足りなかったとか、そういうんじゃないんだ」
「え?」