大好きな彼に嫌われるために、私はなにをしたらいいのだろうか?
「嶋ちゃん、おつかれ~!」
「おつかれ、学園祭あっという間だったね」
校内に流れるアナウンスは、生徒たちの楽しげなお喋りによってかき消されてしまっている。
高校最後の学園祭は怒涛の勢いで終了してしまったけれど、彼らの学園祭はまだ終わっていない。
「千綿ってば、なーに終わりの空気出してんのよ。本番はこっからでしょ!」
クラスメイトに挨拶を返して、散らかされたゴミをビニール袋に押し込んでいた私に、眉尻を持ち上げた眞白が詰め寄ってくる。
私より身長が低いはずなのに、その勢いに圧倒されて数歩ほど後ずさりをしてしまう。
「藤岡くんに告んなきゃ!」
「ま、眞白……! 声が大きい……!」
思わず彼女の口元を両手で覆って、周囲に視線を巡らせる。
幸いなことに、掃除もほぼ終わりかけの教室内では自分たちの会話に夢中な人間ばかりだ。眞白の大きな声も紛れてくれたらしい。
「ぷはっ。後夜祭なんて学園祭より短いんだから、もたもたしてる時間ないんだよ?」
「私は別に、告白とかそういうのはしないから」
「告白しないって、冗談でしょ? あ、もしかして藤岡くんの方から告られるって自信が……!」
「千綿」
興奮気味に声量を増していく眞白の言葉は、第三者の呼びかけによって遮られてしまう。
けれど、その相手が噂の張本人であったことで、眞白のもの言いたげな目が私と彼――藤岡志麻くんの間を行き来する。
「……志麻くん」
「もう掃除終わりだろ? それ、捨てるのか?」
「うん」
彼が目を留めたのは、私の足元にあるゴミ袋の山だ。
一人で運ぶには多いけれど、同じくゴミ捨て担当の眞白と二人なら往復せずに済むだろうと思っていた。
「手伝う。一緒に行こう」
「え、いや、これは眞白と……」
「あっ! あたし用事思い出したから、藤岡くんは千綿と一緒にゴミ捨ててきてもらっていいかな!?」
「ちょっと、眞白……!?」
「ああ、わかった」
私の意見などお構いなしに、眞白は拾い上げたゴミ袋を志麻くんに押し付けている。
そうして私に向かって綺麗に片目を瞑って見せた彼女は、軽い足取りで教室を出ていってしまった。
「眞白ってば……ごめんね、志麻くん。私がやるから手伝いは大丈夫だよ」
「構わない。千綿に用があったし、俺も行く」
「で、でも……」
「二人で行けば早く終わるだろ」
「…………うん、ありがとう」
私が遠慮していると思ったのだろう。床に置かれていたゴミ袋も拾い上げた志麻くんは、返答も待たずにスタスタと廊下に向かっていく。
彼一人にゴミ捨てを任せるわけにもいかなくて、私も残りのゴミ袋を手に取るとその後に続くことにした。
先にゴミ捨て場に行っているものかと思いきや、廊下に出ると志麻くんは立ち止まって私が来るのを待っている。
「そっち、重くない?」
「ううん、平気だよ。志麻くんの方がたくさん持ってくれてるし」
両手に二つずつゴミ袋を持つ志麻くんは、頼めば私の持つ残り二つのゴミ袋まで引き受けてくれそうだ。いや、間違いなく引き受けてくれるだろう。
藤岡志麻という人間は、そういうひとなのだ。
「学園祭、志麻くんは楽しめた?」
「それなりに。千綿はいろいろ食べられたのか?」
「なんで食限定なの?」
「食べるの好きだろ」
「好きだけど……」
紛れもない事実なので否定できないけれど、なんとなく悔しい。
「千綿が幸せそうに食べてるトコ、見てるとこっちも幸せになる」
彼は背が高いから、横並びになると志麻くんの顔はあまりよく見えなくなってしまう。
けれど、少しだけ私の方に傾けられたその表情は、普段は不愛想だと言われているものと同じだとは思えないくらいに柔らかくて。
私は志麻くんに嫌いになってもらわなきゃいけないのに、私のことを好きでいてほしいなんて思ってしまう。
「ゴミ、貸して」
「え? あ……ありがとう」
そんなことを考えているうちに、私たちはゴミ捨て場に到着していた。
自分の手にしていたゴミを指定の場所に置いた志麻くんは、私に向けて手を差し出している。袋を手渡そうとした私の指先に、志麻くんの指が触れた。
「そ、それじゃあ私は戻るね……!」
窓越しに廊下を駆け抜ける生徒たちの姿が見える。校庭の方へ向かおうとしているらしい彼らの目的は、考えるまでもない。後夜祭が始まっているのだ。
早くこの場を離れて、私もみんなの中に紛れてしまおう。
そんな考えを見透かすみたいに、志麻くんが私の腕を掴む。長めの黒い前髪の奥に見え隠れする瞳が、いつも以上にまっすぐ私の姿を捉えているのが見えた。
「……千綿、ちょっとだけ。来て」
「志麻く……待って、私……!」
「すぐ済むから」
問答無用で私の腕を引いて歩く志麻くんは、解放してくれる気はないらしい。
きっと本気を出せば振り払うことはできるのに、そうしないのは、ちゃんと嫌われる勇気が無いからなのかもしれない。
だって私は、志麻くんのことが大好きなのだから。
「志麻くん、あのね、私……」
「待って、俺が先」
志麻くんが足を止めたのは裏門のすぐそば。生徒たちはみんな校庭の方にいるのだろう、後夜祭に参加しない生徒が一人通り過ぎていく。
その生徒が裏門を抜けていったのを確認してから、志麻くんが口を開いた。
「俺は千綿が好きだ」
止めることもできず、彼に向けられた好意が鮮明な音になって私の耳に届く。
大好きな人が私のことを好きだと言ってくれた。
後夜祭で告白すると幸せになれると言うジンクス。それが事実かどうかは重要ではなくて、そんなシチュエーションを選んでくれたことへの喜び。
幸せな瞬間を噛みしめる間もなく、私の視界から志麻くんが消えた。
ドン、という鈍い音。同時に何かが折れるような耳障りな音。頬にかかる生温かいねっとりとした感触。
「きゃああああああああっ!!!??」
甲高い悲鳴が聞こえて、裏門の外を歩いていた男性が慌てた様子で駆け寄ってくる。
荷台に木材を乗せた大きなトラックが、校舎の壁にめり込むような形で止まっていた。その車体と壁の間から覗いているのは、私の腕を握っていた志麻くんの手だ。
「警察……ッ、救急車……!!?」
「早く車を動かせ!!」
「もう無理だよ、あれは……」
「きみ、大丈夫か!?」
騒ぎを聞きつけた人々が、校舎裏に続々と集まってくる。私はただ呆然とその光景を眺めていた。
酸素のない透明なカプセルに閉じ込められたみたいに、音が遠くに聞こえる。息が苦しい。視界が徐々に不鮮明になっていく。
目を開けていられなくなって、重力に従い瞼を下ろしていく。
闇に飲まれた私の思考は瞬く間に鈍り、けれど、確かにこう思ったのだ。
――……ああ、またか。