あれ? どうしてかな。自分でも自分がわからないくらいだった。

 小清水の指示でそれまで同様にトラックから荷物を運ぶ。ひっきりなしに入る連絡や震災情報をまとめてポスターに書きあげ掲示板へ貼って、それからそれから、と作業へ励もうとした。

 どうしてか、身体に力が入らない。
 気がつくと公武が出ていった校門をぼんやり見ていた。

 通りすがりの小学生が「お姉ちゃん、具合悪いの?」と声をかけてくるほどだ。初老の女性からも「暑気あたりじゃないかい? ちょっとここで休んでいきな」とうながされて「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」とそそくさとグランドのテントやゴミ捨て場へと足を戻す。
 その繰り返しだ。
 その間も視線は校門へ向いてしまう。

 ──公武さん、大丈夫かな。

 きっと大丈夫だ。心配ない。そう思う先から、だけど、と思いが続いてしまう。

 地震で道路がボロボロになっているかも。マンションから割れたガラスが降ってくるかも。切れた電線が公武さんに当たったら? 信号が止まった交差点で車が公武さんへ突っ込んできたら?

 思っても仕方がない。なにが起きるかなんてわからないし、起きてもいないことを不安がってもどうしようもない。

 わかっている。
 でも、だけど、とどうしても気持ちは続いてしまう。

 ──公武さんになにかあったらどうしよう。

 ドキンと大きく胸が脈打つ。

 ──もう二度と、公武さんに会えなくなったら?

 喉が乾いていく。そして大きく眉が歪む。

 ──お母さんや、おばあちゃんみたいに。
 もうあの穏やかな笑顔が見られないかも? 

 すっと伸ばした背筋、少しだけ左肩をさげてわたしへかしげる首、どんなときも丁寧な身体の動き。わたしのおにぎりを頬張る口元。それから──わたしを見つめるすっと伸びた目。それらがフラッシュ画像のようにチラついて離れない。

 胸が苦しくて、息がうまくできなくて、荷物を持ったままうつむいてしまう。大丈夫、大丈夫。なんども唱える。お父さんだって自転車で道庁までいっているでしょう? うん、と自分にうなずき、だけど、としつこく眉が震える。

 お父さんが心配なのは、道庁でのこと。道中じゃない。道庁で無理にあれこれ仕事をして身体を壊しそう。そうなったらどうしよう、そう思う。

 公武さんは、逆。
 会社へたどり着いたら大丈夫だって思う。会社の人があれこれ公武さんを助けてくれる、そう思える。ただたどり着くまでに、たとえば──道で困っている車があったら公武さんなら絶対に助けるだろうし、そこに地震でネジが緩んだ看板が落ちてきたら、ほかの人じゃなくて公武さんが当たっちゃいそう。そうじゃなかったとしても、その人を助けようとして公武さんが怪我をしそうでしょう? 

 不意に「ああもう」と声がした。

 驚いて顔をあげる。背後に小清水が立っていた。

「荷物ひとつ取りにいくのになんぼ時間をかけてんの」
「ご、ごめんなさい」
「怒ってんじゃないよ。持ったまま考えごとをしていたら体力が持たないよっていってんの」

 そういって小清水は柚月の荷物を取りあげる。「あ、あ、ごめんなさい」と柚月は小声で繰り返し、小走りでトラックから別の荷物を受け取ると小清水へ続いた。

「阿寒さんなら大丈夫だよ」

 ギョッとして小清水を見る。

「隠しているつもりだったのかい? バレバレだから」

 あー……、と顔が赤くなるのがわかった。

「いい男だもんねえ。柚月ちゃんが惚れるのもしょうがないさ。あのお父さん公認なんだろう? 阿寒さんもやるねえ。いつから付き合ってんの? 春先くらいから?」

 へ? と足を止める。

「付き合っていません」

 ええっ、と小清水が声を裏返す。それに男性の声が交じっていた。沼田だ。いつの間にきたのか、沼田が小清水の隣に立っていた。

「あんたら、付き合ってなかったのかい? 嘘だろ。いやもう、おれはてっきり」
「あたしだってさ。だから安心して二人ペアの仕事ばっかり頼んでいたんだよ?」
「それは心強かったです。ありがとうございます」
「そうじゃなくて」とこれまた小清水と沼田は柚月へ詰めよった。
「なして(なんで)あんたら付き合ってないの」
「なんでといわれましても」
「柚月ちゃん、ほかに彼氏がいるのかい?」
「いえ……いません」
「したっけ阿寒さんに恋人がいるのかい?」
「いえ……彼女さんはいないといっていました」

「だったらなして」と小清水と沼田は声をそろえ、これまたそろって我に返ったように「あ、いやその」と言葉を濁す。そのまま無言で小清水は沼田へ荷物を押しつけると柚月の荷物を引き取った。

「柚月ちゃんはちょっと休みな。そんな調子で怪我でもされたら大変だよ」
「あ、じゃあわたし、トラックから別の荷物を貰ってきてから──」
「いいからテントで休みなって」
「ああ、はい」とおとなしく小清水の言葉にしたがう。

 しゅんとする。そうか。わたしと公武さんはそんなふうに見られていたんだ。それは──公武さん、嫌じゃなかったかなあ。あー、でもー、と陽翔とのことを思い出す。
 石狩の海での車中のことだ。あの素振りを見ると、そういうことに敏感とは思えなかった。くすっと、思わず笑みになる。

 だったらわたしは? と立ち止まる。校門へ顔を向ける。小清水さんたちに恋人と間違えられて嫌だった?

「ほらー」と小清水の声がした。

 荷物を運び終えたらしく、手にパウチパックのドリンクを二つ持っていた。

「やっぱり休んでない。こんな炎天下で突っ立っていたら熱中症になるっしょ」

 小清水は乳酸菌飲料をひとつ柚月へ手渡すと先にテントへ入っていく。柚月もおとなしくそれに続き、小清水の隣へ腰をおろした。

「いい天気だね」
「はい」
「これって星印のカツモトに味が似てるよね。ちょっと薄いけどさ」
「はい」
「あれは牛乳と同じようなもんだから、こういうパックは無理かねえ」
「はい」

 もう、と小清水は柚月の背中を叩く。

「しっかりおしよ。いっとくけどね。阿寒さんは絶対に柚月ちゃんのことが好きだからね」

 はいっ? と声が裏返る。

「見ていればわかるから。柚月ちゃんがどう思っていようとも、それだけは確かだから。だからなにがあってもあの人は気合で帰ってくるから。大丈夫だから。信じておやりよ」

 鼻先が熱くなる。

「そもそもまだ阿寒さんが出かけて二時間もたってないよ。いまからそんなんで、柚月ちゃん、あんた大丈夫かい?」

 あー……、と両手で顔をおおう。本当だ。情けない。小清水が小突く。今度は優しい小突きかただ。

「信じておやりって。……なーんかさあー。いいねえー」
「え?」
「そういうやりとりがさー。まぶしいねえー」
「もう、小清水さんってば」

 頬を膨らませて柚月はパウチパックの栓を開ける。そしてそれを口へ含もうとした、そのときだった。

 うおおい、と複数人の声が聞こえた。