「でも、闇雲に探すのもよくないな。詠子ちゃん、どう思う?」

 いきなり宥介が話を振ってきて、詠子は驚いた。そんなもの、男である弘に訊いてほしい。

 しかし訊かれてしまったのだから、答えないわけにはいかないだろう。宥介とは良好な関係を築いておくほうが好ましい。詠子はさほど悩まずに答えた。

「ヒントのヒントもないわけですし、とりあえず行きません? 森の中が危なかったら帰ってくればいいんじゃないですかね?」
「そうだね。ぼくもそう思う。反対の人はいる?」

 宥介が四人を見る。誰も意見を述べる者はいなかった。弘はおそらく行きたくないのだろうが、ここで意見を述べられるほど心臓は強くなかったのだろう。

(んだよ、だっせえな。行きたくねえならはっきり言えよな)

 詠子は心の中でぼやく。それは誰にも拾われることはない。もちろん、外から見てわかるような態度には出さない。詠子はそれを徹底している。

「行こうか。何か見つけたら教えてほしい」
「はぁい。宥介さんに言えばいいですよねー?」

 詠子が言うと、宥介は苦笑した。

「別にぼくじゃなくてもいいんだけど。まあ、ぼくに言ってくれてもいいよ」

 宥介の反応から、宥介は仕切りたがりというわけでもないようだった。周りが何も言わないから、詠子と同じように焦れて、詠子とは違って声を上げただけなのだ。一歩間違えたら自分があの立場になっていたかと思うと、詠子はぞっとした。そんな可愛くない存在なんて自分ではない。

 宥介を先頭に菜美が続き、弘、早苗と詠子が並んで歩いていく。森の中は草木が茂っていて、足元に何が隠されていてもおかしくなかった。宥介は慎重に歩を進めていく。全員靴はスニーカーで、歩き回ることを想定しているような恰好だった。

 宥介は足元を気にしながらも、木の根や伸びている何かの草をひょいひょいと避けながら軽快に進んでいく。その後ろの菜美はそうはいかず、宥介と菜美の間に差が生まれる。宥介がそれに気づき、足を止めて待つ。宥介は後ろもちゃんと見ているんだな、と詠子は感心した。

 弘はさほど運動が得意ではないことは詠子も知っていた。だからこんな山登りじみたことなんて弘には向かないだろうと思っていた。しかも、迂闊に何かを踏んだら死んでしまうかもしれないという恐怖が付いて回る。詠子が思ったとおり、弘は菜美と同じくらいか、それよりも遅いペースで森の中を進んでいた。最後尾を歩く詠子と早苗は、自動的に宥介と少し差が開いてしまうことになる。

「うわっ!」

 弘が突き出ていた木の根に足を取られて派手に転んだ。彼女としては、そんな姿の彼氏を見ると愛が冷めてしまう。もっとかっこよく、宥介のように皆を引っ張っていく存在であってほしかった。こんな足を引っ張るような存在を愛しく思うほど、詠子の心は広くないし、母性があるわけでもない。

 しかし、周りに可愛く思われるのなら、ここは動かなければならない。詠子は弘に駆け寄り、助け起こす。

「弘くん、大丈夫? 怪我してない?」
「あ、ああ、大丈夫。ちょっと膝を打っただけだ」
「宥介さーん、ちょっと待ってー!」

 宥介に事態を知らせるため、詠子は宥介を呼び止めた。何事かと宥介が振り返り、菜美と一緒に戻ってくる。

「どうしたの、詠子ちゃん」
「弘くんが転んじゃって。足を打ったみたいなんですけどぉ」
「いや、大丈夫です。歩けます」

 弘は自分の力で立ち上がり、その場で何歩か歩いて無事をアピールする。宥介は頷いて、詠子に行った。

「また何かあったら呼んで。詠子ちゃん、悪いけれど最後尾を任せてもいいかな」

(げっ、マジかよ。余計な事しちまった。最後尾で全員の様子を見ろってことだろ)

 心の中では嫌だったが、ここで断るのは宥介の好感度に響く。それに、躊躇なく宥介を呼び止められるのは自分しかないのもわかっていた。菜美や早苗にこの役割はできないだろう。弘はもってのほかだ。

 うぅん、と少しだけ考えるそぶりだけ見せて、詠子は宥介に答えた。

「はぁい、わっかりましたぁ。なんかあったら宥介さんに教えますねっ」
「うん、よろしく。頼りにしているよ」

 そう言って宥介は微笑み、また前を歩いていく。厄介な役割を担ってしまった詠子は、最後尾から全員の様子を窺いつつ歩いていく。

 問題になるのは菜美と弘だった。この二人が宥介の速度についていけないのだ。宥介もそれがわかっているのか、時折振り返っては二人の様子を確認して、必要に応じて立ち止まる。意外にも早苗のほうが弘よりも早く歩けていた。

 最後尾で早苗と並びながら、詠子は早苗に話しかけてみた。

「早苗ちゃん、どうしてラビットハントに参加したの?」
「わたしは源大くんに誘われたの。一緒に行かないかって言われて、嬉しかった」

 源大のことを思い出したのか、早苗の表情が曇る。詠子は暗くなりそうな雰囲気を晴らすために、ひとつ踏み込んだ質問を投げた。

「源大くんと早苗ちゃんは付き合ってたの?」
「ううん。まだ」
「まだ? じゃあ、早苗ちゃんは源大くんが好きだったんだ?」
「うん。ラビットハントが終わったら告白するつもりだったんだ。ほら、ウサギを見つけることができたら幸せになれるっていう話でしょう?」

 そういえばそんな噂もあったような気がした。ラビットハントは意外と難しいアトラクションで、時間内にウサギを見つけられずに終わってしまう挑戦者が多い。だから、時間内にウサギを見つけられてクリアできた人には幸運が訪れる、なんて噂まで立ってしまったのだ。十代の若者に大ヒットしていたのは、そういう側面もある。

 早苗のように、クリアできたら告白するという高校生や大学生は後を絶たない。もしかしたら菜美と宥介もそういった関係なのかもしれない。宥介はあまり菜美に興味がなさそうだけれど、菜美はきっと宥介のことが好きだと詠子は分析していた。

「そのはずだったのに、源大くん、あんなことになっちゃって」

 早苗の表情に影が落とされる。詠子は早苗の手をそっと握った。早苗が泣きそうな顔で詠子を見た。

「だーいじょうぶだってばぁ。終わってみたら普通に生きてるって」
「そうかな。源大くん、ちゃんと生きてるかな?」
「そんな危険なゲームなわけないじゃん。言ってるだけだよ。ただの脅しに決まってる」

 詠子は自分にも言い聞かせるように早苗を励ました。そうだ、そんな危険なゲームが許されるはずがない。AIがどれだけ反抗しようと、所詮は機械だ。人が死ぬようなゲームを作れるはずがない。だから、もし脱落しても今までの日常に戻るだけだ。

「ちゃんとクリアしよ。そしたら源大くんにも会えるよ」
「うん。ありがとう、詠子ちゃん」
「いいのいいの。ほら、宥介さんが遅いぞって目で見てるよ」

 宥介が見ているのは弘だろう、と詠子は思っていた。弘は枝が踏まれるパキッという音にも過敏に反応して足を止めてしまう。こんなに気弱な人間だったとは知らなかった。いつもならもっと先輩風を吹かせるような人間だというのに。詠子はがっかりしていた。

「詠子ちゃんはすごいね。もうこのゲームに順応してる」

 早苗にそう言われて、詠子は危機感を覚えた。

 このゲームに早く順応するのは可愛くない。早苗や菜美のように、まだ怯えや恐怖を感じさせながら進まなけれはならなかったのだ。それが、最後尾を任されるような存在になってしまっている。これは、どこかで可愛さを確保しなければならない。このまま順応
していることがバレてしまって、宥介と同じ立場になってしまってはよくない。

 だから、詠子は自分の身体を抱いて、ほんの少しの恐怖心を演じてみせた。

「あたしだって怖いよぉ。でもさ、ゲームだと思えば多少は楽じゃん?」
「……うん。そうだね。ゲームだもんね」

 早苗は自分を納得させるように言った。その表情から怯えが消え去ることはなかった。これが可愛い反応なのかもしれない、と詠子は思った。

 時々後ろを気にしながら歩いている宥介だったが、どうやら詠子を見ているらしい。詠子がどこにいるかで、歩くペースを変えているようだった。近ければペースを上げ、遠ければ待つ。詠子は自分がとんでもない役割を担ったものだと残念に思っていた。どうにかして可愛い自分を取り戻さなければならない。

 不意に、宥介が足を止めた。大きな樹の根元でしゃがみ、地面を見ている。詠子たち後続が追い付いても、宥介は樹の根元を見ていた。詠子が後ろから覗くと、どうやら宝箱のようなものが置いてあった。

 詠子が抱えられるくらいの大きさの宝箱には草が絡みついておらず、最近ここに設置されたような状態だった。鍵穴はあるけれど、鍵がかかっているかどうかはわからない。宥介は開けるかどうか悩んでいるようだった。

「あ、開けるんすか、宥介さん」

 怯えながら弘が宥介に問う。宥介は静かに考えていた。

「宥介、ラビットハントなら水トラップが仕掛けられているかも。開けないほうがいいんじゃない?」

 菜美も開封には否定的だった。菜美は水トラップを警戒しているのだろう。開けた瞬間に水がかかってきたら避けようがない。避けられなければ源大と同じ目に遭う。

 しばし宥介は考えて、くるりと振り向いて全員を見回した。

「開けよう。みんなは離れて」
「宥介、危ないよ。何があるかわからないんだよ?」
「でもヒントが入っているかもしれない。開けないと中身がわからないだろう」
「だ、誰が開けるんすか。俺は嫌ですよ」

 弘は早くも宝箱から距離を取り、最後尾にいた詠子と早苗のところまでやってくる。詠子は自分が開けても構わなかったが、ここで立候補するのは可愛くないからやめておいた。早苗の手を握り、不安そうに宥介を見つめるのが正解だと思った。

「ぼくが開けるよ。それならいいだろう?」

 宥介は弘と菜美の反対を押し切り、宝箱を足で蹴り開けた。早苗が恐怖のせいか詠子の手をぎゅっと握った。こういうことができる子が可愛いんだよな、と詠子は思ってしまう。早苗は自分とは違って天性の可愛さを持っているのだ。見た目も、中身も。

 水トラップは仕掛けられていないようだった。少し待っても水が噴射される様子はなく、上から降ってくることもない。宥介は安全を確認して、宝箱の中身を取り出す。

 それは地図のようだった。横に長い三日月形の絵が描かれていて、北側に崖、南側に砂浜が広がっている。東と西はほとんど森だ。東の端と西の端に、それぞれ石のようなマークが描かれている。それ以外には、この地図には森と砂浜と崖しか書かれていない。縮尺もなく、いったいどれくらいの広さなのかもわからなかった。

 地図を広げて、宥介は独り言のように言った。

「ぼくたちは今どこにいるんだ? スタートは砂浜だった、ということは南側からスタートしている。だが、この広大な砂浜のどこから森に入ったんだ?」

 宥介の疑問も当然だった。島の南側は全て砂浜だ。弧を描くように砂浜が広がっていて、北側に森が続いている。森は東西に長く茂っている。地図には何の目印も書かれていないから、今自分たちがどこにいるのかわからなかった。

「ヒントじゃなかったですねぇ。残念」
「いや、でもこの島の全体図がわかってよかったよ。とにかくまっすぐ進めば北側の崖に出るはずだ。途中で横にずれていなければね」
「東の端から西の端まではどれくらい時間がかかるんでしょう? 見た感じ、結構遠そうに見えますけど」
「わからない。一度、どちらかの端に行ってみたほうがいいかもしれないな」

 宥介は地図を畳み、ジャケットのポケットにしまった。その地図を宥介が持つことに反対する者はいなかった。

 地図を見ていたせいで隊列が変わる。宥介の次に詠子が来て、早苗、弘、菜美という順番になる。すると、宥介はすかさず詠子に言った。

「詠子ちゃん、後ろに行ってくれるか」
「ええ? またあたし最後尾ですか?」
「きみの声がいちばん通るだろう。誰か遅れていたら教えてほしい」
「はぁい。わかりました」

 なんとかして宥介の好感度を下げずに、可愛く守ってあげたい女子高生を演じなければならない。今のままでは副リーダーのような扱いを受けてしまっている。本来なら心配されるような可愛さを演じているはずだったのに。

 しかし宥介の指示のままに、詠子は最後尾につく。小高い山を登るような道になって、ますます菜美と弘の速度が遅くなった。

(菜美さんはまだしも、弘、お前がこんなに遅くてどうすんだよ)

 詠子は心の中でぶつぶつと怒りを弾けさせる。怒りを面に出さないようにするのは大変だが、もう慣れたものだ。詠子の仮面は昨日今日のものではない。

 飛び出ていた木の根を乗り越えて、菜美が荒い息を吐く。詠子はその様子を見て、菜美の背に手を置いた。

「菜美さん、大丈夫ですかぁ? ちょっと休みます?」
「ううん、ありがと、大丈夫。宥介くんに迷惑はかけられないよ」
「ちょっとくらい休んでも平気ですって。宥介さーん、休みましょうよー!」

 詠子が声を張り上げると、少し先にいた宥介が振り返り、道を戻ってくる。弘も休みたかったのだろう、ほっとしたような顔をしていた。弘と早苗が顔を見合わせて、笑っている。あの二人も休みたかったのだろうか。

 五人で円になってその場に座る。菜美は苦しそうで、弘の顔には疲労の色が濃かった。早苗と詠子は平時と同じだった。早苗に体力があるのは意外だった。

「すまない、早かったね。気をつけるよ」

 宥介が全員に詫びる。謝るのはむしろ弘か菜美だ。詠子はその言葉を飲み込んだ。

「いーえ、いいんですよぉ。早かったらまた言いますから」
「ずっとこんな森なんでしょうか。どこにいるかわからなくなってしまいそうですね」

 早苗が不安そうに言う。宥介は考えながら答えた。

「あの地図がこの島の地図なんだったら、ずっと森だろう。どこに行ったのかわからなくなるのも、きっとAIは見越している。何か目印をつけられたらいいんだけど」
「そんなものないですしね。ちょっと暗くなってきましたし、夜はどうしたらいいんでしょう?」

 日が傾きつつあり、森の中は先程よりも暗くなってきていた。木々の間から何が出てきてもおかしくないような、恐ろしい雰囲気さえ抱かせる。突然イノシシやクマが出てきて殺されても不思議ではない。

「皆様、まもなく日没です。夜のルールをご説明いたします」

 突然アイの声が響いてくる。願ってもないタイミングだった。

「日没の森ではバケモノが出没します。バケモノは皆様を殺そうとしますが、皆様はバケモノに対抗する手段を持ちませんので、逃げることしかできません。夜は出歩かないようにしてください」
「新しいルールの追加か。出歩くな、ということは隠れる場所があるんだな?」

 飲み込みが早い宥介がアイに問う。アイはすぐに答えた。

「この島にはいくつも小屋が設置されています。小屋は絶対に安全です。バケモノは小屋に入ることができません。夜明け、すなわち太陽が昇るまでは、必ず小屋の中に逃げ込むようにしてください」
「バケモノが出てくる前に小屋を見つけろ、ということか?」
「お察しの通りです。日没までにはサイレンが二度鳴り、二度目のサイレンが鳴り終わった後にバケモノが出現します。朝は、サイレンが一度だけ鳴ります。朝のサイレンの後、バケモノは姿を消します。それでは、ゲーム再開です」

 アイの声が聞こえなくなる。宥介はすぐに立ち上がった。まだ座ったままの面々を見て、焦りを感じさせないような声音で言う。

「早く小屋を探しに行こう。日没までおそらく時間がない」
「そ、そうだね。休んでる場合じゃないね」

 全員が立ち上がり、また宥介を先頭に歩き出す。その直後に、けたたましい音で火災報知機のようなサイレンが島中に響き渡った。これがアイの言っていたサイレンなのだろう。

 まだ一回目だ。でも、二回目はいつ鳴るのか、アイは教えてくれなかった。もし二回目のサイレンまで時間がほとんどないのだとしたら、小屋を見つける前にバケモノが出てきてしまう。そうなれば、抵抗することもできずに殺されてしまう。

 詠子は初めて死を意識した。ゲームだとはわかっているけれど、もし本当に死ぬのだとしたら、早く小屋を見つけなければならない。こんなところで死んでたまるか。

 一度目のサイレンが鳴ってから、宥介は足を速めた。後ろをちらりと見るけれど、差が開いていても速度を緩めることはしない。最後尾を歩く詠子に委ねているようだった。信頼してもらえるのは嬉しかったが、こういう役割が欲しかったわけではない詠子は、複雑な気持ちだった。

 木の根を踏み越えて、少し開けた場所が見えてくる。そこには二階建てのペンションのような建物があった。

「小屋、っていうのはこれのことだろうな」

 宥介が慎重に小屋の周囲を回り、安全を確かめる。弘にも同じようなことを求めてしまっていた詠子は、ただ息を整えているだけの弘にげんなりしてしまった。年長の宥介ほどとは言わないまでも、もう少し彼女の前でかっこいいところを見せてほしかった。

「弘くん、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫、ちょっと疲れただけだ」

 詠子が声をかけると、弘は笑顔で応えた。自分よりも体力がない彼氏というのは、何とも情けないものだと思ってしまう自分がいた。

 周囲を一通り見た宥介が全員のところに戻ってくる。その顔は明るかった。

「大丈夫そうだ。鍵も開いているし、ここが小屋なんだと思う」
「やったぁ、休めるんですね?」

 詠子が全員を代表して喜びを見せる。宥介は優しく微笑んだ。

「入ろう。小屋は絶対に安全、それがゲームのルールだ」

 宥介は躊躇いなくペンションの中に入っていく。菜美、弘と続き、早苗と詠子も入る。早苗がようやく笑顔を浮かべて詠子に言った。

「小屋、見つかってよかったね」
「ほんとにねぇ。バケモノ、とか絶対怖いじゃんね」
「どんな感じなんだろう。ラビットハントにはバケモノなんていなかったはずだし」
「さぁ? 意外とホラーテイストなのかもよ、ジェイソンみたいな」

 詠子は早苗が少し持ち直したことに安堵していた。源大を喪った悲しみに暮れているばかりではどうしようかと思っていたが、自分の中で折り合いをつけたようだ。まだ死んだと決まったわけではないし、そこに望みを抱いているのかもしれない。

 ペンションの中はごく普通だった。一階にキッチンとリビングダイニング、シャワールームがあって、二階に二人部屋が三つ並んでいた。ダイニングは三人ずつ向かい合って座る六人席のテーブルが置かれていて、リビングには大きなソファが設置されている。キッチンは広々としていたが、食材はなく、レトルトの白米とカレー、それに災害用のパンが置かれているだけだった。あとはインスタントのコーヒーと紅茶があり、電気ポットも置いてあった。一夜を過ごすには充分な設備だった。

「一息つけそうだな。みんな、お疲れ様」

 宥介が代表して全員に声をかける。

「明日の朝までは自由に過ごすことにしよう。外に出なければ何をしたって自由だと思う。シャワーもあるし、食事もできるし、各々自由に過ごそう」
「はぁい。でも、この首輪があるのにシャワーなんて浴びれるんですかねぇ?」
「どうやら脱衣所と浴室では機能がオフになるらしい。細かいところまで気が利くんだね」
「なるほどぉ。じゃあ気にせずシャワー浴びちゃっていいんですね」
「どうする? 誰からシャワー浴びる?」
「宥介くん、行ってきたら? ずっと先頭歩いて疲れただろうし」

 菜美のその言葉は本心なのかどうか怪しかった。宥介が行って問題がないことを確かめてきてほしい、というのが本音ではないかと詠子は思った。

 宥介もその本音には気づいたようだったが、特に何も言わなかった。

「わかった。じゃあぼくが最初に浴びてくるよ」
「いってらっしゃーい」

 詠子がひらひらと手を振ると、宥介は軽く手を挙げて、シャワールームへと姿を消した。

「残った四人で部屋割り決めちゃおうか」

 菜美が年長者らしく発言する。小屋は絶対に安全、ということを聞いて安心しているのかもしれなかった。

「男女で分けます? 二人部屋が三つですし、宥介さんと弘くん、女子は一人になっちゃいますけど、あたし一人でいいので、菜美さんと早苗ちゃんで」
「詠子ちゃん、一人でいいの?」

 菜美は意外そうな声で訊いてくる。怖くないのか、ということだろう。むしろ一人でいるほうが可愛いの呪縛から逃れることができて好都合だった。

「はい。あたし一人でいいですよ」
「じゃあ、そうしようか。ありがとう、詠子ちゃん」
「いーえ、平気ですっ」

 詠子は可愛らしく返事した。同性である菜美にとっても可愛く見えるようにするのが詠子の信条だった。

「じゃあ俺、ちょっと部屋で休んでくる」

 弘があまり良くない顔色でそう言った。疲れているのがよくわかる顔だった。

「そ? 大丈夫?」
「ああ、休めば大丈夫だよ。後で起こしてくれ」
「わかった。また後でねー」

 弘は重い足取りで階段を上がっていく。精神的にも肉体的にも疲れてしまったのだろう。弘がこんなに気弱で、体力がない人間だとは詠子は知らなかった。こんな状況で新たな一面を知ってしまい、詠子は落胆を隠せなかった。これは、ラビットハントが終わってからの身の振り方を考えたほうがよいかもしれない。

「詠子ちゃんと弘くんは付き合っているんだよね?」

 早苗が詠子に尋ねる。あんな彼氏じゃなかったら、それこそ宥介のように皆を引っ張っていってくれるような存在だったら、もっと自慢するんだけど。詠子は苦笑した。

「そうだよ。付き合って半年かなぁ」
「いいな、彼氏がいて。羨ましいよ」

 菜美が詠子に羨望の眼差しを向ける。詠子はまたも苦笑しながら、菜美に言った。

「菜美さんは宥介さんと付き合いたいんでしょー?」
「えっ……やっぱり、わかる?」

 菜美は頬を赤らめて肯定する。詠子も、自分がこういう可愛い反応ができたらいいのに、と思う。

「わかりますよぉ。ラビットハントをクリアして、告白するつもりだったんですよねっ?」
「うん、そうなの。宥介くんを誘うの苦労したんだよ」
「あぁ、来なさそう。なんて言って誘ったんですかぁ?」
「チケットが余ってるって言ったら来てくれたの。オッケーもらうまで結構押したんだよ」
「大変だったんですね。うまくいくといいですね、菜美さん」

 早苗は寂しげな微笑みを浮かべる。詠子はそれに気づき、早苗の手をぎゅっと握った。

「大丈夫だよ早苗ちゃん、源大くんは生きてるってばぁ。そんな顔しないで」
「あ、ご、ごめんなさい、そんな顔していた?」
「してた。ね、所詮ゲームなんだから」

 詠子が早苗を励ます。それでも早苗の顔は晴れなかった。

「本当に、ゲームなのかな。実は本当に源大くんは死んじゃったんじゃないかな」

 早苗の瞳から涙が零れ落ちた。菜美が優しく早苗を抱き締めると、早苗は菜美の腕の中で泣き出してしまう。ずっとこの気持ちを押しとどめていたのだろう。泣いてしまっては周りに迷惑がかかると思って。

 早苗は自分とは違い、本当に可愛い女性なのだと詠子は思った。自分のように見せかけることもせず、ありのままでいるだけで可愛いのだ。それが羨ましくも、妬ましくもあった。

「どうしてわたしたちだったんだろう。どうして、わたしたちが選ばれたんだろう」

 早苗は誰に答えを求めるでもなく言った。それは誰にも答えられないことだ。

 詠子は早苗の背中をゆっくりと撫でて、元気づけるように言うしかない。

「ね、絶対クリアしよ。そしたら源大くんにもまた会えるよ、きっと」
「そうかな。源大くん、ちゃんと生きてるかな」
「生きてるよぉ。大丈夫、そんな簡単に死んじゃうわけないじゃん。あたしたちだってもしこのゲームに失敗しても、元の世界に帰されるだけだよ」
「うん。そうだよね、そんな簡単に死なないよね」

 早苗はまだ泣きながら、菜美の胸に顔を埋めて応える。

 そう、死ぬわけがないのだ。詠子はその自信があった。より緊張感を抱かせるための演出に過ぎない。この現代で、そう簡単に人が死ぬはずがないのだ。

 シャワールームから宥介が出てくる。服装は学生服のままだった。パジャマのようなものが用意されているわけではないようだ。

「あれ、弘くんは?」
「部屋で休むって言ってましたぁ。あっ、宥介さん、弘くんと同じ部屋に決まったんで」

 詠子が事後報告すると、宥介は小さく頷いただけだった。

「早苗ちゃん、泣いているのか?」
「ううん、もう、大丈夫です。菜美さん、ありがとうございました」
「いいの。泣きたい時はめいっぱい泣けばいいんだよ」

 菜美はまた早苗を抱き締める。早苗の瞳に涙が浮かび、まだ泣き止みそうになかった。

 早苗の相手は菜美に任せて、詠子は宥介と話す。

「シャワーどうでした? 普通でした?」
「普通だな。脱衣所に入った瞬間に首輪から音がして、出たらまた音がした。水に濡れるのは気にしなくてよさそうだ」
「ふうん。じゃあ、次あたし入ってきますね」
「普通のホテルのシャワーだと思えばいい。特に変わったことはないよ」
「はぁい。ありがとうございます」

 宥介の声を背中に受けて、詠子はシャワールームに入る。まだ宥介が使った後の湯気が残っていた。ポーン、と首輪から電子音がした。これが宥介の言っていた音だろう。バスタオルは六人分用意されていて、六人で使うことを想定されている小屋なのだと思わせる。

 そう、これはただのゲームなのだ。死ぬはずがない。いかにして五人で協力してウサギを見つけるか、それを考えなければならない。

(死ぬとか、やってらんねえよ。そんなゲームがあってたまるか)

 詠子は学生服を脱ぎながら、このゲームについて考えていた。