幸いなことに、東端の石碑の近くには四人用の小屋があった。ちゃんとベッドも四人分あり、四人で使われることを想定されている小屋だった。一階建てで、奥のほうにベッドが四つ並んでおり、その手前にリビングダイニングが広がっているような間取りだ。詠子は欲を言えば男女で部屋を分けたかったけれど、そう欲張ってもいられない。ベッドで寝られるだけ感謝すべきだと思った。

 チームの雰囲気は暗かった。水トラップで菜美を失ったというのは大きかった。小屋を見つけても誰も話さず、沈黙したまま小屋の中で過ごしていた。

 詠子はシャワーを浴びれば何か変わるかと思い、シャワーを浴びたが、何も変わらなかった。重い現実を再確認しただけだった。菜美のように、もしかしたら次は自分が死んでしまうかもしれない。その思いがずしりとのしかかってくる。

 シャワールームから出ると、弘と早苗が楽しそうに喋っていた。先程までの暗い雰囲気はどこかへ飛んでいってしまい、まるで菜美が死んだことなんて忘れてしまったかのようだった。早苗は詠子が出てきたことに気づいたけれど、弘は気づかず、早苗に話しかけていた。

(暢気なものだな。次は自分かもしれねえってのに。菜美さんが死んで悲しくねえのか?)

 詠子は二人には近寄らなかった。楽しく笑って話す気分ではなかった。弘が早苗と仲良くしたいなら、そうすればいいと思った。

 宥介は地図を広げていた。その表情は険しく、話しかけるのを躊躇うほどだった。しかし詠子は宥介の隣に行き、同じように地図を眺めた。

 宥介は詠子が来たことに気づくと、詠子を一瞥した。

「ああ、詠子ちゃん、おかえり」
「ただいまです。何か、わかりそうですか?」
「夕日を臨む石碑の中に、というのがウサギのヒントなんだとしたら、その石碑を探す必要がある。でもこの地図には東端と西端の石碑しか載っていない。まさか、西端の石碑にあるなんてことはないだろう。それだったら簡単すぎる」
「逆に、地図に載るくらい重要な石碑なのかもしれません。第二のヒントが隠されてるとか」
「西端の石碑に行ってみるか? 他に手がかりもないし、そうすべきなんだろうか」

 宥介はこめかみを指先でとんとんと叩きながら思考する。詠子は何も言わず、地図に視線を落とした。相変わらず現在地がわからないままだから、この地図がどれくらい役に立つのかも不明だ。この島は思ったよりも広い。

 後ろから弘と早苗の笑い声が聞こえてくる。舌打ちを抑えて、詠子は宥介に訊いた。

「あの、宥介さん」
「なに?」
「菜美さんが死んで、悲しくないんですか」

 それは二度目の問いだった。宥介は悲しんでいるように見えなかった。ただ欠けただけではなく、本当に死んでしまったはずなのだ。それなのに、宥介はいつも通りに見える。詠子にはそれがどうしても受け入れられなかった。

 宥介は詠子と視線を合わせて、それから外した。遠いところを見ていた。

「実感がない、と言えばわかってくれるかな。このゲームが終わったら待っていてくれるような気がしているんだ。死んだと言われても、信じられていない」
「そっか。もしかしたら死んでないかもしれないですもんね」
「仮説の域だよ。余計な期待は持たないほうがいいけれど、持ってしまうよね」

 宥介は宥介なりに悲しんでいるのだと詠子は感じた。宥介も菜美の死を受け入れられていないのだ。早苗が源大の死を受け入れられなかったように。

 詠子はそっと宥介の手を取った。ごつごつとした男性の手だった。宥介は驚いたように詠子を見て、一瞬だけ悲しそうな瞳を向けた。

「宥介さん、泣きたいならあたしが胸を貸しますよ。どーんと、来てください」

 本当は詠子が泣きたかった。けれど、宥介が泣いていないのに自分が泣くのはおかしな話だと思ってしまった。いちばん泣きたいのは、いちばん交友が深かった宥介のはずなのだ。

 宥介は詠子の手を握り返して、穏やかな口調で言った。

「泣かないよ。泣くのはゲームをクリアした後だ。その時はきみがぼくの胸で泣いたらいい」
「わ、うまい返しですね。あたし本気にしちゃいますよ」
「いいよ。一緒にこのゲームをクリアしよう、詠子ちゃん」
「うわぁ、なんかプロポーズみたいですねぇ」

 詠子が冗談めかして言うと、宥介の顔に笑みが戻った。

「そうかな。一緒にゲームをクリアしたい気持ちは本当だよ」
「はい。頑張りましょう」

 詠子は宥介の手を握って、笑った。

 弘と早苗の話し声が聞こえてきても、詠子は何も思わなかった。仲良くやってろよ、くらいしか感じなかった。




 詠子は久々にベッドで眠った気がした。けれど、やはり夜明け前に目が覚めてしまった。どこか緊張しているのかもしれない。ごろごろと体勢を変えてみても眠れないので、詠子は一度起きて水を飲みに行くことにした。

 すると、いつものように宥介が起きていた。また考え事をしているのだろう。水を飲みに行きがてら、少し話そうと思い、詠子は宥介に近づく。

 宥介は詠子に気が付かないまま、小屋の外に行こうとした。まだ朝のサイレンは鳴っていないはずだ。詠子は慌ててその背を追いかけ、呼び止めた。

「宥介さん、まだ夜ですよ」

 詠子の呼びかけで、宥介は初めて詠子が起きていたことに気づいたようだった。びくりと身体を震わせて振り返る。その表情は驚きに満ちていた。

「詠子ちゃん、起きていたのか」
「ついさっき起きたんです。そしたら宥介さんが出て行こうとしてるから」

 宥介は悪戯が見つかった子どものような顔をしていた。何と言い訳するか考えているのだろう。何と言い訳したところで、詠子が納得するようなものは出てこない。

 詠子は宥介の手を掴み、ぐいぐい引っ張ってリビングに戻した。宥介も観念したのか、ダイニングテーブルの椅子に座る。

 可愛く、可愛く、でも怒らなければならない。詠子は相反するものを抱えながら、宥介の正面の席に座った。宥介は心なしかしゅんとしているようにも見えた。

「夜中にどこへ行くつもりだったんです?」
「外だよ」
「そんなの見ればわかります。なんで外に行くつもりだったんです?」

 宥介は逡巡した。正直に答えるべきかどうか悩んでいるのかもしれなかった。

 詠子と宥介の視線が交錯する。先に目を逸らしたのは宥介だった。

「バケモノの様子を見に行くつもりだった」
「どうしてそんなことを?」
「水鉄砲を拾っただろう。もしかしたらバケモノにもぼくたちと同じような首輪が着いていて、水をかけることができたら倒せるんじゃないかと思ったんだ」
「そのために、外へ?」
「そうだよ。バケモノの様子を見たら戻ってくるつもりだった」

 詠子は宥介をじっと見つめる。可愛くあろうとする心よりも、本性のほうが強かった。

「嘘でしょ、宥介さん」

 詠子が断じると、宥介はぐっと言葉を飲み込んだ。そして、ややあってから問う。

「どうして、そう思う?」
「宥介さんは一人で石碑を探しに行くつもりだったんでしょー? あたしと一緒にゲームクリアしようって言ったのは何だったんですか?」

 宥介は応えなかった。それが答えだとでも言うように。

「行くって言うならあたしも行きます。弘くんも早苗ちゃんも叩き起こします」
「いや、いいよ。それだと意味がない。きみだけならまだしも、弘くんと早苗ちゃんが来るのなら朝まで待つべきだ」
「やっぱり一人で行くつもりだったんですね?」
「そうだよ。そのほうが早いと思った。菜美の犠牲を無駄にしないためにも、このゲームを早くクリアしたかったんだ。そうしたら、本当に菜美が死んだのかどうか確認することができる」

 宥介はその思いを語った。詠子は宥介の顔を見て、言った。

「四人でいるほうが協力できますよぉ、きっと。お願いですから一人で行かないでください」

 宥介は詠子の瞳を見る。その裏に隠された本性までも見通されそうで、詠子はふっと視線を逸らした。

「わかった。朝になったらみんなで出発しよう」
「わかればいいんです。あたしが寝てる間に勝手に行っちゃだめですからね」
「しないよ。きみは連れて行くよ」
「あたしは有用ってことですか?」
「そうだね。詠子ちゃんはいてくれたほうが助かる」
「ま、あたし可愛いですしね。マスコット枠で採用ってことですね」

 宥介は穏やかに笑った。詠子もそれを見て表情を崩した。

「夜明けまでまだ時間がある。詠子ちゃん、もう一度寝てきたらどう?」
「もう目は覚めちゃいましたよぉ、宥介さんが逃げようとしたから」
「そうか。それは、申し訳ないことをしたね」
「反省してくださいっ」

 詠子が可愛く注意すると、宥介は微笑んだ。

「詠子ちゃんは自分の可愛さを知っているね。それを巧く活用している」

 宥介が急にそんなことを言ったから、詠子はどきりとした。

(おいおい、まさか、気づかれた? 宥介さんならあり得るぞ)

 詠子は内心の焦りを隠しながら、可愛らしく笑ってみせた。

「可愛さは使っていかなくちゃ。持って生まれた武器なんですからねっ」
「なるほど。弘くんはそれにやられたんだね」
「あっ、ちょっとぉ、あたしが引っかけたみたいに言ってますけど、向こうが言い寄ってきたんですからね? 弘くんの猛アタックを受けてあたしが付き合うことにしたんですから」
「そう。まあ、そうだろうね」

 宥介が何を考えているのか、詠子には読めなかった。詠子が弘のことを好きではないと思っているのだろうか。確かに、ラビットハントが始まってから幻滅することばかりだけれど、彼氏は別れるまで彼氏だ。詠子はそう思っている。

「弘くんもライバルが多くて大変なんじゃないかな。詠子ちゃんに言い寄ってくる男は多そうだ」
「どぉなんでしょうねぇ? ま、少なくはないですよ、あたし可愛いので」
「はは、そうか。いいと思うよ、自分に自信があるのは」

 宥介は笑いながら言った。詠子は内心ひやひやしていた。

(気づかれてる? そんなはずない、だってあたしは完璧に隠せてるはずだ)

 詠子は笑顔を浮かべながら、本性を奥深くに追いやった。あまりにも表に出すぎてしまっていたら、宥介には気づかれてしまう。誰にも、家族でさえも知らない、詠子の本性に。