結局、翌朝になっても弘と早苗が詠子たちの小屋に現れることはなかった。別の小屋を見つけて休んだのだろう、という結論に至った。

「あの二人なら小屋から出ないと思うんですよね。あたしたちが来るのを待ってると思います」
「ぼくも同意見だ。だから、小屋をしらみつぶしに探していくほうがいい」
「そうですねぇ。どこにいるんだろ」

 朝食のパンを食べながら、詠子と宥介は話し合う。小屋を探すと言っても、この辺りにどれくらい小屋があるのかもわからない。あの地図には小屋が載っていないのだ。

 もしかしたらもう合流できないかもしれない。そんな思いさえ頭をよぎる。

 でも、それでもよかった。宥介といればゲームはクリアできそうだからだ。そうすれば自分の命は助かるし、それまで弘と早苗が生きていれば二人も助かる。詠子は二人との合流を優先したが、クリアを目指したほうがよかったのではないかと思い始めていた。

「まあ、いつか再会できるよ。大切な彼氏なんだろう?」
「大切ですけど、ちょっと幻滅気味です」

 詠子が正直に言うと、宥介は苦笑した。

「おや、毒づいているね」
「ぼくの前では毒を吐いてもいいって言ったのは宥介さんでしょー?」
「言ったね。それでいいと思うよ。どうして幻滅気味なの?」
「鈍くさいし、臆病だし、何も決められないし、どぉしても宥介さんと比べちゃうんですよねぇ。あっ、実は宥介さんがすごいのかも?」
「ぼくは普通だよ。確かに、弘くんは少し臆病なところがあるね」
「でしょー? あたし的にはもっとぐいぐい引っ張っていってほしいんですよぉ」

 それを弘に求めるのは酷だと思いながら、詠子は自分の願望を述べる。それこそ宥介のように先陣を切って進んでいくような男のほうが好きだった。

(てゆーかあたし、弘くんのどこが好きだったんだっけ?)

 自分でも弘の何が良かったのかわからなくなってきてしまっていた。付き合った当初は好きだったけれど、ラビットハントに参加してからの弘ばかりが思い出されてしまって、何が良かったのか全然思い出せない。宥介に大切な彼氏と言われて、一瞬返答に困ったほどだ。

 朝食を終え、出発の準備を整える。詠子も宥介も準備を整えるのは早い。さっさと準備を済ませると、目線だけで互いの準備ができたことを悟る。

「じゃあ、行こうか」
「はい。早く見つかるといいですけど」
「ぼくもそれを願っているよ。こんなところで長く足止めされたくはない」

 二人で小屋を出る。道標もないから、適当に歩き始めるしかない。

 まずは昨日渡ってきた橋の近くまでやってくる。この近くに小屋があれば、そこにいる可能性が高いと踏んだ。橋に行けば合流できるかも、と詠子は期待したが、空振りに終わった。

 橋の近くを重点的に探すと、また小屋が見えてきた。さほど大きくない、二人用の小屋のようだった。橋から近いこともあり、二人はここにいるのかもしれないと思った。

 宥介が詠子の前に立ち、小屋の扉を開ける。小屋の扉には鍵がかかっていた。今までそんなことはなかったから、詠子は戸惑ってしまった。

「鍵かかってたことなんてありましたっけ?」
「いや、ないね。弘くん、早苗ちゃん、いるかい?」

 ドアの外側から宥介が呼びかける。ややあって、鍵が開いてドアが開けられた。ドアを開けたのは早苗だった。詠子には、少し早苗の衣服が乱れているようにも思えた。それを指摘する前に、早苗が口を開いた。

「宥介さん、詠子ちゃん! 来てくれたんですね」

 早苗は素直に喜んでいるようだった。奥では、弘が複雑そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。早苗とは異なり、宥介と詠子の来訪を歓迎しているわけではなさそうだった。

(なんだよ、その反応。彼女が来てやったってのに、喜ばねえの?)

 詠子はそう思ったが、詠子自身も別に喜んでいないことに気づいた。これで先に進むことができる、という喜びはあったけれど、早苗や弘と再会した喜びは感じられていなかった。

「早苗ちゃん、昨日はここで?」

 詠子が尋ねると、早苗は一瞬答えを躊躇ったように見えた。ほんの一瞬だったけれど、詠子は見逃さなかった。

「うん。ここが見つかったから、ここで待っていようってことになって」
「弘くんに何かされなかった?」
「何もしてねえよ。そっちこそ、宥介さんと何もしてねえんだろうな?」

 ぶすっとした態度で弘が詠子に言う。詠子はかちんときたが、可愛く、可愛く、と自分に言い聞かせて、普段通りの顔を作った。

「なぁんにもないよぉ。ね、宥介さん」
「……ああ、うん、そうだね」

 宥介は何か考え事をしていたのか、反応が遅れた。弘は疑り深く詠子を見ていた。

(あぁ、もぉ、めんどくせえなぁ。いっそのこと宥介さんに乗り換えようかなぁ)

 詠子はうんざりしながら宥介の傍に行く。今は弘の近くにいたくなかった。本来なら彼氏との感動の再会のはずなのに、詠子は自然に喜ぶことができなかった。

「出発しますよね? 弘くん、準備しよう」
「おお、うん、そうだな」

 早苗に言われて、弘が外に出る支度を始める。

 詠子はある違和感を覚えていた。当たっていてほしくない推測。けれど、無視することもできない思い。早苗は弘の世話をして、嬉しそうに笑っている。弘もそれを受けて、でれでれとしている。

(おいおい。まさかとは思うけどなぁ)

「詠子ちゃん」

 宥介に呼ばれて、詠子は我に返った。反射的に笑顔を貼り付けたら、宥介は笑った。

「大丈夫? 少し、ぼーっとしていたみたいだけれど」
「あぁ、ええ、大丈夫ですっ」
「ここで一日休んでもいいよ。きみが疲れて動けなくなるのは避けたい」
「いえいえ、大丈夫ですってばぁ。あたしタフなので」
「そう。それならいいけれど、疲れたらすぐに言ってね」

 宥介の優しさが身に染みた。菜美が宥介のことを好きになるのもよくわかる。詠子の心も揺れ動きそうになっていた。

(だめだめ。あたしにはまだ彼氏がいる。二股は面倒なことになるだけだ)

 詠子は自分を戒める。弘のような頼りない奴でも、まだ彼氏なのだ。

 弘の準備ができたので、四人は小屋から出て西端の石碑を目指すことになった。昨日通ってきた丈夫な橋を抜けて川を渡り、また森の中を進んでいく。

 宥介と詠子が並んで歩き、その後ろを早苗と弘がついていく。宥介は時折後ろを気にしながら、歩くペースを調整する。自分と宥介さんだけならどんなに早いだろうか、と詠子は思ってしまう。

 黙々と歩き続けていると気が滅入ってくる。詠子はコンパスを見ながら歩いている宥介に話しかけた。

「宥介さん、一人暮らしなんですか?」

 宥介は少しだけ驚いたような顔を見せたが、すぐに答えた。

「そうだよ。地元はもっと田舎だからね。大学に入ってから一人暮らしだよ」
「へええ。どうです、一人暮らし? あたし憧れてるんですよねぇ」
「自由だよ。もう実家には戻りたくないね。一人で気ままに過ごせるんだから」
「家事とかめんどくさくないです? あたし、それが気になってて」
「意外と大丈夫だよ。やらなきゃならなくなったらやるものだよ」

 宥介の部屋はきっと綺麗なのだろうな、と詠子は思った。家具もびしっと配置されていて、モデルルームのような綺麗さを想像してしまう。

 詠子は出っ張った木の根を乗り越えながら、宥介に訊いた。

「あたし、宥介さんのお部屋に行ってみたいんですけど、いいですか?」

 その話は少し早かったかもしれない。もう少し踏み込んでからすべきだったかもしれない。詠子は後悔したが、意外にも宥介は簡単に受け入れてくれた。

「いいけど、きみ一人で来るの?」
「え? だめ?」

 可愛さを前面に押し出した瞳で宥介を見つめる。宥介はその瞳を受けても表情を変えない。

「弘くんが怒るだろう。来るなら弘くんと一緒に来なよ」
「ええ? だって宥介さんですよ? 何もしないでしょー?」
「いや、そういう問題じゃないんじゃないかな。ぼくは浮気だ何だという話に巻き込まれたくないしね」
「あぁ、そうかも。うーん」

 確かに弘は怒るだろう。逆の立場だったら詠子は怒るような気がする。今のように、愛が冷めきっていたとしても、浮気は浮気だ。先に関係を切ってからにすべきだ。

 じゃあ、弘と別れてしまえばいいか。詠子はそんなことまで考えてしまうほど、弘に対する気持ちが冷めてしまっていた。

 森の中を歩いていくと、小屋が見つかった。あまり大きな小屋ではないから、おそらく二人用の小屋だろう。宥介は腕時計で時間を確認する。

「今日はこの小屋で休もう。もうすぐ日没になる」
「はぁい。ベッドあるといいけどなー」

 小屋の中はやはり二人用だった。ベッドは二つ、ダイニングテ―ブルの椅子も二つで、タオル類だけ六人分用意されている。食料と水も潤沢に用意されていた。

「ベッドは三人で適当に割り振ってくれたらいいよ。ぼくは座って寝るから」
「たまには宥介さんもベッドで寝たらいいんじゃないですかねぇ?」

 詠子がそう言うと、宥介は首を横に振った。

「いや、ぼくは大丈夫だから。きみたち三人でゆっくり休んで」
「そぉですか。じゃあ、そぉしますね」

 ベッドはシングルサイズだった。二人で寝るには少し狭いが、眠れないこともない。詠子は弘がベッドを譲ってくれることに期待したが、弘はそのつもりがないようだった。

「わたしと詠子ちゃんだったら二人で寝れるんじゃないかな?」

 早苗が詠子と同じ考えを口にする。そうするとまた弘が一人でベッドを使うことになるのだが、詠子はそれに気づかなかったことにした。ここでその話をするのは可愛くない。

「じゃあ早苗ちゃんとあたし、弘くんということで、いいかな?」
「ああ、そうしよう」

 決まると同時に、弘はベッドにぼすんと腰掛ける。そこを自分のベッドとしたようだった。

(いちばん役に立ってない奴がなんでいちばんいい場所にいるんだっつーの)

 詠子は心の中で呟く。この気持ちを外に出すわけにはいかないから、あくまでも心の中だけに留めておく。

 日没を告げる一度目のサイレンが鳴る。今日は無事に小屋に辿り着くことができた。明日はどうなるのか、わかったものではない。

 こんなゲームは早くクリアしなければならない。早く日常生活に戻りたい、と詠子は願った。