アカウントを削除。
その一文をタップする寸前、一瞬手が止まった。
惨めにも、ネットに縋ろうとする自分に嫌気がする。
ネットが無ければ、自分には何もないことを実感してしまう。勝手に口からため息がこぼれ落ちていった。
消そうと思ってSNSを開いたのに、DMやリプを読み返してしまうのはもう何度目だろうか。
一番上は直近までやり取りしてた、一番古くからの友人、海夢だ。
読み方はわからないから、結局勝手にカイムと呼んでいた。
アカウント名も@Sea_dreamだから、間違いはないだろうけど。
海夢から数週間前に届いた『大丈夫?』の一言には、何も返せてない。
すうっとスクロールする。
同じアイコンが並んでいて、読み返したことを後悔した。
『湊音くんの声大好きです、婚姻届はどこに出せばいいですか』
『逃げないでくださいよ』
『女のこと弄んで最低』
吐き気がするメッセージが、目に入って衝動的にスマホを放り投げる。スマホが落ちたのを確認すれば、隣の部屋から怒鳴り声で壁をどつく音が聞こえた。
「うっさい!」
姉の激しい声に、心臓がバクバクと音を立てながら脈打つ。スマホをそろりっと拾い上げれば、また海夢からDMが来ている。
『無理しないでね』
ごめん、ごめん。俺にはもう無理だ。
あの日から、世界が全部モノクロになったみたいで、生きた心地がしない。
呼吸だけを、浅くヒューヒューと繰り返す。
勢いでアカウント削除を押せば、少しだけ気持ちはマシになった。
それと同時に、海夢と二度とやりとりが出来ないことに、悲しさが募った。
スマホの音で機嫌を損ねてしまったのだろう。
母が「あらあらどうしたのー」と姉に掛けてる声が、微かに聞こえる。
布団に潜り込んで、息を潜めても、俺の部屋の壁を叩く音は止まない。
母はまた「しょうがないわねぇ」と言ってるんだろうか。布団からそっと抜け出して、スマホをズボンのポケットにむりやりねじ込む。
近くにあった財布をカバンに放り込んで、窓から家を飛び出した。
自分の自転車に跨って、夜の街に繰り出す。
俺以外、この世に存在しないみたいな静寂に包まれていた。
生ぬるい風が頬を通り抜けていくのと同時に、鼻で笑ってしまう。
厨二病みたいな感想ばかり、思い浮かんでしまった。
この街は、俺は嫌いじゃない。
高い建物はないし、市内に行くにはバスを三十分も乗らなければならない。
不便ばかりが目には付くが、十分も自転車を漕げば海に着ける。
それだけで、この街を好きになるには十分だった。
小声で歌を口ずさみながら、夜道を進む。
時折、街灯にジジッと虫がぶつかる音だけが聞こえる。
どこに向かうかは決めていなかったが、習慣のせいか、気づけば高校の前に着いていた。
真っ暗な校舎は、ホラーが始まりそうな雰囲気で怖いのでパスする。
ぼーっと眺めていれば、喉の渇きに気づく。
歌っていたせいか、絶え間なく続く吐き気のせいか、喉はカラカラだ。近くの水族館まで自転車を飛ばして、自販機にたどり着いた。
目についたパインサイダーを買って、自転車もそのまま海へ向かう。
ざぷん。
ザザザァ。
静かな夜の中に、海の波の音だけが響いている。
防波堤の先に足を投げ出して、腰掛けた。
海は、モノクロでも濃淡だけで美しく見える。
夜に見ると、空と海の境界がぼやけて、ますますどこまでが海かわからなくなった。吸い込まれてしまいそうになって、慌てて体を起こす。
思い出したように、手に持っていたサイダーの蓋を開けた。
プシュっ、と軽快な音が鳴る。