放課後の瑠宇の時間はデザイン帳と共にある。
今日もまた、席に座って思いつくままに書いていると、
「ねえ、るーちゃーん、また今日も可愛く盛ってくれる?これから先輩とデートなの!!るーちゃんが盛ってくれるとね、気分も上がるし、似合ってるねって言ってくれんの!」
ね、お願い?と机にちょこんと乗せた手に頭を凭れさせる女子の上目遣いに心内で恭宏に使えそうだなとメモをする。実際の瑠宇はデザイン帳に服や思いついた小物のデッサンを軽く描いていた。
物心ついた頃から湧き上がるパッションのままにデザインを描き連ねているので、もう何冊目……いや何百冊目かもわからない。
それでも瑠宇のインスピレーションの泉は途絶えることが無かった。
「あ、私もー!るうちゃんにやってもらいたーい!」
次から次に女の子たちが瑠宇の座る席を取り囲む。
男子たちからすればハーレム、モテ玉座建設だ。
それでも男子たちから不平不満が出ないのは、一重に瑠宇が女子並みに可愛いからである。
瑠宇はいいよ、1列に並んで?とカバンから自前のコンパクト式ヘアアイロンとリボンや繊細なレース細工で出来た美容セットボックスを取り出し、目の前の女の子の髪に触れる。
瑠宇も、自分のヘアテクニック披露や最新の美容知識を仕入れられるウィン・ウィンの関係に満足していた。
恭宏に少しでも可愛いと思ってもらえるように、自慢の幼なじみだと思ってもらえるように……瑠宇は昔から自分磨きに余念が無いのだった。
「あーあ、そんなことちっとも気付いてないんだろうなあー……」
そうひとりごちると、女の子の1人が個包装の飴をくれた。
クラスの女の子は、みんな瑠宇の気持ちを分かっていて、いつも慰めてくれる。
瑠宇は有名な三角キャンディの包みを口に挟んで引っ張り開け、舌にのせて甘さを堪能した。
「今日もヒロの部活が終わるまで、どっかで暇潰ししてよーと。……あ、ヘアアレンジしたのはまたインスタに載せていい?」
片手でヘアアイロンを駆使しながら自らのスマホを示すと女の子たちから黄色い声が上がった。

瑠宇がヘアメイクを始めてから、数時間後のこと。
恭宏は教師に呼び出され、進路や大会前の激励を受けていた。
そのため切り出すにも切り出せず、ロスした分を稼ごうと急くあまり普段は使わない近道をショートカットで進んでいた。
「オレ、𓏸𓏸なら余裕で抱けるわー」
「わかる、そこらのアイドルなんかより格段に可愛いし、まだうぶい1年の美少女だもんなー」
「あんな顔でー、上目遣いでーお願い先輩♡って言われてえ~~~」
「身長差やばいよな、廊下歩いてる時に通りすがってみたらオレの肩までしかなくってさあ……んだよ可愛いだろあれー」
「髪もキレーだし、小顔だし、可愛いしあざといし……あー、たまんねぇ」
「あの可愛さなら足蹴にされるのもたまらねえぞ、蔑んだ目で見られて綺麗なニーハイ越しに踏まれたら死ねる…!」
「それいいな、あのニーハイとスカートから見える絶対領域に手を這わせてえ」
クラスの男子が集まり話すことと言ったら猥談か、誰が誰を好きだとかそんなとこだ。
いざ部活へ参らん!と廊下を足早に進んでいたところで、不意に耳に入ってきたのは男子達の下卑た笑い声だった。
恭宏のクラスではない。
3年生の教室前で、下らない話をしているなとその場で過ぎされば良かったのに。
ニーハイと聞いて、最近新しいの卸したんだと自慢げに見せてきた1人の幼なじみが思い出され、まさかなと考えすぎだと通り過ぎようとしたのだ。
だが、「るうちゃんとやりてー」と「抱きたい」との言葉を聞いてしまい一気に冷水を浴びたがごとく汗が引く。
ドクドクと鼓動が早鐘を打つのがうるさくて堪らない。
恭宏は耐え難い程の狂おしく苦しい程の胸の痛みと、頭に血が上る感覚に思わずそのクラスの引き戸に手をかけた。
冷静に物事が考えられず、どこかストッパーが外れたかのように体全体が熱い。
どうしたんだ、俺は。だって瑠宇って。
そんな時、名前を呼ぶ声がして思わず振り返るともう一度名前を呼ばれた。
「観月先輩、来てくれたんですね!嬉しい…っ」
名も知らぬ、見知らぬ女子が感極まったかのように恭宏の腕にしがみつく。
わけの分からぬ恭宏だったが、突然の思わぬ柔らかさに口ごもっていると、男子達が別の引き戸からぞろぞろと出てくる。
「おうおう、色男ー」
「ひゅー、あついねー」
こちらを見て口々に囃し立てる奴らの顔をハッキリ見ようとするが、女子が邪魔で動けない。
「離しー」
「来てくれたってことは、オッケーなんですよね?」
「何がー」
「やた!嬉しい!!」
そのままぎゅうと抱きつかれ、恭宏がフリーズすると女子は何か紙切れを押し付けて去っていく。
その紙には日時と場所だけが書いてあり、恭宏はわからないままに小さな紙片を受け取った。
恭宏に分かるのは、さっきの女子が瑠宇と同じ1年であったということだけで。
それすらも部活に向かう頃にはすっかり忘れていた。
湧き上がる熱に、激情にすり潰されて。

瑠宇をそんな風に見ていた男たちの顔を思い出し、湧き上がる怒りのままに部活に励んでいると監督から少し頭を冷やせと言われ、恭宏は渋々従った。
大事な大会前に意識を別に散らして集中力を切らし、怪我をする仮定の未来が脳裏に浮かんだからである。
なにより、真面目に部活に取り組んでる先輩や後輩たちに申し訳が立たなくなりそうだった。
剣道場を辞して向かう先は螺旋階段を上がった先にある部室棟の屋上。
学校の屋上扉よりも比較的軽い扉を力を入れて押すと、外部から入ってくる風が褪せた紺の袴をはためかす。
眼下にはグラウンドでサッカーボールを器用に操り、走り回る瑠宇が遠目に見えた。
その事に少し安心する。
幼少期の頃から恭宏はたまに空を眺めるのが好きで、今の推しに会うまではずっと空が推しだった。
でも1人で見ていたわけではなく、その傍らには常に瑠宇がいた。
「瑠宇……」
そんな家族同然に育った幼なじみを蔑み、下品な汚らわしい目で見るやつは昔から一定数いて、そんなやつらを密かに蹴散らしてきたのが恭宏だった。
「あんなやつらに瑠宇の本当の良さなんて気付くわけがない」
遠目に見える瑠宇に少しでも近寄るかのように数歩歩き、転落防止フェンスの網に指をかける。
瑠宇のいじらしいほどの努力と研鑽を、ひたむきな心の強さと、今なお真っ直ぐに夢を追いかけられる真摯さを恭宏は守ってきた。
それは今も昔も変わらずに恭宏の揺るがぬ矜恃だった。
可愛いらしい外見しか目がいかないやつはそれでいい。
中身が誰よりもかっこいい瑠宇のことを知ってるのは、恭宏だけでいい。
「……お前が強いのは十分知ってる、だけどな、守らせてくれ…」
力を込めぎしりと掴んだフェンスが揺れ、恭宏は項垂れて頭を預ける。
重い息と共に吐き出されたのは、酷く醜いエゴだった。
本人が知ればたちまちに怒り、説教しだすだろう。
恭宏の重さに引いて、話してくれなくなるかもしれない。
それでも、幼なじみというポジションは誰にも譲りたくない。
―――つまるところ、それが恭宏の本音であり、本心だ。
それだけ瑠宇の事が大事で、存在ごと愛しきっているかその証左でしかない。
恭宏は愛が重い男だった。
いつか瑠宇が、恭宏のことを要らなく思えるまでは……それまでは守りきる。
それが幼少期に恭宏が立てた、たった1つの約束だった。
頭も冷えた、道場へ戻ろう。
もっと強くならなくては。
恭宏は踵を返し振り返ることなく屋上を後にした。