「なっ……なに……!?」

 急に強い力で木の陰に引きずり込まれた私は、ジンクスの妨害が起こっているのかと混乱する。

 けれど、すぐにそうではないことが証明された。私の前に水田さんと谷口さんが立っていたからだ。

「学園祭楽しんでる? しましまチャン」

 覚えのある問い掛けに、私は自分にとっての一番最初の記憶を思い出す。

 志麻くんの死を初めて目の当たりにしたあの日も、こうして二人の妨害を受けたのだ。

 これまでのループの間は、私が志麻くんを避けようとしていたこともあって、こんなことをしに来る流れにはならなかったのだろう。だからこそ失念していた。

「ちょっと、シカトすんなよブス!」

「痛ッ……!」

 こんなことに付き合っている場合ではない。そう思って逃げ出そうとした私は、水田さんに足払いされて無様に転んでしまう。

 その隙を突いて私を組み伏せた谷口さんが、ロープで腕を縛り上げようとしてくる。

 彼女の手にはハンカチも握られていて、私はあの日拘束された上に口も塞がれてしまったことを思い出した。

「っ……お、お願い……! 縛ってもいいから、口は塞がないで!」

「ハァ? なに言ってんの、アンタって馬鹿?」

「叫ばれたら都合悪いだろーが」

 きつく縛り上げられた手首が痛む。もっと必死になって逃げ出せたらチャンスはあるかもしれないのに、身体が言うことを聞いてくれない。

 日が沈み始めて周囲は薄暗い上に、生徒たちはグラウンドに向かっているから、ちょっと騒いだところでこんな場所では誰も気がつかないだろう。

 彼女たちもそれをわかっているから、この場所で私に仕掛けてきたのだ。

 それでも後夜祭が始まるまで粘れればいい。歪んだ笑みを浮かべてハンカチを口に押し込もうとする谷口さんの手に、私は思いきり噛みついてやった。

「痛ったァ!? なにすんだよゴミ女!!」

「どいて、わたしが口開けさせる」

 痛みに怯んだ谷口さんは手を引っ込めたものの、それを見た水田さんが地面に落ちていた木の枝を手に取る。

 枝が途中で折れたのか、その先端は鋭く尖っていて一目で危険なものだとわかった。
 
「大人しく従うつもりがないなら、強硬手段に出てもいいんだけど?」

「ッ……」

 鋭利な枝を頬に突き付けられて小さく痛みを感じる。このまま抵抗を続ければ、きっと彼女はこの枝を私の頬に突き刺すつもりなのだろう。

 それでも、何をされたとしても私は譲るわけにはいかなかった。願い事を口にするまでは絶対に。

 睨みつける私の目が気に食わなかったのか、ヒクヒクと頬を痙攣させた水田さんは枝を持つ腕を振り上げる。

「いい度胸だね、このブス……!!」

「―――っ!!」

 私は襲い来るであろう痛みを覚悟して、歯を食いしばりながらきつく瞼を閉じた。――次の瞬間。

「ブスはお前らの方だろうが」

 この場にいるはずのない人の声が聞こえて、私はまたループでもしてしまったんじゃないかと思う。

 けれど、恐る恐る目を開けた先には確かにその人が立っていて、そこには水田さんも谷口さんもいる。

「し、志麻くん……」

「「藤岡くんッ!?」」

 水田さんの腕を掴んだ志麻くんの顔は、私からは暗くてよく見ることができない。

「いっ、痛い……!! 藤岡くん!!」

「や、やめて……藤岡くん……っ」

 腕を捻り上げられた水田さんは甲高い悲鳴を上げているけれど、志麻くんが手を離す様子はなくて、青ざめた谷口さんが止めに入ろうとする。

 そんな谷口さんの首元を志麻くんのもう一方の腕が掴んだかと思うと、彼女はそのまま背後の木の幹に押し付けられてしまった。

「ッ……く、るし……」

 つま先立ちの状態になっている谷口さんは、志麻くんの腕を外そうと懸命に藻掻いている。

 それほどの力がどこから出ているのか、女子とはいえ二人を相手に志麻くんの両腕はびくともしない。

「自分たちが何をしたのか、思い知れよ」

 それを向けられていない私ですら怖いと思ってしまうほどの、背筋が凍るような感情の無い声。

 これまで一度も聞いたことがない声に、それが本当に志麻くんなのか疑ってしまうほどだ。だけど、志麻くんにこんなことをしてほしいわけじゃない。

「志麻くん、やめて……!!」

「ッ……」

 縛られたままの私は、彼の足元へと這いずって必死に声を上げる。それに反応した志麻くんは、理性が戻ったみたいに二人を解放してくれた。

 激しく咳き込む谷口さんと、腕を抑えながら彼女に寄り添う水田さんは、ガタガタと震えながら志麻くんを見る。

「ご、ごめ……なさ……」

 すっかり怯えきった彼女たちは、さっきまで見せていた態度が嘘のように、志麻くんが少し動いただけでも大袈裟に肩を跳ねさせていた。

「…………消えてくれ。今すぐ」

 短くそう告げられた二人は顔を見合わせた後、互いにもつれ合いながら逃げ出していく。

 大きく溜め息を吐き出した志麻くんは、その場にしゃがみ込むと私の拘束を解いて起こしてくれた。

「……悪い」

「どうして、志麻くんが謝るの……?」

「前回のも、アイツらがやったんだと思ったら……頭に血が上った」

 頭を抱える志麻くんの手は、よく見れば微かに震えているようで、自分のしてしまったことに後悔しているのだろう。

 彼は本来暴力を振るうような人ではない。それをよく知っているからこそ、自分を失ってしまうほどに怒ってくれたのだと理解ができた。

「……ありがとう。また助けてもらっちゃったね」

 震える手にそっと触れると、志麻くんが驚いたみたいに顔を上げる。

 その顔はいつもの志麻くんそのもので、握った手を優しく握り返してくれた。

「あのね、私決めたんだ」

 それだけで彼は、私の言葉の意図を汲んでくれる。力強く頷くと、制服が汚れるのにも構わずに志麻くんはその場に腰を下ろした。

「じゃあ、いよいよだな」

「うん。……ただね」

「ん?」

 この願いを口にすると決めた時から、それを実行することに迷いはない。

 それでもひとつだけ、考えずにはいられないことがあった。

「もし、全部が元通りになるとして。そうなったら……このループの記憶は、全部無くなっちゃうんじゃないかって」

 すべてが起こらなかった最初の日に戻る。それは私たちが望んだことではあるけれど、記憶も無かったものになる可能性はある。

 振り返れば辛いことばかりだった。だけど、それだけじゃなかったことも知っている。

「だから、今のうちに伝えておくね。志麻くん……ありがとう」

 すべてを伝えようと思ったらキリがない。そのくらい、志麻くんには感謝の気持ちでいっぱいだった。

 離れた手が寂しいと感じた直後、彼が腕を広げて私を抱き締めようとしたのがわかる。

 けれど、いつまで待ってもその腕が背中に回されることはなくて、やがて元の位置に戻った腕に私は視線で問いを投げかけた。

「…………今は、やめとく」

「今は……? あうっ」

 私は彼のように上手く意図を汲み取ることができなくて、思わず首を傾げてしまう。

 楽しそうに表情を緩めた志麻くんは、そんな私の額を指で軽く弾いてきた。

「全部忘れるとしても、俺の気持ちは無くならないから」

 はっきりと断言する彼の意思の固さは、私が誰よりもよく知っている。

 繰り返してきた一週間の中で、志麻くんの気持ちが揺らいだことは、ただの一度も無かったのだから。

 やがて、何度も耳にしてきた後夜祭のアナウンスが響き渡って、私はひとつ深呼吸をする。

「眞白の願いを無かったことにして……!!」

 まっすぐに見つめる瞳に見守られながら、私は最後の願いを口にした。