相川さんと畠山さんはわぁわぁと言いながら、だし巻き卵と牛すじシチュー、さわらと青ねぎの酒蒸しを頼んだ。
牛すじシチューは、デミグラスソースをベースにしている。さすがに美味しいデミグラスソースをいちから作る芸当は無いので、缶詰のものを使うのだが、赤ワインを加えて風味を上げ、コンソメスープで割っている。そこに赤味噌を溶け込ませることで、日本酒にも合う様に仕立てているのだ。
牛すじは下茹でをして余分な脂と灰汁を抜いたあと、フライパンでこんがりと焼き付けてからソースで煮込んでいる。時間を掛けてじっくりと煮込むことで柔らかくなり、ソースにも旨味が溶け出す。
使うお野菜は人参とグリンピースでシンプルに。オレンジと緑で彩りにもなるのだ。
とろっとろに煮込まれた牛すじにデミグラスソースがたっぷりと絡み、口の中で深く濃厚な旨味ががつんと広がる。そこにねっとりとした人参の甘さとぷちぷちのグリンピースの爽やかさが覗くのだ。
「ほんま、美味しいわ」
「でしょ? 私はいつもお惣菜頼むんやけど、それも季節物で固めとってめっちゃ美味しいねん」
「ほな、あとで頼もな」
「……うん」
まるではしゃぐ様な畠山さんに対して、相川さんは控えめな返事をする。やはり畠山さんにお金を使わすことに遠慮があるのだろう。後ろめたさもあるかも知れない。
相川さんは畠山さんより優位な風にしていたが、人からの厚意に慣れていなくて、だから畠山さんにご馳走されることに尻込みしてしまう。
どうにもちぐはぐな行動と心理な様に思えるのだが、きっと相川さんは自己肯定感が低いのだろう。それは親の愛情を満足に受けられなかった人に多く見られる心のあり方だと聞いたことがある。
それを高めるには、やはり人の思いやりに触れることなのだと思う。人はそうやって心を育てて行くものなのだろう。
まだまだ遅く無い。こんなに美しくて、頭脳明晰。人間性だって素晴らしいのだから、これから足りない部分はいくらでも補える。畠山さんのそばで。
1週間後、21時ごろに訪れた相川さんはひとりだった。世都にはどこか沈んでいる様に見えた。
6月に入り、大阪も梅雨の雲に覆われようとしていた。これから雨の日が増えて行くだろう。今日は曇天だった。
「いらっしゃいませ」
心配になるが、世都は明るく迎える。相川さんは「こんばんは」と表情を綻ばせた。普段ボトム姿が多い相川さんだが、今日は淡いエメラルドグリーンのワンピースだった。畠山さんとデートだったのだろうか。
「ここに来るとほっとします。また話聞いてもろてええですか?」
「もちろんですよ。ささ、お掛けください」
相川さんはカウンタ席に腰を降ろし、世都から受け取ったおしぼりで手を拭いた。
「千利休と……、それとズッキーニのおかか炒めください」
「はい。お待ちくださいね」
もう以前ほどの節約の必要は無いだろうに、今も千利休を頼む相川さん。すぐに習慣、意識を変えるのは難しいのだろう。
世都は紫色の切子ロックグラスに千利休を注ぎ、ズッキーニのおかか炒めを小鉢に盛った。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
相川さんはグラスをそっと傾けて口角を上げ、お箸でおかかをまとったズッキーニを口に運ぶと、感心した様に目を丸くした。
「ええ味わいですね。ズッキーニって洋食のイメージなんですけど、和食にもなるんですね。おかかとめっちゃ合います」
「ズッキーニ自体、あっさりな味ですからね。いろんな味付けが合いますよ。和食やったらごまと合わせても美味しいですし、中華でオイスターソースとかで炒めてもええですし、麻婆ズッキーニとかもおいしいと思いますよ」
「なるほど。いろいろ使い勝手がええんですねぇ」
このおかか炒めは、半月切りにしたズッキーニをごま油でじっくりと炒め、日本酒とみりん、お醤油で味付けをして、仕上げに削り節をたっぷりとまぶしている。
淡白ながらもほんのりと甘いズッキーニに旨味の強い削り節が絡み、深い味わいになるのだ。
順調にお箸を動かしていた相川さんだが、ふと手を止めるとお箸を箸置きに置いた。
「あの、今日、畠山くんのご両親に会うたんです。お茶をご一緒させてもろて」
ああ、だから今日はワンピースだったのか。世都は納得する。
「奨学金が返せそうって話をしたんです。それでお母さまも納得してくれる、結婚を許してくれる、私も畠山くんもそう期待したんですけど」
相川さんを肩を落としてしまった。その仕草で結果が分かってしまう。世都は悲しくなって、目を細めた。
「お母さま、いくら奨学金が返せてもそれは私のお金や無いし、それに、そんな悪い家庭環境の子はやっぱり信用できひん、て」
「畠山さんご自身は、どうやったんですか?」
すると相川さんは泣き笑いの様な表情になった。
「お母さまに怒ってくれました。ふざけんなって」
結局母さんは、相川のことが気に入らんだけや無いか。そりゃ自分は何の苦労もせずに祖父ちゃん祖母ちゃんや父さんに守られて来たやろうけど、そんな世間知らずの母さんより、人一倍苦労して来た相川の方がよっぽど信用できる。
「……言い過ぎやとも思ったんですけど、嬉しかったです」
相川さんが目を弓なりにして、頬をほのかに赤らめた。ああ、畠山さんはちゃんと相川さんを思ってくれていて、守ってくれる人なのだ。そう思うと心底安心できる。
「ええお人ですねぇ」
「はい、ほんまに」
相川さんは美しくしっとりと微笑んだ。
牛すじシチューは、デミグラスソースをベースにしている。さすがに美味しいデミグラスソースをいちから作る芸当は無いので、缶詰のものを使うのだが、赤ワインを加えて風味を上げ、コンソメスープで割っている。そこに赤味噌を溶け込ませることで、日本酒にも合う様に仕立てているのだ。
牛すじは下茹でをして余分な脂と灰汁を抜いたあと、フライパンでこんがりと焼き付けてからソースで煮込んでいる。時間を掛けてじっくりと煮込むことで柔らかくなり、ソースにも旨味が溶け出す。
使うお野菜は人参とグリンピースでシンプルに。オレンジと緑で彩りにもなるのだ。
とろっとろに煮込まれた牛すじにデミグラスソースがたっぷりと絡み、口の中で深く濃厚な旨味ががつんと広がる。そこにねっとりとした人参の甘さとぷちぷちのグリンピースの爽やかさが覗くのだ。
「ほんま、美味しいわ」
「でしょ? 私はいつもお惣菜頼むんやけど、それも季節物で固めとってめっちゃ美味しいねん」
「ほな、あとで頼もな」
「……うん」
まるではしゃぐ様な畠山さんに対して、相川さんは控えめな返事をする。やはり畠山さんにお金を使わすことに遠慮があるのだろう。後ろめたさもあるかも知れない。
相川さんは畠山さんより優位な風にしていたが、人からの厚意に慣れていなくて、だから畠山さんにご馳走されることに尻込みしてしまう。
どうにもちぐはぐな行動と心理な様に思えるのだが、きっと相川さんは自己肯定感が低いのだろう。それは親の愛情を満足に受けられなかった人に多く見られる心のあり方だと聞いたことがある。
それを高めるには、やはり人の思いやりに触れることなのだと思う。人はそうやって心を育てて行くものなのだろう。
まだまだ遅く無い。こんなに美しくて、頭脳明晰。人間性だって素晴らしいのだから、これから足りない部分はいくらでも補える。畠山さんのそばで。
1週間後、21時ごろに訪れた相川さんはひとりだった。世都にはどこか沈んでいる様に見えた。
6月に入り、大阪も梅雨の雲に覆われようとしていた。これから雨の日が増えて行くだろう。今日は曇天だった。
「いらっしゃいませ」
心配になるが、世都は明るく迎える。相川さんは「こんばんは」と表情を綻ばせた。普段ボトム姿が多い相川さんだが、今日は淡いエメラルドグリーンのワンピースだった。畠山さんとデートだったのだろうか。
「ここに来るとほっとします。また話聞いてもろてええですか?」
「もちろんですよ。ささ、お掛けください」
相川さんはカウンタ席に腰を降ろし、世都から受け取ったおしぼりで手を拭いた。
「千利休と……、それとズッキーニのおかか炒めください」
「はい。お待ちくださいね」
もう以前ほどの節約の必要は無いだろうに、今も千利休を頼む相川さん。すぐに習慣、意識を変えるのは難しいのだろう。
世都は紫色の切子ロックグラスに千利休を注ぎ、ズッキーニのおかか炒めを小鉢に盛った。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
相川さんはグラスをそっと傾けて口角を上げ、お箸でおかかをまとったズッキーニを口に運ぶと、感心した様に目を丸くした。
「ええ味わいですね。ズッキーニって洋食のイメージなんですけど、和食にもなるんですね。おかかとめっちゃ合います」
「ズッキーニ自体、あっさりな味ですからね。いろんな味付けが合いますよ。和食やったらごまと合わせても美味しいですし、中華でオイスターソースとかで炒めてもええですし、麻婆ズッキーニとかもおいしいと思いますよ」
「なるほど。いろいろ使い勝手がええんですねぇ」
このおかか炒めは、半月切りにしたズッキーニをごま油でじっくりと炒め、日本酒とみりん、お醤油で味付けをして、仕上げに削り節をたっぷりとまぶしている。
淡白ながらもほんのりと甘いズッキーニに旨味の強い削り節が絡み、深い味わいになるのだ。
順調にお箸を動かしていた相川さんだが、ふと手を止めるとお箸を箸置きに置いた。
「あの、今日、畠山くんのご両親に会うたんです。お茶をご一緒させてもろて」
ああ、だから今日はワンピースだったのか。世都は納得する。
「奨学金が返せそうって話をしたんです。それでお母さまも納得してくれる、結婚を許してくれる、私も畠山くんもそう期待したんですけど」
相川さんを肩を落としてしまった。その仕草で結果が分かってしまう。世都は悲しくなって、目を細めた。
「お母さま、いくら奨学金が返せてもそれは私のお金や無いし、それに、そんな悪い家庭環境の子はやっぱり信用できひん、て」
「畠山さんご自身は、どうやったんですか?」
すると相川さんは泣き笑いの様な表情になった。
「お母さまに怒ってくれました。ふざけんなって」
結局母さんは、相川のことが気に入らんだけや無いか。そりゃ自分は何の苦労もせずに祖父ちゃん祖母ちゃんや父さんに守られて来たやろうけど、そんな世間知らずの母さんより、人一倍苦労して来た相川の方がよっぽど信用できる。
「……言い過ぎやとも思ったんですけど、嬉しかったです」
相川さんが目を弓なりにして、頬をほのかに赤らめた。ああ、畠山さんはちゃんと相川さんを思ってくれていて、守ってくれる人なのだ。そう思うと心底安心できる。
「ええお人ですねぇ」
「はい、ほんまに」
相川さんは美しくしっとりと微笑んだ。