ショッピングモールに着いた二人は、まず鏡文字のブランドロゴが有名な玩具量販店に行ってみた。海外資本の店だからかオモチャもぬいぐるみも原色のカラフルなものが多い。親子連れでいっぱいの店内を掻き分けるようにしてあちこち見てみた結果、優斗は「どれも北極には小さすぎるな」という結論に至った。北極は大きな体を縮めて恥ずかしそうにうなだれていた。初めからわかっていたことだが、子供向けの店なのだった。
途中にある雑貨屋や服屋に寄り道しつつ、次に向かったのは人をダメにすることで定評があるビーズクッション専門店だ。こちらも海外資本、ソファ代わりに使える大きなクッションが売られている。
「ふおお……」
「あぁーっ、センパイ……!」
試しに腰を下ろしてみた優斗はものの三秒でダメになった。北極も見かねて助けに入るがミイラ取りがミイラになる。ダメになってしまった二人は、商品の値札を見て正気に返った。想定していた値段よりゼロが一桁多かった。
「くそっ。どいつもこいつも一長一短すぎる!」
考えを整理するために入ったコーヒーショップで優斗は管を巻いた。
北極は苦笑した。
「でも、こういう買い物ってちょうどいいもの見つけても、それはそれでなんか物足りない気がしないですか。なんでなんだろう」
「…………」
優斗は小さなテーブルに頬杖をついて北極を見つめた。(こいつ、マジで探す気ねーだろ)と思う。それはそれで悔しいのだった。アイスコーヒーにストローを刺す手つきが妙にスマートなのも気に食わない。
この態度を見ているだけで、きっと北極は泣き虫の見掛け倒し野郎ながらそれなりの数の女の子たちとデートしたことがあるんだろうと察しがついてしまう。特に興味のない買い物につきあったり、重い荷物を持たされたりすることも日常茶飯事だったに違いない。優斗と違って。
優斗は、このショッピングモールには何度も来たことがある。実家にいた頃は家族みんなで車に乗って来た。寮に入ってからも、寮友会の仕事や友達付き合いで利用している。ただ、好きなひとと一緒に買い物に来るのはこれが初めてだった。
服屋で相手の目線に気づいても、いつもなら「着てみれば」とかわざわざ言ったりしない。試着室の前でドギマギして待ったりしない。思ったよりも全然似合っていなくてコメントに困ったりしない。北極相手だから変にはしゃいで、浮かれて、その実、根っこの部分ではずっと緊張していた。全然いつも通りにふるまえないのだ。寮の外で見る北極は見ていて不安になるくらい魅力的で、絶対に嫌な思いをさせてはいけない気がした。
「……センパイ」
「ん、」
アイスコーヒーのカップ表面から結露が垂れていた。トレイに敷いてあるチラシがよれてしまっている。優斗はぼんやりしていて、すぐに返事できなかった。その間に北極が「生まれてきてすみません」と震え声で謝ってきた。
「うん!?」
「い、いや……オレ、たまに言われるんですけど、一緒に買い物するにはつまんないヤツらしくて」
呆気にとられる優斗の前で、北極は暑そうにキャップを脱いだ。
「こういう時、全然リードとかできないんですよ……だからさっきからセンパイに道案内とか任せっぱなしで……そのうえ面白いことも言えないし……オレは、もう、ダメです……」
「……北極」
「ハイ……」
「ついこないだ北海道から出てきたばっかのヤツに道案内されるほど、俺は方向音痴じゃねーんだよっ」
「あ。それは、そうかも……」
「あとおまえに面白さとか求めてないから!」
「そ、そっか。そうですよね。すみません。すみません」
よく見ると、白い頭から湯気が立っている。「退屈させてると思うと申し訳なくて」と言われ、優斗はバツが悪くなった。自分の緊張が北極にまで伝わっている気がした。
「まず、おまえが俺のこと楽しませる必要ねーだろ。ガキじゃあるまいし」
「いやっ、でも……オレとしては、なんか……なんかしてあげたいです。センパイには」
「はあ。してあげたいとはまた、ずいぶんと上から」
「!? え、いやっ、決してそんなつもりじゃ……!」
耳の中がくすぐったい。優斗は何度も首をひねった。首も背中も熱くて、頭がのぼせる。目の前で北極が必死に釈明してくれているのがなんにも耳に入って来ない。変なことを言われたせいで、ただでさえおかしかった調子が完全に狂ってしまったようだ。北極の顔を見るだけで胸がどきどきして、嬉しすぎて、なんだか泣きたいような気までしてくる。
仕方ないので、優斗はいったんぬいぐるみ探しを中断することにした。文房具屋に用があると言うと、北極は二つ返事でついてきた。目当ては店先に展開されているポストカードだ。北極は物珍しそうに売り場を見回した。
「部屋に飾るんですか?」
「いや、家に送る用」
「えっ」
「おまえも北海道に手紙出せば? いちおう現状は伝えたほうがいいだろ」
「……いえ。うちは、毎日電話してるので……」
「毎日って……どんだけ仲いいんだよ」
「……っ、セ、センパイのほうこそっ、妹さんと毎日電話しないんですかぁ!?」
それを言う北極の声は、甲高く裏返っていた。急な人見知り発動は今に始まったことではないので、優斗は鼻で笑った。
「北極、普通の男子高校生は寮暮らしだからって毎日実家に電話しないんだよ。どうだ知らなかっただろう」
「いや、家っていうか。だって、」
「? 俺は妹と電話とかしない。親が嫌がるし」
「!!!」
北極が驚愕の表情を浮かべる。(なるほど、こいつは家に電話すると喜ばれるんだな)と優斗は思った。今どきそっちのほうが珍しい気もするが、住んでいる世界のレイヤーが違うのかもしれない。説明が面倒で「色々と気を遣うんだよ」とだけ言った。
優斗は柴犬の写真がついたポストカードを買った。笑っている(ように見える)柴犬の顔の横にぶっとい筆文字で、なぜか『ドコサヘキサ塩酸!』とプリントしてある。意味がわからないうえまったく趣味ではなかったが、罪のない明るさが用途に合っていた。
会計を済ませたあと、通路の壁を机代わりに宛名書きまで済ませてしまう。メッセージ欄には悩んだ挙句『元気にやってる』とだけ書いた。
背後では、北極が優斗のカバンを手に待っていた。なにか釈然としない顔をしていたが、優斗はそのまま地下一階の郵便局まで行った。窓口で所定の料金を支払い、用事は片付いた。その頃には優斗の気分も落ち着いていた。北極の顔を見ても(こいつ可愛いな)としか思わない。それはそれで異常な気もするが。
「待たせたな」
「待っては、ないですけど……」
お預けを食らった犬のような顔をしている。優斗は見ていて、今日どうしても北極にぬいぐるみを買い与えたい気がした。今夜から北極は、優斗を十秒ハグする代わりに、そいつと一緒に同じベッドで眠りに就くのだ。きっと毎晩。寮にいる間はずっと。
それは自分をフッた北極への意趣返しとしては悪くない気がした。
「あー……最初に行ったオモチャ屋に戻ってもいいか?」
北極はもちろん嫌と言わなかった。
二人はここまで来た道を戻り、店に入った。商品を目立たせるためなのだろう、群青色に塗られた壁がそのまま棚になっていて、各種ぬいぐるみがギュッと並べられている。優斗の小遣いでも買えるような量産品だが、目の位置や腕の広げ方にちょっとずつ差があった。
「どれか選べよ」
優斗が顎で差すと、北極はようやく抵抗らしきものを示した。
「いやセンパイ、ほんとにいいって……」
「早く選べって言ってんの」
「だって……」
選べと言っているのに、北極は棚を見ずに優斗のほうを向いている。優斗は歯噛みした。気に入らないのはわかる。どれも子供用で、北極が抱いて寝るにはサイズが小さい。しかしベッドに置いておくにはちょうど良さそうだった。
優斗に睨みつけられて、北極は泣きそうな顔になった。情けない声で「センパイが選んでください」と言う。
「はっ? なんでオレが」
「そんなの……だってオレ、センパイが選んでくれたやつがほしいよ」
「フーン!? これでもいいのかっ?」
優斗は売り場を間違えているとしか思えない不気味なブードゥー人形を掲げた。北極はビクッと肩を震わせたが、殊勝にも「センパイが気に入ったなら」と呟いた。覚悟は固いらしい。
優斗は仕方なく、もう一度棚に向き直った。ぱっと目を惹くのはクマだが、確か北極が家族に買ってもらったのもクマのぬいぐるみだったはずだ。比較されるのも癪だし、また泥棒されたら困る。かといってウサギや犬はちょっと子供っぽすぎる。うっかり人に見られてからかわれたら気の毒だ。かと言って、サメやティラノサウルスとなると気の利いたインテリアのようで腹が立つのだった。となると意外とブードゥー人形というのもアリな気がしてくる。いや、しかし・・・。
十分後、優斗はへちゃむくれたアナグマのぬいぐるみを会計して北極の元へ戻ってきた。
「なあ、びっくりした。こいつタヌキじゃなかった!」
「やっぱり。アライグマですよね」
「それも違う」
「……!?」
二人は店の外でレシートを見て驚き合った。試しにスマホで画像検索をかけてみると、ハクビシンという全く違う動物がひっかかる。優斗は正直わけがわからなかったが、北極が謎のぬいぐるみを見てニコニコしているので一旦よしとした。ショッピングモールの白っぽい照明の下で見る北極の笑顔は花みたいに綺麗だった。
バス停に向かう途中、ほかの寮生たちと遭遇した。生活圏内が同じなのでこういうことはよくある。普段と違ったのは三輪田含む一年生三人組が優斗に助けを求めてきたことだ。
「ポンタ先輩、たすけてぇ!」
一人は買い物しすぎてバス代がない。もう一人は本を大量に買ったら袋が破けて身動きがとれない。最後の一人はなぜかさっきからスマホが見つからないらしい。人見知りを起こして固まっている北極をおいて、優斗はひとつひとつ問題を処理した。余っていた買い物袋に本を詰め替え、バス代を立て替え、リュックの中で水筒の下敷きになっていたスマホを見つけ出す。
「おまえら、遠足来た小学生じゃねーんだからよ……」
「すみません、すみません」
「楽しくなっちゃって、つい……」
「ポンタ先輩も今から帰るんですかっ。よかったら一緒に……」
「……信楽センパイは、オレと帰るから」
北極が急に後ろから会話に割り込んできた。妙な威圧感に三人は固まる。同じ一年同士、北極のことは知っているのだろう。なんとなく優斗の脇にくっついてきて「なんですか、あいつ」「ポンタ先輩、日曜まで面倒見てやってるんですか」などと口々に言う。
(北極のやつ、ホントに人間関係作れてないんだな)
優斗は入学した頃の自分を見ている気がした。そう思うと同じ一年でも北極のほうを優先して見てやったほうがいいように感じる。
「おまえら三人で帰れるだろ」
「えー!」
「すみません。わかりました……」
口をとがらせる二人を三輪田が大人しくさせる。ちらっと優斗を心細そうに見たのは、一年生だけで帰るのが不安というよりも、優斗を心配していたのだろう。風呂場で目撃された一件がある。気にするな、という意味を込めて優斗が口のはしを持ち上げてみせると、三輪田はホッとした様子で離れて行った。
「……で、おまえはなんで急に機嫌が悪いんだよ」
「べつに……」
「別にじゃねーだろ! 姿勢悪いぞ!」
北極は背中を丸めていた。唇は二次関数でいう下に凸のグラフを描き、顎に力がこもっているのが見てとれる。やっと口を開けたと思ったら「ポンタ先輩ポンタ先輩って、あいつら一体なんなんですか?」と言った。
「はぁ?」
「なんであんなフザけた呼び方させとくんです」
優斗は衝撃を受けた。山本に聞かせてやりたいセリフだ。が、この場では「山本寮長サマの有難いご厚意だからだよ」とお茶らけるほかないのだった。北極は納得できないらしい。
「寮長に変なあだ名つけられるのが有難いことなんですか」
「……そーだよ。おまえもつけてもらえば? もうちょっと打ち解けやすくなるかも」
「オレ、嫌だ。なんでセンパイのことをあのひとが勝手に決めるんですか」
北極の言い方は子供みたいに意固地だった。優斗の手をぎゅっと握って「変ですよ」ときっぱり言う。
「一人で勝手に呼んでるならともかく、みんなが、一年とかまで一緒になってセンパイのこと変な呼び方してんのは絶対おかしい。なんで寮長がセンパイのことをそこまで支配するんです」
支配という言葉は耳慣れなかった。優斗は瞬いた。山本に支配された覚えはなかったが、北極が真剣なのは確かだった。北極はまだ一年生で、北海道から出てきたばかりで、寮生活のことも山本のことも何もわかっていないくせに、真剣に優斗の側に立とうとしていた。
「……別に。おまえが怒るようなことじゃないだろ」
優斗が身じろぎすると、北極は大人しく手を離した。優斗は北極の青く澄み切った眼差しを真正面から受けることになる。なんだかこの場から逃げ出したい気がした。この場からだけではない。寮の門限や明日の学校や、七夕の準備、夏休みにしなければならない帰省、それらすべてを全部なかったことにして、北極と二人きりでいたいと思った。
「じゃ、北極は俺のこと好きに呼んでいいよ」
「……!」
「フン。つーかおまえ、偉そうなこと言ってるけど俺の名前知ってんの?」
「えっ……」
「知らねーだろ」
「し、知ってますよ。さっき、しがらきセンパイって」
「へー、下は?」
真面目で素直、気の弱い北極は、意外なことにこの挑発に乗ってきた。「ゆ、」と言う。青い目が揺らぐ。恥ずかしがって横を向く。「ゆーとせんぱい」と言った。咳払いすると、急に真顔になって優斗を見下ろしてきた。
「しがらき、ゆうとさん」
「……おう」
優斗は氏名を呼ばれた手前うなずいた。「よく知ってんね」とコメントしたのに、北極は熱暴走を起こしたロボットみたいに「ゆーとさん、ゆーとさん、ゆーとさん」としつこく言ってくる。優斗は両手で強く胸を押して黙らせた。北極に呼ばれると自分の名前じゃないみたいで恥ずかしかった。
途中にある雑貨屋や服屋に寄り道しつつ、次に向かったのは人をダメにすることで定評があるビーズクッション専門店だ。こちらも海外資本、ソファ代わりに使える大きなクッションが売られている。
「ふおお……」
「あぁーっ、センパイ……!」
試しに腰を下ろしてみた優斗はものの三秒でダメになった。北極も見かねて助けに入るがミイラ取りがミイラになる。ダメになってしまった二人は、商品の値札を見て正気に返った。想定していた値段よりゼロが一桁多かった。
「くそっ。どいつもこいつも一長一短すぎる!」
考えを整理するために入ったコーヒーショップで優斗は管を巻いた。
北極は苦笑した。
「でも、こういう買い物ってちょうどいいもの見つけても、それはそれでなんか物足りない気がしないですか。なんでなんだろう」
「…………」
優斗は小さなテーブルに頬杖をついて北極を見つめた。(こいつ、マジで探す気ねーだろ)と思う。それはそれで悔しいのだった。アイスコーヒーにストローを刺す手つきが妙にスマートなのも気に食わない。
この態度を見ているだけで、きっと北極は泣き虫の見掛け倒し野郎ながらそれなりの数の女の子たちとデートしたことがあるんだろうと察しがついてしまう。特に興味のない買い物につきあったり、重い荷物を持たされたりすることも日常茶飯事だったに違いない。優斗と違って。
優斗は、このショッピングモールには何度も来たことがある。実家にいた頃は家族みんなで車に乗って来た。寮に入ってからも、寮友会の仕事や友達付き合いで利用している。ただ、好きなひとと一緒に買い物に来るのはこれが初めてだった。
服屋で相手の目線に気づいても、いつもなら「着てみれば」とかわざわざ言ったりしない。試着室の前でドギマギして待ったりしない。思ったよりも全然似合っていなくてコメントに困ったりしない。北極相手だから変にはしゃいで、浮かれて、その実、根っこの部分ではずっと緊張していた。全然いつも通りにふるまえないのだ。寮の外で見る北極は見ていて不安になるくらい魅力的で、絶対に嫌な思いをさせてはいけない気がした。
「……センパイ」
「ん、」
アイスコーヒーのカップ表面から結露が垂れていた。トレイに敷いてあるチラシがよれてしまっている。優斗はぼんやりしていて、すぐに返事できなかった。その間に北極が「生まれてきてすみません」と震え声で謝ってきた。
「うん!?」
「い、いや……オレ、たまに言われるんですけど、一緒に買い物するにはつまんないヤツらしくて」
呆気にとられる優斗の前で、北極は暑そうにキャップを脱いだ。
「こういう時、全然リードとかできないんですよ……だからさっきからセンパイに道案内とか任せっぱなしで……そのうえ面白いことも言えないし……オレは、もう、ダメです……」
「……北極」
「ハイ……」
「ついこないだ北海道から出てきたばっかのヤツに道案内されるほど、俺は方向音痴じゃねーんだよっ」
「あ。それは、そうかも……」
「あとおまえに面白さとか求めてないから!」
「そ、そっか。そうですよね。すみません。すみません」
よく見ると、白い頭から湯気が立っている。「退屈させてると思うと申し訳なくて」と言われ、優斗はバツが悪くなった。自分の緊張が北極にまで伝わっている気がした。
「まず、おまえが俺のこと楽しませる必要ねーだろ。ガキじゃあるまいし」
「いやっ、でも……オレとしては、なんか……なんかしてあげたいです。センパイには」
「はあ。してあげたいとはまた、ずいぶんと上から」
「!? え、いやっ、決してそんなつもりじゃ……!」
耳の中がくすぐったい。優斗は何度も首をひねった。首も背中も熱くて、頭がのぼせる。目の前で北極が必死に釈明してくれているのがなんにも耳に入って来ない。変なことを言われたせいで、ただでさえおかしかった調子が完全に狂ってしまったようだ。北極の顔を見るだけで胸がどきどきして、嬉しすぎて、なんだか泣きたいような気までしてくる。
仕方ないので、優斗はいったんぬいぐるみ探しを中断することにした。文房具屋に用があると言うと、北極は二つ返事でついてきた。目当ては店先に展開されているポストカードだ。北極は物珍しそうに売り場を見回した。
「部屋に飾るんですか?」
「いや、家に送る用」
「えっ」
「おまえも北海道に手紙出せば? いちおう現状は伝えたほうがいいだろ」
「……いえ。うちは、毎日電話してるので……」
「毎日って……どんだけ仲いいんだよ」
「……っ、セ、センパイのほうこそっ、妹さんと毎日電話しないんですかぁ!?」
それを言う北極の声は、甲高く裏返っていた。急な人見知り発動は今に始まったことではないので、優斗は鼻で笑った。
「北極、普通の男子高校生は寮暮らしだからって毎日実家に電話しないんだよ。どうだ知らなかっただろう」
「いや、家っていうか。だって、」
「? 俺は妹と電話とかしない。親が嫌がるし」
「!!!」
北極が驚愕の表情を浮かべる。(なるほど、こいつは家に電話すると喜ばれるんだな)と優斗は思った。今どきそっちのほうが珍しい気もするが、住んでいる世界のレイヤーが違うのかもしれない。説明が面倒で「色々と気を遣うんだよ」とだけ言った。
優斗は柴犬の写真がついたポストカードを買った。笑っている(ように見える)柴犬の顔の横にぶっとい筆文字で、なぜか『ドコサヘキサ塩酸!』とプリントしてある。意味がわからないうえまったく趣味ではなかったが、罪のない明るさが用途に合っていた。
会計を済ませたあと、通路の壁を机代わりに宛名書きまで済ませてしまう。メッセージ欄には悩んだ挙句『元気にやってる』とだけ書いた。
背後では、北極が優斗のカバンを手に待っていた。なにか釈然としない顔をしていたが、優斗はそのまま地下一階の郵便局まで行った。窓口で所定の料金を支払い、用事は片付いた。その頃には優斗の気分も落ち着いていた。北極の顔を見ても(こいつ可愛いな)としか思わない。それはそれで異常な気もするが。
「待たせたな」
「待っては、ないですけど……」
お預けを食らった犬のような顔をしている。優斗は見ていて、今日どうしても北極にぬいぐるみを買い与えたい気がした。今夜から北極は、優斗を十秒ハグする代わりに、そいつと一緒に同じベッドで眠りに就くのだ。きっと毎晩。寮にいる間はずっと。
それは自分をフッた北極への意趣返しとしては悪くない気がした。
「あー……最初に行ったオモチャ屋に戻ってもいいか?」
北極はもちろん嫌と言わなかった。
二人はここまで来た道を戻り、店に入った。商品を目立たせるためなのだろう、群青色に塗られた壁がそのまま棚になっていて、各種ぬいぐるみがギュッと並べられている。優斗の小遣いでも買えるような量産品だが、目の位置や腕の広げ方にちょっとずつ差があった。
「どれか選べよ」
優斗が顎で差すと、北極はようやく抵抗らしきものを示した。
「いやセンパイ、ほんとにいいって……」
「早く選べって言ってんの」
「だって……」
選べと言っているのに、北極は棚を見ずに優斗のほうを向いている。優斗は歯噛みした。気に入らないのはわかる。どれも子供用で、北極が抱いて寝るにはサイズが小さい。しかしベッドに置いておくにはちょうど良さそうだった。
優斗に睨みつけられて、北極は泣きそうな顔になった。情けない声で「センパイが選んでください」と言う。
「はっ? なんでオレが」
「そんなの……だってオレ、センパイが選んでくれたやつがほしいよ」
「フーン!? これでもいいのかっ?」
優斗は売り場を間違えているとしか思えない不気味なブードゥー人形を掲げた。北極はビクッと肩を震わせたが、殊勝にも「センパイが気に入ったなら」と呟いた。覚悟は固いらしい。
優斗は仕方なく、もう一度棚に向き直った。ぱっと目を惹くのはクマだが、確か北極が家族に買ってもらったのもクマのぬいぐるみだったはずだ。比較されるのも癪だし、また泥棒されたら困る。かといってウサギや犬はちょっと子供っぽすぎる。うっかり人に見られてからかわれたら気の毒だ。かと言って、サメやティラノサウルスとなると気の利いたインテリアのようで腹が立つのだった。となると意外とブードゥー人形というのもアリな気がしてくる。いや、しかし・・・。
十分後、優斗はへちゃむくれたアナグマのぬいぐるみを会計して北極の元へ戻ってきた。
「なあ、びっくりした。こいつタヌキじゃなかった!」
「やっぱり。アライグマですよね」
「それも違う」
「……!?」
二人は店の外でレシートを見て驚き合った。試しにスマホで画像検索をかけてみると、ハクビシンという全く違う動物がひっかかる。優斗は正直わけがわからなかったが、北極が謎のぬいぐるみを見てニコニコしているので一旦よしとした。ショッピングモールの白っぽい照明の下で見る北極の笑顔は花みたいに綺麗だった。
バス停に向かう途中、ほかの寮生たちと遭遇した。生活圏内が同じなのでこういうことはよくある。普段と違ったのは三輪田含む一年生三人組が優斗に助けを求めてきたことだ。
「ポンタ先輩、たすけてぇ!」
一人は買い物しすぎてバス代がない。もう一人は本を大量に買ったら袋が破けて身動きがとれない。最後の一人はなぜかさっきからスマホが見つからないらしい。人見知りを起こして固まっている北極をおいて、優斗はひとつひとつ問題を処理した。余っていた買い物袋に本を詰め替え、バス代を立て替え、リュックの中で水筒の下敷きになっていたスマホを見つけ出す。
「おまえら、遠足来た小学生じゃねーんだからよ……」
「すみません、すみません」
「楽しくなっちゃって、つい……」
「ポンタ先輩も今から帰るんですかっ。よかったら一緒に……」
「……信楽センパイは、オレと帰るから」
北極が急に後ろから会話に割り込んできた。妙な威圧感に三人は固まる。同じ一年同士、北極のことは知っているのだろう。なんとなく優斗の脇にくっついてきて「なんですか、あいつ」「ポンタ先輩、日曜まで面倒見てやってるんですか」などと口々に言う。
(北極のやつ、ホントに人間関係作れてないんだな)
優斗は入学した頃の自分を見ている気がした。そう思うと同じ一年でも北極のほうを優先して見てやったほうがいいように感じる。
「おまえら三人で帰れるだろ」
「えー!」
「すみません。わかりました……」
口をとがらせる二人を三輪田が大人しくさせる。ちらっと優斗を心細そうに見たのは、一年生だけで帰るのが不安というよりも、優斗を心配していたのだろう。風呂場で目撃された一件がある。気にするな、という意味を込めて優斗が口のはしを持ち上げてみせると、三輪田はホッとした様子で離れて行った。
「……で、おまえはなんで急に機嫌が悪いんだよ」
「べつに……」
「別にじゃねーだろ! 姿勢悪いぞ!」
北極は背中を丸めていた。唇は二次関数でいう下に凸のグラフを描き、顎に力がこもっているのが見てとれる。やっと口を開けたと思ったら「ポンタ先輩ポンタ先輩って、あいつら一体なんなんですか?」と言った。
「はぁ?」
「なんであんなフザけた呼び方させとくんです」
優斗は衝撃を受けた。山本に聞かせてやりたいセリフだ。が、この場では「山本寮長サマの有難いご厚意だからだよ」とお茶らけるほかないのだった。北極は納得できないらしい。
「寮長に変なあだ名つけられるのが有難いことなんですか」
「……そーだよ。おまえもつけてもらえば? もうちょっと打ち解けやすくなるかも」
「オレ、嫌だ。なんでセンパイのことをあのひとが勝手に決めるんですか」
北極の言い方は子供みたいに意固地だった。優斗の手をぎゅっと握って「変ですよ」ときっぱり言う。
「一人で勝手に呼んでるならともかく、みんなが、一年とかまで一緒になってセンパイのこと変な呼び方してんのは絶対おかしい。なんで寮長がセンパイのことをそこまで支配するんです」
支配という言葉は耳慣れなかった。優斗は瞬いた。山本に支配された覚えはなかったが、北極が真剣なのは確かだった。北極はまだ一年生で、北海道から出てきたばかりで、寮生活のことも山本のことも何もわかっていないくせに、真剣に優斗の側に立とうとしていた。
「……別に。おまえが怒るようなことじゃないだろ」
優斗が身じろぎすると、北極は大人しく手を離した。優斗は北極の青く澄み切った眼差しを真正面から受けることになる。なんだかこの場から逃げ出したい気がした。この場からだけではない。寮の門限や明日の学校や、七夕の準備、夏休みにしなければならない帰省、それらすべてを全部なかったことにして、北極と二人きりでいたいと思った。
「じゃ、北極は俺のこと好きに呼んでいいよ」
「……!」
「フン。つーかおまえ、偉そうなこと言ってるけど俺の名前知ってんの?」
「えっ……」
「知らねーだろ」
「し、知ってますよ。さっき、しがらきセンパイって」
「へー、下は?」
真面目で素直、気の弱い北極は、意外なことにこの挑発に乗ってきた。「ゆ、」と言う。青い目が揺らぐ。恥ずかしがって横を向く。「ゆーとせんぱい」と言った。咳払いすると、急に真顔になって優斗を見下ろしてきた。
「しがらき、ゆうとさん」
「……おう」
優斗は氏名を呼ばれた手前うなずいた。「よく知ってんね」とコメントしたのに、北極は熱暴走を起こしたロボットみたいに「ゆーとさん、ゆーとさん、ゆーとさん」としつこく言ってくる。優斗は両手で強く胸を押して黙らせた。北極に呼ばれると自分の名前じゃないみたいで恥ずかしかった。