「藤岡くんに嫌われたいって……なんでまた?」

「いや、それは……」

 階段の踊り場に並んで座る眞白は、信じられないものを見るような顔で私のことを凝視している。

 告白をするのだと意気込んでいた人間が、舌の根も乾かぬうちに正反対のことを言い出しているのだから、無理もない話だと思う。

 私からしてみれば、舌の根なんてとっくに乾ききってどうしようもなくなっているのだけど。

「説明が難しいんだけど、どうしても嫌いになってほしくて」

 眞白が相談に乗ると言ってくれた時、全部話してしまおうかと思った。試しにすべて打ち明けてしまうのもアリなんじゃないかと。

 けれど、今以上に状況が悪化すること。その可能性がゼロだと言い切れないのがどうしようもなく怖かった。

「よくわかんないけど。嫌いになってほしいなら、無視したり嫌いだって伝えたら手っ取り早いんじゃないの?」

「そういうのはあんまり効果がないというか、志麻くんの意志が固くてですね……」

 私の頭で思いつく限りの悪行をもってしても、彼の気持ちを変えることはできなかった。

 そもそも志麻くんが学園祭で私に告白をする決意をしているのなら、たった7日で気持ちを変えるなんて、できることではないのかもしれない。

(……どうしてそこまで私を想ってくれるのかな)

 志麻くんはやると決めたことはやり通す人だ。それが告白というものにも当てはまるのかはわからないけれど。

 本心では私の態度にうんざりしているのに、自分の決意に対して意固地になっているだけなのだろうか?

「千綿って、昔から悪いことしたりするの苦手だよね」

 うんうんと唸る私の頬を、面白がる眞白の指がつついてくる。

 手にしたまま噛り付く気になれなかった丸いあんぱんを、賄賂のように差し出す。綺麗な半分に割ったそれの片方を、彼女は遠慮なく口にした。

「に、苦手っていうか、悪いことはするものじゃないでしょ」

「それはそうだけど。だからわざわざ誰かに嫌われようなんて、千綿らしくないなって」

「私じゃなくても、普通は嫌われようなんて思わないよね」

 自分でもおかしなことをしている自覚はある。こんな風にあり得ない状況じゃなかったら、一生考えすらしないことだったのだから。

 半分になったあんぱんの断面から覗く、滑らかな黄金のさつまいも餡。

 一口食べてみれば間違いなく美味しいそれは、購買でも人気が高く毎日即完売の限定品だ。けれど、今はそれすら味気なく感じてしまう。

「……嫌われたいけど、千綿はまだ藤岡くんのこと好きなままなんだ?」

「えっ……!?」

 予想外の眞白の指摘に、私は自分で思うより大きな声が出てしまって頬が熱くなる。

「…………うん」

 眞白の言う通り、私はずっと志麻くんを好きな気持ちを捨てられずにいる。

 私が彼を嫌ったところで、志麻くんの気持ちを変えられなければ意味がない。

 それはわかっているのだけど、もしかしたら私の甘さが志麻くんにも伝わっているのかもしれない。

 だからこそ、私だって志麻くんのことを嫌いにならなければいけないというのに。

「……どうして嫌われたいのかはわかんないけどさ、そっちはちょっとわかるよ」

「え?」

「一度好きって感情を自覚しちゃうとさ、無かったことにするのは簡単じゃない」

 踊り場の窓の向こうを見つめる眞白の横顔は、どこか物悲しい色をしているように見えて、私まで胸を締め付けられるみたいだ。

(ああ、そっか……眞白も恋をしてるんだ)

 眞白は私の憧れの女の子で。彼女みたいに可愛くて内面だって素敵な女性なら、恋は簡単に叶うものだと思い込んでいた。

 けれど、現実はそう簡単に物事が運んでいくわけではないのかもしれない。

「……眞白は、告白しないの?」

 はぐらかされ続けてきたその答えを得られるとは思っていないけれど。

 叶うことのない恋だと言っていた彼女の想いは、私と同じように行き場を失っているのだろうか?

「しないよ」

 考えることすらせずに即答する眞白の中で、答えはもう出ているようだった。

「……あたしには、そんな権利無いから」

「権利……?」

 強要をするわけでもなく、自己満足であったとしても、伝えるだけならば誰にでも等しくその権利はあるんじゃないだろうか?

 そう思うのに、眞白の言葉はまるで伝えることすら罪であるかのような物言いに聞こえた。

「小5の時にさ、増田っていたでしょ?」

「同じクラスの?」

「そ。あたし増田のこと好きでさ」

「えっ!? そうだったの!?」

 急な告白に声が裏返ってしまったのが恥ずかしいけれど、眞白は気にせず話を続けていく。

 まさか増田くんのことを今でも想い続けているのかと、動揺を止めることができない。

「あたしさ、一ヶ月くらい急に学校休んだじゃん?」

「うん、病気だって言ってたよね」

「あれね、いじめられてたからなんだ」

「え……?」

 小5といえば、私と眞白は今と同じように別のクラスに分かれていた時だ。

 当時はまだスマホだって持っていなかったし、個人的な連絡手段は家に電話をするか、直接訪ねるくらいで。

 だから眞白がそんなことになっていたなんて、私は全然気がついていなかった。

「増田って結構人気あってさ。ほら、足速かったでしょ? 小学生ってそういうのがモテるじゃん」

「確かに……増田くん、リレーでアンカーとかやってたよね」

「それで、増田に告白したらOK貰ったんだけど。クラスの女子たちはそれが気に入らなかったみたいで」

 たったそれだけの理由で、眞白をいじめることになるなんて信じられなかった。

 眞白は友達が多い方だと思っていたし、実際に人望もある。いじめなんてそれこそ無縁だと思うくらいに。

 話をする彼女の表情は、今でこそ吹っ切れているようで思い出話を懐かしんでいるみたいだ。

 それでも、私の知らないところで傷ついていたのだと思うと、親友を名乗りながらそれに気づけなかったことが悔しい。

「だから不登校になったんだけど……千綿、毎日手紙書いてくれたでしょ?」

 眞白に言われて、確かに私は彼女宛に手紙を書いたことを思い出す。

 手紙といってもノートの切れ端に文字を書いて、折り畳んだものを自宅のポストに入れていただけのものだけれど。

「あれ、すごく嬉しかったんだ」

「でも、大したこと書いてなかったよね? 半分日記みたいなこと書いた気がする」

「うん。給食のきな粉揚げパンが美味しかったとか、食レポも多かったね」

 それはすごく記憶にあって、忘れてほしくなる。だけど、きな粉揚げパンは今でも思い出せるくらい本当に美味しかった。

 だから、学校に来られない眞白にも食べさせてあげたくて。せめてその美味しさが伝わればと、手紙に書き記したのだ。

「毎日それだけが楽しみでさ。そのうち、千綿に会えないのが理不尽だなって思うようになって」

「私に……?」

「そう。だから、クラスの女子とかどうでもいいから、千綿に会いに学校行こうって思えたんだよ」

 そんなつもりではなかったとはいえ、私の手紙が眞白を学校に呼び戻していたなんて。

「どうでもよくなって、増田とも結局付き合うとかは無かったんだけど。いじめもあっさり落ち着いてさ」

「そうだったんだ……」

「だからあたしは、次は千綿の力になるんだって決めてるの」

 そう言って笑う眞白はとても頼もしい親友で、同時に私は彼女と本当に対等な関係でいられているのだろうかと疑問を覚える。

 過去のことは取り返せないし、結果的に彼女を救うことができていたというのなら、意図しない行動でも実行できていて良かったと思う。

 だけど、今でも眞白は私の知らないところで苦しんでいる。

『一度好きって感情を自覚しちゃうとさ、無かったことにするのは簡単じゃない』

 そうして自分の中で完結してしまう彼女に、私ができることは無いのだろうか?

(私はいつだって、自分のことで手一杯なんだな……)

 そんな私の思考をよそに、自分で買っていたコロッケパンを食べ終えた眞白はこちらへ向き直るよう体勢を変える。

 私もそれにつられるように、残っていたあんぱんを口の中に押し込んだ。

「それで、嫌われるための方法を考えたいんだっけ?」

「う、うん……もしくは、後夜祭が終わるまで志麻くんに会わないようにしたいかなって……」

「それなら、いっそ学園祭休んじゃえば?」

 眞白の提案に、私はどうして今までそんな簡単な可能性に気がつかなかったのだろうかと驚愕する。

 学校にいると、どうしても志麻くんに見つかる可能性が跳ね上がってしまう。

 ずっと志麻くんの気持ちを変えることばかりに集中していたけれど、物理的に告白ができない状況を作れば良かったのだ。

「千綿、ズル休みしたことないもんね」

「っ……うん、そうしてみる! ありがとう眞白!!」

「告白を応援してたはずなのに変な感じだけど、頑張って」

 喜びのあまり思わず眞白に抱き着いてしまうと、驚きつつも優しく背中を叩いてくれる。やっぱり眞白がいてくれて良かった。