階段をおりて廊下を進み、中央階段の前も通り過ぎて職員室へと進んでいく。
本来ならば、ここか校長室にでも入って、昼食を買いに行く許可をもらうべきなのだ。
でも夜見坂くんはそこも通り過ぎて、用務員室へと入って行った。
用務員室はせいぜい3メートル四方の小さな部屋で、奥の扉が倉庫へと繋がっている。
部屋の壁にはカレンダーやメモ用紙が貼り付けられ、床には様々な道具が置かれて雑然としている。
用務員さんが居ないのはいつものことなのだが、今日は外で仕事ができないのにも関わらず、この場所を空けているみたいであった。
「さって~、なにして遊ぼっか」
「おい、話をする約束だろうが」
「え~。こういう本来入っちゃいけない部屋に入ったらいたずらするのが常識でしょ」
「ざけんなっ」
たまらず上良栄治は怒鳴り声をあげた。
その声は低く、ドスが効いて本気と分かる殺意すらこもっていたため、私は思わず「ひっ」と短い悲鳴をあげてしまう。
上良栄治は既に殺人を犯した。
更には中水美衣奈を殺す気でいたぶった。
そんな人間の殺意は本物なのだ。
本当に殺すつもりなのだ。
それなのに夜見坂くんは飄々とした態度を変えようとしない。
口の前で人差し指を立て「し~っ」と上良栄治を茶化す。
「ダメだよ~、大声だしちゃ。外のおまわりさんに気づかれたら面倒でしょ」
「てめぇ……」
いきり立つ上良栄治を無視して夜見坂くんはポケットから、ところどころ塗装のはげた銀色のスマートフォンを取り出して操作を始める。
本来スマートフォンは学校に来た時に預けなければならないのだが、夜見坂くんはそうしていない様だった。
「湯川大陽ってかなり怪しかったよね」
「それがどうしたっ」
唸り声かと思うほど、上良栄治の声は押し込められている。
「それで、ふたり以上に殺された可能性が高い」
それは上良栄治を始め、クラスメイトたちに思いこませた嘘だ。
そしてその嘘を信じた上良栄治は湯川大陽を殺害した。
だからこそ、その嘘は上良栄治の中では絶対に崩れてはいけない真実だ。
湯川大陽とその浮気相手が、宮苗瑠璃を殺した犯人でなければいけない。
「ここまではいいよね?」
「……ああ」
操作を終えたのか、夜見坂くんが顔をあげる。
彼の手の中に鎮座したスマートフォンの画面には、三角形の矢印マークが浮かんでいた。
「約束して。これを聞いても飛び出していかないって」
「…………」
上良栄治は一も二もなく無言で頷いた。
約束を守るという固い意思があるわけではなく、彼には聞くという選択肢しか残っていないだけ。
そのためには何でもするというだけだ。
「……はぁ」
聞いた後の結末を、容易に察せられたのだろう。
夜見坂くんは上良栄治の後ろに回り込んで扉に背中を預け、簡単には出ていけないようにする。
「はい、聞いていいよ」
夜見坂くんの親指が、画面の中央を叩く。
その瞬間、最大にまで増幅されたノイズが、スマートフォンからあふれ出してきた。
『で、どうかな?』
『どうって何がだよ?』
この会話は覚えている。
『うまくいっているかなってことだよ――』
私がトイレで聞かされた、稲次浩太と夜見坂くんの会話だ。
あの時の行動は、私を脅かすためじゃなかった。
こんな意味を持っていたんだ。
上良栄治を、極限まで狂わせる手段を作り上げるためにあったのだ。
『君が犯した宮苗瑠璃殺害の罪を、他人に押し付ける工作は、さ』
『くはっ。…………くっくっくっ…………』
知っている。
この後の言葉は一字一句違うことなく覚えている。
『大成功だよ』
だが、私の予想に反して稲次浩太はすんなりと自分の罪を告白した。
夜見坂くんは録音した会話を編集したのだ。
全ての憎しみが、稲次浩太ただ一人に向くように。
「カマをかけたんだよ。そうしたら彼、自分の功績を誰かに話したくて仕方がなかったみたいでね。簡単に自慢してくれたよ」
「…………」
上良栄治の表情は、聞く前と1ミリたりとも変わっていない。
彫像のようにその場で固まっており、まばたきすらしていなかった。
だというのに、彼の中から圧力とでも形容すべき気配があとからあとから湧き出してくる。
まるで、噴火前の火山が大地を揺らし始めるかのように。
大津波が押し寄せる前に、港がすべて干上がるかのように。
「あはっ」
夜見坂くんにはそれがとてもとてもお気に召した様だった。
「ねえねえ、君はなにがしたいのかな?」
「…………」
答えはない。
答えられないほど怒り狂っているから。
稲次浩太への殺意だけで頭の中が占められているから。
しかし、それでもまだ足りない。
夜見坂くんが求める殺戮には足りない。
ひとりを殺すなんて、少なすぎる。
「君はきっと稲次浩太を殺したいんだよね。でもさ、その次はどうするのかな? 少年院に行く? したり顔で更生しましたなんて言う? そして狭苦しい社会で生きていくの? ねえ、ねえ、ねえ」
「っせぇ!!」
もっともっともっと。
この世界を焼き尽くすほどの悪意を。
誰も彼もを飲み込むほどの害意を。
何もかもをただの一色に塗りつぶすほどの殺意を。
醜悪で、凄惨で、壮絶な願いを!
夜見坂くんは望んでいた。
「君はさ、君自身が宮苗瑠璃にどう思われてたか知ってる? 中水美衣奈や崎代沙綾にどんなことを言われていたか知ってる?」
また、スマートフォンをいじる。
『ねえねえ、ガッコ終わったらカラオケ行こ』
また聞き覚えがあった。
夜見坂くんはこんな手札も用意していたのかと戦慄を覚える。
『あっ、じゃあ大陽も誘っていい~?』
『大陽誘ったら余分なヤツも着いてくんじゃね? 栄治のやつ、絶対瑠璃のこと狙ってるっしょ』
『べっつに~。あたし眼中にないし』
『あはは、ひっど。まあキモいからしょうがないけどね~』
『アンタも酷いじゃん。事実だけどさ~』
『見る目がいやらしいよね~。存在そのものがセクハラっていうかさ』
宮苗瑠璃が、上良栄治が好意を寄せていた少女が、その実裏側でこき下ろして嫌っていた。
その事実だけでも十分な傷を与えるだろう。
でも今は状況が違う。
上良栄治は宮苗瑠璃のために湯川大陽を殺した。
彼女のために中水美衣奈を殺しかけたのだ。
それなのに、その理由全てが根底から崩壊してしまった。
更には傷口を踏みにじられ、抉られ、塩まで塗りたくられたのだ。
上良栄治の心はもう……。
「ねえ、もう一度聞くけどさ。君はなにがしたいのかな?」
「…………」
上良栄治の表情は、相変わらず一切の変化がない。
――痛い。
しかし、物理的な圧力すら錯覚してしまうほどの、感情の奔流もない。
――――痛いっ。
全くの虚無。
――――――痛いっ!。
怒りを、憎悪を通り越した先の感情。
――――――――痛いっ!!
孤独と失意と絶望とがない交ぜになった、魂の死滅。
今、彼の心は、魂は、完全な終焉を迎えた。
「……もう、いい」
「そうだね。何もかも終わらせようよ」
夜見坂くんは今まで見たこともないほど素敵な笑顔を浮かべる。
それはそれは楽しいだろう。
上良栄治はきっと死ぬ。
殺し合って。
大勢を巻き込んで。
ただひたすらに、地獄へと突き進んでいく。
夜見坂くんの操り人形として、死ぬ。
ああ、やっぱり夜見坂くんは人でなしだ。
「……どうやって」
上良栄治は自首するとは言わなかった。
殺人を止めるとも言わなかった。
やはり彼は破滅をこそ望んでいる。
自分の手でなにもかもを終わらせるつもりなのだ。
夜見坂くんがゆっくりと手を動かし、部屋の奥、倉庫へと繋がる扉を指差す。
「そのための道具は、そこに揃ってるから――」
倉庫の中には、用務員がこの学校を維持するために必要な道具――小刀やのこぎり、草刈り機にチェーンソーや鉈といった、人を殺しうる凶器になり得る道具が揃っていた。
「――好きなのを選んでね」
本来ならば、ここか校長室にでも入って、昼食を買いに行く許可をもらうべきなのだ。
でも夜見坂くんはそこも通り過ぎて、用務員室へと入って行った。
用務員室はせいぜい3メートル四方の小さな部屋で、奥の扉が倉庫へと繋がっている。
部屋の壁にはカレンダーやメモ用紙が貼り付けられ、床には様々な道具が置かれて雑然としている。
用務員さんが居ないのはいつものことなのだが、今日は外で仕事ができないのにも関わらず、この場所を空けているみたいであった。
「さって~、なにして遊ぼっか」
「おい、話をする約束だろうが」
「え~。こういう本来入っちゃいけない部屋に入ったらいたずらするのが常識でしょ」
「ざけんなっ」
たまらず上良栄治は怒鳴り声をあげた。
その声は低く、ドスが効いて本気と分かる殺意すらこもっていたため、私は思わず「ひっ」と短い悲鳴をあげてしまう。
上良栄治は既に殺人を犯した。
更には中水美衣奈を殺す気でいたぶった。
そんな人間の殺意は本物なのだ。
本当に殺すつもりなのだ。
それなのに夜見坂くんは飄々とした態度を変えようとしない。
口の前で人差し指を立て「し~っ」と上良栄治を茶化す。
「ダメだよ~、大声だしちゃ。外のおまわりさんに気づかれたら面倒でしょ」
「てめぇ……」
いきり立つ上良栄治を無視して夜見坂くんはポケットから、ところどころ塗装のはげた銀色のスマートフォンを取り出して操作を始める。
本来スマートフォンは学校に来た時に預けなければならないのだが、夜見坂くんはそうしていない様だった。
「湯川大陽ってかなり怪しかったよね」
「それがどうしたっ」
唸り声かと思うほど、上良栄治の声は押し込められている。
「それで、ふたり以上に殺された可能性が高い」
それは上良栄治を始め、クラスメイトたちに思いこませた嘘だ。
そしてその嘘を信じた上良栄治は湯川大陽を殺害した。
だからこそ、その嘘は上良栄治の中では絶対に崩れてはいけない真実だ。
湯川大陽とその浮気相手が、宮苗瑠璃を殺した犯人でなければいけない。
「ここまではいいよね?」
「……ああ」
操作を終えたのか、夜見坂くんが顔をあげる。
彼の手の中に鎮座したスマートフォンの画面には、三角形の矢印マークが浮かんでいた。
「約束して。これを聞いても飛び出していかないって」
「…………」
上良栄治は一も二もなく無言で頷いた。
約束を守るという固い意思があるわけではなく、彼には聞くという選択肢しか残っていないだけ。
そのためには何でもするというだけだ。
「……はぁ」
聞いた後の結末を、容易に察せられたのだろう。
夜見坂くんは上良栄治の後ろに回り込んで扉に背中を預け、簡単には出ていけないようにする。
「はい、聞いていいよ」
夜見坂くんの親指が、画面の中央を叩く。
その瞬間、最大にまで増幅されたノイズが、スマートフォンからあふれ出してきた。
『で、どうかな?』
『どうって何がだよ?』
この会話は覚えている。
『うまくいっているかなってことだよ――』
私がトイレで聞かされた、稲次浩太と夜見坂くんの会話だ。
あの時の行動は、私を脅かすためじゃなかった。
こんな意味を持っていたんだ。
上良栄治を、極限まで狂わせる手段を作り上げるためにあったのだ。
『君が犯した宮苗瑠璃殺害の罪を、他人に押し付ける工作は、さ』
『くはっ。…………くっくっくっ…………』
知っている。
この後の言葉は一字一句違うことなく覚えている。
『大成功だよ』
だが、私の予想に反して稲次浩太はすんなりと自分の罪を告白した。
夜見坂くんは録音した会話を編集したのだ。
全ての憎しみが、稲次浩太ただ一人に向くように。
「カマをかけたんだよ。そうしたら彼、自分の功績を誰かに話したくて仕方がなかったみたいでね。簡単に自慢してくれたよ」
「…………」
上良栄治の表情は、聞く前と1ミリたりとも変わっていない。
彫像のようにその場で固まっており、まばたきすらしていなかった。
だというのに、彼の中から圧力とでも形容すべき気配があとからあとから湧き出してくる。
まるで、噴火前の火山が大地を揺らし始めるかのように。
大津波が押し寄せる前に、港がすべて干上がるかのように。
「あはっ」
夜見坂くんにはそれがとてもとてもお気に召した様だった。
「ねえねえ、君はなにがしたいのかな?」
「…………」
答えはない。
答えられないほど怒り狂っているから。
稲次浩太への殺意だけで頭の中が占められているから。
しかし、それでもまだ足りない。
夜見坂くんが求める殺戮には足りない。
ひとりを殺すなんて、少なすぎる。
「君はきっと稲次浩太を殺したいんだよね。でもさ、その次はどうするのかな? 少年院に行く? したり顔で更生しましたなんて言う? そして狭苦しい社会で生きていくの? ねえ、ねえ、ねえ」
「っせぇ!!」
もっともっともっと。
この世界を焼き尽くすほどの悪意を。
誰も彼もを飲み込むほどの害意を。
何もかもをただの一色に塗りつぶすほどの殺意を。
醜悪で、凄惨で、壮絶な願いを!
夜見坂くんは望んでいた。
「君はさ、君自身が宮苗瑠璃にどう思われてたか知ってる? 中水美衣奈や崎代沙綾にどんなことを言われていたか知ってる?」
また、スマートフォンをいじる。
『ねえねえ、ガッコ終わったらカラオケ行こ』
また聞き覚えがあった。
夜見坂くんはこんな手札も用意していたのかと戦慄を覚える。
『あっ、じゃあ大陽も誘っていい~?』
『大陽誘ったら余分なヤツも着いてくんじゃね? 栄治のやつ、絶対瑠璃のこと狙ってるっしょ』
『べっつに~。あたし眼中にないし』
『あはは、ひっど。まあキモいからしょうがないけどね~』
『アンタも酷いじゃん。事実だけどさ~』
『見る目がいやらしいよね~。存在そのものがセクハラっていうかさ』
宮苗瑠璃が、上良栄治が好意を寄せていた少女が、その実裏側でこき下ろして嫌っていた。
その事実だけでも十分な傷を与えるだろう。
でも今は状況が違う。
上良栄治は宮苗瑠璃のために湯川大陽を殺した。
彼女のために中水美衣奈を殺しかけたのだ。
それなのに、その理由全てが根底から崩壊してしまった。
更には傷口を踏みにじられ、抉られ、塩まで塗りたくられたのだ。
上良栄治の心はもう……。
「ねえ、もう一度聞くけどさ。君はなにがしたいのかな?」
「…………」
上良栄治の表情は、相変わらず一切の変化がない。
――痛い。
しかし、物理的な圧力すら錯覚してしまうほどの、感情の奔流もない。
――――痛いっ。
全くの虚無。
――――――痛いっ!。
怒りを、憎悪を通り越した先の感情。
――――――――痛いっ!!
孤独と失意と絶望とがない交ぜになった、魂の死滅。
今、彼の心は、魂は、完全な終焉を迎えた。
「……もう、いい」
「そうだね。何もかも終わらせようよ」
夜見坂くんは今まで見たこともないほど素敵な笑顔を浮かべる。
それはそれは楽しいだろう。
上良栄治はきっと死ぬ。
殺し合って。
大勢を巻き込んで。
ただひたすらに、地獄へと突き進んでいく。
夜見坂くんの操り人形として、死ぬ。
ああ、やっぱり夜見坂くんは人でなしだ。
「……どうやって」
上良栄治は自首するとは言わなかった。
殺人を止めるとも言わなかった。
やはり彼は破滅をこそ望んでいる。
自分の手でなにもかもを終わらせるつもりなのだ。
夜見坂くんがゆっくりと手を動かし、部屋の奥、倉庫へと繋がる扉を指差す。
「そのための道具は、そこに揃ってるから――」
倉庫の中には、用務員がこの学校を維持するために必要な道具――小刀やのこぎり、草刈り機にチェーンソーや鉈といった、人を殺しうる凶器になり得る道具が揃っていた。
「――好きなのを選んでね」