琴葉ノ学園(ことはのがくえん)には、『後夜祭で告白すると幸せになれる』なんてジンクスがある。

 それを本気で信じている生徒がどれほどいるかは定かではないけれど、真偽のほどはどちらでも良いのだ。

 ジンクスを口実に告白をする男女は、毎年大勢いるらしい。

 私が過ごしてきた2年半ほどの間にも、ジンクスのことを口にする人間は数えきれないほどいたし、実際に告白をした友人もいる。

 その後に付き合ってあっさり別れたカップルもいれば、幸せとは程遠い関係性のカップルもいる。

 きっとみんな、高校生活という限られた時間の中に、特別を感じ取れるきっかけが欲しいんだ。

 今日のお昼ご飯はハムと卵のサンドイッチ。お母さんの作る卵サラダは卵の茹で加減と味付けが絶妙で、お店の味にも負けないと思っている。

 お昼まで我慢ができなくて、今朝もこのサンドイッチを食べてきたのだけど。

 主張しすぎないマヨネーズのまろやかさと、ハムの塩気があるからと控えめに振られた塩コショウの塩梅(あんばい)が最高だ。

 挟み込まれたレタスは時間が経ってしんなりとしているけれど、私はそれが好きだった。

「で、千綿は告白するんでしょ?」

 唐突な質問を投げかけられたのは、そうしていくらでも胃袋に収まってしまいそうなサンドイッチをしみじみと味わっていた時だった。

「告白って、いきなり何を……」

「いきなりじゃないでしょ! もうすぐ高校最後の学園祭なんだよ?」

 華やかな桃色の桜でんぶ、鮮やかな黄色の炒り卵、しっかり味の染みていそうな鳥そぼろ。(いろどり)として添えられた緑色のさやえんどう。

 それらの乗った三色弁当――正確には四色弁当というのだろうか――に半分ほど手を付けた花江(はなえ)眞白(ましろ)は、不服そうな顔をして箸を置く。

 もの言いたげな親友に倣って、私も半分ほどをかじったサンドイッチを持つ腕を机の上に下ろした。

「ジンクスとか、私はそういうの信じてないし」

「うそ、千綿は人一倍そういうの信じるタイプでしょ」

「うう……」

 あっさりと嘘を見抜かれてしまい、私は口を(つぐ)むしかなくなる。

 昔から男勝りなところがある私にとって、周囲からの自分に対するイメージと異なる言動をするのは、どうしても抵抗があった。

 中学に上がってスカートを穿くのにも気が乗らなかったし、高校に入ってようやく肩よりも下まで伸ばした髪を、編み込むようなことだってできない。

 だけど、本当は女の子らしいと言われるようなことをするのが好きだった。

 ふわふわとしたスカートを穿いて歩きたいし、髪を巻いてお洒落もしてみたいし、好きな色は淡いピンクだと言いたい。

「ジンクスもそうだけどさ、一度きりだよ? あたしは、千綿にやらずに後悔してほしくない」

 多様性なんてものを認めてもらいやすくなった時代。生まれ持った性別など関係なく、自分らしく好きなものを好きでいられたらいいと思う。

 ただ、これは私自身の気持ちの問題なのだということも理解している。

 周りは自分が思うより、私のことなんて見ていない。私自身が必要以上に、周りの目を気にしすぎているだけなのだ。

 眞白は小学生の頃からずっと一緒だからこそ、そんな私のことをよく理解してくれている。

「……後悔は、したくない」

「うん」

「ただ、なんて伝えればいいか悩んではいる」

 人生で初めての告白になる。私のこの気持ちを正しく、どのくらい好きなのかを伝えるためには、どんな言葉を選べばいいのだろうか?

 大好きな彼――――藤岡(ふじおか)志麻(しま)くんに。

 私たちの座る廊下側とは反対の、窓際の席に座る彼の方をちらりと盗み見る。

 数名の友人と談笑しながら同じように昼食をとる志麻くんは、黒い髪に隠れて表情を窺い見ることはできない。

「好き、でいいんじゃないの? あれこれ言葉を選ばなくたって、シンプルな方が千綿の気持ち伝わると思うけど」

「そういうものかな」

「っていうか、あんたたちとっくに両想いだと思ってたんだけど」

「へ!? 眞白ってばなに言ってんの……!?」

「あたしは千綿の気持ち知ってるけど、藤岡くんだって一目瞭然じゃん」

「そ、そんなわけ……」

 突然なにを言い出すのかと、ぎょっとして眞白を見る。彼女はいたって真剣な様子で、私をからかおうとしての発言ではないらしい。

 そして、それを絶対にありえないと即座に否定できないのは、私もそう思っているからなのかもしれない。

「っ……!」

 再び視線を向けた先で、志麻くんと思いきり目が合ってしまう。もしかして今の会話が聞こえていたのだろうか?

 さすがに距離があるし、教室内は賑わっているからそれはないだろうと思っていても、志麻くんがおもむろに立ち上がってこちらにやってきたことで全身から一気に冷や汗が噴き出す。

「俺の話してた?」

「し、してない……!」

「藤岡くん、聞き耳立ててた?」

「いや。千綿のこと見てたから」

「!!??」

 思いがけない返答に見上げた先の志麻くんは、少し長めの前髪の隙間から覗く瞳がやたらと甘い。

「今日も美味そうに食ってるなと思って」

「えっ……ああ、これ?」

 どうやら、私がサンドイッチを食べている姿を見られていたらしい。

 会話が聞こえていたわけではないことに安堵するものの、志麻くんはじっと私の手元を見つめている。

 食べたいのかな、なんて思う間もなく視界に影が落ちたかと思うと、吐息がかかるほどの至近距離に志麻くんの顔があって呼吸が止まる。

 尖り気味の八重歯が見えた直後、半分ほどあったサンドイッチはさらに形を小さくしていた。

「ん……やっぱ美味い、ごちそうさま」

 ぺろりと唇を舐めた志麻くんは、満足そうな後ろ姿で自分の席へと戻っていく。

 サンドイッチを持たない方の手で自分の頬に触れると、確認するまでもなく熱を持っているのがわかった。

「……しましまコンビ、距離感ホント謎だわ」

 誰がつけたのかも覚えていないコンビ名と共に、眞白が呆れた顔をして食事を再開している。

 志麻くんだって特に意図があってやっているわけではない。そう思う一方で、特別な意図があればいいのにとも思う。

 何もなかったみたいな顔をして自分の席に戻った志麻くんは、クラスメイトの女子たちに声を掛けられていた。

「藤岡く~ん、あたしたちも隣いい?」

「今日のお弁当手作りなんだぁ、良かったら一口どーぞ」

 狭い教室内だ、先ほどの私とのやり取りを見ていたのだろう。あっという間に壁ができてしまって、志麻くんたちが何を話しているのかはわからない。

 その光景を横目に見ながら、今の私にはそれをけん制することもできないのだと歯がゆさを覚える。

 今の関係が崩れてしまうのも怖いけれど、できるなら私は志麻くんの彼女になりたい。

 私と同じように、後夜祭で彼に告白しようと考えている女子も少なくないだろう。だから私には、迷っている時間などない。

「……眞白。私やっぱり、告白するよ」

「うん」

「後夜祭が始まったら、一番に言う」

「それがいいね。万が一があったら、あたしが千綿を嫁に貰ってあげるから」

「眞白~!!」

 冗談めかした眞白の言葉が心強くて、思いきり抱き着きたくなる。さすがに机を挟んで手にはサンドイッチがあるので、実行こそしないけれど。


 七日後の10月8日、志麻くんに大好きだって伝えよう。