志麻くんと一緒に買い出しをしたあの日から、今日までの記憶はあまり無い。
「お化けの布どこやった!?」
「宣伝部隊出動しまーす」
「そこ破けてないか? 誰かガムテ持っておいで」
「スミセン急がないとお客さんくるよー!」
「先生のやる仕事じゃないだろ~」
校内はいつも以上に賑わいを見せていて、クラスメイトたちも忙しなく教室内を行き来している。
生徒に紛れた純部先生もこき使われていて、口先だけの文句と共に運ばれてきたガムテープを受け取っているようだ。
昨日のうちに施した装飾のおかげで、見慣れた教室はすっかり姿を変えていた。
暗幕カーテンによって一切の光を受け付けない真っ暗な室内は、小道具となっている懐中電灯が無ければまっすぐ歩くのは難しいだろう。
「千綿、いよいよだねっ!」
「わ、眞白……!?」
廊下でお化け屋敷の入り口の装飾を確認していた私は、背後から突然抱き着かれて驚きの声を上げる。
そこには予想通り眞白の姿があって、楽しそうな顔をしていると思った。多分、私だって似たような顔をしているのだろう。
できる限り恐怖と興味を持ってもらえるようにと、担当だった入り口の看板はギリギリまでこだわったつもりだ。
本物の血で描かれたように見える真っ赤な文字に、井戸から出てくる某有名な女性の幽霊を模した、立体的な頭部と腕。
扉の上部にある小窓――欄間というらしい――から這い出してきている感じにしたかったのだけど、こうして見ると我ながら良い仕上がりになったと思う。
垂れ下がった髪の毛は扉の下まで伸びており、そこを暖簾のように潜ってお化け屋敷の中へ入っていく仕様だ。
「そうだね、ちゃんと怖がってもらえるかドキドキだけど。思ってたよりしっかりお化け屋敷になってるんじゃないかな」
「それもそうだけど! もう一個、メインイベントが待ってるでしょ」
「あ……う、うん」
眞白の言わんとしていることを察して、思わず視線が泳いでしまう。
志麻くんに告白をすると決意した。その気持ちは変わっていないし、泣いても笑っても今夜にはすべてが終わっているのだ。
ただ、今の私はそれどころではなくて、気を逸らしていないと緊張で倒れてしまいそうだった。
「なんだったらあたし途中で当番変わるし、早めにデート行ってきてもいいんだからね」
「そ、それはいい……!」
眞白の申し出に大きく首を横に振ると、私は生徒たちが行き交う廊下をぐるりと見回す。
「……もちろん、志麻くんとのことも大事なイベントなんだけど。最後の学園祭も、ちゃんと楽しみたいから」
みんなが一丸となって準備を進めてきた今日という日。
お揃いで作った水色のクラスTシャツ。それを身に着けたこのメンバーと共に過ごせるのは、今年が最後なのだから。
「そっか、じゃあまずはお客さんたくさん呼び込まなきゃだね」
「うん! あ、眞白は?」
「ん? あたしがなに?」
「その……ジンクスのこととか、眞白は告白しないのかなって」
恋をしているのは私だけではない。
私が志麻くんのことを好きだと知られた時に、眞白にも好きな人がいるらしいという話を聞いたことがあった。
ただ、その相手が誰なのか眞白は教えてくれなかったし、尋ねる機会も失ったままだ。
叶うことのない恋だから、なんて笑っていたけれど。
明るくて優しくて女の子らしい、私にとって理想の塊みたいな眞白にも、叶わない恋があるなんて今でも信じられない。
「あたしのことはいーの! ほら、お客さん第一号来たよ!」
「あっ、いらっしゃいませ!」
眞白はやっぱり、告白をするつもりはないのかもしれない。それ以上を聞き出そうとするのは、きっと野暮というものなのだろう。
やってきたお客さんを教室内へと誘導する眞白を横目に、私も目の前の役割に集中することにした。
それからお昼近くまで、想像以上にお化け屋敷は盛況だった。
教室の中からは定期的に悲鳴が聞こえてきて、それを聞きつけたお客さんが興味を示してやってくる。
大人数を押し込むわけにはいかないので、結果的に廊下には待ちの行列ができるタイミングもあったほどだ。
「お、お腹空いた……!」
「嶋ちゃんおつかれ~、交代しよ」
「ありがとう、たこ焼き並んでるかな?」
「あー、ちょうどお昼だもんね。結構列できてるかも」
「だよねぇ」
お昼休憩を挟んで当番を交代すると、クラスメイトに後を任せて私は小さながま口財布をスカートのポケットに押し込む。
空腹感は限界を迎えていて、今すぐにでも食べ物をお腹に入れたい。けれど、お昼時の出店なんて長蛇の列が容易に想像できてしまう。
とりあえず、志麻くんと相談して行き先を考えよう。そう思った私は、彼の姿がどこにも見当たらないことに気がついた。
「あれ……志麻くん……?」
志麻くんも私と同じ午前中の当番なので、さっきまで列整理をしたり、お化け屋敷を出入りしていたはずだ。
一緒に学園祭を回る約束もしていたのだから、どこにも行くわけがないのに。
(もしかして、誰かに声を掛けられて……?)
ふと過ぎる可能性を振り払おうと、私は頭を振る。
誰かに誘われたとしても、志麻くんは先約を何も言わずに破るような人ではない。少なくとも、そちらを優先したいなら私に断りを入れてくれるだろう。
(でも、他に優先したい用事があるって言われたら……私はどうするのかな)
それが志麻くんの意思なら、仕方ないと諦めるのだろうか?
知らず知らず沈んでしまいそうになる気持ちを、どうにか奮い立たせようと顔を上げた時だった。
「……たこ焼き?」
私の目の前には、どういうわけだかたこ焼きの姿があった。空腹のあまり幻覚が見えているのだろうか?
それにしても美味しそうな8個入りのたこ焼きは、おそらく焼きたてなのだろう。
ほかほかと湯気を立たせて、香ばしいソースの匂いまでもがリアルに鼻孔を擽ってくる。
たっぷりとかけられた鰹節が私を誘惑するみたいに踊っていて、青のりとのコントラストが天才的だと言わざるを得ない。
「ふ……いつまで見つめ合ってんの」
「へ?」
笑みを含んだ声に現実へと引き戻された私は、そこに志麻くんが立っていることに気がつく。
たこ焼きがひとりでに現れたのではない、彼が私の目の前にたこ焼きを差し出していたのだ。
「冷める前に座れる場所探すぞ」
「う、うん……?」
笑いながら廊下を進み始める彼の後を慌てて追いかけていく。
よく見れば志麻くんは、たこ焼き以外にも何かが入ったビニール袋を腕に提げている。
「もしかして、買いに行ってくれたの?」
「絶対混むし、腹減る時間だし。村田に頼んでちょっと早めに抜けさせてもらった」
長蛇の列ができるであろう状況を見越して、志麻くんはお昼ご飯を買いに行ってくれていたらしい。
自分のためでもあるのだろうけれど、その気遣いにますます彼のことを好きだという気持ちが膨らんでしまう。村田くんにも感謝をしなくては。
「そうだったんだ……あ、お金払うよ!」
「いいよ、俺も食うし」
「でも……」
「甘いのも買いに行くだろ? そっち奢って」
「……わかった、ありがとう。志麻くん」
交換条件を出されてしまえば、それ以上食い下がることもできない。私がデザートも買わずにいられないことを、把握されてしまっているのか。
休憩できそうな屋外のベンチや、飲食のために設置された簡易スペースは、すでに多くの人で埋まっていた。
結局、私と志麻くんは空き教室のひとつを借りて昼食を楽しむことにする。
机を挟む形で向かい合うと、たこ焼きに焼きそば、フランクフルトなどが並べられていった。
「たくさん買ったね」
「ホントは千綿の好きなやつ聞いて買いたかったけど、時間無かったから。好きなの食っていいよ」
「……全部好き」
「ハハ、じゃあ半分ずつ食おう」
恋する女の子はきっと、好きな人の前では胸がいっぱいで食事なんてまともに喉を通らないのかもしれない。
だけど私は志麻くんが買ってきてくれたものだと思うと、全部が宝物みたいに見えてしまって。
この教室で口にしたたこ焼きの味を、この先も忘れることはできないのだろう。
後夜祭まで、あと三時間。