私をいじめたクラスのみんながぐちゃぐちゃに壊されて殺されるまで

「ころ……す?」

 中水美衣奈はその言葉を初めて聞いたかのように口の中で転がす。

 普段どころか先ほど私に向かってその言葉を使ったばかりなのに。

 彼女は殺すという言葉の意味を本気で考えてはいなかった。

 だから、殺人という状況を前にして戸惑っているのだ。

 ――なんで今さら、と私は思う。

 私はずっと、中水美衣奈たちに殺されると思ってきた。

 私の心は彼女たちによって殺されてきた。

 それなのに中水美衣奈は、今初めて殺すことを意識したのだ。

 私に対してずっとやって来たことだろうに。

「そうだよ。上良栄治を殺してしまえば、君はもう殺されなくて済むよ、やったね」

 夜見坂くんの言い方はとても軽い。

 だけど、彼が殺意を持っているのは伝わってくる。

 だからこそ、中水美衣奈は一度言われた程度では受け止めきれなかったらしい。

「……な、なに、言ってんの?」

「だから、殺すんだよ。命を奪うんだよ。分からない?」

「そ、そんなことできるはずないでしょ!?」

 できる。

 夜見坂くんは、分かっているだけでふたり――宮苗瑠璃と湯川大陽という名前を持った人間を殺している。

 原因を作り、理由を与え、人を操って殺させているのだ。

 夜見坂くんなら出来る。

 中水美衣奈に他人(ひと)を殺させることが、出来る。

「もしさ、バレなかったらどうする?」

「え?」

 証拠が無ければ罰されない。

 警察に逮捕されることも、人生に汚点が残ることもない。

 誰だって自分の不利益に繋がることはしたくないが、それが存在せずに利益だけ享受できるのだ。

 もしそれが本当ならば、殺人への抵抗は大きく下がるだろう。

「君の手で殺さなくてもいいとしたら、どうする?」

「意味……分かんないんだけど……」

 ()、夜見坂くんは中水美衣奈を利用して上良栄治を殺そうとしているのだ。

 上良栄治を使って湯川大陽を殺したように。

「上良栄治が誰かに殺されたら、証拠は残らないし手も汚れないってことだよ。分からないかな?」

「…………」

 中水美衣奈は夜見坂くんの問いかけに答えられず、その場で黙り込んでしまう。

 しかし、彼女は否定をしない。

 殺人という、法や倫理で縛られた行為に対する忌避感が頷くことをためらわせているだけだ。

 その証拠に、彼女の瞳は心の内を反映して小さく左右に揺れ動いていた。

「じゃあ君がどう思っているかを聞くね」

 殺すかどうかを聞いても、いきなりは答えにくいだろうと考えたのか、夜見坂くんは話の方向性を変える。

「君は上良栄治が憎くないのかな?」

「それは……」

 聞くまでもないだろう。

 あれだけの暴行を加えられ、しかも上良栄治が掲げた理由は言いがかりなのだ。

「君が宮苗瑠璃を殺したから、アイツの怒りは正統なものだとでも言うのかい?」

 夜見坂くんは、中水美衣奈の自尊心をくすぐり、怒りを煽る。

「君の自慢だった綺麗な髪を無茶苦茶にして、顔をボコボコにしたのが正しかった?」

「そんなわけないでしょっ!」

 中水美衣奈の言葉は否定だ。

 彼女が否定を重ねるごとに、歪な方向へとねじ曲がっていく。

「君は自分が正しいことを知っているよね? 宮苗瑠璃を殺していないことを知っているよね?」

「そうよ、私は殺してない! 私は間違ったことしてないっ!!」

「間違ってるのはアイツであって君じゃない。悪いのはアイツだよね?」

「当たり前よっ! 私は悪くないっ!」

 そして――。

「なら君は正しいんだよ。君がやることは正しいんだよ」

「何度も同じようなこと言わせないでよっ。当然でしょっ」

 中水美衣奈の心は――。

「そうだよ、君が正しいことは僕が分かってる。だから君に協力するんだ」

 夜見坂くんの望む通りに――

「正しいから君はアイツを否定するべきなんだよ」

 ――裏返る。

「憎いよね? ムカつくよね?」

「当たり前でしょ!」

 中水美衣奈が、自分の正義を認めた。

 義憤を、怒りを認めた。

 そして……憎悪を認めた。

「大丈夫、君の怒りは正当なものだよ。だから――」

 夜見坂くんが、にいっと口を歪めて(わら)う。

「分からせてやろうよ、上良栄治に」

 一度目は首を横に振った。

 中水美衣奈の中にあった倫理観が殺人を拒んだ。

 でも二度目は――。





 学校の階段は、日が差し込んできていてもいっさい温もりを感じられない。

 暗くて、冷たくて、怖い。

 実際には違うのかもしれないが、私の記憶の中にはそんな場所でしかなかった。

 先ほど別れたばかりの中水美衣奈が原因の一端だったのだけど、きっと彼女はそんなこと意識もしていないだろう。

 だから彼女は被害者になって、これから加害者になることを、あんなにも簡単に受け入れたのだ。

「夜見坂くん、さ」

 一段目の階段に足をかけて、止まる。

 それと同時に、一段だけ先を行っていた夜見坂くんも歩みを止めた。

「な~に?」

 わざとらしい作った小声で返事が来る。

 階段はちょっとした音でも遠くまで響く。

 足音も、話し声も、もしかしたら誰かに聞こえているかもしれない。

 私は小さくため息をつくと、階段から足を離して廊下へと戻る。

「聞かれたらまずいでしょ」

 夜見坂くんが指さす方角、ほんの2、3メートル離れた所に校舎から外へと出るための扉がある。

 扉の外には私たちに背を向けるようにして警察官が2名も立っていた。

 ささやき声程度であれば防音の施された扉が防いでくれるだろうが、普通に話せば確実に聞かれてしまうだろう。

 どこへ行っても他人の耳と目があり、内緒の話なんてできそうになかった。

「そんなのじゃないから」

 私は(かぶり)を振って彼の言葉を否定する。

 別に私はこれから起こる事件のことを話したいんじゃない。

「ただ、夜見坂くんが私のことをどう思ってるか気になっただけ」

「僕が?」

 夜見坂くんは一瞬不思議そうな顔をして、いつもの軽薄な笑みを浮かべる。

「体つきがとってもえっちだよね、君」

「つまりなんとも思ってないってことだよね……」

 否定はない。

 それで正解なのだろう。

 だけどそれでもかまわない。

 私が一方的に夜見坂くんへの感情を持っているだけだから。

「私は、夜見坂くんのことが怖かった」

「過去形?」

 ほんの少しの差異にも夜見坂くんは敏感に反応する。

 彼はそこまで人を見ているからあれだけのことができるのだろう。

 人の心を誘惑して、操り、他人を殺させることが。

「うん、怖かったよ」

 夜見坂くんは人を殺す殺人鬼だ。

 なによりも恐ろしいのは、彼の武器が人間だという事。

 武器を持って追いかけてくるのなら、走って逃げればいい。

 誰かに守ってもらえばいい。

 たったそれだけのことで身を守ることができる。

 でも、夜見坂くん相手にはそれが通じない。

 そばに居る人間が、突然牙をむくかもしれないのだ。

 防ぎようがない。

 だから、私が殺されるんじゃないかと思って怖かった。

 私自身が壊されてしまうかもしれない、武器として使われるかもしれないから、怖かった。

 そう、怖かったのだ。

「今は違うんだ」

 私は首を縦に振ってから、夜見坂くんの瞳をまっすぐ見つめる。

 そして、

「夜見坂くん、私を殺してください」

 私は今一番叶えて欲しい私の願いを口にした。