「ソウくんはこんな時間に、どうして海に来たの? ここらへん、家だってすぐはないよね」
「人魚なのに街のことに詳しいことで」
「それくらい知ってるよ、人魚って海の情報通なんだよ」

 本当かどうかは、置いておく。人魚設定をあくまで、通し続けるつもりらしい。あえて否定するのも面倒で「あーはいはい」と流す。

「それで、なんでここにいたの?」
「姉ちゃんの機嫌悪くて」
「お姉さん?」
「大学受験に失敗してから家でいっつも機嫌悪いわけ。だから邪魔しないように、プチ家出中」

 姉は、この街が嫌いだった。俺と違って、どうしてもこの街を出たいと親に懇願して、他の県の大学を受験した。親は「女の子なんだから」とか「お姉ちゃんはずっと家に居ていいのよ」と、見当違いな説得をしていたけど。

 結局、受験勉強は俺のせいで捗らず、不合格。姉曰く、だけど。俺が居るせいで気が散るらしい。

 家に居場所がない、とは言いたくなかった。ただの厨二病みたいに聞こえるから。それでも、俺の言葉を噛み締めるように、マリンは答える。

「夜の海は静かで、いいもんね……」

 意味深な物言いに、マリンの横顔を見つめる。月に照らされて、うっすら見えた目はクリクリとしていて可愛く見えた。どきんっと跳ねた心臓を押さえて、普通のフリをする。

「マリンは?」
「人魚のどこも、夏休みでさ。ある人を探しに来たの」
「ふーん?」
「興味なさそう返事だなぁ、もう」

 ある人を探しに来たの。そう呟いた表情は、恋する乙女そのものだった。薄暗いから頬や耳の色はわからない。けど、きっと薄紅色に染まってるだろう。簡単に、想像ができた。

「人魚姫みたいだな」

 御伽話の、王子様に恋をして陸に上がった哀れな人魚姫。最後は、王子様との恋が叶わず、海の泡となって消えていく。そんな儚さも、マリンは持ち合わせていた。

「人魚姫だったら、よかったのにね」
「意味深じゃん」
「私、めっちゃ音痴なの!」

 恥ずかしそうに顔を両手で押さえて、首を横に振る。いちいち大袈裟な反応に、くくっと笑うのを堪えきれない。

「だから、声を代償に足は貰えないんだよねぇ。どうしよう」
「どうしようって、対価は絶対必要なのかよ」
「必要じゃない場合もあるか」
「交渉次第だろ、そんなの」

 人魚姫は、声があれば、王子に自分が助けたと言えたのに。無知だから、それを捨て去った。

「ソウくんって不思議な考え方するね」
「マリンほどじゃないけどな」

 夜中の海で、人魚の真似事をするほどではない。きっぱりと言い切れば、にししとまた笑って「たしかにそうかも」と小さく答えた。ちょっと、純粋すぎるマリンに、心配が募る。決して、気になってるとか、そういうのではなくて、放って置けないだけ。

「一人で帰れんの?」

 いくら、人魚とは言え一人で、この夜道を返すのは忍びない。マリンの返答を待たずに「送っていこうか」と言いかけた。

「うん、大丈夫。ソウくんはもう帰る?」
「そろそろ帰るかな、寒くなってきたし」

 潮風に当たり続けたせいか、体がひんやりと冷えていた。ぶるりと震わせて答えれば、マリンはもう引き止めない。

「たまぁにでいいから、夜に海来てね。私も多分居るから、一ヶ月くらい」
「期間限定かよ」
「言ったでしょ、人魚もこの時期は夏休みなの」

 そう言えばそんなことを言ってたな、と思う。俺の学校はまだ、夏休みには入ってないけど。あと数日で、夏休みなことには変わりない。

 マリンと約束をしなくても、どうせまた夜の海には来る。姉の機嫌から逃れられる場所は、限られているから。

「来るよ」

 そう答えれば、マリンは細い小指を俺に向けて差し出した。あまりにも人間らしい仕草に、また設定忘れてるぞと言いたくなる。それでも、小指を絡めて「約束だ」と、返した。

 マリンに会えば、何にもないこの世界が、ほんのわずかだけでも楽しくなる気がする。