朝のHRが終わり、先生から自習を言い渡されても、私と共に犯人の最有力候補に名を連ねるであろう男子生徒は姿を見せなかった。

 湯川大陽は、逃亡したのだろうか。

 彼が宮苗瑠璃を殺した犯人だったのだろうか。

 クラスのみんなはそう噂をしている。

 私はそれが恐らく正しいのだと、確信して――。

「でも、殺された可能性もあるよね。例えば口封じとかさ」

 教室の最後列、窓際。

 私の背後から、そんな声が上がる。

 誰かは分かっている。

 人が殺されたかもしれないのに、どこかふざけている様な口調で話せる人間を、私はひとりしか知らない。

 夜見坂くん、だ。

「殺人犯が仲間割れを起こして殺し合うとか映画でよく見るじゃない」

 みんなの視線が私――を通り越してその後ろへと突き刺さる。

 その中には明らかに敵意の籠ったものもあったが、夜見坂くんはなんとも思っていないのか飄々(ひょうひょう)としていた。

「なに、言ってやがる」

 敵意を持っている者のうちのひとり、上良栄治が大きく顔面を歪めながら食ってかかる。

 彼の瞳の奥底には、静かに、だが激しく、怒りの炎が燃え盛っていた。

「可能性の話だよ、可能性の」

「ほとんどねぇ話を持ってきて、かき回すんじゃねえ!」

「そうよ、太陽が瑠璃を殺したんでしょっ。だから逃げたって考えるのが自然じゃないっ」

 中水美衣奈が上良栄治へ助け舟を出す。

 確かに彼女の言葉は正しい。

 浮気を問い詰められた結果、湯川大陽が宮苗瑠璃を殺した。

 そして捜査の手が伸びてくるのを恐れて逃げ出した。

 それが一番理にかなっている。

「だいたい昨日から思ってたけど、急に態度変えてさぁ。あんた何様のつもり?」

 でも、私は知っている。

 夜見坂くんは絶対の確信を持って先ほどの発言をしたのだ。

 だって、自分がけしかけたから。

 それにそうなってほしい理由が彼にはある。

「あっは~」

 殺したい。

 死んでほしい。

 そのためには、みんなの不安を煽り、疑心暗鬼に陥ってもらい、描いたシナリオ通りに動いてもらわなければならないのだ。

「ところで今日は警察に見張られてないよね」

「はぁ?」

 中水美衣奈と上良栄治は共に顔をしかめる。

「なに言ってんだ」

「いやー……。昨日、おまわりさんに口止めされちゃったじゃない。僕だけが知ってる情報を、さ」

 現在、私たちが自習している教室に警察はいない。

 最有力の容疑者である湯川大陽が居ないから、ではない。

 場所が違うからである。

 私たちの使っている校舎は、東西に細長い造りになっている。

 東、中央、西にそれぞれ階段があり、その階段に挟まれるように教室が設けられていた。

 昨日私たちが使っていたのは西側三階の空き教室で、今日は東側三階の空き教室を使っている。

 だから、私たちの教室内には居ないだけ。

 ほんの数十メートル先や、現場となった二階の教室には、沢山の警察官が居る。

 それでも、教室の中で常識的な声の大きさで話していれば、その人たちに知られることはない。

「結論から言うとね。昨日の犯行は、複数人で行われた可能性があるってこと」

「えっ!?」

 夜見坂くんの爆弾発言に、クラス全員が気色ばむ。

「人間、首を絞められたら相手をひっかいたりして抵抗するよね」

 それにより、首や相手の手などに傷が刻まれ、そのことを吉川線と呼ぶ。

 私も昨日、夜見坂くんから聞いたばかりだからよく覚えている。

 夜見坂くんにその傷が無いから、彼が犯人ではないという主張だったが――。

「あの死体の指先には、皮膚片とか布の繊維が残ってるように見えなかったんだ」

 もし夜見坂くんの言っていることが本当ならば、私に言ったことはなんだったのだろう。

 私は、夜見坂くんに騙されていたのだろうか。

 それとも、今みんなを騙そうとしているのだろうか。

 分からない。

 私には夜見坂くんのことが全く分からなかった。

「……それがどうした」

「うん。つまり君にも分かるように言うと、拘束した人間と首を絞めた人間が居る可能性があるってこと」

「あぁっ!?」

 夜見坂くんの言葉には棘がある。

 でも、その後に告げられた内容があまりにも衝撃的過ぎて、上良栄治は怒るに怒れないみたいだった。

「で、ですがそんな事をするまでもなく死んだのなら爪の間に皮膚片が残っていなくとも当たり前なのではないですか? 他にも意識を失っていたことも考え――」

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 当然の様に言われても、私にはなにがなんだか理解できない。

 それは言われた響遊もそうであったようで、怪訝な表情を浮かべていた。

「……僕は探偵じゃないんだけどなぁ」

 説明するのもめんどくさいとばかりにため息をつく。

「僕は昨日、絞め殺したって言ったよね。その時君はどう思ったかな?」

「……そうなのか、と」

 響遊は眼鏡を直すことで一拍置いてから返事をする。

「そう、知らなかったらそういう反応をするよね」

 知らないから色んなことを想像する。

 だから先ほど響遊は即死や失神の可能性を考えた。

「でも自分の彼女が殺されたとしたら、どんな最期だったかなんてことは気になるはずだよね。なのに、だからどうしたって言ったんだよ、彼は」

 ……言いたいことが私にも少しだけ理解できた。

 確かに、おかしいのかもしれない。

 湯川大陽は、宮苗瑠璃が殺された方法を、まるで最初から知っていたかのように受け入れていた。

 そもそも犯人の事を何も知ろうともせずに行動していたから、その程度の事なんて気にしなかったのかもしれない。

 でも、自分がしたことだから改めて事件の事を知ろうとしなかったと考えても筋が通る。

「なら彼が受け入れた通り、彼は絞め殺したんだよ。それなのに彼の手には傷が無かった」

 完全な無抵抗ならば傷はつかないだろうが、それもあり得ない。

 だって、湯川大陽が浮気したことを知った結果、宮苗瑠璃は殺されたのだから。

「それならヒモなんかで縛ってから殺したか、誰かが拘束したかになる。そして計画的でない事から察するに、前者はあり得ない」

 ダンッと大きな音が響き渡る。

 拳で頑丈な机を叩き、激しい音でもって自分の感情を現したのだ。

 それをしたのは、上良栄治。

 湯川大陽の最も親しい友人にして、宮苗瑠璃に密かな想いを寄せていたひと。

 彼は犬歯を剥き出しにして怒り、顔全体を殺意一色に染め上げていた。

「ごたくはいい」

 上良栄治が発する殺意は、大火のごとく燃え盛っている。

 それだというのに声はひどく静かで、穏やかだ。

 だからこそ、そのちぐはぐさが怖かった

「もうひとりは誰だ」

「あはっ」

 しかしそれこそ夜見坂くんの求めに求めているモノ。

 夜見坂くんの仮面の隙間から、言い知れぬ混沌のようなナニカが漏れ、滴り落ちる。

「知らないよ。ただ、昨日も言ったと思うけど――」

 ぎょろぎょろとと(うごめ)く気色の悪い瞳を、視線を、ずるりと巡らせる。

 それが、獲物を前に舌なめずりしている肉食獣のように思えて――怖い。

 いや、それだけじゃない。

 そんなものじゃない。

 怖いなんて言葉じゃ生ぬるい。

 もっともっと気持ち悪くておぞましい存在(もの)

 夜見坂凪は、この場所に存在すらしてはならない異質だと、はっきりそう感じた。

「犯人はこの中に居るから、好きに探しなよ」