学祭の甘味処の名前は『カニの愛した白玉はいかがカニ?』。
陽翔たちの行灯班が完成させた行灯『カニカニ合戦』とのコラボ店名だ。
初日から大好評で、オープン三十分で階段近くまで行列ができるほどだ。グランドで行われている全クラス対抗の行灯審査を見にいく余裕もない。
「柚月―、梅シロップの白玉団子カップを三つ」
「了解。梅シロップの白玉団子カップはこれで完売でーす」
はやっ、と模擬店班メンバーだけでなく、並んでいる生徒たちも声を裏返す。
「みたらしやきな粉もおいしいですよー」と仁奈が声をかけ、「じゃあ、あたしはきな粉のカップ白玉」、「おれはみたらしのカップ白玉で」と注文が飛ぶ。
「この容器も渋くてかっこいいね」
「紙なんだって。SDGsだって。こういうの、いいよね」
「ストローもだって。私はプラスチックよりこっちのほうが口当たりがよくて好きだなあ」
ピックとスプーン、それにドリンク容器も紙だ。OBの企業が開発した商品で、学祭で使ってほしいと寄付されたものだ。
「クーラーボックスも大量の氷もぜんぶOBの寄付だものね。持つべきはOBだねえ」
仁奈の声にうなずきながら柚月は抹茶ラテをセットする。
そこへ陽翔が駆けこんできた。行灯の審査結果が出たらしい。
「うちのカニ、準グランプリっ」
わあっ、と店内に歓声があがる。
「やった。がんばったもんね」、「あのカニの完成度はヤバいわ」、「でもなんでカニ?」とそこかしこではしゃいだ声があがった。さすがにグランプリは三年生とのことだ。陽翔は上気した顔で「柚月、柚月」と迫ってくる。
「お祝いに杏仁豆腐クラッシュ梅ゼリー乗せをくれよ」
「あー、残念。売り切れです」
「なーんだとーっ。おれはなんのためにがんばっていたんだよおっ」
身もだえる陽翔を「明日も作るから」と慰めたけれど、仁奈は容赦がなかった。
「陽翔くんもちゃんと並んで買ってね」
「えー? クラス特権とかないわけ?」
「そんなことをやっていたら、ほかのクラスの人が買えなくなるでしょう」
「そんなあ」と陽翔はさらに身もだえる。
仁奈が強い姿勢をとおすだけあって翌日も梅シロップシリーズは大人気。
あっという間に完売だ。
陽翔は開店前から並んでなんとか杏仁豆腐クラッシュ梅ゼリー乗せを手に入れた。一口ごとに「うめえよおー」と声をあげ、「お前、うるさいよ」と買えなかったクラスメイトから頭を小突かれていた。
そしてあっという間に最終日、一般公開の日となった。
乙部家は巌の雄たけびではじまった。
「俺がなにをしたってんだよ。ちょっとスケジュール確認を怠っただけだろう。それなのに。くそお。それなのにっ。こんなに楽しみにしていたのになんでだあっ」
柚月の学祭へいく気まんまんだった巌。
その巌に会議のリマインドメールが届いた。巌の関わる文科省プロジェクトで、文科省から視察がくるという重大会議だ。
さすがに代表の巌が会議をすっぽかすわけにはいかない。
「俺も学祭いきてええ」、「学祭、学祭、学祭」、「お前の梅シロップ白玉団子を食いてえっ」、「食いてえったら食いてええ」。玄関を出ても巌は叫び続けていた。
「……梅シロップ白玉団子なんていつでも家で作ってあげるのに」
そうつぶやいたものの、父がこないのはちょっぴり残念だ。
最終日ともなると誰もが動作スムーズだ。
午後に入るとひと息つく余裕もできた。
「わたし、いまのうちにクーラーボックスの氷を足してくるね」と仁奈へ声をかけると、「ひとりじゃ重いでしょう。私もいくよ」、「ならあたしもー」と三人連れ立って教室を出ることになった。
あまりに甘味処が好評だったので、ゆっくり学祭を見るのはこれがはじめてだ。
「お化け屋敷、面白そうだね」、「クレープ屋さんは三件あるんだってー」、「執事カフェだって。あとで見ようよ」と話題は尽きない。でも、と三人で顔を見合わせる。
「……ウチのクラスの行列が一番すごいよね」
「柚月の梅シロップ効果だね」
「陽翔くんの宣伝効果かな?」
ふふふ、と笑い合う。渡り廊下近くまで進んだときだ。亜里沙が「ん?」と足を止めた。
「陽翔くんだ。誰かと一緒だよ。誰だろう」
「あれって──眞帆?」
仁奈と亜里沙は顔を見合わせる。
ちらりと柚月へ視線をやって、二人はうなずく。
そして柚月の腕をつかみ、そのままコソコソと陽翔たちのあとをつけはじめた。柚月はわけがわからない。「あのさ」となんどか口を開くと、そのたびに二人がそろって口元へ指を当てた。
やがて陽翔と眞帆はひと気のない校舎裏へ回っていく。
そのころになってようやく柚月は、えーっと、と身構える。
これってその……アレだわよね。二人きりになる必要があるってやつで。そういうのを盗み見るのはちょっと。
仁奈を見る。深刻そうな顔をしていた。亜里沙もだ。
……興味本位じゃないってこと? ひょっとして二人とも陽翔くんのことを? いや、それはないか。部活の先輩とか後輩とか、ほかの人のことで盛りあがったことがあったもの。だったら?
不意に亜里沙が身を乗り出した。あわてて視線を戻してハッとする。
陽翔が眞帆へ頭をさげていた。
……振ったってこと? 大きく眉を歪めると、亜里沙と仁奈が柚月の腕を強く引いた。そのまま模擬店の並ぶ廊下へと戻っていく。
仁奈がうめく。
「驚いたね」
「うん」と亜里沙も考え込むような顔つきだ。「あのさ」とようやく声が出る。
「わたしが知らないことを二人は知っていたりするのかな?」
「あー」と二人は視線を泳がせる。「なんていうか」と柚月はがんばって言葉を続ける。
「そういうのって、ちょっと淋しいなって。わたしだけのけ者みたいだし」
「違うよ」と亜里沙が強く柚月の手をつかんだ。
「柚月をのけ者にするとか、そういうことじゃぜんぜんない」
「でも二人は知っていて、わたしは知らない、そういう話があるんでしょう?」
視線を揺らして亜里沙は仁奈を見た。仁奈はあきらめたように、「そうだね」とうなずいた。
「これ以上話がややこしくなると困るもんね。柚月も知っていたほうがいいかもだね」
亜里沙もため息まじりにうなずいた。
そのときだ。
ガタンと窓が音を立てた。やがてガタガタと足元が揺れる。
地震だ。
あちこちで悲鳴があがり、亜里沙が柚月にしがみつく。その亜里沙の肩を撫でてしばらくすると地震はおさまっていった。
「怖かったねえ」と仁奈も胸に手を当てている。
「最近、地震が多いよね。そろそろ防災グッズとか買おうかな」
「そうだよねー」
「え? ないの?」と柚月は目を見張った。
「乙部家はあると?」
「あるなんてもんじゃないわよ。玄関先にヘルメットがあって邪魔なくらい」
「お父さんの仕事用じゃなくて?」
「わたしの分もすぐに使えるように出ている。懐中電灯は全部の部屋にあるし、水だってたっぷりストックがあるわ」
「さすが乙部家っ」と声を裏返す二人へ柚月も「どうしてないのっ」と声を裏返した。
だってお父さんはあんなにいつも地震を心配していて、今度こそ大きな地震がくるから気持ちの準備を怠るなってしつこいくらいなのに。
それなのに?
一般家庭ではそんなこと、どうでもいいことなの? お父さんが心配していることは、ぜんぜん世間に伝わっていないってこと?
──大丈夫なのかな。
うつむきかけて、「そうじゃなくて」と顔をあげる。
「さっきの話の続きよ。わたしが知っておくべき話って?」
そういいかけた柚月の声に別の声が重なった。
「柚月さん、こんにちは」
公武が立っていた。
陽翔たちの行灯班が完成させた行灯『カニカニ合戦』とのコラボ店名だ。
初日から大好評で、オープン三十分で階段近くまで行列ができるほどだ。グランドで行われている全クラス対抗の行灯審査を見にいく余裕もない。
「柚月―、梅シロップの白玉団子カップを三つ」
「了解。梅シロップの白玉団子カップはこれで完売でーす」
はやっ、と模擬店班メンバーだけでなく、並んでいる生徒たちも声を裏返す。
「みたらしやきな粉もおいしいですよー」と仁奈が声をかけ、「じゃあ、あたしはきな粉のカップ白玉」、「おれはみたらしのカップ白玉で」と注文が飛ぶ。
「この容器も渋くてかっこいいね」
「紙なんだって。SDGsだって。こういうの、いいよね」
「ストローもだって。私はプラスチックよりこっちのほうが口当たりがよくて好きだなあ」
ピックとスプーン、それにドリンク容器も紙だ。OBの企業が開発した商品で、学祭で使ってほしいと寄付されたものだ。
「クーラーボックスも大量の氷もぜんぶOBの寄付だものね。持つべきはOBだねえ」
仁奈の声にうなずきながら柚月は抹茶ラテをセットする。
そこへ陽翔が駆けこんできた。行灯の審査結果が出たらしい。
「うちのカニ、準グランプリっ」
わあっ、と店内に歓声があがる。
「やった。がんばったもんね」、「あのカニの完成度はヤバいわ」、「でもなんでカニ?」とそこかしこではしゃいだ声があがった。さすがにグランプリは三年生とのことだ。陽翔は上気した顔で「柚月、柚月」と迫ってくる。
「お祝いに杏仁豆腐クラッシュ梅ゼリー乗せをくれよ」
「あー、残念。売り切れです」
「なーんだとーっ。おれはなんのためにがんばっていたんだよおっ」
身もだえる陽翔を「明日も作るから」と慰めたけれど、仁奈は容赦がなかった。
「陽翔くんもちゃんと並んで買ってね」
「えー? クラス特権とかないわけ?」
「そんなことをやっていたら、ほかのクラスの人が買えなくなるでしょう」
「そんなあ」と陽翔はさらに身もだえる。
仁奈が強い姿勢をとおすだけあって翌日も梅シロップシリーズは大人気。
あっという間に完売だ。
陽翔は開店前から並んでなんとか杏仁豆腐クラッシュ梅ゼリー乗せを手に入れた。一口ごとに「うめえよおー」と声をあげ、「お前、うるさいよ」と買えなかったクラスメイトから頭を小突かれていた。
そしてあっという間に最終日、一般公開の日となった。
乙部家は巌の雄たけびではじまった。
「俺がなにをしたってんだよ。ちょっとスケジュール確認を怠っただけだろう。それなのに。くそお。それなのにっ。こんなに楽しみにしていたのになんでだあっ」
柚月の学祭へいく気まんまんだった巌。
その巌に会議のリマインドメールが届いた。巌の関わる文科省プロジェクトで、文科省から視察がくるという重大会議だ。
さすがに代表の巌が会議をすっぽかすわけにはいかない。
「俺も学祭いきてええ」、「学祭、学祭、学祭」、「お前の梅シロップ白玉団子を食いてえっ」、「食いてえったら食いてええ」。玄関を出ても巌は叫び続けていた。
「……梅シロップ白玉団子なんていつでも家で作ってあげるのに」
そうつぶやいたものの、父がこないのはちょっぴり残念だ。
最終日ともなると誰もが動作スムーズだ。
午後に入るとひと息つく余裕もできた。
「わたし、いまのうちにクーラーボックスの氷を足してくるね」と仁奈へ声をかけると、「ひとりじゃ重いでしょう。私もいくよ」、「ならあたしもー」と三人連れ立って教室を出ることになった。
あまりに甘味処が好評だったので、ゆっくり学祭を見るのはこれがはじめてだ。
「お化け屋敷、面白そうだね」、「クレープ屋さんは三件あるんだってー」、「執事カフェだって。あとで見ようよ」と話題は尽きない。でも、と三人で顔を見合わせる。
「……ウチのクラスの行列が一番すごいよね」
「柚月の梅シロップ効果だね」
「陽翔くんの宣伝効果かな?」
ふふふ、と笑い合う。渡り廊下近くまで進んだときだ。亜里沙が「ん?」と足を止めた。
「陽翔くんだ。誰かと一緒だよ。誰だろう」
「あれって──眞帆?」
仁奈と亜里沙は顔を見合わせる。
ちらりと柚月へ視線をやって、二人はうなずく。
そして柚月の腕をつかみ、そのままコソコソと陽翔たちのあとをつけはじめた。柚月はわけがわからない。「あのさ」となんどか口を開くと、そのたびに二人がそろって口元へ指を当てた。
やがて陽翔と眞帆はひと気のない校舎裏へ回っていく。
そのころになってようやく柚月は、えーっと、と身構える。
これってその……アレだわよね。二人きりになる必要があるってやつで。そういうのを盗み見るのはちょっと。
仁奈を見る。深刻そうな顔をしていた。亜里沙もだ。
……興味本位じゃないってこと? ひょっとして二人とも陽翔くんのことを? いや、それはないか。部活の先輩とか後輩とか、ほかの人のことで盛りあがったことがあったもの。だったら?
不意に亜里沙が身を乗り出した。あわてて視線を戻してハッとする。
陽翔が眞帆へ頭をさげていた。
……振ったってこと? 大きく眉を歪めると、亜里沙と仁奈が柚月の腕を強く引いた。そのまま模擬店の並ぶ廊下へと戻っていく。
仁奈がうめく。
「驚いたね」
「うん」と亜里沙も考え込むような顔つきだ。「あのさ」とようやく声が出る。
「わたしが知らないことを二人は知っていたりするのかな?」
「あー」と二人は視線を泳がせる。「なんていうか」と柚月はがんばって言葉を続ける。
「そういうのって、ちょっと淋しいなって。わたしだけのけ者みたいだし」
「違うよ」と亜里沙が強く柚月の手をつかんだ。
「柚月をのけ者にするとか、そういうことじゃぜんぜんない」
「でも二人は知っていて、わたしは知らない、そういう話があるんでしょう?」
視線を揺らして亜里沙は仁奈を見た。仁奈はあきらめたように、「そうだね」とうなずいた。
「これ以上話がややこしくなると困るもんね。柚月も知っていたほうがいいかもだね」
亜里沙もため息まじりにうなずいた。
そのときだ。
ガタンと窓が音を立てた。やがてガタガタと足元が揺れる。
地震だ。
あちこちで悲鳴があがり、亜里沙が柚月にしがみつく。その亜里沙の肩を撫でてしばらくすると地震はおさまっていった。
「怖かったねえ」と仁奈も胸に手を当てている。
「最近、地震が多いよね。そろそろ防災グッズとか買おうかな」
「そうだよねー」
「え? ないの?」と柚月は目を見張った。
「乙部家はあると?」
「あるなんてもんじゃないわよ。玄関先にヘルメットがあって邪魔なくらい」
「お父さんの仕事用じゃなくて?」
「わたしの分もすぐに使えるように出ている。懐中電灯は全部の部屋にあるし、水だってたっぷりストックがあるわ」
「さすが乙部家っ」と声を裏返す二人へ柚月も「どうしてないのっ」と声を裏返した。
だってお父さんはあんなにいつも地震を心配していて、今度こそ大きな地震がくるから気持ちの準備を怠るなってしつこいくらいなのに。
それなのに?
一般家庭ではそんなこと、どうでもいいことなの? お父さんが心配していることは、ぜんぜん世間に伝わっていないってこと?
──大丈夫なのかな。
うつむきかけて、「そうじゃなくて」と顔をあげる。
「さっきの話の続きよ。わたしが知っておくべき話って?」
そういいかけた柚月の声に別の声が重なった。
「柚月さん、こんにちは」
公武が立っていた。