私がずっと捨て置かれていたのは、逃げる気力も、意思も一切見せなかったからだ。
それくらい私は海星さんが殺されたことがショックで……生きることに絶望していた。
「響ぃ~。逃げられたら嫌だからアンタも捕まえといて」
「ちょ、ちょっと美衣奈! なに言ってんの!?」
中水美衣奈の言っていることは、崎代沙綾にとっては突飛すぎたのだろう。
もちろん、響遊にとっても。
「なんでいきなりそんな……」
「そ、そうですよ! これ以上人を殺す意味なんてありませんよ!」
慌てふためき、ふたりがかりで反論する。
しかし、理由を求めている時点で先は見えていた。
私は、中水美衣奈から殺されるに足る理由がある。
「白山さあ、信じらんないんだよね。チクりそうじゃん」
別に特別私がなにかをするわけではない。
でも、それがまずいのだ。
証言に綻びが出てしまえば、中水美衣奈は何かしら罪に問われるかもしれない。
そのために口裏を合わせなければならないが、中水美衣奈から私へ対する信用は地の底を這いずっている。
それに、口裏を合わせるならば人数は少ない方が矛盾の生まれる可能性は少ないだろう。
殺すのが一番楽で確実なのだ。
「今なら殺しても――」
中水美衣奈は死体となった上良栄治へ冷たい視線を向ける。
「コイツのせいに出来るでしょ。私が刺した後に、まだ死んでなくて襲い掛かったとかさ」
あと、と続く内容は、私の常識からしたら信じられない考え方だった。
「三人で白山を殺したら、裏切ろうなんて思わないでしょ。全員が共犯者なんだからさぁ」
「…………」
「…………」
新たに生まれた殺人鬼の感覚についていけなかったのか、崎代沙綾と響遊は顔を見合わせる。
彼女たちはそのままでは中水美衣奈の要求通りに動くことなどないだろう。
そんなことはもちろん織り込み済みだった。
「ねえ、響ぃ。アンタ、医者になりたいんでしょ」
「……そ、それがなにか」
なぜ今その話題が出るのだろうか。
響遊は震える手で眼鏡のツルを押し上げる。
「さっき、2組全員を見捨てたことバラしたらどうなると思う?」
「そ、そんな! あれはあなたが……! と言いますか、あなただって見捨てたじゃないですか!」
「お前と私じゃダメージが違うだろ。そもそもお前が2組を急かさなきゃああはならなかっただろうしさ」
医者は曲がりなりにも命を扱う職業だ。
その医者が、目の前で苦しんでいる存在を見捨てて見殺しにした。
あまつさえその場に追い込んでしまった。
罪にこそ問われることはないだろうが、きっと激しく恨まれる事だろう。
そんな状態で、明るい未来が開けるはずがない。
「考えろよ。頭いいんだろ、お・い・しゃ・さ・ま」
響遊はこれからの人生を、中水美衣奈という悪魔に握られてしまっていた。
反論がないのを肯定と受け取ったのか、中水美衣奈は崎代沙綾へと矛先を変える。
「で、沙綾はさぁ白山の命が大事なの?」
ひらひらと、これ見よがしに赤く染まった包丁をちらつかせる。
「また私を裏切るの?」
「そ、それは……」
中水美衣奈と崎代沙綾の間にはしこりがあった。
逆恨み、いや、自己保身から私を襲撃した時に、崎代沙綾は中水美衣奈の行動にはついていけないと、校長先生たちを呼んできてしまったのだ。
今、ふたりは平然と友達を装っていた。
ここでも崎代沙綾が断ってしまったら、恐らく決定的な別れとなってしまうだろう。
中水美衣奈が人を殺すことに抵抗が無くなってしまったことも加味すれば――。
「分かった……はぁ……」
崎代沙綾が断るはずがなかった。
そもそも、彼女はリスクが大きかったから校長先生を呼んだのだ。
本来、私の存在など彼女にとっては髪の毛一本ほどの価値も持たない。
殺人がバレる心配が無く、断る方に危険があるならば、選択肢は決まっていた。
「響、アンタ左側ね」
崎代咲綾は平然と私の隣までやって来ると、私の右腕を引っ張って無理やり立たせようとする。
私に逆らう意思はない。
そもそも、もう生きる気力がこれっぽっちも湧かないだけ。
なにもしたくなかった。
「で、ですが……」
「じゃあ逆らえば? 私はごめんだけど」
響遊はためらった挙句、やはり私を見捨てる選択をした。
いそいそと私のそばまでやって来ると、左わきに腕を入れて私の体を持ち上げる。
そのまま私は体を引きずられ、上良栄治の死体のそばまで連れていかれたのだった。
「で、どうすんの~」
崎代咲綾の問いかけに、中水美衣奈がニヤリと口の端を吊り上げる。
「え~っと、最後の力を振り絞って襲い掛かったって形にしたいから……」
中水美衣奈は、いまや物言わぬ物体と化した上良栄治の手を持って動かし、死んだことで取り落としていたバタフライナイフを握らせる。
「指紋は……付いたら付いたでいっか。また襲われるかもしれないから奪ったとか言えばいいし」
「じゃあ美衣奈がそのまま刺したら?」
「それはほら、栄治の腕に白山の血が付いてなかったら疑われんじゃん」
「なるほど~」
中水美衣奈と崎代沙綾の会話は、彼女たち自身、おかしいとは思わないのだろうか。
話す内容は明らかに非日常。
しかし、彼女たちの態度はご飯を食べている時と変わらない、日常のそれだ。
もはや彼女たちにとって、殺人という行為が日常の延長になってしまっているのだろう。
「うっわ、栄治のやつ重っ。ていうかほとんど届かないじゃん」
中水美衣奈は、まるで人形遊びでもするかのように上良栄治の腕を持ち上げ、腕ごとナイフを左右に振ってみせる。
刃先は床から3、40センチ辺りの空間をかきまぜるだけで、彼女の言う通り、私を殺すには色々ともの足りなく見えた。
「響、栄治の体持って。沙綾は白山をもっと近づけて」
「はいはい~」
私の膝裏に圧力がかかり、視界がガクリと下がって膝頭に鋭い痛みが走った。
体が右斜めに傾いだのは、響遊が離さなかったからだ。
「響~、早くしろよ。時間無いんだから」
「は、はいっ」
左腕が解放されたことで私の視界が水平に戻った。
「起こせ」
今にも倒れそうなほど青い顔をした響遊が、死体の傍らに跪く。
ただ、非日常の塊である死体に直接触れることには抵抗があるのか、手をこまねいている。
「響ぃ~。私、今さっき早くしろって言ったよねぇ」
「――っ」
響遊は恐怖で歯の根が合わないのか、カチカチと耳障りな音を立てる。
指先は傍目にも分かるほどの大きさで震え、過呼吸かと思うほどの早さで肩が上下していた。
それでも拒絶することは出来ない。
中水美衣奈に人生を握られてしまったから。
「――ご、ごめんなさいっ」
その謝罪は上良栄治に向けてのものだろうか。
私には分からなかったが、とにかく響遊は上良栄治の両脇に手をいれ、上半身を力いっぱい持ち上げた。
「うわ~……」
思わず崎代咲綾の口からため息と嫌悪が同時に漏れる。
それもそのはず、上良栄治の顔は――死人の顔を、死を意識させる表情をしていた。
「ぷっ、馬鹿面」
死んで全ての筋肉から力が抜け、頬が、首が、だらりと垂れ下がっているのに目は半開きで。開ききった瞳孔は共に虚空を映している。
生きていた時の激しい憎悪も、狂的な光も無い。
完全な無。
死。
それが今の上良栄治だった。
「笑ってないでさぁ。さすがにコレはキモイってばぁ~」
「分かった分かった」
笑いはしたものの、中水美衣奈の行動は、上良栄治を嘲笑うためのものだ。
決して楽しいわけではなかったのだろう。
すぐに表情を引き締めると、ナイフを持たせている上良栄治の手を、両手で包むようにして持ち直す。
「白山の首を後ろから手で支えといて。頸動脈を切るから」
「おっけー」
私の首に手が添えられて、少しずつ実感がわいてくる。
私は殺されるのだ。
話すことも出来なくなるし、触れてもらっても分からなくなる。
何も感じなくなってしまう。
でも、それが悪い事なんてこれっぽっちも思えなかった。
――こんな世界に、辛すぎるこの場所に存在しているよりは、よっぽどマシだと思えたから。
ただひとつ、お母さんには悪いかなって、そう思うくらいだった。
「これでいい?」
「もうちょっと強くできない? わりとゆるゆるなんだよね」
「おっけーおっけーっと」
私のすぐ隣で崎代咲綾が膝立ちになると、肩を右手で固定し、左手で後頭部を押さえる。
それで満足したのか、中水美衣奈が首を縦に振った。
「これでいい?」
「うん」
「じゃあ、早く――」
崎代咲綾がなにかを言いかけた瞬間、中水美衣奈の腕が伸びて、私の真横を通り過ぎる。
「ばーか」
ほとんどの音が世界から欠落していく中、中水美衣奈の嘲る声だけがやけに近くで聞こえた。
それくらい私は海星さんが殺されたことがショックで……生きることに絶望していた。
「響ぃ~。逃げられたら嫌だからアンタも捕まえといて」
「ちょ、ちょっと美衣奈! なに言ってんの!?」
中水美衣奈の言っていることは、崎代沙綾にとっては突飛すぎたのだろう。
もちろん、響遊にとっても。
「なんでいきなりそんな……」
「そ、そうですよ! これ以上人を殺す意味なんてありませんよ!」
慌てふためき、ふたりがかりで反論する。
しかし、理由を求めている時点で先は見えていた。
私は、中水美衣奈から殺されるに足る理由がある。
「白山さあ、信じらんないんだよね。チクりそうじゃん」
別に特別私がなにかをするわけではない。
でも、それがまずいのだ。
証言に綻びが出てしまえば、中水美衣奈は何かしら罪に問われるかもしれない。
そのために口裏を合わせなければならないが、中水美衣奈から私へ対する信用は地の底を這いずっている。
それに、口裏を合わせるならば人数は少ない方が矛盾の生まれる可能性は少ないだろう。
殺すのが一番楽で確実なのだ。
「今なら殺しても――」
中水美衣奈は死体となった上良栄治へ冷たい視線を向ける。
「コイツのせいに出来るでしょ。私が刺した後に、まだ死んでなくて襲い掛かったとかさ」
あと、と続く内容は、私の常識からしたら信じられない考え方だった。
「三人で白山を殺したら、裏切ろうなんて思わないでしょ。全員が共犯者なんだからさぁ」
「…………」
「…………」
新たに生まれた殺人鬼の感覚についていけなかったのか、崎代沙綾と響遊は顔を見合わせる。
彼女たちはそのままでは中水美衣奈の要求通りに動くことなどないだろう。
そんなことはもちろん織り込み済みだった。
「ねえ、響ぃ。アンタ、医者になりたいんでしょ」
「……そ、それがなにか」
なぜ今その話題が出るのだろうか。
響遊は震える手で眼鏡のツルを押し上げる。
「さっき、2組全員を見捨てたことバラしたらどうなると思う?」
「そ、そんな! あれはあなたが……! と言いますか、あなただって見捨てたじゃないですか!」
「お前と私じゃダメージが違うだろ。そもそもお前が2組を急かさなきゃああはならなかっただろうしさ」
医者は曲がりなりにも命を扱う職業だ。
その医者が、目の前で苦しんでいる存在を見捨てて見殺しにした。
あまつさえその場に追い込んでしまった。
罪にこそ問われることはないだろうが、きっと激しく恨まれる事だろう。
そんな状態で、明るい未来が開けるはずがない。
「考えろよ。頭いいんだろ、お・い・しゃ・さ・ま」
響遊はこれからの人生を、中水美衣奈という悪魔に握られてしまっていた。
反論がないのを肯定と受け取ったのか、中水美衣奈は崎代沙綾へと矛先を変える。
「で、沙綾はさぁ白山の命が大事なの?」
ひらひらと、これ見よがしに赤く染まった包丁をちらつかせる。
「また私を裏切るの?」
「そ、それは……」
中水美衣奈と崎代沙綾の間にはしこりがあった。
逆恨み、いや、自己保身から私を襲撃した時に、崎代沙綾は中水美衣奈の行動にはついていけないと、校長先生たちを呼んできてしまったのだ。
今、ふたりは平然と友達を装っていた。
ここでも崎代沙綾が断ってしまったら、恐らく決定的な別れとなってしまうだろう。
中水美衣奈が人を殺すことに抵抗が無くなってしまったことも加味すれば――。
「分かった……はぁ……」
崎代沙綾が断るはずがなかった。
そもそも、彼女はリスクが大きかったから校長先生を呼んだのだ。
本来、私の存在など彼女にとっては髪の毛一本ほどの価値も持たない。
殺人がバレる心配が無く、断る方に危険があるならば、選択肢は決まっていた。
「響、アンタ左側ね」
崎代咲綾は平然と私の隣までやって来ると、私の右腕を引っ張って無理やり立たせようとする。
私に逆らう意思はない。
そもそも、もう生きる気力がこれっぽっちも湧かないだけ。
なにもしたくなかった。
「で、ですが……」
「じゃあ逆らえば? 私はごめんだけど」
響遊はためらった挙句、やはり私を見捨てる選択をした。
いそいそと私のそばまでやって来ると、左わきに腕を入れて私の体を持ち上げる。
そのまま私は体を引きずられ、上良栄治の死体のそばまで連れていかれたのだった。
「で、どうすんの~」
崎代咲綾の問いかけに、中水美衣奈がニヤリと口の端を吊り上げる。
「え~っと、最後の力を振り絞って襲い掛かったって形にしたいから……」
中水美衣奈は、いまや物言わぬ物体と化した上良栄治の手を持って動かし、死んだことで取り落としていたバタフライナイフを握らせる。
「指紋は……付いたら付いたでいっか。また襲われるかもしれないから奪ったとか言えばいいし」
「じゃあ美衣奈がそのまま刺したら?」
「それはほら、栄治の腕に白山の血が付いてなかったら疑われんじゃん」
「なるほど~」
中水美衣奈と崎代沙綾の会話は、彼女たち自身、おかしいとは思わないのだろうか。
話す内容は明らかに非日常。
しかし、彼女たちの態度はご飯を食べている時と変わらない、日常のそれだ。
もはや彼女たちにとって、殺人という行為が日常の延長になってしまっているのだろう。
「うっわ、栄治のやつ重っ。ていうかほとんど届かないじゃん」
中水美衣奈は、まるで人形遊びでもするかのように上良栄治の腕を持ち上げ、腕ごとナイフを左右に振ってみせる。
刃先は床から3、40センチ辺りの空間をかきまぜるだけで、彼女の言う通り、私を殺すには色々ともの足りなく見えた。
「響、栄治の体持って。沙綾は白山をもっと近づけて」
「はいはい~」
私の膝裏に圧力がかかり、視界がガクリと下がって膝頭に鋭い痛みが走った。
体が右斜めに傾いだのは、響遊が離さなかったからだ。
「響~、早くしろよ。時間無いんだから」
「は、はいっ」
左腕が解放されたことで私の視界が水平に戻った。
「起こせ」
今にも倒れそうなほど青い顔をした響遊が、死体の傍らに跪く。
ただ、非日常の塊である死体に直接触れることには抵抗があるのか、手をこまねいている。
「響ぃ~。私、今さっき早くしろって言ったよねぇ」
「――っ」
響遊は恐怖で歯の根が合わないのか、カチカチと耳障りな音を立てる。
指先は傍目にも分かるほどの大きさで震え、過呼吸かと思うほどの早さで肩が上下していた。
それでも拒絶することは出来ない。
中水美衣奈に人生を握られてしまったから。
「――ご、ごめんなさいっ」
その謝罪は上良栄治に向けてのものだろうか。
私には分からなかったが、とにかく響遊は上良栄治の両脇に手をいれ、上半身を力いっぱい持ち上げた。
「うわ~……」
思わず崎代咲綾の口からため息と嫌悪が同時に漏れる。
それもそのはず、上良栄治の顔は――死人の顔を、死を意識させる表情をしていた。
「ぷっ、馬鹿面」
死んで全ての筋肉から力が抜け、頬が、首が、だらりと垂れ下がっているのに目は半開きで。開ききった瞳孔は共に虚空を映している。
生きていた時の激しい憎悪も、狂的な光も無い。
完全な無。
死。
それが今の上良栄治だった。
「笑ってないでさぁ。さすがにコレはキモイってばぁ~」
「分かった分かった」
笑いはしたものの、中水美衣奈の行動は、上良栄治を嘲笑うためのものだ。
決して楽しいわけではなかったのだろう。
すぐに表情を引き締めると、ナイフを持たせている上良栄治の手を、両手で包むようにして持ち直す。
「白山の首を後ろから手で支えといて。頸動脈を切るから」
「おっけー」
私の首に手が添えられて、少しずつ実感がわいてくる。
私は殺されるのだ。
話すことも出来なくなるし、触れてもらっても分からなくなる。
何も感じなくなってしまう。
でも、それが悪い事なんてこれっぽっちも思えなかった。
――こんな世界に、辛すぎるこの場所に存在しているよりは、よっぽどマシだと思えたから。
ただひとつ、お母さんには悪いかなって、そう思うくらいだった。
「これでいい?」
「もうちょっと強くできない? わりとゆるゆるなんだよね」
「おっけーおっけーっと」
私のすぐ隣で崎代咲綾が膝立ちになると、肩を右手で固定し、左手で後頭部を押さえる。
それで満足したのか、中水美衣奈が首を縦に振った。
「これでいい?」
「うん」
「じゃあ、早く――」
崎代咲綾がなにかを言いかけた瞬間、中水美衣奈の腕が伸びて、私の真横を通り過ぎる。
「ばーか」
ほとんどの音が世界から欠落していく中、中水美衣奈の嘲る声だけがやけに近くで聞こえた。