こんなにも非現実的な一週間を繰り返しているというのに、それでも私はしばらくの間、志麻くんの言葉を信じることができなかった。

 泣き腫らした目元が腫れぼったくて恥ずかしい。隣のブランコに座り直した彼に見られたくなくて、自然とうつむきがちになってしまう。

 志麻くんが買っていた紅茶のペットボトルを借りて冷やしながら、少しずつ状況を整理していくことにする。

「……それじゃあ、ループしてたのは私だけじゃなかったんだ」

「そうらしい。俺がもっと早くに気づけてたら良かったんだけど」

「志麻くんは悪くないよ。私だって、自分以外にもループしてる人がいるなんて考えもしな……」

 ただでさえあり得ない事態で混乱していたとはいえ、もっと早くに気づけるタイミングはあったのかもしれない。

 そこまで考えて、私は不意に血の気が引いていくのを感じた。

 彼の命を失わないためとはいえ、私はこれまでに散々志麻くんに酷いことをして、拒絶の言葉を投げかけてきた。

 記憶に残らないとしても、募る罪悪感はいつも心の片隅に残り続けてきたというのに。

「あの、志麻くん、私っ……!?」

 開いた私の口の中に、突然何かの塊が押し込まれた。

 反射的に噛みついてしまったそれは柔らかく、優しい甘さが舌に触れて恐る恐る咀嚼してしまう。

「…………おいひい」

 憶えのある味。あの日にコンビニで買ったパンダの和菓子を、学校に着いてから二人で内緒で食べたのだと思い出す。

「ハハッ、一口でいけたな」

 私を見て笑っている志麻くんに物申したいのに、口の中を占領する餡の塊が邪魔でもごもごしてしまう。

「謝るなよ、千綿」

「……志麻く、」

「そういう世界なのかなって思い込んで、俺も気づけなかったんだ」

 ブランコの鎖を掴む私の手に、志麻くんの手が遠慮がちに重なる。感じる温もりは間違いなくそこに彼がいるのだと伝えてきて、再び涙がこぼれた。

「千綿に嫌われたわけじゃなくて良かった」

「っ……嫌いになんて、なれるわけない」

 始まりは私が知るよりも前で、本当に死ぬ運命だったのは志麻くんじゃなかった。

 こうなったのはきっと、彼が自分の死と引き換えに私の命を願ってくれたから。

 一週間を繰り返すようになったのは、それを叶える途中で何かの歪みが生じてしまったのかもしれない。

(それなら、もう一度願えば志麻くんを助けられるんじゃ……)

「変なこと考えるなよ」

「えっ……?」

 私の考えを見透かしたみたいに釘を刺してくる志麻くんに、驚いた声を上げてしまう。

 重ねられた手の力は強まっていて、少しだけ低くなった声色に彼は怒っているのかもしれないと感じた。

「俺を助けるために自分を犠牲にとか。それじゃあ、俺の願いが叶った意味がなくなる」

「でも……このままじゃ志麻くんがまた」

「わかってる。このループをどうにかして、死の原因も突き止めるんだ」

 そう断言する彼は、自分の命を諦めているわけではないらしい。

 私だって志麻くんに死んでほしくないし、できるなら自分も生きて、一緒に未来へと進んでいきたい。

「そうだね。だけど、死を回避するのは難しそうだったんだよね……」

 これまでの志麻くんの死に方はいつもバラバラで、私に告白をするということ以外、法則性が無かった。

 危ない場所にいたわけでもなく、状況としてはむしろ見えない何かの力を感じるものばかり。

「私に告白をしないって選択肢は……」

「それはない。万が一にも千綿が死ぬ可能性があるなら、もう一回ループしてやり直す」

「そんな……」

 これまで、何があっても告白を遂行する志麻くんの執念は恐ろしいものだとも感じていた。

 けれど、それもすべて私の死の可能性を回避するためだったのかと思うと、一体どれだけ彼に守られ続けていたのだろうか?

「それに多分、願ったことが必ず叶うわけじゃない」

「そうなの?」

「ループを止めるようにってのもそうだけど、それ以外にも簡単なことは願ってみたんだ。けど、どれも結局叶わなかった」

 私は志麻くんの死を回避しようということばかり考えていた。一方で、志麻くんは新たな願いを叶える方向を試していたらしい。

 同じように一週間を繰り返していたというのであれば、複数回チャレンジはしてみたのだろう。

「何か条件とか、法則性みたいなものがあるのかな?」

「かもしれない。あの日と同じだっていうなら、少なくとも願うのは後夜祭のタイミングなんだと思う」

「……そういえば。私もあの日、やり直しができたらって考えてた」

 私にとって志麻くんが初めて死んだあの日。彼の死を認識した私は、もう一度やり直しができたらと考えていたことを思い出す。

 もしもそれが原因でこのループが起こっているのだとすれば、やっぱり私の願いも叶えられたのだということになる。

「でも、それだと願いを叶える条件って……」

 共通するのは、お互いに相手の死を目の当たりにしている状況。

 それが願いを叶えるための条件なのだとすれば、どちらかが再び命を落とす必要があるということだ。

「……他に方法が無いなら、試してみるしかないだろ」

「試してみるって……!」

 そう口にする志麻くんは、とっくに覚悟が決まったような目をしている。

 どちらかが死ぬしかないのであれば、彼は間違いなく自分の命を差し出すつもりなのだろう。

「願いが本当に叶うかもわからないのに、そんなのダメだよ!」

「タイムリミットまでに別の方法が見つかればそれでいい、ダメならまたループする」

「どうしてそんな風に言えるの!?」

 自分でも驚くほど大きい声が出てしまったけれど、そんなことは気にしていられなかった。

 鎖を離して重ねられていた手を握り返すと、立ち上がった私は志麻くんの隣に立つ。

「私はもう、志麻くんが死ぬのなんて見たくないよ……!」

 勇気を出して伝えれば世界は変わるものなんだって、教えてくれたのは志麻くんだ。

 あの日から少しずつ一歩を踏み出していけるようになって、私は自分のことが前よりもちょっとだけ好きになれた。

 変わっていける未来を、もっともっと見てみたいと思うようになった。

「私にとって志麻くんは、何よりも特別で大切なひとなんだよ」

 大袈裟だって思われるかもしれないけれど、この優しくて大きな手が赤く染まるのはもう見たくなかった。

「俺を特別だっていうなら、そうしてくれたのは千綿だ」

 返された言葉の意味がわからなくて、彼の顔をただ見下ろす形になってしまう。

 ループがあるとはいえ何度も死ななきゃならない恐ろしい状況だというのに、志麻くんはそれを感じさせないほど穏やかな顔をしている。

「周りに対して勝手に作ってた壁を壊せたのは、千綿がいたからだ。千綿がそうやって俺を想ってくれてるみたいに、俺も一番大事なものを守りたい」

「志麻くん……」

 もう十分すぎるほどなのに、志麻くんはいつだって私にそれ以上のものをくれる。

 涙腺が壊れてしまったみたいに溢れる涙を、彼の指が拭っていった。

「これは諦めじゃない。千綿と一緒に生きてくために、俺ができることをするだけだ」

「…………うん」

 日が沈んですっかり暗くなってしまった世界は、それでも希望が見えなかったさっきまでより明るく見えるような気がする。

 今はもう一人じゃない。志麻くんと一緒に未来を見るために、私は繰り返す死を終わらせる方法を探すんだ。