上良栄治は丁寧に椅子を引いて、無言のまま立ち上がる。
そして一歩、また一歩と機械のようにぎこちない足取りで教壇へと進んでいく。
爆発しそうになる感情を堪えるために、今すぐ暴れ出したいのを抑えるために、彼の歩みは不自然極まりないものとなっているのだ。
やがて教壇へとたどりついた上良栄治は、ゆっくりと教卓に手をついて、鋭い視線を私たちに向ける。
「吐け」
思わずビクンッと縮み上がってしまう。
上良栄治はただ静かに告げただけ。
だというのに、有無を言わせない絶対の力を伴っている。
上良栄治がどれだけ怒っているのかを、頭でなくて本能が理解していた。
「ま、待ってよ。栄治なにする気!?」
「決まってんだろうが」
決まっている。
なにが?
違う。
分からないんじゃない。
分かりたくないだけ。
上良栄治は――すためにそこに居るなんて……。
「ま、待ってください! なぜ君がそんな裁くような真似をっ。警察に任せればいいじゃないですかっ」
響遊の言葉通り、本来その領域は私たちが踏み込んでいい領域じゃあない。
ましてや勝手に殺すなど、犯罪の領域だ
夜見坂くんに理由を与えて、更には見逃している私が言える立場ではないけれど。
「黙れよ。瑠璃を殺されて、次は太陽だ? 許せるはずねえだろうがよ」
「そ、それは……」
一瞬気圧されてしまったが、それでも上良栄治の行為を受け入れることが出来なかったのだろう。
頭を振って何ごとかを呟き、再び食ってかかる。
「とにかく違いますっ。今までの話は全て推測でしかありません。湯川くんが殺されたかどうかすらまだ分かっていないんです。そもそも全ての発言に証拠が何も無い」
「じゃあ証拠があれば殺していいんだな」
「そういう話はしていません!」
「俺にとっちゃそういう話なんだよ!」
ふたりの会話は水掛け論だ。
そもそも求めるものが違うのだから、話がまとまるはずはない。
「ねぇやめようよぉ、栄治ぃ!」
「やめられるわきゃねえだろうがっ!」
ふたりの怒鳴り合いがたまりかねたのか、宮苗瑠璃の友人である崎代沙綾が説得を試みるも、上良栄治に一蹴されてしまう。
「訳分かんねえんだよ! なんでこんな事になった! 何が起こってる!」
それに答えられるのは、ただひとり。
でもその人はより一層の混乱を望んでいる。
答えるはずがない。
「太陽が死んだかどうかは分かんねえよ。でもな……」
上良栄治の血走った目線が教室を横なぎにする。
「この中の誰かが瑠璃を殺したことは間違いねえんだ。そうだろう?」
その誰かが分かれば、上良栄治は確実に殺しへと走るだろう。
そのことを確信させる目だった。
教室の中が、シンと静まり返る。
ほんの少しでも音を出せば、上良栄治の関心を引いてしまえば、殺されるかもしれない。
そう、思った。
「誰だろうなぁ?」
「……ちげえだろ」
思わず漏れた、という感じで呟き声が聞こえてくる。
誰が言ったのかまでは分からないが、確実に誰かが言ったのだ。
上良栄治への反抗。
それが、形として現れた。
「誰だ、今の」
答えは返ってこない。
だが、それに後押しされたのか、再び響遊が口を開く。
「ぼ、僕も今の意見に賛成です。上良くんたちの意見はいささか偏りが過ぎます」
「あぁ?」
「普通に考えれば、湯川くんが宮苗さんを殺したから逃亡したと見るのが自然です」
響遊の意見が正しければ、事件は終わり。
このクラスの中に犯人は居ない。
湯川大陽が単独犯であることの証明なんてなにも出来ていないのだが、それを言い出すと複数犯である証拠もない。
それでも多くの人にとっては単独であることの方が都合がいい。
でも、一部にとっては、夜見坂くんにとっては、とてもとても都合の悪い答え。
だから――。
「じゃあ、なんで殺されたんだと思う?」
当然のように嘴を突っ込んだ。
戯言を口にして、事態をかき乱す。
「動機ってやつだよ。宮苗瑠璃は、どうして湯川大陽に殺されたんだと思う?」
殺人を行うのに理由は必要だ。
理由なき殺人なんて小説にでも出て来そうな文言だが、実際には自分が楽しむためだったり、利害関係だったりと、必ず理由は存在する。
今回の事件にも理由はあって、それは夜見坂くんが宮苗瑠璃に与えたものだ。
夜見坂くんは、はっきりと浮気していた現場写真を見せたと言っていた。
ただ、そのことを知っているのは私だけ。
他のみんなは、知らない。
「付き合っている相手を殺すってよっぽどだよね。しかも――」
夜見坂くんは、自分の手を自分の首に回して絞めるそぶりをやって見せる。
「死ぬまで首を絞め続けるって、結構な労力だよ」
首を絞めた時、死に至る原因は二つある。
ひとつは頸動脈が圧迫されて脳に血液が回らず死に至る。
もうひとつは気管が圧迫されることで酸素が供給されないことで死んでしまう。
前者は数分もあれば命を奪うことができるのだが、手で締めて行うのは非常に難しい。
となると後者の窒息死が原因とみて間違いないだろうが、これはかなりの労力と時間を必要とする。
少なくとも十数分は絞め続けないと、完全に殺すことは不可能だ。
相当疲れるだろうし、相当時間がかかったはずだ。
そこまでするのだから、かなり強い動機が必要だろう。
もしくは……思わず殺してしまうほどの勢いが。
「……ふたり、付き合ってたでしょ?」
崎代沙綾が呟く。
彼女は宮苗瑠璃の友人で、宮苗瑠璃と中水美衣奈と崎代沙綾の三人はよく行動を共にしていた。
「でも……私、瑠璃から別れようかなって相談受けてたことがあってさぁ」
「え? そうだったの?」
中水美衣奈の問いかけに、崎代沙綾はこくんとうなずいた。
「太陽って、わりと手が早いじゃない。それで悩んでるみたいだったのよ」
「っていうことは、それこそ手を出した女の子も呼び出されたと思わない?」
得意げに夜見坂くんは告げるが、それはもう、既に知っていることだ。
知っているから自信を持って口にできるのだ。
「ほら、容疑者がふたり」
浮気相手が宮苗瑠璃を拘束し、湯川大陽が首を絞めれば犯行は可能だろう。
そして宮苗瑠璃がふたりを強く責め、激情を煽ったとすれば動機も十分だ。
実際、宮苗瑠璃はプライドが高く、ひどく高慢で、カッとなったらいくらでも人を罵倒する性格の持ち主だった。
「そ、それ以外にも動機がある人は居るでしょ!」
宮苗瑠璃はその性格故によくトラブルを起こしていた。
ちょっとした口喧嘩やにらみ合いに陰口。
うまく立ち回っているからか、大事に発展する事態にはなっていなかったものの、彼女の事をよく思わない人間は多い。
例えば――。
「白山、あんたとかさっ」
「……え?」
一瞬、思考に空白ができる。
「あんたがやったんでしょ!」
「なに……が?」
今、私の中には戸惑いしかない。
なぜ私なのか。
なぜ今なのか。
そんなことよりも、私の中に生まれた大きな思い。
それは――虚無感。
「あんたで間違いないっ。あんたが殺人犯よっ!」
顔を真っ赤にした中水美衣奈は、勢いよく立ち上がると、肩をいからせながら私へ向かって歩き始める。
「あんた、絶対私たちのこと恨んでるでしょっ」
「…………」
話が、繋がった。
私にも動機はある。
でもそれは私が犯人であることの証明にはならない。
なら何故こんなことを言い始めたのか。
彼女は自分が犯人ではないことを証明するため、私を犯人に仕立て上げることにしたのだ。
「悪口言われたとか、叩かれたとか思ってんでしょ!」
中水美衣奈は語気を荒くし、私に指を突き付ける。
彼女の語気は激しく、その内容も私には理解しがたいものだった。
「バッカじゃないの!? あんなのただじゃれてただけじゃん! 冗談じゃん! そんなことも分かんないの!?」
中水美衣奈はその後も私へ言葉を叩きつけ続ける。
きっと彼女は姿の見えない殺人者に怯えているのだろう。
だから私を責めることで自分を落ち着かせようとしている。
彼女は本気で私を犯人だなんて思ってはいない。
もし本当にそう思っていたら、責めることなんてできるわけがない。
だって、復讐に殺されてしまうかもしれないのだから。
「だからアンタを私たちの仲間に入れてあげてたの! オトモダチになってあげてたの! そんくらいわかれよ、バァカ!!」
今の私はからっぽのがらんどう。
なにを言われたところで、その言葉の意味が理解できない。
傷つくはずの心を私と切り離してどこかへと捨て去る。
なにも無い私には、傷つくべき心がない。
だから、大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
痛くない。
平気。
なんでもない。
なんとも思わない。
なにも感じない。
私だけは、平穏無事だ。
「聞きなさいよっ」
中水美衣奈の手が、私の襟首をねじり上げる。
誰も助けてはくれない。
だから、私が死人になれば――。
「なにをしているんだっ」
ふいに、野太い怒鳴り声が割って入った。
そして一歩、また一歩と機械のようにぎこちない足取りで教壇へと進んでいく。
爆発しそうになる感情を堪えるために、今すぐ暴れ出したいのを抑えるために、彼の歩みは不自然極まりないものとなっているのだ。
やがて教壇へとたどりついた上良栄治は、ゆっくりと教卓に手をついて、鋭い視線を私たちに向ける。
「吐け」
思わずビクンッと縮み上がってしまう。
上良栄治はただ静かに告げただけ。
だというのに、有無を言わせない絶対の力を伴っている。
上良栄治がどれだけ怒っているのかを、頭でなくて本能が理解していた。
「ま、待ってよ。栄治なにする気!?」
「決まってんだろうが」
決まっている。
なにが?
違う。
分からないんじゃない。
分かりたくないだけ。
上良栄治は――すためにそこに居るなんて……。
「ま、待ってください! なぜ君がそんな裁くような真似をっ。警察に任せればいいじゃないですかっ」
響遊の言葉通り、本来その領域は私たちが踏み込んでいい領域じゃあない。
ましてや勝手に殺すなど、犯罪の領域だ
夜見坂くんに理由を与えて、更には見逃している私が言える立場ではないけれど。
「黙れよ。瑠璃を殺されて、次は太陽だ? 許せるはずねえだろうがよ」
「そ、それは……」
一瞬気圧されてしまったが、それでも上良栄治の行為を受け入れることが出来なかったのだろう。
頭を振って何ごとかを呟き、再び食ってかかる。
「とにかく違いますっ。今までの話は全て推測でしかありません。湯川くんが殺されたかどうかすらまだ分かっていないんです。そもそも全ての発言に証拠が何も無い」
「じゃあ証拠があれば殺していいんだな」
「そういう話はしていません!」
「俺にとっちゃそういう話なんだよ!」
ふたりの会話は水掛け論だ。
そもそも求めるものが違うのだから、話がまとまるはずはない。
「ねぇやめようよぉ、栄治ぃ!」
「やめられるわきゃねえだろうがっ!」
ふたりの怒鳴り合いがたまりかねたのか、宮苗瑠璃の友人である崎代沙綾が説得を試みるも、上良栄治に一蹴されてしまう。
「訳分かんねえんだよ! なんでこんな事になった! 何が起こってる!」
それに答えられるのは、ただひとり。
でもその人はより一層の混乱を望んでいる。
答えるはずがない。
「太陽が死んだかどうかは分かんねえよ。でもな……」
上良栄治の血走った目線が教室を横なぎにする。
「この中の誰かが瑠璃を殺したことは間違いねえんだ。そうだろう?」
その誰かが分かれば、上良栄治は確実に殺しへと走るだろう。
そのことを確信させる目だった。
教室の中が、シンと静まり返る。
ほんの少しでも音を出せば、上良栄治の関心を引いてしまえば、殺されるかもしれない。
そう、思った。
「誰だろうなぁ?」
「……ちげえだろ」
思わず漏れた、という感じで呟き声が聞こえてくる。
誰が言ったのかまでは分からないが、確実に誰かが言ったのだ。
上良栄治への反抗。
それが、形として現れた。
「誰だ、今の」
答えは返ってこない。
だが、それに後押しされたのか、再び響遊が口を開く。
「ぼ、僕も今の意見に賛成です。上良くんたちの意見はいささか偏りが過ぎます」
「あぁ?」
「普通に考えれば、湯川くんが宮苗さんを殺したから逃亡したと見るのが自然です」
響遊の意見が正しければ、事件は終わり。
このクラスの中に犯人は居ない。
湯川大陽が単独犯であることの証明なんてなにも出来ていないのだが、それを言い出すと複数犯である証拠もない。
それでも多くの人にとっては単独であることの方が都合がいい。
でも、一部にとっては、夜見坂くんにとっては、とてもとても都合の悪い答え。
だから――。
「じゃあ、なんで殺されたんだと思う?」
当然のように嘴を突っ込んだ。
戯言を口にして、事態をかき乱す。
「動機ってやつだよ。宮苗瑠璃は、どうして湯川大陽に殺されたんだと思う?」
殺人を行うのに理由は必要だ。
理由なき殺人なんて小説にでも出て来そうな文言だが、実際には自分が楽しむためだったり、利害関係だったりと、必ず理由は存在する。
今回の事件にも理由はあって、それは夜見坂くんが宮苗瑠璃に与えたものだ。
夜見坂くんは、はっきりと浮気していた現場写真を見せたと言っていた。
ただ、そのことを知っているのは私だけ。
他のみんなは、知らない。
「付き合っている相手を殺すってよっぽどだよね。しかも――」
夜見坂くんは、自分の手を自分の首に回して絞めるそぶりをやって見せる。
「死ぬまで首を絞め続けるって、結構な労力だよ」
首を絞めた時、死に至る原因は二つある。
ひとつは頸動脈が圧迫されて脳に血液が回らず死に至る。
もうひとつは気管が圧迫されることで酸素が供給されないことで死んでしまう。
前者は数分もあれば命を奪うことができるのだが、手で締めて行うのは非常に難しい。
となると後者の窒息死が原因とみて間違いないだろうが、これはかなりの労力と時間を必要とする。
少なくとも十数分は絞め続けないと、完全に殺すことは不可能だ。
相当疲れるだろうし、相当時間がかかったはずだ。
そこまでするのだから、かなり強い動機が必要だろう。
もしくは……思わず殺してしまうほどの勢いが。
「……ふたり、付き合ってたでしょ?」
崎代沙綾が呟く。
彼女は宮苗瑠璃の友人で、宮苗瑠璃と中水美衣奈と崎代沙綾の三人はよく行動を共にしていた。
「でも……私、瑠璃から別れようかなって相談受けてたことがあってさぁ」
「え? そうだったの?」
中水美衣奈の問いかけに、崎代沙綾はこくんとうなずいた。
「太陽って、わりと手が早いじゃない。それで悩んでるみたいだったのよ」
「っていうことは、それこそ手を出した女の子も呼び出されたと思わない?」
得意げに夜見坂くんは告げるが、それはもう、既に知っていることだ。
知っているから自信を持って口にできるのだ。
「ほら、容疑者がふたり」
浮気相手が宮苗瑠璃を拘束し、湯川大陽が首を絞めれば犯行は可能だろう。
そして宮苗瑠璃がふたりを強く責め、激情を煽ったとすれば動機も十分だ。
実際、宮苗瑠璃はプライドが高く、ひどく高慢で、カッとなったらいくらでも人を罵倒する性格の持ち主だった。
「そ、それ以外にも動機がある人は居るでしょ!」
宮苗瑠璃はその性格故によくトラブルを起こしていた。
ちょっとした口喧嘩やにらみ合いに陰口。
うまく立ち回っているからか、大事に発展する事態にはなっていなかったものの、彼女の事をよく思わない人間は多い。
例えば――。
「白山、あんたとかさっ」
「……え?」
一瞬、思考に空白ができる。
「あんたがやったんでしょ!」
「なに……が?」
今、私の中には戸惑いしかない。
なぜ私なのか。
なぜ今なのか。
そんなことよりも、私の中に生まれた大きな思い。
それは――虚無感。
「あんたで間違いないっ。あんたが殺人犯よっ!」
顔を真っ赤にした中水美衣奈は、勢いよく立ち上がると、肩をいからせながら私へ向かって歩き始める。
「あんた、絶対私たちのこと恨んでるでしょっ」
「…………」
話が、繋がった。
私にも動機はある。
でもそれは私が犯人であることの証明にはならない。
なら何故こんなことを言い始めたのか。
彼女は自分が犯人ではないことを証明するため、私を犯人に仕立て上げることにしたのだ。
「悪口言われたとか、叩かれたとか思ってんでしょ!」
中水美衣奈は語気を荒くし、私に指を突き付ける。
彼女の語気は激しく、その内容も私には理解しがたいものだった。
「バッカじゃないの!? あんなのただじゃれてただけじゃん! 冗談じゃん! そんなことも分かんないの!?」
中水美衣奈はその後も私へ言葉を叩きつけ続ける。
きっと彼女は姿の見えない殺人者に怯えているのだろう。
だから私を責めることで自分を落ち着かせようとしている。
彼女は本気で私を犯人だなんて思ってはいない。
もし本当にそう思っていたら、責めることなんてできるわけがない。
だって、復讐に殺されてしまうかもしれないのだから。
「だからアンタを私たちの仲間に入れてあげてたの! オトモダチになってあげてたの! そんくらいわかれよ、バァカ!!」
今の私はからっぽのがらんどう。
なにを言われたところで、その言葉の意味が理解できない。
傷つくはずの心を私と切り離してどこかへと捨て去る。
なにも無い私には、傷つくべき心がない。
だから、大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
痛くない。
平気。
なんでもない。
なんとも思わない。
なにも感じない。
私だけは、平穏無事だ。
「聞きなさいよっ」
中水美衣奈の手が、私の襟首をねじり上げる。
誰も助けてはくれない。
だから、私が死人になれば――。
「なにをしているんだっ」
ふいに、野太い怒鳴り声が割って入った。