「おっはよー! ナギっ」
 駐輪場に自転車を停めて校舎に向かって歩いていると、体に強い衝撃を受けた。思わずよろめきそうになって、グッと足を踏ん張る。
「おい、お前もうデカいんだからやめろよ」
「あはは、デカい? 俺、背伸びた?」
 俺に後ろから抱きつきながら、嬉しそうに耳元でケラケラと笑う大型犬みたいなやつだ。振る舞いはまるでそうだけど、でも俺は内心気が気じゃなくなってしまう。体が熱くなってシャツの下で汗がぶわっと吹き出して、どうか耳が赤くならないでくれって、願う羽目になる。
 毎朝、毎時間、毎瞬間……。
「朝練は?」
「朝練、なかったんだー。ナギに連絡すんの忘れてたから、家まで行ってみたんだけど、もう行ったっておばちゃんに言われちゃったよー」
 一緒に行きたかったのになー、なんて可愛いことを言いながら、(りつ)は隣を歩いている。律は陸上部だ。中学から一緒だから家は近いけれど、朝練がある日は別々に登校する。
 中学に入学した頃は小柄で、俺の肩までしか身長がなかった。小さいけど明るくて元気で目立つ。そんな印象だったのに。三年間で身長が三十センチ伸びた律はもう俺と同じくらいの大きさだ。なんならもう追い抜かれているんじゃないかと思う。
 中学の頃と同じように部活に勤しんで筋トレもしている律はどんどん逞しくなって、帰宅部の俺は体当たりされると、なんだかその力の差を実感してしまう。それに、そう思うといつも発作的に頭が沸騰するみたいな感覚がする。
 訳がわからなくて、ライバル心なのかと理解した。だからいつも家に帰って腹筋や腕立て伏せやダンベルでトレーニングをしてみる。今の趣味は筋トレだ。

「スマホに連絡すればよかったのに」
 内心嬉しいのを悟られたくないと思うと、少しそっけない言い方になってしまう。
「もちろんしたって、見て? てか、なんで見ないの?」
「え?」
 リュックの中に入れたままのスマホを出して見てみると、律からのメッセージや着信が何件もあった。家を出る最後の二十分はいつもバタバタとしていて、スマホを見ることはない。
「あ……ほんとだ、ごめん」
「まー、いいんだけどっ。会えたしっ?」
 そう言って不意打ちで、可愛い笑顔で俺を覗き込むから、また心臓がビクンッと跳ねた。
「ほら、クラス発表見に行こっ。ひとりで行くとか心細すぎて俺ムリ!」
 そう言うと律は俺の肩を抱いて歩き出す。

 近い距離で話したり肩を組んだり。そんなのは律の通常運転だ。ずっと一緒だからそういうのにだって、免疫はある。なのに過剰反応しているのは自分だって認識もある。その理由だってもう知ってる。

「あっ、あれだねっ」
 下足前の壁に白い紙が何枚も貼り出されていて、そこに生徒たちが群がっている。
「早く行こっ、俺絶対律と一緒のクラスがいいっ」
 律は素直な性格でなんでも口に出す。本当に、いいやつで、すごく可愛いやつだ。
「そうだな」
 俺が同意すると、律は目を丸くしてから笑顔になった。
「だよねーっ」
 笑うとくしゃくしゃになって大きくて丸い目がなくなる、可愛い笑顔。そういう細かいディテールに気がついたり、少し触れる体を意識したり、近いとか遠いとかあいつとも仲良いのか、だとか。
 そんなことを考えてしまうのは全部律のせいだ。違う、俺のせいだ。
 俺が、律を好きになってしまったからだ。


「やった!」
 白い紙に集中できなくてぼんやりしていると、またドンっと体当たりするみたいに、両腕を閉じ込めて横から抱きしめられた。
「ナギ! いっしょーっ、やったーっ最高ーっ」
 俺の体を揺らしながら大声で喜びを伝える。ちょっと周りからの視線を感じて恥ずかしい。律は理解していないようだけど、けっこうモテる。先輩にも可愛いとか言われているのを知っているし、同級生からだって。そんなヤツがキャッキャと大はしゃぎしていたら、そりゃ注目も集まる。俺も巻き込み被害だ。
 だけど、自分の心臓がうるさくて今はそれどころじゃない。
「あ、ほんとに?」
「うんっ、ほら、三番 宇野凪と二十七番 藤田律」
「ほんとだ」
「一緒だねー」
 律は喜びを噛み締めるように、呟いている。嬉しい。俺だって律と一緒にいられるのは。頭の半分はそう思っている、それと同時にこれにまた一年間耐えられるのかって。また心配にもなってしまう。
 少し離れた方がきっと楽になる。そう思って中学で一緒にやっていた陸上を、続けなかった。競技自体は中学で完全燃焼したし、あっさりと心は決まった。律の熱心すぎる勧誘に何度も心が折れそうになったけれど、その度に気を引き締めて頑張って断った。
 部活まで一緒だと朝から晩までずっと一緒だ。それはきっと楽しくて幸せで、だけど翻弄されて疲弊して。きっと心がもたない。そんな自分が簡単に想像できてしまう。