10月に入り、すっかりと気候は秋めいて来た。木々は徐々に赤や黄色に染まり、青い空は高くなりつつある。
世都は今日も仕入れのためにキャリーカートを引いて岡町商店街の各店舗を訪れ、魚屋さんを前にため息を吐いていた。
冷蔵陳列棚の中では、新鮮なお魚たちの目がらんらんと輝いているのであるが。
「さんま、やっぱり高いなぁ。ほんで細いし」
「せやねん。ほんま不漁が続いとるわ」
魚屋さんの親父さんもそう言って眉をしかめた。
秋の味覚の代表格であるさんまだが、ここ数年はすっかりと漁獲量が落ち続けている。毎年春にはその年の漁獲枠が国際会議で決められ、今年も厳しいことは前もって分かっていたはずなのだが、やはりいざ目の前にすると、落胆するのだった。
さんま不漁の原因は、親潮の弱化と、それに伴う海水温度の上昇だと考えられているそうだ。そして餌の密度の問題で、生育にも影響が出ているのだ。
だからさんまの価格が上がり、なおかつ小さくて細い。
世都が幼いころは、もっとでっぷりと肥えたさんまの塩焼きにありつけていたと思う。もう何年前のことだろうか。
とは言え、旬は今である。数週間前に比べれば価格も落ち着いて来ていて、お腹も太り始めている。
出始めのころはその貧弱さに肩を落としたものだが、これだったらどうにかお客さまに提供できそうだ。
「はなやぎ」では毎年、さんまを梅煮にして出している。梅煮は筒切りにして作るので、量の調整もしやすいのである。
やはり人気は塩焼きだとも思うのだが、それだったら他のお店や、それこそお家ででも手軽に調理できる。梅煮は手間もそれなりに掛かるので、こういうものこそ「はなやぎ」で食べてもらいたい。
「親父さん、やっぱりさんまもらいます」
「お、世都ちゃん張り込むなぁ!」
親父さんは相貌を崩し、さんまを入れるためのナイロン袋を取り上げた。
「ここでさんまの梅煮食うと、秋が来たなぁて思うわ」
高階さんはお食事を終えてから、桃色の切子ロックグラスに注いだ花邑を傾け、お箸で器用にさんまの梅煮をほぐして口に運んだ。
花邑は秋田県の両関酒造さんが醸す日本酒である。「はなやぎ」では純米酒陸羽田を取り扱っている。フルーティな甘味を感じさせ、ほのかな酸味がすっきりとさせてくれる。滑らかな舌触りの一献である。
さんまの梅煮は、「はなやぎ」ではお醤油は控えめにして、みりんとお砂糖を心持ち多めにし、お塩だけで漬けた酸っぱい梅干しとしょうがを効かす。お水は使わず日本酒で補うのだ。
しっとり、そしてふっくらと柔らかく煮上がったさんまに、調味料の甘味と梅干しの酸味の調和が絡み、あっさりといただける大人の味になるのだ。日本酒にもぴったりである。
「ここ近年さんまって不漁やんなぁ。今年もやっけ」
「そうなんですよねぇ。せっかくの旬のもんやから、もっとたくさん食べていただきたいんですけどねぇ」
世都はため息を吐く。さんまは蒲焼きや甘露煮も美味しい。どちらも甘辛い味付けで日本酒に合う。あまりたくさん仕入れるとコスト的に厳しいが、やはり別日に作れたらと思っている。
とは言え、秋の味覚はさんまだけでは無い。生のぎんなんが出回り始め、きのこだって張りが出て美味しくなる。もっと水温が下がればお魚だっていろいろ出て来るし、脂乗りの良い戻りがつおだって今が盛りだ。里芋や蓮根などもどんどん甘みを増していく。
そういうわけで、今日の作り置きお惣菜は蓮根の明太子和え、里芋の煮っころがし、椎茸と舞茸とえのきの和風マリネ、人参しりしり、かぼちゃのサラダと、旬を意識したおしながきになった。
「難しいわなぁ」
高階さんも息を吐く。すると高階さんの横のご常連のふくよかな壮年男性が「そうやんなぁ」と、やはり憂鬱そうに息を吐いた。
「うちも、家内が「さんまが高い高い」言うてな。塩焼きもなかなかお目に掛かれんわ」
この男性は岡町商店街にある長島酒店さんの店主さんで、名をそのまま長島さんと言う。「はなやぎ」で取り扱う各種日本酒の仕入れ先である。
長年この地で酒屋さんを営んでいるから仕入れルートも豊富で、長島酒店さんで普段取り扱っていない銘柄も都合してくれる、ありがたいお店なのである。
長島さんが飲んでいるのは白川郷。岐阜県の三輪酒造さんが醸造する純米にごり酒である。どぶろく祭にちなんで醸されたにごり酒で、その飲み口はどろりと濃厚。際立つ甘さの中にほんのりとした酸味が覗くのだ。
「この時季にしか食べられへん生さんまやから、生活にも直結しますよねぇ」
「せやんなぁ。財布握っとる家内は大変やと思うわ。さんまだけやなくて他の値上げもえげつないしな。俺らが若いころなんか、さんまなんかでっぷり太ったんが1尾100円とかで買えたで。めちゃめちゃ獲れてなぁ。時代が進んだら物価が上がるっちゅうんも分かるんやけど、今は痩せたさんまが倍ぐらいの値段や。そりゃあ世都ちゃんも嘆きたなるわな」
「ほんまですねぇ」
過去を羨む必要は無いと思うが、さんまに関しては心底羨ましいなと思う。世都も幼いころに食べることができた、脂乗りの良いさんまがまた食べたい。
そんな記憶に陶酔していると、がらりとお店の開き戸が開いた。何事かを視線を向けると、息急き切った結城さんが顔を覗かせた。
「お、女将さん、あの、大変なことになりました……!」
一体どうしたのかと、世都は目を丸くした。
世都は今日も仕入れのためにキャリーカートを引いて岡町商店街の各店舗を訪れ、魚屋さんを前にため息を吐いていた。
冷蔵陳列棚の中では、新鮮なお魚たちの目がらんらんと輝いているのであるが。
「さんま、やっぱり高いなぁ。ほんで細いし」
「せやねん。ほんま不漁が続いとるわ」
魚屋さんの親父さんもそう言って眉をしかめた。
秋の味覚の代表格であるさんまだが、ここ数年はすっかりと漁獲量が落ち続けている。毎年春にはその年の漁獲枠が国際会議で決められ、今年も厳しいことは前もって分かっていたはずなのだが、やはりいざ目の前にすると、落胆するのだった。
さんま不漁の原因は、親潮の弱化と、それに伴う海水温度の上昇だと考えられているそうだ。そして餌の密度の問題で、生育にも影響が出ているのだ。
だからさんまの価格が上がり、なおかつ小さくて細い。
世都が幼いころは、もっとでっぷりと肥えたさんまの塩焼きにありつけていたと思う。もう何年前のことだろうか。
とは言え、旬は今である。数週間前に比べれば価格も落ち着いて来ていて、お腹も太り始めている。
出始めのころはその貧弱さに肩を落としたものだが、これだったらどうにかお客さまに提供できそうだ。
「はなやぎ」では毎年、さんまを梅煮にして出している。梅煮は筒切りにして作るので、量の調整もしやすいのである。
やはり人気は塩焼きだとも思うのだが、それだったら他のお店や、それこそお家ででも手軽に調理できる。梅煮は手間もそれなりに掛かるので、こういうものこそ「はなやぎ」で食べてもらいたい。
「親父さん、やっぱりさんまもらいます」
「お、世都ちゃん張り込むなぁ!」
親父さんは相貌を崩し、さんまを入れるためのナイロン袋を取り上げた。
「ここでさんまの梅煮食うと、秋が来たなぁて思うわ」
高階さんはお食事を終えてから、桃色の切子ロックグラスに注いだ花邑を傾け、お箸で器用にさんまの梅煮をほぐして口に運んだ。
花邑は秋田県の両関酒造さんが醸す日本酒である。「はなやぎ」では純米酒陸羽田を取り扱っている。フルーティな甘味を感じさせ、ほのかな酸味がすっきりとさせてくれる。滑らかな舌触りの一献である。
さんまの梅煮は、「はなやぎ」ではお醤油は控えめにして、みりんとお砂糖を心持ち多めにし、お塩だけで漬けた酸っぱい梅干しとしょうがを効かす。お水は使わず日本酒で補うのだ。
しっとり、そしてふっくらと柔らかく煮上がったさんまに、調味料の甘味と梅干しの酸味の調和が絡み、あっさりといただける大人の味になるのだ。日本酒にもぴったりである。
「ここ近年さんまって不漁やんなぁ。今年もやっけ」
「そうなんですよねぇ。せっかくの旬のもんやから、もっとたくさん食べていただきたいんですけどねぇ」
世都はため息を吐く。さんまは蒲焼きや甘露煮も美味しい。どちらも甘辛い味付けで日本酒に合う。あまりたくさん仕入れるとコスト的に厳しいが、やはり別日に作れたらと思っている。
とは言え、秋の味覚はさんまだけでは無い。生のぎんなんが出回り始め、きのこだって張りが出て美味しくなる。もっと水温が下がればお魚だっていろいろ出て来るし、脂乗りの良い戻りがつおだって今が盛りだ。里芋や蓮根などもどんどん甘みを増していく。
そういうわけで、今日の作り置きお惣菜は蓮根の明太子和え、里芋の煮っころがし、椎茸と舞茸とえのきの和風マリネ、人参しりしり、かぼちゃのサラダと、旬を意識したおしながきになった。
「難しいわなぁ」
高階さんも息を吐く。すると高階さんの横のご常連のふくよかな壮年男性が「そうやんなぁ」と、やはり憂鬱そうに息を吐いた。
「うちも、家内が「さんまが高い高い」言うてな。塩焼きもなかなかお目に掛かれんわ」
この男性は岡町商店街にある長島酒店さんの店主さんで、名をそのまま長島さんと言う。「はなやぎ」で取り扱う各種日本酒の仕入れ先である。
長年この地で酒屋さんを営んでいるから仕入れルートも豊富で、長島酒店さんで普段取り扱っていない銘柄も都合してくれる、ありがたいお店なのである。
長島さんが飲んでいるのは白川郷。岐阜県の三輪酒造さんが醸造する純米にごり酒である。どぶろく祭にちなんで醸されたにごり酒で、その飲み口はどろりと濃厚。際立つ甘さの中にほんのりとした酸味が覗くのだ。
「この時季にしか食べられへん生さんまやから、生活にも直結しますよねぇ」
「せやんなぁ。財布握っとる家内は大変やと思うわ。さんまだけやなくて他の値上げもえげつないしな。俺らが若いころなんか、さんまなんかでっぷり太ったんが1尾100円とかで買えたで。めちゃめちゃ獲れてなぁ。時代が進んだら物価が上がるっちゅうんも分かるんやけど、今は痩せたさんまが倍ぐらいの値段や。そりゃあ世都ちゃんも嘆きたなるわな」
「ほんまですねぇ」
過去を羨む必要は無いと思うが、さんまに関しては心底羨ましいなと思う。世都も幼いころに食べることができた、脂乗りの良いさんまがまた食べたい。
そんな記憶に陶酔していると、がらりとお店の開き戸が開いた。何事かを視線を向けると、息急き切った結城さんが顔を覗かせた。
「お、女将さん、あの、大変なことになりました……!」
一体どうしたのかと、世都は目を丸くした。