今日も通学時に眺められる神奈川の海はとても綺麗で、優しい海風が辺りの草花を揺らしている。
夏の暑い盛りも落ち着き、段々と周囲が秋めいて来る頃。
観月恭宏は住み慣れた地元の風景が好きだった。
穏やかな時間が流れる気風と、海岸線が見えるこの学園にして良かったとしみじみ思っていると「ねえってばあ!」と隣から明るい声が掛けられた。
ブレザーの金バッチの位置を、あーでもないこーでもないとあちこち外してはつけたりを繰り返しているのは恭宏の幼なじみで、学年が1つ下の春野瑠宇だった。
自前の長い髪がさらりと動く度に流れる。
瑠宇という可愛らしい名前だが、春野は男である。
昨今巷で叫ばれていたジェンダー規制法改正法案にのっとり、自分の学校でも性別に関係なく男もスカートを履けるようになった。
それを喜んだのは一定数いて、恭宏の幼なじみである瑠宇もその内の一人だ。
「やっただよねー!オレ、がっこの制服めっちゃ可愛いって思ってたんだよー!!ね、可愛い?」
「あー、可愛い可愛い」
「もっと感情込めて!」
瑠宇が隣を飛び跳ねるように歩いていて、背中までの栗色の髪がその度にふわりと跳ね回り甘い香りを周囲に振りまく。
今月からの改正法案に真っ先に飛びついた幼なじみは遅かりし高校デビューだ!と騒ぎながら、アイロンのきいた膝丈プリーツスカートの裾をなびかせていて、ご丁寧に見える足は白いニーハイ。
筋肉の欠片も見えない脚は綺麗に整っていて、この為にムダ毛も処理したのかと思わせた。
今更にこの幼なじみがめんどくさいまでの完璧主義だったと思い返し、そこまでやるかとため息を吐く。
恭宏は、男は筋肉こそ全てと思っているいわゆる脳筋な無骨男なのだが、昔から瑠宇は可愛いものが好きで、二人いる恭宏の姉たちからも可愛がられていた。
愛らしいぱっちりとした二重に、茶色みがある薄い虹彩。
目を引く美少女じみた顔立ちであり、年上の女性たちをも虜にしてきた。
そんな幼少期だったから、瑠宇が白いレースや繊細なフリル、可愛いピンクのリボンやキラキラしたもの憧れたのも自然といえば自然だろう。
瑠宇と恭宏は全てが真反対の性質で、だからこそ喧嘩すれども長続きしているのだろう。
それこそ幼稚園からの家族ぐるみでの付き合いで、幼なじみとは言うが実際には兄弟みたいに一緒に育った。
隣には瑠宇がいつもいた。
「そんなんだからヒロはモテないんだよー、一つ一つの変化につぶさに気がつくこと!そしてそこを褒めるコト!」
はい、やってみ!?とくるりと回ってカメラ目線であざといポーズを決める瑠宇に、恭宏は渋々と口を開いた。
ここでノらねば拗ねてさらにめんどくさいことになるのが関の山。
恭宏はそれは避けたかった。
拗ねた瑠宇はかなりひねくれているのだ。
「……後ろ髪クセついてる。眉毛がいつもより5mmずれてる。制服のリボンがそのままだと解ける。他に」
「ちょ、ストップストップ!そうゆう事じゃない!てかそれもっと早く言ってよ!」
慌てて瑠宇がパタパタと鏡を見だし、あっちむいたりこっちむいたりを繰り返していると躓く。
何もないところだろ、そこ。
それを難なく片腕でキャッチした恭宏は制服の乱れを軽く直してやると先に歩を進めた。
こいつに構っていると時間ばかりが過ぎていく。
「もう!デリカシーなさ男ー!」
「煩い、朝練に遅れるだろ。」
「あ、そーゆーこと言っちゃう!?」
パタパタと後ろから駆け足でついてくる瑠宇を軽くいなし、恭宏は部活カバンの紐を掛け直した。
早く行かねば朝練に間に合わないだろうが。

無事に朝練を終えて4限終了後に恭宏は教室で仲のいい男子数名たちと机を囲んで昼食をとっていた。
恭宏は窓ガラスのあるほうに正面を向き、廊下側に背を向け話を咲かしていた。
だから気づかなかったのだ、背後から忍び寄る小柄な影に。
瑠宇が悪戯でブレザーの下から両手をズボッと入れ、脇腹を擽りだしたのだ。
「んひゃっ!?っぁ、な……っ!?」
びくびくびくっと震えて思わず出た、恭宏にしては高めな声に周りが驚愕する。
ばっと口を押さえ、擽ったさと大袈裟に反応した恥ずかしさに顔を赤くして長身を縮こませ、思わぬ闖入者を睨み付けるが、瑠宇はその顔を見るなり恭宏と男子たちの間に分け行った。
「これ以上ヒロの可愛いとこ見んな……っ!」
ばっと周囲の視線から庇うように両手を広げて凄む瑠宇。
そんな幼なじみ2人のやり取りに呆気に取られていたが、男子たちは笑いながら「図体でかい男が喘いだところでなあ?」「恭宏だからなあー、可愛い女の子ならともかく」やんやと騒ぎ立てる。
それを聞いた数人の女子がサイテーと吐き捨て、その場はそれで収まった。
昼休み終了のチャイムが鳴りだし、皆が散り散りに席に着き出す。
瑠宇もクラスに帰ろうとしたら自席でまだ恥ずかしさに腕で顔を隠していた恭宏が、ぐいと袖を引っ張る。
たたらを踏みそうになり慌てて土踏まずに力を込め、倒れるのを防いだ瑠宇の耳に「ありがとう」と吹き込まれた。
「まだ擽ったいのは克服出来ないんだ?」
「うるさい…っ、早く教室戻れ」
つっけんどんに突き放されても瑠宇の頬の緩みは抑えきれない。
恭宏の教室を出る時にもっかい振り向いたら、恭宏は机にしがみつくように腕を前に垂らしていて、赤く染まったままの耳がチラ見えしていた。
「ふ、かーわい♡でもみんなの前で可愛いとこは見せて欲しくなかったなあ…」
チャイムが鳴り響く中、少し小走りで廊下を走る瑠宇は先程の可愛い恭宏の反応を思い出しては頬をゆるませきっていた。
だが、瑠宇の心中は彼の可愛さだけには酔いしれられない、独占欲ともいえる薄暗い感情がひしひしと占めていたのだった。