「…………どうしよう」

 あれから私たちは、最後のお願いについてをずっと考え続けていた。

 案だけならそれこそいくらでも挙げられたのだけど、やはり意図しない方向に叶えられてしまったらという懸念が、どうしても拭いきれなかったのだ。

 だから、最後は私が決断することになった。他の誰でもない、私が願い事を口にしなければならないからだ。

 スマホのメモ機能にまとめられたいくつかの願いを見つめながら、私は賑わう教室の入り口の前に立っていた。

「超絶怖~いお化け屋敷、今なら待ちナシで入れますよ~!」

 そう。悩み続けたままの私は、最終日となる学園祭当日を迎えている。

 本当はきっと、学園祭に参加をしている場合じゃない。どこか人の来ない場所にでも篭って、作戦を練るべきだと思うのに。

『最後になるなら、学園祭は楽しもうぜ』

 そう言ったのは、他でもない志麻くんだった。

 私たちにとっての学園祭はもう何度も体験しているし、生死を考えれば反対すべきだったのかもしれない。

(最後って、どういう意味で言ったのかな……?)

 そんなことを考えていると、教室の中から生徒に囲まれた純部先生が出てくる。

 担任なのだからと謎の理由で無理矢理に引っ張り込まれた先生は、真っ暗なお化け屋敷の中でなかなかの悲鳴を上げていた。

「いやあ……すごいな、ここまでの出来とは思ってなかったぞ」

「スミセンめっちゃビビりすぎ」

「お前は先生を盾にしてただろうが」

 生徒と同じ目線で言い合いをしつつ、解放された先生は私の姿を見つけるとこちらに歩み寄ってくる。

「嶋はそろそろ交代の時間だったか?」

「あ……はい、そうです」

「…………」

「……? 先生、どうかしました?」

 私のことを見下ろす先生は、何かを言いたげな気がするのに曖昧な笑みを浮かべるばかりだ。

 ループに関する話をしたいのかとも思ったけれど、人の多いこの場所で込み入った話はできないだろう。

「……楽しめよ、学園祭」

「え?」

「僕はあの時、怖くて願ってやれなかったけど」

 物悲しいような、諦めにも近いような表情に胸が苦しくなる。あの時というのは、先生の学生時代の話だろうか?

「嶋ならきっと、出口を見つけられる」

 そう言うと、純部先生は生徒たちに連れられて別の教室へと姿を消していった。

「ちーわた、スミセンとなに話してたの?」

「わっ、眞白……!」

 先生の背中を見送っていると、背後から現れた眞白に驚かされる。彼女は一足先に休憩を貰っていたので、その手にはチョコバナナが握られていた。

「食べる?」

「た、食べる……!」

 差し出されたバナナに遠慮なく噛り付くと、ビターなチョコレートと果実の優しい甘さが口の中に広がる。

 眞白が私を甘やかすので、結局バナナはすべて私の胃袋の中に納まってしまった。

「……志麻くんと同じで、先生も学園祭を楽しみなさいって」

「ふーん? スミセンってユルいよねえ。……けど、言いたいことはわかるかも」

 残った木の棒をゴミ袋に片付けていると、眞白がそんなことを言うので私の頭には疑問符が浮かんでしまう。

 見上げる教室の看板はどんよりとしているはずなのに、彼女はどこか眩しそうな表情を浮かべている。

「こんな時だからこそ、思い詰めすぎると悪い方向に引っ張られるから」

「悪い方向に……?」

「そ。だからさ、目の前のことを楽しむの。そしたら浮かぶ言葉もきっとポジティブになるよ」

 純部先生の言わんとしていたことが、少しだけ理解できたかもしれない。

 繰り返す一週間の中で、私の思考回路はどんどん悪い方へと転げ落ちていた。マイナスを回避しようって、そればかりに囚われていたから。

 言葉が力を持つのなら、込める願いは前向きな想いが多い方がきっといい。

「……やっぱり、眞白はすごいなあ」

「え? なによ、褒めても何も……」

「私ね、眞白の気持ちを知れて嬉しかった」

 向き直った彼女の手を取ると、眞白の大きな瞳が見開かれるのがわかる。

「応えられなくても……それでも、知らないままじゃなくて良かったって思うよ」

「ッ……あたしも……」

 顔をくしゃりと歪めて人目も(はばか)らずに泣き出してしまった眞白を、私は強く抱き締める。

「好きになったのが、千綿で良かった」

 眞白がずっと大事にしてきてくれた気持ちを、無かったものにはしないでほしい。

 それは私の我儘なのかもしれないけれど、生まれたその気持ちを後悔してほしくなかった。







 ◆





 最後まで残った願い事は2つ。

 すべての願いを取り消すことと、一週間のリセットをするということ。

「千綿、まだ考えてるのか?」

 交代の時間になって志麻くんと合流した私は、それぞれの手にたい焼きを持って校内を歩き回っていた。

 中に詰められた粒餡は、材料費の関係なのか普通よりも量が少なめではあるけれど、皮がもちもちとしていてそれだけでも美味しい。

 以前ほどあまり食欲が湧かなかったものの、私のためにと買ってきてくれたものは美味しく食べられてしまうんだ。

「まだ……というか、どれだけ考えても答えなんて出ないよ」

「……まあ、それもそうか」

 内容としてはどちらも同じで、願い方の問題だ。

 すべての願いを取り消すのは、それができれば一番いい方法なのだろう。だけど、『すべて』という願いがどの範囲まで適用されるのかがわからない。

 一週間をリセットするにしても、やり直すという意味では純部先生の願いと被る部分もあるから、ループは残ってしまうかもしれない。

「俺は、千綿の直感でいいと思ってる」

「直感なんて、そんなのダメに決まってる。ちゃんと考えなきゃ……むぐっ!」

 私の口に志麻くんが何かを押し込んできて、それが彼の食べていたたい焼きであると気がつくと、言葉を発するために咀嚼しなければならなくなる。

(なんか……デジャヴ……)

 たい焼きの中にはクリームが入っていて、餡子とは違った滑らかで優しい甘さが口の中に広がった。

(っていうか、これ……間接キス……っ)

 正確にいえば、間接キスは今に始まったことではない。だからそんな場合ではないのに、気がついてしまうと顔が熱くなっていくのを感じる。

 当の志麻くんは私の方を楽しそうに見ているものだから、早く文句を言うためにたい焼きを飲み込まなくてはと口を動かす。

「どれだけ考えても、最後は全部千綿に背負わせることになる」

 不意に志麻くんが真剣な表情を向けてきて、どうにかたい焼きを飲み込んだのに私は紡ぐ言葉を失ってしまう。

「けど、結果がどうなるかは気にしなくていい」

「志麻くん……」

「人生は元々やり直しのできるもんじゃないだろ。俺の覚悟は、最初に願った時に決まってる」

 どれだけ迷いを重ねたとしても、最後の最後、私に勇気をくれるのはいつでも志麻くんの言葉だ。

 彼を好きになって、好きだという気持ちを捨てずにいられて良かったと思う。

「ってことで、飲み物買ってくる。喉乾くだろ」

「え、ありがと……」

「すぐ戻るから待ってろよ」

 手元にまだ私の食べかけのたい焼きが残っているからか、気遣ってくれた志麻くんはすぐ近くにある出店に目を留めたらしい。

 お言葉に甘えることにして、私は彼を待つ間にたい焼きを食べ終えてしまおうと道の端に寄る。

 後夜祭が間近に迫っているからなのか、正直に言えば立っているのも少ししんどい状態だった。

 やはり私の身体は、ループの負荷に耐えられなくなっているのかもしれない。

(願いを消すのと、リセットと……どっちだろう)

 後夜祭のために一足先にグラウンドへ流れていく生徒たちを眺めながら、懸命に頭を働かせようとする。

 彼らの中にも、これからジンクスを頼って願いを叶える人がいるのかもしれない。

 その結果が意図しないものになるとしても、やり直しはできないのだ。それを思えば、私たちはまだチャンスに恵まれている。

『思い詰めすぎると悪い方向に引っ張られるから』

 思考がどんどん落ちていってしまうことに気がついて、その行き先を修正させようとする親友の言葉が脳内に浮かぶ。

 離れていても私のことを支えてくれているように思えて、少しだけ口元が緩んだ。

(眞白の言う通りだな、どうしたって悪いことばかり考え……)

 彼女の顔が浮かんだ直後。私の中に何かの答えが見えた気がして、一気に視界が開ける。

(眞白の……願い)

 沢山のことを考えすぎていたけれど、願いはもっと単純なものでいいのかもしれない。

 私は、眞白が言っていた言葉を思い出したのだ。

『あたしの願いが始まりだったのかなって。だから、リセットしたら全部もとに戻るんじゃないかって思ったの』

 すべての始まりは眞白の願いで、志麻くんと純部先生の願いは、それに連なるものだった。

「だったら、それが無くなれば……ッ!?」

 答えに辿り着いた私は、それを志麻くんに伝えようと顔を上げたのだけれど。

 次の瞬間、背後から伸びてきた複数の腕によって、私は闇の中に引きずり込まれてしまった。