春めいて来たなぁ。世都はそんなことを思いながら、八百屋さんの陳列棚を眺める。菜の花、筍、新じゃがいも、春きゃべつ、春人参、新玉ねぎ、数々の山菜。少し珍しいものでは葉ごぼうなんてものまである。春にしかお目にかかれないご馳走たちだ。
葉ごぼうは、ごぼうの若いものである。普段食べる根の部分が長く太く育つ前に、土の上に伸びた葉と茎を食べる。見た目は蕗に似ている。
主に関西で食べられていて、大阪の八尾市の名産品である。全体的に灰汁があるのだが、茎の部分はさほど気にせず食べることができる。多いのは葉の部分で、茹でて冷水に取り灰汁抜きをしてやるのだ。育ち始めた数センチの根の部分ももちろん食べられる。
煮物や佃煮にしても美味しいが、今日はシンプルにごま炒めにしよう。葉は灰汁抜きして千切りにし、茎はざく切りに、根はささがきにしてやる。
ごま油で炒め合わせ、日本酒とみりん、お醤油で調味をしたら、たっぷりのすり白ごまをまぶし、仕上げにごま油を落とす。
ごぼうが持つ土の香りをほのかにまとい、だが噛みしめると瑞々しさが感じられ、白ごまの香ばしさが合わさるのだ。
「はぁ〜、葉ごぼうかぁ。春やなぁ」
高階さんは晴れやかな表情で、お箸で葉ごぼうを摘み上げて口に入れた。
「葉ごぼうってニッチっちゅうか、あんまメジャーや無いやんなぁ。俺もここで初めて知ったし」
「そうですね。これは八尾産ですし、葉ごぼうはそもそも関西が主流ですからねぇ」
高階さんは、両親の依頼が終わったあとも、こうして時折来てくれている。
「俺、ここ気に入ってるし。さすがにもう経費は使えんから今までより頻度は落ちるけどな。うちも豊中やから来やすいし。ま、せやから小柳さんらの仕事、俺に回って来たんやけどな」
阪急電車宝塚線の豊中駅。岡町からひとつ北上した駅だ。この2駅の間隔は短めで、線路沿いに歩けば15分ほどである。もし終電を逃しても充分に歩いて帰れる距離なのだ。女性にはおすすめできないが。
「小柳さんらとは会うてるん?」
「土曜日のお昼に、お茶飲みに行ったりしてます。あのふたりは土日休みですけど、うちは平日ですからね。今年定年になったら平日でも時間取れそうですけど」
「ああ、そっか。休みが合わんか。でもあのふたり根っからの仕事人間なんやろ? 定年退職しておとなしくしてられるんかいな」
「どうでしょうねぇ。この先もお金には困らん様にしてるみたいですけどね。あのふたり大企業勤めですから、満額の退職金えげつないと思いますよ」
「そらまた下世話な話や。でも大事なことやわな」
高階さんは紫色の切子ロックグラスをからりと回しながら、小さく笑う。
グラスの中身は呉春本丸本醸造酒だ。大阪府の呉春株式会社で醸される日本酒である。甘さは控えめながらもお米の香りがふわりと立ち、きりっとした飲み口の一品だ。
岡町擁する北摂地域にはいくつかの酒蔵があり、この呉春は岡町から数駅北上した池田駅が最寄りの、池田市に蔵がある。呉春を冠する日本酒のみを、長年真摯に作り続けている。池田市から箕面市に連なる五月山の伏流水を使っていることも特徴である。
両親の会社は両方とも定年退職後の嘱託制度が無い。役員ともなればともかく、60歳になった月の終わりにすっぱりと終わるのだ。
そのあとはゆっくりと休んでもらって、もし時間を持て余すのならお仕事なり趣味なりに打ち込めば良い。
「ええやん。好きに過ごしてもろたら。って、これまでも好きにしてはったんやもんな」
「そうですね」
世都はふふ、と笑う。高階さんにはもうすっかり家庭の事情を知られてしまっているので、こういう話も気安くできる。世都も龍ちゃんも、今だからこそ笑い飛ばせる。これまでも吹っ切れたつもりではあったのだが、やはり無意識のところで引っ掛かっていたのだと思う。
友だち親子なんて言葉もあることだし、程よい距離感で親子として付き合って行けたらと思っている。
世都の視線は、ついカウンタ席の奥に置いてやるタロットカードに向く。あれでいろいろなお客さまを占って来た。
自分勝手な恋心を押し付けてしまったお客さま、親の責任放棄で大切な人との幸せを逃すかも知れなかったお客さま、家族と離れることを危惧したお客さま。
世都ができることなんて限られている。大変な事情を抱えているお客さまを救うなんておこがましいことだ。それでもほんの少し、わずかでも助けになっているのなら。まだまだ素人の域ではあるものの、女将としての甲斐があったというものだ。
すると高階さんが世都の目線に気付いたのか、「なぁ」と好奇心を滲ませた目で世都を見た。
「俺も何か占ってくれへん?」
「あら、お珍しい。初めてや無いです?」
「せやな。いや、俺正直、占いとかってあんま信じてへんかったんや。でもここで女将の占い見とってさ、面白いなぁて思って。こうさ、ちょっとしたきっかけとかさ、なんや勇気もらえるっちゅうかさ」
高階さんはそう言って、照れ臭そうに笑った。
「ほな、僭越ながら、占わせてもらいましょか。何のことにします?」
世都がカウンタの奥に移動すると、高階さんもグラスを手に付いて来る。世都はタロットカードを手に取り、ぱさりと広げた。
「せやなぁ、せや、俺は運命の人といつ出会えるやろ」
そんなことを真剣な顔で言うものだから、世都は思わず「ぶっ」と噴き出してしまう。
「あ、酷いやん。俺にかて夢見させてや」
高階さんが少し拗ねる様に言って、世都はまたおかしくなって「あはは」と笑った。
「はい。ほな、占ってみましょうかね」
世都は笑顔で、タロットカードを混ぜ始めた。
葉ごぼうは、ごぼうの若いものである。普段食べる根の部分が長く太く育つ前に、土の上に伸びた葉と茎を食べる。見た目は蕗に似ている。
主に関西で食べられていて、大阪の八尾市の名産品である。全体的に灰汁があるのだが、茎の部分はさほど気にせず食べることができる。多いのは葉の部分で、茹でて冷水に取り灰汁抜きをしてやるのだ。育ち始めた数センチの根の部分ももちろん食べられる。
煮物や佃煮にしても美味しいが、今日はシンプルにごま炒めにしよう。葉は灰汁抜きして千切りにし、茎はざく切りに、根はささがきにしてやる。
ごま油で炒め合わせ、日本酒とみりん、お醤油で調味をしたら、たっぷりのすり白ごまをまぶし、仕上げにごま油を落とす。
ごぼうが持つ土の香りをほのかにまとい、だが噛みしめると瑞々しさが感じられ、白ごまの香ばしさが合わさるのだ。
「はぁ〜、葉ごぼうかぁ。春やなぁ」
高階さんは晴れやかな表情で、お箸で葉ごぼうを摘み上げて口に入れた。
「葉ごぼうってニッチっちゅうか、あんまメジャーや無いやんなぁ。俺もここで初めて知ったし」
「そうですね。これは八尾産ですし、葉ごぼうはそもそも関西が主流ですからねぇ」
高階さんは、両親の依頼が終わったあとも、こうして時折来てくれている。
「俺、ここ気に入ってるし。さすがにもう経費は使えんから今までより頻度は落ちるけどな。うちも豊中やから来やすいし。ま、せやから小柳さんらの仕事、俺に回って来たんやけどな」
阪急電車宝塚線の豊中駅。岡町からひとつ北上した駅だ。この2駅の間隔は短めで、線路沿いに歩けば15分ほどである。もし終電を逃しても充分に歩いて帰れる距離なのだ。女性にはおすすめできないが。
「小柳さんらとは会うてるん?」
「土曜日のお昼に、お茶飲みに行ったりしてます。あのふたりは土日休みですけど、うちは平日ですからね。今年定年になったら平日でも時間取れそうですけど」
「ああ、そっか。休みが合わんか。でもあのふたり根っからの仕事人間なんやろ? 定年退職しておとなしくしてられるんかいな」
「どうでしょうねぇ。この先もお金には困らん様にしてるみたいですけどね。あのふたり大企業勤めですから、満額の退職金えげつないと思いますよ」
「そらまた下世話な話や。でも大事なことやわな」
高階さんは紫色の切子ロックグラスをからりと回しながら、小さく笑う。
グラスの中身は呉春本丸本醸造酒だ。大阪府の呉春株式会社で醸される日本酒である。甘さは控えめながらもお米の香りがふわりと立ち、きりっとした飲み口の一品だ。
岡町擁する北摂地域にはいくつかの酒蔵があり、この呉春は岡町から数駅北上した池田駅が最寄りの、池田市に蔵がある。呉春を冠する日本酒のみを、長年真摯に作り続けている。池田市から箕面市に連なる五月山の伏流水を使っていることも特徴である。
両親の会社は両方とも定年退職後の嘱託制度が無い。役員ともなればともかく、60歳になった月の終わりにすっぱりと終わるのだ。
そのあとはゆっくりと休んでもらって、もし時間を持て余すのならお仕事なり趣味なりに打ち込めば良い。
「ええやん。好きに過ごしてもろたら。って、これまでも好きにしてはったんやもんな」
「そうですね」
世都はふふ、と笑う。高階さんにはもうすっかり家庭の事情を知られてしまっているので、こういう話も気安くできる。世都も龍ちゃんも、今だからこそ笑い飛ばせる。これまでも吹っ切れたつもりではあったのだが、やはり無意識のところで引っ掛かっていたのだと思う。
友だち親子なんて言葉もあることだし、程よい距離感で親子として付き合って行けたらと思っている。
世都の視線は、ついカウンタ席の奥に置いてやるタロットカードに向く。あれでいろいろなお客さまを占って来た。
自分勝手な恋心を押し付けてしまったお客さま、親の責任放棄で大切な人との幸せを逃すかも知れなかったお客さま、家族と離れることを危惧したお客さま。
世都ができることなんて限られている。大変な事情を抱えているお客さまを救うなんておこがましいことだ。それでもほんの少し、わずかでも助けになっているのなら。まだまだ素人の域ではあるものの、女将としての甲斐があったというものだ。
すると高階さんが世都の目線に気付いたのか、「なぁ」と好奇心を滲ませた目で世都を見た。
「俺も何か占ってくれへん?」
「あら、お珍しい。初めてや無いです?」
「せやな。いや、俺正直、占いとかってあんま信じてへんかったんや。でもここで女将の占い見とってさ、面白いなぁて思って。こうさ、ちょっとしたきっかけとかさ、なんや勇気もらえるっちゅうかさ」
高階さんはそう言って、照れ臭そうに笑った。
「ほな、僭越ながら、占わせてもらいましょか。何のことにします?」
世都がカウンタの奥に移動すると、高階さんもグラスを手に付いて来る。世都はタロットカードを手に取り、ぱさりと広げた。
「せやなぁ、せや、俺は運命の人といつ出会えるやろ」
そんなことを真剣な顔で言うものだから、世都は思わず「ぶっ」と噴き出してしまう。
「あ、酷いやん。俺にかて夢見させてや」
高階さんが少し拗ねる様に言って、世都はまたおかしくなって「あはは」と笑った。
「はい。ほな、占ってみましょうかね」
世都は笑顔で、タロットカードを混ぜ始めた。