四重芯菊の花火が立て続けに三発あがった。左手では牡丹花火が夜空を飾る。
続いて柳花火が大きく火の粉をのばし、そのすぐそばで打ちあがった花火は中心から光の筋をパッと開いた。
正面だけではない。背後でも次から次へと花火があがっていた。
菊花火や牡丹花火の合間にパンパンと花蕾花火が光と火の粉で夜空を飾る。空高く打ちあがった花火は千輪の小さい菊をいくつも咲かせていた。
続いて数発どころか何十発も立て続けに打ちあがった。すべて同じ金色の菊。息をのむ迫力で真昼のような明るさだ。
音も盛大だ。
ピリピリと響く音に頬が震える。休むことなく夜空へあがる閃光と胸に響く音を聞いていると鳥肌が立った。
避難所で花火大会の知らせを聞いて、単なる応援花火と高をくくった。応援どころではない。震災がなかったら、できなかったくらいの規模の花火大会だ。
公武がボソリと声を出す。
「……花火って」
花火の音にかき消されそうな声だ。聞き逃さないように柚月は公武へしっかりと顔を向けた。
公武は柚月へ顔を向けつつも花火へ視線を送って続ける。
「生きていくうえで必要不可欠なものではありません」
だから、と公武は苦笑する。
「正直──どうしてこんなときに花火大会なんてやるんだろうって思っていました。互いに励まし合いたいのであるなら、もっとほかにやるべきことがあるんじゃないかって」
それこそ──『おにぎりん』のように、誰かの腹と心を満たすもの。探し出せば、『おにぎりん』のような役割を果たすものはもっとほかにあるはずだ。
「そう偉そうに思ってもいました。お恥ずかしい話です。そんなわけありませんよね。こうして桁違いの花火を見せられて、感じたことがないほど気持ちがたかぶっています。『おにぎりん』は食べたり参加した人しか体感できない。けれど、花火は見あげたすべての人を元気にする。すごいです」
柚月は花火へ視線を移す。
夜空に広がる火花。腹に響き渡る、その音。本当に、と唇が震えた。鳥肌が止まらない。なんどでも肩から指先へと広がっていく。
花火だけではない。見あげた花火のすぐその横。公武の横顔。柔らかく笑みが広がるその頬。すっと伸びた鼻先。涼しげな目元。浴衣のしわすら見ているだけで切なくて苦しくて胸がいっぱいになる。
──がんばれよ。
陽翔のメッセージがよみがえる。柚月、がんばれ。文字が陽翔の声になって脳裏へ広がる。鼓動が早くなり、身体が熱くなって、柚月は公武へ手を伸ばした。その浴衣の裾をしっかりとつかむ。
「どうしました?」
公武は首を少しかたむけて柚月へ振り返った。柔らかい笑顔だ。「公武さん」と声が出た。
深呼吸をして続ける。
「わたし──公武さんのことが好きです」
公武が目を見開いた。
その驚いた顔を見て、柚月は思わずひるむ。
……驚くってことは、わたしのことをそんなふうに見たこともなかったってこと、かな。みんなが公武さんはわたしをっていってくれたから、わたしは調子に乗っていた? ただの、わたしの空回り?
指から力が抜ける。公武の浴衣から手が離れそうになる。唇を強く結ぶ。
それでもわたしは。
目に力を入れて公武の浴衣をつかみなおそうとした、そのときだ。
浴衣から離れそうになる柚月の指を、公武がつかんだ。呆けたような顔でおそるおそる公武は声を出す。
「──僕で、いいんですか?」
大きく眉が歪む。いくつもの陽翔の声がよみがえった。
──あの人、いっつも自分の気持ちは後回しにして、おれのことを気づかうんだ。『柚月さんの隣にいるのが僕ですみません』とかさ。
──柚月じゃないと公武さんを支えられないよ。公武さん、駄目になるよ。
──頼むよ、柚月。
目を閉じ、胸で「うんっ」と叫ぶ。まかせて陽翔くん。大きく肩をあげて「わたし」と口を開いた。
まさにそのときだった。
スマートフォンが鳴った。
腕からさげていたサコッシュの中で花火に負けない大音量を鳴らしている。
なにかあるといけないからと、避難所を出るときに公武から指摘されて音量をあげていた。あわてて取り出し発信者を見る。
父・巌だった。
咄嗟に画面に触れてしまって巌の大声があたりへ響く。
『柚月―。どこにいやがるっ。避難所へいったら、お前いないしっ。返事しろやーっ。無事かーっ』
「無事ですっ」と思わず公武が声を返す。
『阿寒か? なんでお前が出る。一緒にいるのか? 柚月から離れろや、この野郎っ』
「荷物を取りに家へいきたかったの。家に帰るときは公武さんについてきてもらえってお父さんがいったから頼んだのよ。小清水さんたちにも伝えておいたわ。それからお父さん、家の灯りだけど──」
『昼間にいけよっ』と声をかぶせられた。礼をいいたくても伝えられない。
『俺はお前と一緒に花火を見たくて必死で戻ったのによおっ』
「ああそれは本当に申し訳ありません」
『だからなんでお前が口を出す? 柚月になにかしたら承知しねえぞ。さっさと離れろやっ』
ああもう、となんだかばかばかしくなって笑い声が出た。『笑いごとじゃねえぞゴラ』と巌がいえばいうほど笑みになる。
不意に公武が真顔になった。真剣な眼差しで柚月を見ていた。
「公武さん?」
「柚月さん」
怖いほどの真っすぐな眼差しで公武がスマートフォンごと柚月の手を取る。
「──あなたのその笑顔を、ずっと見ていてもいいでしょうか」
「え?」
「あなたのそばで、あなたの隣に、これからもずっと、僕はいてもいいでしょうか」
唇が震えた。眉も震える。呼吸をするのが苦しくなる。それを必死でこらえて声を絞り出す。
「──どこかへいっちゃ、嫌です。ずっと、ずっとそばにいてくれなくちゃ嫌です」
柚月さん、と公武の顔がくしゃりと崩れる。
「僕も──僕は、あなたが好きです」
はい、と柚月も顔をくしゃくしゃにする。胸がいっぱいでなにも考えられない。花火に照らされる公武の顔を、ただひたすらに見つめていると『くっそー』とスマートフォンから巌の怒鳴り声が聞こえた。
『筒抜けだぞっ。お前ら、親の前でこんなに堂々と。ふざけんなゴラっ』
あ、と二人そろって我に返る。
「えっと、あのね」、「これはですね」と電話口でしどろもどろになり、それを巌が『うっせーよ』と吠える。
『ちくしょうっ。柚月っ。阿寒を泣かせんなよっ』
「わたしっ?」
思わず声が裏返る。
ひときわドンと大きい音がして尺玉があがった。
その音につられて公武と同じタイミングで顔をあげる。
大きな大きな丸い花火、それから次から次へとあがる柳花火。空が金色に染まる。そしてそのあとにあがった花火を見て息をのむ。
サンゴのかたちの花火だった。
大きいサンゴ、小さいサンゴ、丸いサンゴに枝のサンゴ。それが立て続けに百発近く。まさに夜空のサンゴ礁だ。背中いっぱいに鳥肌が立っていく。ああ、と目尻をさげて胸でつぶやいた。
おばあちゃん、それから──お母さん。
あのね、わたし──好きな人ができたの。
その人は頑固で一途で頼りになって、すっごく頑張り屋で、ついつい応援したくなって──そういうところがお父さんにそっくりなの。
──お母さんがお父さんに恋した気持ちもこんなだった?
シュッツとひと際大きく打ちあがる音がした。数えきれないほどの黄色い火花の柱が夜空へ向かっていく。それから開く花火。そのどれもがスマイルマークだった。夜空いっぱいの笑顔だ。その壮大さに公武と顔を見合わせる。
不意に地面が揺れた。地震だ。
公武が支えるように柚月の手を取る。柚月もその手を握り返す。大きくて温かくて、安心できる手だ。
これからも、と思った。地震はあるだろう。火山も噴火するかもしれない。台風だって北海道へたくさんくる日がくるかもしれない。
でも、と口角をあげる。公武の目を見る。
大丈夫。ちゃんとやっていける。
こうして大切な人と手を取りあって笑っていく。そしてときには一緒におにぎりを食べるのだ。
ずっとずっと、いつまでもずっと。
笑顔の続きは、これからだ。
(了)
【参考引用文献】
「天神山マップ」2.地理・歴史 札幌市豊平区ホームページ https://www.city.sapporo.jp/toyohira/machi/furemachi/tennjinnyama.html
AIとロボットは「労働集約の食産業」を変えるか? おにぎりロボットに感動した理由とは ビジネス+IT
https://www.sbbit.jp/article/cont1/89776
避難所設営マニュアル 札幌市ホームページ
https://www.city.sapporo.jp/kikikanri/hinanjyouneimanyuaru.html
想定死者数8000人超 札幌直下地震を引き起こす“月寒断層”財界さっぽろオンライン
https://www.zaikaisapporo.co.jp/news/news-article.php?id=14896
切迫!千島海溝沿い巨大地震と津波 NHK北海道WEB
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-nd6b704fa7859
続いて柳花火が大きく火の粉をのばし、そのすぐそばで打ちあがった花火は中心から光の筋をパッと開いた。
正面だけではない。背後でも次から次へと花火があがっていた。
菊花火や牡丹花火の合間にパンパンと花蕾花火が光と火の粉で夜空を飾る。空高く打ちあがった花火は千輪の小さい菊をいくつも咲かせていた。
続いて数発どころか何十発も立て続けに打ちあがった。すべて同じ金色の菊。息をのむ迫力で真昼のような明るさだ。
音も盛大だ。
ピリピリと響く音に頬が震える。休むことなく夜空へあがる閃光と胸に響く音を聞いていると鳥肌が立った。
避難所で花火大会の知らせを聞いて、単なる応援花火と高をくくった。応援どころではない。震災がなかったら、できなかったくらいの規模の花火大会だ。
公武がボソリと声を出す。
「……花火って」
花火の音にかき消されそうな声だ。聞き逃さないように柚月は公武へしっかりと顔を向けた。
公武は柚月へ顔を向けつつも花火へ視線を送って続ける。
「生きていくうえで必要不可欠なものではありません」
だから、と公武は苦笑する。
「正直──どうしてこんなときに花火大会なんてやるんだろうって思っていました。互いに励まし合いたいのであるなら、もっとほかにやるべきことがあるんじゃないかって」
それこそ──『おにぎりん』のように、誰かの腹と心を満たすもの。探し出せば、『おにぎりん』のような役割を果たすものはもっとほかにあるはずだ。
「そう偉そうに思ってもいました。お恥ずかしい話です。そんなわけありませんよね。こうして桁違いの花火を見せられて、感じたことがないほど気持ちがたかぶっています。『おにぎりん』は食べたり参加した人しか体感できない。けれど、花火は見あげたすべての人を元気にする。すごいです」
柚月は花火へ視線を移す。
夜空に広がる火花。腹に響き渡る、その音。本当に、と唇が震えた。鳥肌が止まらない。なんどでも肩から指先へと広がっていく。
花火だけではない。見あげた花火のすぐその横。公武の横顔。柔らかく笑みが広がるその頬。すっと伸びた鼻先。涼しげな目元。浴衣のしわすら見ているだけで切なくて苦しくて胸がいっぱいになる。
──がんばれよ。
陽翔のメッセージがよみがえる。柚月、がんばれ。文字が陽翔の声になって脳裏へ広がる。鼓動が早くなり、身体が熱くなって、柚月は公武へ手を伸ばした。その浴衣の裾をしっかりとつかむ。
「どうしました?」
公武は首を少しかたむけて柚月へ振り返った。柔らかい笑顔だ。「公武さん」と声が出た。
深呼吸をして続ける。
「わたし──公武さんのことが好きです」
公武が目を見開いた。
その驚いた顔を見て、柚月は思わずひるむ。
……驚くってことは、わたしのことをそんなふうに見たこともなかったってこと、かな。みんなが公武さんはわたしをっていってくれたから、わたしは調子に乗っていた? ただの、わたしの空回り?
指から力が抜ける。公武の浴衣から手が離れそうになる。唇を強く結ぶ。
それでもわたしは。
目に力を入れて公武の浴衣をつかみなおそうとした、そのときだ。
浴衣から離れそうになる柚月の指を、公武がつかんだ。呆けたような顔でおそるおそる公武は声を出す。
「──僕で、いいんですか?」
大きく眉が歪む。いくつもの陽翔の声がよみがえった。
──あの人、いっつも自分の気持ちは後回しにして、おれのことを気づかうんだ。『柚月さんの隣にいるのが僕ですみません』とかさ。
──柚月じゃないと公武さんを支えられないよ。公武さん、駄目になるよ。
──頼むよ、柚月。
目を閉じ、胸で「うんっ」と叫ぶ。まかせて陽翔くん。大きく肩をあげて「わたし」と口を開いた。
まさにそのときだった。
スマートフォンが鳴った。
腕からさげていたサコッシュの中で花火に負けない大音量を鳴らしている。
なにかあるといけないからと、避難所を出るときに公武から指摘されて音量をあげていた。あわてて取り出し発信者を見る。
父・巌だった。
咄嗟に画面に触れてしまって巌の大声があたりへ響く。
『柚月―。どこにいやがるっ。避難所へいったら、お前いないしっ。返事しろやーっ。無事かーっ』
「無事ですっ」と思わず公武が声を返す。
『阿寒か? なんでお前が出る。一緒にいるのか? 柚月から離れろや、この野郎っ』
「荷物を取りに家へいきたかったの。家に帰るときは公武さんについてきてもらえってお父さんがいったから頼んだのよ。小清水さんたちにも伝えておいたわ。それからお父さん、家の灯りだけど──」
『昼間にいけよっ』と声をかぶせられた。礼をいいたくても伝えられない。
『俺はお前と一緒に花火を見たくて必死で戻ったのによおっ』
「ああそれは本当に申し訳ありません」
『だからなんでお前が口を出す? 柚月になにかしたら承知しねえぞ。さっさと離れろやっ』
ああもう、となんだかばかばかしくなって笑い声が出た。『笑いごとじゃねえぞゴラ』と巌がいえばいうほど笑みになる。
不意に公武が真顔になった。真剣な眼差しで柚月を見ていた。
「公武さん?」
「柚月さん」
怖いほどの真っすぐな眼差しで公武がスマートフォンごと柚月の手を取る。
「──あなたのその笑顔を、ずっと見ていてもいいでしょうか」
「え?」
「あなたのそばで、あなたの隣に、これからもずっと、僕はいてもいいでしょうか」
唇が震えた。眉も震える。呼吸をするのが苦しくなる。それを必死でこらえて声を絞り出す。
「──どこかへいっちゃ、嫌です。ずっと、ずっとそばにいてくれなくちゃ嫌です」
柚月さん、と公武の顔がくしゃりと崩れる。
「僕も──僕は、あなたが好きです」
はい、と柚月も顔をくしゃくしゃにする。胸がいっぱいでなにも考えられない。花火に照らされる公武の顔を、ただひたすらに見つめていると『くっそー』とスマートフォンから巌の怒鳴り声が聞こえた。
『筒抜けだぞっ。お前ら、親の前でこんなに堂々と。ふざけんなゴラっ』
あ、と二人そろって我に返る。
「えっと、あのね」、「これはですね」と電話口でしどろもどろになり、それを巌が『うっせーよ』と吠える。
『ちくしょうっ。柚月っ。阿寒を泣かせんなよっ』
「わたしっ?」
思わず声が裏返る。
ひときわドンと大きい音がして尺玉があがった。
その音につられて公武と同じタイミングで顔をあげる。
大きな大きな丸い花火、それから次から次へとあがる柳花火。空が金色に染まる。そしてそのあとにあがった花火を見て息をのむ。
サンゴのかたちの花火だった。
大きいサンゴ、小さいサンゴ、丸いサンゴに枝のサンゴ。それが立て続けに百発近く。まさに夜空のサンゴ礁だ。背中いっぱいに鳥肌が立っていく。ああ、と目尻をさげて胸でつぶやいた。
おばあちゃん、それから──お母さん。
あのね、わたし──好きな人ができたの。
その人は頑固で一途で頼りになって、すっごく頑張り屋で、ついつい応援したくなって──そういうところがお父さんにそっくりなの。
──お母さんがお父さんに恋した気持ちもこんなだった?
シュッツとひと際大きく打ちあがる音がした。数えきれないほどの黄色い火花の柱が夜空へ向かっていく。それから開く花火。そのどれもがスマイルマークだった。夜空いっぱいの笑顔だ。その壮大さに公武と顔を見合わせる。
不意に地面が揺れた。地震だ。
公武が支えるように柚月の手を取る。柚月もその手を握り返す。大きくて温かくて、安心できる手だ。
これからも、と思った。地震はあるだろう。火山も噴火するかもしれない。台風だって北海道へたくさんくる日がくるかもしれない。
でも、と口角をあげる。公武の目を見る。
大丈夫。ちゃんとやっていける。
こうして大切な人と手を取りあって笑っていく。そしてときには一緒におにぎりを食べるのだ。
ずっとずっと、いつまでもずっと。
笑顔の続きは、これからだ。
(了)
【参考引用文献】
「天神山マップ」2.地理・歴史 札幌市豊平区ホームページ https://www.city.sapporo.jp/toyohira/machi/furemachi/tennjinnyama.html
AIとロボットは「労働集約の食産業」を変えるか? おにぎりロボットに感動した理由とは ビジネス+IT
https://www.sbbit.jp/article/cont1/89776
避難所設営マニュアル 札幌市ホームページ
https://www.city.sapporo.jp/kikikanri/hinanjyouneimanyuaru.html
想定死者数8000人超 札幌直下地震を引き起こす“月寒断層”財界さっぽろオンライン
https://www.zaikaisapporo.co.jp/news/news-article.php?id=14896
切迫!千島海溝沿い巨大地震と津波 NHK北海道WEB
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-nd6b704fa7859