帰り道、足取りは少し重い、助けたい僕の周りのいろんなことが何ひとつとして解決していなくて、それどころか悪化ばかりしている気がする。


 全てが空回りでうまくいかない。


 歯車は一度噛み合えばまたきちんと回りだすと思うのに。


 家に戻ると妹が玄関まで走り込んできた。


「早く早く!」
「待って待って」


 僕はリビングまで連れていき、ゆっくりとキャリーバッグを開けた。


 猫はおそるおそる前足を一歩踏み出し、キョロキョロと辺りを見回す。くんくんと匂いを頼りにのっそりとその黒い体を出した。


「きゃーわーいー」


 妹の大きな声に一瞬ビクッとなった。


「こら、遥菜!」
「ご、ごめんね、猫ちゃん」


 だけど次の瞬間、なんと猫は妹の膝の上に乗った。ほんとうに人懐っこいんだ。


「(えーえーえー)」


 声に出したいけど出したら逃げていくかもしれないそんな中、心の叫びを息に変えて吐き出す妹に思わず家族みんなが笑った。


「大丈夫そうだな」


 父が猫の首を撫でる。

 猫は嬉しそうに顔を上げ目を細めぐるぐるとお腹を鳴らした。


「名前どうしようかね」
「元々保護してくれてた人は次に飼う人が名前をつけるだろうからって名前は付けないでくれてたんだ」
「そう、気が利く人ね」


 すると妹がしばらく考えたあと「シンイリ!」と言い出して僕はギョッとした。


「は? なに?」


「初めまして、シンイリさん」
「あらあらシンイリちゃん、可愛らしいじゃない」


 正気か?


「いいな、シンイリって顔をしてる」


 そりゃ新入りなんだから新入りって顔をしているだろう。だけどこんな偶然あるのか?


 僕の意見なんて通るわけもなく、僕もなにか名前の候補があったわけじゃないしそのまま猫の名前は「シンイリ」で決まってしまった。


 なんの因果か。






 翌日、家族全員分の荷物を運ぶ。


「なんかあったらすぐ連絡してよね」
「わかってるよ」
「ご飯は冷凍してるからそれ食べて、お友達と出かけるなら冷凍のままにしてれば日持ちするし」
「ありがとう」
「戸締りだけはちゃんとしてね、いくら男の子といっても――」


「あー、もう母さん、慶太も子どもじゃないんだからわかるだろ」


 ふたりの空気が旅行前に早速険悪になりそうで苦笑した。

 妹はシンイリのケージの前で涙なみだの別れのセレモニーをしている。


「すぐ帰ってくるからね、私のこと忘れちゃ嫌だよ」


 シンイリはふぁーっとあくびをしてふいっと視線を逸らし丸まって寝だした。


「ほら遥菜行くわよ」
「大丈夫かな」


 不安そうにシンイリに視線を向ける。


「僕がいるから大丈夫だよ、はい、早く行った行った」


 押し出すように玄関まで連れていくと妹はようやく諦めて靴を履いた。


「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」


 三人を見送りリビングに戻る。
 ケージからシンイリを出す。


 胡座をかいているとシンイリはのっそりとケージから出てきて右足と左足をピンと伸ばし、次に左腕と右足をピンと伸ばしながら歩いて僕の膝の上に乗ってきた。そしてごろごろと喉を鳴らす。


 足から伝わってくる温もりがじんわりと身体中に広がった。この小さな命を守りたいと思った。だけど、守れるのは僕じゃないんだと思い出し苦しくなる。


 そんな顔をしていたからなにかを見破られたのかシンイリは僕の指をぺろぺろと舐めだした。まるで「大丈夫」だよと頭を撫でてくれているみたいに。


 しばらくすりとシンイリはクッションに移動して完全に眠りだした。スースーと寝息を立ててとても気持ちがよさそうだ。あのクッションが気に入ったんだろう、妹のクッションだ。妹の匂いがするのかな?


 僕がいなくなっても妹がいるから大丈夫かな。


 スマホを取り出して何枚か写真を撮る。そしてそれをあすみちゃんに送った。


 ――わー、もうすっかり慣れたね

 ――リラックスしてるよー

 ――名前なにになったの?


 その質問に僕は一瞬戸惑った。


 ――シンイリ
 
 ――シンイリ?笑 新入りって意味?

 ――そう

 ――私のこと?←これモナちゃんから


 きっとあすみちゃんに送ったシンイリの写真をモナも一緒に見ていたんだろう。その後のやり取りに自分の元々呼ばれた名前があって不思議に思ったんだろう。


 ――どういう意味?


 あすみちゃんちゃんから続けてメッセージが来た。


 ――モナが元々呼ばれてた名前なんだよ

 ――そういうことね


 含みをもたすようにそう言われて慌てて否定した。


 ――そういうことじゃない!

 ――私なにも言ってないのにどういうことかわかったの?


 ニヤリと笑ったスタンプが送られてきた。


 ――妹がつけただけで深い意味なんてないから!


 ムキになって子どもみたいだ。


 ――そう笑 てか今日会える?

 ――うんいいよ

 ――夜ご飯食べに行こう!またこの前のファミレス!モナちゃん気に入ったみたい。何も食べられないんだけどね


 みんなと同じようにドリンクバーを頼んでメロンソーダを入れてそれを見つめていた。みんなと同じで楽しかったみたい。


 ――坂崎も呼ぶ?

 ――いいね

 ――連絡しとく


 あすみちゃんとやり取りが終わったあと坂崎にメッセージを送った。


 ――今日暇?


 少しして返事が来る。


 ――どうしたの?

 ――またみんなでファミレス行かないか?


 返事がない。既読はついているのに沈黙が空間を支配しているようだ。


 しばらくしてから返事が来た。


 ――やめとく

 ――そっか

 ――誘ってくれてありがとう

 ――うん、また今度行こうな

 ――ああ


 メッセージを終えて僕はひとつため息を落とした。