「千綿、買い出し行ける?」
「ごめん、ちょっとだけ待って……!」
志麻くんに声を掛けられて、私は手にしていた教材を慌てて机の中に押し込んでいく。
そんなにのんびりしていたつもりはないのだけど、こういう時の行動は彼の方が素早い。鈍くさいと思われていたら嫌だな、なんて。
「ゆっくりでいい、リスト確認しとくから」
そう言って、志麻くんはポケットから取り出した自分のスマホに何かを打ち込み始めた。
本格的に学園祭に向けた準備が進められて数日。私たちのクラスがやるのはまさかのお化け屋敷で、その内装準備に追われている。
三年生ということもあって、準備に携わる人数は全員ではないのだけど。
思い出を残したいと考える人が多かったこともあって、みんな少しでも何かやれることがあればと動き回っていた。
そんな中で、赤のマジックペンが足りないと言い出したのは誰だっただろうか?
近所のコンビニまで買い出しを申し出た途端、次々と追加の注文が溢れてしまったのだ。
「手伝わせることになってごめんね、志麻くん」
「千綿が謝ることじゃないだろ、俺が手伝うって言ったんだから」
私一人での買い出しを見かねて名乗り出てくれた志麻くんは、相変わらず何でもないことのように言う。
各々が好き勝手に書き殴ったせいで四方八方へと文字が散らばった買い出しメモは、志麻くんのスマホの中で綺麗に整頓されていた。
「ありがとう。志麻くんって困ってるといつも手伝ってくれるよね」
「そうか?」
「うん。困ってると颯爽と現れるから、周りをよく見てるんだなって」
もちろん、24時間どんな時にもというわけにはいかないけれど。
同じ教室の中で困ったことがある時には、いつも志麻くんが解決してくれている気がする。
「……千綿だから、かな」
「え?」
「お前たち~、差し入れだぞ~」
志麻くんがぽつりと呟いた言葉を聞き取れずにいると、大きく音を立てて教室の扉が開かれる。
見ればそこにいたのはクラス担任の純部先生で、手には白いビニール袋を提げていた。中には大袋入りのチョコレート菓子が入っている。
「やった、純部サンキュー!」
「純部先生だろ。他のクラスには内緒にしとけな」
「スミセンこっち手伝って~」
「先生はこれから職員会議だから無理だって」
純部先生の周りにわらわらと集まったクラスメイトたちは、早速袋を開封して個包装の中身を教卓の上に広げていく。
そちらよりも先生に用事があるらしい早川さんグループは、腕を引いて純部先生を教室の後ろへと誘導していた。
ずれた眼鏡の位置を直しながらダメだと言っている先生も、あの様子では時間ギリギリまで手伝ってくれるのだろう。
高校生活最後の担任が、純部先生で良かったと思っている生徒は多いはずだ。
「千綿」
「あっ、ごめん。それじゃあ行こっか」
騒ぎの方に気を取られてしまっていた私は、志麻くんに名前を呼ばれて意識をこちらに引き戻す。
待たせていた志麻くんの後に続くと、彼と共に教室を出てコンビニへと向かうことにした。
「そういえば、志麻くんも前は眼鏡かけてたよね」
髪形こそ大きくは変わっていないものの、私が出会ったばかりの入学時の志麻くんは今とは少し違っていた。
分厚い眼鏡をかけていて、初対面では近寄りがたいオーラを放っていたのを覚えている。
「……千綿は、前髪ぱっつんじゃなかったよな」
「こっ、これは……! 間違えたのが、定着しちゃったっていうか……」
彼の言う通り、入学したばかりの私はセンター分けをしていた。
クラスメイトの間で流行りの髪形を真似しようとしたものの、美容院で頼むのがどうしてだか恥ずかしかったのだ。
だから自分で前髪を切ったのだけど、自分の不器用さは自分が一番よくわかっている。やめておけば良かったと思っても、後悔先に立たずというやつだった。
「恥ずかしすぎて学校行きたくなかったんだけど。眞白が似合うよって言ってくれたから、これも悪くないかなって」
「俺も花江の意見に賛成だな」
「賛成……?」
「千綿によく似合ってると思う」
そうやって志麻くんは、恥ずかしいことをさらりと言ってのける。
「っ……志麻くんはすぐそうやって!」
「わっ、おい、やめろって……!」
顔が熱くなるのを誤魔化したくて、腕を伸ばして志麻くんの前髪をぐしゃぐしゃにしてやる。
抵抗して私の腕を掴んだ志麻くんに、そのまま抱き寄せられたのは完全に想定外だった。
「え……っ、ちょ……志麻く……!?」
動揺して離れようとする私を抑え込むように、志麻くんの腕に力が篭ったのがわかる。
あまりにも急激に縮まった距離に私の頭はショートしかけていて、なんだかいい匂いがするな、なんて場違いなことを考えていた。
そんな私のすぐ後ろを、チリンチリン、とベルを鳴らしながら一台の自転車が通り過ぎていく。
「……悪い、ぶつかりそうだったから」
「あ、自転車……ありがと……」
自転車を見送った志麻くんは、拍子抜けするほどあっさりと私の身体を解放する。
このまま傍にいたら心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思えて、それからは彼の少し後ろをついて歩くような形になってしまった。
学校からそれほど離れていないコンビニなのに、到着までの時間はやけに長かったように思える。
「それじゃ、サクッと済ませちゃおっか」
「ん、それ持つ」
「あ……ありがとう」
店内には数名の買い物客がいるけれど、混雑しているというほどではない。
入り口にあるカゴを手に取って買い物を始めようとした時、自然な動きで志麻くんが私の手からカゴを取り上げてしまった。
(志麻くんて、こういうの自然にやるんだよなあ)
スマホのメモを確認している彼の横顔を一瞥してから、商品棚の方へ移動する。
リストにある商品を志麻くんが読み上げて、それを私がカゴに入れていく。そうしていると、必要なものはあっという間に揃えることができた。
「うん、オッケーかな。それじゃあ……って、志麻くん?」
買い漏らしが無いかどうかを確認して、私はレジに向かおうとする。
けれど、カゴを手にしたままの志麻くんはなぜか、スイーツコーナーの前で立ち止まっていた。
「どうかした?」
「……これ、千綿に似てる」
「え……?」
彼がなにを言い出したのかわからなくて、首を傾げながら隣へ移動してみる。
志麻くんが指差した先にあったのは、小さなプラスチック容器に入ったパンダの形をした和菓子だった。
小さくて丸っこくて可愛らしい。可愛らしい……のだけど。
「……似てないよ」
「似てるだろ。この訴えかけるみたいに見上げてくる感じとか」
「からかってるでしょ」
「うん」
「もー、志麻くん……!」
真剣な表情で言うものだからつい納得してしまいそうになった私は、志麻くんを睨み上げる。
楽しそうに笑う彼はあっさりとそれを認めてきて、ムッとした私は志麻くんの肩を叩いた。もちろん、本気ではない。
「……それ、買うんだ?」
「せっかくだし、普通に美味そうだし」
私のことをからかうだけのつもりかと思ったのに、志麻くんはそのパンダをカゴの中に追加している。
「千綿は? いる?」
「…………いる」
「ハハ、じゃあ買ってくる」
いらないと言えたら良かったのに、パンダは可愛いだけじゃなくて確かに美味しそうだった。
期間限定のコンビニスイーツは入れ替わりも早い。一期一会なのだから、今食べておかなければ後悔するかもしれないのだ。
誰にともなく心の中で言い訳をした私は、会計を済ませた彼と共にコンビニを後にした。
「あれ~、藤岡くんじゃない?」
「わ、ホントだぁ!」
自動ドアを潜った直後、志麻くんを呼ぶ高めの声が聞こえてそちらに目を向ける。
どことなく見覚えのある二人組は、すぐに隣のクラスの女子だと思い当たった。