アラームの音で目を覚ました私は、見慣れた天井をしばらく見上げてから枕元に投げっぱなしのスマホを手に取る。
10月2日、月曜日の午前7時。
志麻くんの死を目の当たりにした私は、再び今日という日に戻されるのだ。
「はあ……」
自然と深い溜め息がこぼれてしまう。酷い悪夢を見ただけなら良かったのに。
繰り返す7日間はいつも少しずつ違っていたけれど、辿り着く結末はすべて同じだった。
私のことを好きだという志麻くん。
その直後に、意図したみたいに命を奪われる志麻くん。
二度までなら、あまりにも不運な偶然と言えたのかもしれないけれど、三度目でさすがにそうではないのだと確信した。
共通しているのは、私に告白をした直後、後夜祭での出来事だということ。
場所や時間が異なっていても、その条件が揃うと志麻くんは死んでしまう。
だから、四度目は告白をさせないよう離れるつもりだったのに。
志麻くんはまるでそうするものだと決まっているように、私への告白を成し遂げてしまった。
(志麻くんの気持ちを変えないと、きっとダメなんだ)
私に告白をするという選択肢を奪わなければいけない。
思い立った私は、登校してすぐに志麻くんへこう伝えることにした。
「私は志麻くんのことが嫌いだから、悪いけどもう話しかけてこないで」
教室内はざわついたし、当の志麻くんも驚いた顔をしていたけれど、これでもう大丈夫だろう。
そう考えた私の予想を飛び越えて、志麻くんは五度目の後夜祭でも私に好きだと伝えてきた。
私が彼を嫌っていたとしても、彼は私のことが好きなのだと。それを伝えることは、ただの自己満足であるのだと。
それからすぐに血まみれになった志麻くんを見下ろして、私は自分の考えが甘かったのだと気がついた。
(……ちゃんと、志麻くんに嫌いになってもらわないと)
拒絶では足りない。志麻くんに嫌われるための努力をしなければ。
「千綿、どうしたの……?」
眞白が今までに見たことのない目をして私を見ている。
眞白だけじゃない、教室にいるクラスメイトたちがみんな、私に視線を向けているのを感じていた。
昼食の最中だった私は、徐に立ち上がって教室の後ろにあるゴミ箱の前に立つ。
今日のお弁当は、お母さんお手製のハンバーグ。
夕食の残りではあるのだけど、家族が喜ぶからと手間をかけて作ってくれているのをよく知っている。
付け合わせは甘く煮た人参と、塩茹でされたブロッコリー。ゆで卵とプチトマトも添えられている。
それらにほとんど手をつけることなく、私は中身をすべてゴミ箱の中へと落とした。
「……別に。美味しくないから、もういらないかなって」
「ちょっ、千綿!?」
「購買、まだパン残ってるかな。ちょっと見てくるね」
「千綿ってば……!!」
困惑している眞白をよそに、私は財布を手に教室を後にする。
ゴミと共に無残に散らばったお弁当の中身が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
お母さんの作ってくれるお弁当は、いつだって美味しいに決まっていた。私の嫌いな食べ物だって、お母さんの手料理なら美味しく食べることができるんだから。
だけど、私には嫌な奴になるための方法が上手く思いつかなかった。
こんな手段を取るしかなかったけれど、あの教室の中で志麻くんも確かに私の方を見ていたから、彼も驚いたことだろう。
(お母さん……ごめんね)
胸の痛みを誤魔化すように唇を噛む。今だけはどうしても、私は最低の人間にならなければいけないから。
「嶋ちゃん、お化け屋敷の看板なんだけど……」
「ごめん、私やっぱり担当外れる。面倒だし」
放課後。打ち合わせのためにやってきたクラスメイトの広瀬さんに言葉を挟ませないように、私は強めに言葉を重ねていく。
「え、でも……」
「三年生って強制じゃないよね? 暇な人にやらせてよ」
「嶋ちゃん……?」
それ以上話す気はないとばかりに背を向けると、肩を落とした広瀬さんはみんなの輪の中に戻っていった。
「千綿、どうしたんだよ?」
そんな私を見かねたのか、志麻くんが怪訝な顔をしてこちらにやってくる。
彼と目を合わせないようにしながら帰りの支度を整えていくと、鞄を手に教室を去ろうとする私の腕を掴まれた。
その手は志麻くんのものではなく、眞白だったのだけど。
「今日の千綿、なんか変だよ」
「ああ、千綿らしくない。何かあったのか?」
「別に、何もないし二人には関係ない。離して」
私のことを心配してくれているらしい二人の姿に、どうにか心を殺して対応する。
「痛っ……!」
掴まれた腕を振り払うと、眞白が小さく悲鳴を上げたのが聞こえる。
そんなに強くしたつもりはないのだけど、思わず振り向いてしまった私の目に映ったのは、引っ張られた彼女の髪の毛だった。
腕を払った時に、私の制服の袖にあるボタンに長い髪が絡んでしまったようだ。
「ご、ごめ……ッ」
謝りかけた声を飲み込んで、私は思考を巡らせる。
変な絡み方をしてしまっているらしく、髪は簡単に解けてくれそうにない。
本来なら、後で縫い直せばいいのだからボタンをどうにかすれば良いと思う。袖から引きちぎるのが手っ取り早いだろう。
けれど、今目の前には志麻くんも一緒にいる。
「……帰りたいのに、迷惑だなあ」
目についたのは、学園祭の準備に誰かが使っているであろう、机の上に置かれたハサミ。
厚紙を切りやすいように用意された、通常のハサミよりも大きめのものだ。
咄嗟にそれを手に取った私は、眞白の髪を切ろうと彼女の方へ刃先を向けた。
「千綿、待っ……!!」
私がそんな行動に出るなんて予想すらしていなかったのだろう。半ば悲鳴にも似た声を上げる眞白を無視して、ハサミを開いた時。
「ストップ」
ぽたり、ぽたりと、床に赤い液体が伝い落ちていく。
眞白の髪と私が向けたハサミの間に、志麻くんの大きな手が躊躇なく入り込んできたのだ。
刃先が当たってしまった掌にはざっくりと赤い線が走っていて、そこから溢れる血が床を汚していた。
「きゃああああっ!? 藤岡くん!!」
「やだ、血が出てる……!!」
その光景を見たクラスメイトが一斉に騒ぎ出す。
彼に怪我をさせてしまったという事実に手が震えて、足元へとハサミが滑り落ちた。
「嶋、あんた何やってんの!?」
「藤岡、早く手当てしねーと!」
「っ……!」
志麻くんを心配する声と、私を責め立てる声が入り混じる。
眞白の髪が絡んだままのブレザーを脱ぎ捨てると、それを彼女の方へと投げつけて私は教室を飛び出した。
「うわっ……嶋!? 急に飛び出したら危ないだろ」
駆け出した廊下の曲がり角で、歩いてきた人影に思いきりぶつかってしまう。
急な衝撃に驚いていたのは純部先生で、文化祭の準備を始める教室に向かおうとしていたのだろう。
「っ、すみません……気分が悪いので帰ります」
「帰るって、大丈夫か? 血が出てるぞ」
「え……?」
純部先生の視線を辿ると、私の指に血がついていることに気がつく。
痛みはない。これは志麻くんのものだと、すぐに合点がいった。
真っ赤な血の色に、記憶に焼き付く悪夢のような光景が蘇る。
志麻くんに死んでほしくない。そのためなら、私がどう思われようと構わない。
「千綿!!」
名前を呼ぶ声に大袈裟なほどに肩が跳ねてしまう。大好きな志麻くんの声。まさか追いかけてくるなんて。
お母さん、広瀬さん、眞白、志麻くん。
途方もない罪悪感が押し寄せてきて、涙が込み上げてしまいそうになる。
こんな顔を志麻くんに見られるわけにはいかない。
何より、私を追いかけてきた彼が今、どんな顔をしているのか。私にはそれを確かめる勇気がなかった。
「おい、藤岡。お前も怪我してるじゃないか……!」
純部先生を押しのけて逃げ出した私の後を、志麻くんが追いかけてくるのが聞こえる。
けれど、彼の酷い怪我が先生の目に留まったのだろう。走るほどに二人の声は遠ざかっていて、先生が志麻くんを引き留めてくれたのだとわかった。
(ごめん……ごめんね、志麻くん……)
何度も何度も止まってしまいそうになる脚を、私は懸命に動かすことしかできなかった。