「ん……、……え……?」
目覚めた私は、見慣れた自宅のベッドの上――ではなく、学校の廊下に立っていた。
目の前には自分の作った看板が立て掛けられていて、遠くから賑わう声が聞こえてくる。そこはまさに、学園祭真っ最中の教室前だとわかった。
ポケットを探るとすぐに硬い感触にぶつかり、取り出したスマホで日時を確認する。
(10月8日……17時って……!?)
そう認識した瞬間、校舎の中に後夜祭開始のアナウンスが流れ出す。これまでと違いすぎる状況に、私は混乱していた。
(願い事は叶ったの……?)
私が願ったのは、眞白の願いを取り消すことだった。
ループのすべての始まりは眞白の願いで、志麻くんの願いも純部先生の願いも、彼女の願いに連なった内容だった。
だから最初の願いが無かったことになれば、それ以降の願いも生まれなかったことになるんじゃないかと考えたのだ。
(わからないけど、志麻くんを探さなきゃ……!)
幸いというべきか、身体の調子は悪くない。あのループで終わりにならなかっただけなのか、ループの仕組みが変わったのかはわからないけれど。
そう思って動き出そうとした時、私はタイミング悪く教室から出てきた人物にぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさ……!」
「あれ、千綿?」
「ま、眞白……!?」
きょとんとした顔で私のことを見ている彼女は、丁度片付けが終わったところらしい。
手にはゴミ袋を持っていて、これからそれを捨てに行くところだったのだろう。
「あの、願いが叶ったかわからないんだけど、ループが変わってて……!」
「ループ……って、なんの話?」
眞白の理解が追い付いていないと言いたげな反応に、私は続く言葉を見失ってしまう。
彼女がこんな時に冗談を言うはずがないし、ループをした認識があるなら結果を知ろうとするはずだ。
(記憶が……無くなってる……?)
衝撃は大きいけれど、予想通りといえばそうなる。眞白の記憶が無いのなら、私の願いが影響を与えたということになるのだから。
それならば、志麻くんはどうなったのだろうか?
「いや、あの……眞白っ」
「うん?」
「志麻くんがどこにいるか知ってる?」
恐る恐る眞白を窺うと、目を丸くした彼女の指が私の頬をゆるく引っ張った。
「もー、千綿ってばまだ志麻くん見つけられてないの!?」
「ふぁ……?」
「告白するんでしょ? 居場所は知らないけど、後夜祭もう始まってるんだから急がなきゃ!」
私の背中を押してくれる言葉に、これはループをしていない世界なのだと理解する。
彼女の願いによる影響が無くなった地点。おそらくはそこからのスタートとなったのだろう。
「そうだね。私、探してくる……!」
やるべきことを再認識した私は、志麻くんを探すためにその場から移動しようとする。
けれど、見送ってくれるはずの眞白に腕を掴まれてそれは叶わなくなってしまう。
「えっ……眞白?」
「あ、……っごめん……」
自分でも驚いた様子で手を離した彼女は、うろうろと視線をさまよわせている。
何か言いたいことがあるんだ。そう感じ取った私は、眞白の気持ちが定まるまでその場に留まることにした。
「……ごめん、千綿……あのね……あたし」
「うん、ちゃんと聞いてるよ」
途端に泣きそうな顔をした眞白は、一度唇を引き結んでから決意を固めたように口を開く。
「っ……あたし、千綿のことが好き」
眞白の中で、何度も何度も無かったことにしようとした気持ち。
必死に押し固められすぎて、歪な形になってしまったそれは、今はとてもまっすぐで優しい気持ちに見える。
「……ありがとう、眞白」
だから私は、彼女の手を取ってその気持ちに真正面から向き合う。
「眞白のことは、ずっと大好き。だけど……その気持ちには応えられない」
「……うん、わかってる」
私には私の好きな人がいるから、眞白の気持ちを受け入れることはできない。以前の彼女だって、それをよくわかっていたはずだ。
けれど、今目の前にいる眞白はとてもすっきりとした顔をしていて、晴れやかな笑顔を向けてくれていた。
それから今度こそ眞白に見送られた私は、校舎の中を駆け回っていく。
スマホに連絡を入れたのだけど、充電が切れているのか志麻くんに繋がることはなかった。自分の足で探すしかない。
「こらー、廊下を走るな」
「っ……純部先生!」
通りかかった昇降口で気の抜けた声に注意を受けた私は、その声の主が純部先生であることに気がついて立ち止まる。
先生は外から戻ってきたところだったらしく、靴をスリッパへ履き替えようとしているのがわかった。
「あれ、嶋か。楽しむのはいいけど気をつけて――」
「先生っ、志麻くん見ませんでしたか!?」
先生もやはりループの記憶はないのだろう。私を見る反応でそう判断すると、言葉を遮って質問を投げかける。
「藤岡? お前ら揃って、スマホ持ってないのか?」
「え?」
「さっき藤岡にも同じこと聞かれたよ、嶋を知らないかって」
さっき、ということは先生は志麻くんに会ってきたということだ。つまり、志麻くんはまだ生きている。
私のことを探してくれているのだ。
「ど、どこで……志麻くんに会ったんですか!?」
「中庭だけど、後夜祭も始まったし移動してるだろ。次に行くなら……って、嶋!?」
先生の言葉を最後まで聞いている余裕がなくて、私は上履きのまま校舎の外へ飛び出していく。
目指す先はグラウンド――後夜祭のメイン会場だった。
「……ったく、青春だなあ」
◆
全速力で駆け抜ける私に驚く声が聞こえるけれど、そんなことを気にしている場合じゃない。
目的地に近づくにつれて、生徒の数も多くなっていく。みんな同じ場所を目指しているんだ。
ほとんど日が沈んだ屋外は暗いものの、視線の先にあるオレンジ色の明かりが少しずつ大きくなっていく。
辿り着いたグラウンドの真ん中には、巨大なキャンプファイヤーが設置されていた。
その周囲を囲む生徒たちの賑やかな声と、学園祭の締めくくりを盛り上げる音楽が流れている。
参加しない生徒もいるだろうけれど、ほとんどの生徒がこの場に集まっていて、その中からたった一人を見つけるのは容易ではない。
時折ぶつかりながらも人波を掻き分けて、私は前へ前へと進んでいく。この先にいる保証はないというのに、その向こうで彼が待っているような気がする。
やがて人だかりが途切れたかと思うと、開けた視界の先にこちらを見る人影があることに気がついた。
「千綿……!」
声なんてほとんど聞こえなかった。
それでもその姿を認識した瞬間、私は弾かれたように走り出すと、彼の胸目掛けて飛び込んでいく。
抱き留めてくれた身体を勢い余って押し倒してしまったけれど、もう離れることができない。
「ッ……志麻くん……!! 志麻くん!!」
私の下で驚いた顔をしているその人は、紛れもなく志麻くんだ。
楽しげだった周囲の視線がこちらに集中して、囃し立てる声も聞こえるけれど、私にはもう彼のことしか見えていない。
「俺、千綿に伝えたいことが……」
「知ってる」
「え……?」
私のことを見上げる彼は、繰り返した一週間の出来事を覚えてはいないだろう。
それでも、無くならないと言ってくれたその気持ちはここにある。そう信じられたから。
「私も志麻くんのことが大好き!!」
今度こそ、私の中にある一番の気持ちを志麻くんに伝えることができた。
その瞬間、頭上に大きな花火が打ち上げられて、その場にいた全員の視線が空を仰ぐ。
夜空を彩る大輪は続けざまにいくつもの花を咲かせて、長い長い学園祭の終わりを告げようとしていた。
シャツの裾を引っ張られた気がして花火から視線を戻すと、志麻くんがこちらを見ていることに気がつく。
その唇が内緒話をするみたいに名前を呼ぶから、そっと身を寄せた私たちの影は、一つに重なり合った。
大好きな彼に嫌われるための一週間は、もう来ることはない。
今日からは、大好きな志麻くんと共に紡いでいく未来が始まるのだから。