教室には机が等間隔で計6列になるように配されている。
中水美衣奈の席は中心列、窓側。前から3番目。
一番窓際、最後尾からひとつ前の席に座る私の位置からは中水美衣奈の表情をうかがい知ることは出来ない。
でも、私には彼女の顔が容易に想像できた。
「わ、分からないっ。分かるはずないでしょ!」
中水美衣奈は肩を震わせながら抗弁する。
「……あ?」
上良栄治はそれ以上怒鳴りつけはしなかった。
その代わり、自身の真横にあった机を蹴り飛ばす。
机はそのまま横滑りして、逃げ遅れていた響遊を、椅子との間に思い切り挟みこんでしまった。
不運な響遊は、まるで鶏が絞め殺されたような悲鳴をあげる。
しかし、上良栄治は響遊のことなど気にも留めない。
視線を中水美衣奈に固定し、1ミリたりとも動かさなかった。
「なんで、お前のスマホのパスワードが太陽の誕生日なんだよ」
中水美衣奈が息を呑む音が、離れたところに居る私の耳にまで届く。
「なんで瑠璃がこんなにブチギレながら、お前と太陽を呼び出してんだよ」
「それ……っ!」
上良栄治のポケットから取り出されたばかりの赤いスマートフォン。
まるでカードかなにかのように、ひらひらと揺らされるそれは、中水美衣奈に対して絶大な効果をもたらした。
それまで小刻みに震えていた彼女の全身が、一気に硬直する。
なぜ上良栄治がスマートフォンを持っているのかという疑問や、自分は殺人など犯していないという抗弁をする余裕すらなくしていた。
「お前たちしか居ねえんだよ……!」
地の底から湧き上がってきたのかと思うほど低い声。
恨み、呪い、怒り、悲しみ。ありとあらゆる負の感情を煮詰めたらこうなるのかというほど、上良栄治の言葉は怨嗟に満ちていた。
「お前たちが瑠璃を殺したんだろ」
中水美衣奈が頭を左右に振る。
自分は宮苗瑠璃を殺していないという意思を示す。
だが、それは絶対に通じない。
例え本当に中水美衣奈が無実であろうと、嘘などついていなかろうと、上良栄治の中で決まったことだからだ。
上良栄治は、親友であった湯川大陽を殺してから、もう何もかもが振り切れてしまっていた。
「答えろよ美衣奈ぁっ!!」
ドンドンと、教室の扉を叩く音が響く。
これほどの大声で怒鳴っているのだ。
さすがに下園先生たちも気づいたのだろう。
だが、教室には入れない。
先ほど上良栄治と稲次浩太が鍵をかけたから。
そして、誰もが彼らの不興を買うのを恐れて中水美衣奈を助けようとしないから。
「私やってないっ」
「嘘つくんじゃねぇっ!」
上良栄治の足が、中水美衣奈へと飛ぶ。
下腹部か、足か。彼女自身の体が壁となって正確な場所を見て取ることはできなかったが、苦痛で体を折るほどの威力であったことは確かだ。
「お前が、殺した! そうだな!!」
「違うぅぅっ」
否定しても無駄だった。
上良栄治の望む答えではない。
だから、上良栄治はもう一撃、前蹴りを中水美衣奈に叩き込む。
「ひぐぅぅっ」
中水美衣奈は引きつった悲鳴をあげながら、椅子ごと後ろへ転倒する。
「そうだろっ!?」
「ちがうのぉぉっ。やめてぇぇっ!」
「なら本当のことを言えっ!」
上良栄治は怒鳴り声と共に、中水美衣奈の腹部辺りを思い切り踏みつける。
一度だけではない。
二度三度と、何度も、何度も。
「美衣奈ぁぁっ!!」
「いやぁぁっ!!」
そのたびに中水美衣奈からは悲鳴があがり、まな板の上の魚のごとくのたうち回る。
耐えがたい苦痛と暴力に曝され、助けられることもなく、たったひとりで終わらない絶望に抗わなければならない。
それは恐らく、彼女の人生において初めてのことではないだろうか。
「ハハハハハハッ!!」
こんな状況だというのに、場違いなほど無邪気な声で嗤ったのは、稲次浩太だ。
「もっとやれっ! もっと強くだっ! ハハハハハッ!!」
ああそうだろう。
彼にとってはこれ以上ない喜劇なはずだ。
彼が宮苗瑠璃を殺した。
全ての元凶であり、始まりの一歩を踏み出したのは稲次浩太だ。
しかし、それによって責め苦を受けているのは中水美衣奈で、更なる罪を犯そうとしているのは上良栄治なのだ。
映画の観客――いや、最高の映画を撮影できた監督の気分の方が当てはまるのではないだろうか。
「るっせえぞ、外野ぁ!」
上良栄治は一喝してその嗤いを黙らせると、意識を中水美衣奈へと戻す。
彼はその場で屈み、中水美衣奈の髪の毛を掴んで勢いよく引きずり上げた。
「い――あああぁぁぁっ」
ぶちぶちっという髪の毛が引きちぎれる音と苦悶の声が合わさって、悪趣味な協奏曲を奏でる。
それでも上良栄治の心は動かない。
中水美衣奈に真実を吐かせるために問いを続ける。
「もう一度聞くぞ。お前がやったんだろ?」
これはもう尋問ではなく拷問だ。
望む答えを得るまで痛めつけ続けるだけ。
中水美衣奈が、私が殺しましたと白状するまでこの暴力は続く。
「ちが……っ。わたし、太陽と、ぞうだん、しでて――」
上良栄治が腕を振るって、中水美衣奈の顔面を床に叩きつける。
告白が途中で途切れ、ゴッと鈍い音がしてまた悲鳴があがった。
「嘘つくなって言ってんだろうがっ」
「ほんどっ。ほんどだからぁっ」
もう、暴力を前にまともに頭が働いていないのだろう。
ただ違うと抗弁するだけ。
「わだしっやってないっ!」
「証拠があんだろうがっ」
「わたしじゃないっ」
とめどなくあふれ出す、涙と鼻水と涎と鼻血で顔をぐしゃぐしゃに汚しながら、感情のままに違う違うと同じ言葉を繰り返し続ける。
そんな中水美衣奈へ与えられるのは、無慈悲な苦痛だけだった。
――唐突に、カシャンと、微かな金属音が教室中に響き渡る。
音の出どころは、教室後方の扉。
先生たちの侵入を阻んでいた鍵が開いた音だ。
「お前……」
稲次浩太が振り向いて、信じられないとばかりに呆然と呟く。
物音に気付いたクラス中の視線が私に突き刺さった。
ああ、そうだ。
私自身も、まさか私がこんなことをするなんて思ってもみなかった。
私は中水美衣奈から苦痛しか受け取っていない。
先ほども殺人犯だと言いがかりをつけられ、襲われたばかりである。
それでも私が中水美衣奈を助けるべく動いたのは、彼女の痛みが我が事のように感じたからだ。
孤独は怖い。
絶望は痛い。
苦痛は辛い。
よく、知っている。
嫌というほど、分かっていた。
「あーあ、開けちゃった」
いつの間に移動していたのだろう。
私のすぐ隣で夜見坂くんが呟いた。
「こらえ性が無いんだね、君。トラウマがうずいちゃった?」
私の行動理由が中水美衣奈への同情ではないことなど、夜見坂くんはお見通しのようだった。
「ま、今のところはこのくらいでやめとこうよ」
夜見坂くんは誰に言うともなくそう呟くと、派手な音を立てて扉を開けた。
大きな音で、教室前方の扉を叩いていた先生たちがこちら側からならば入れることに気づき、一気に走りこんで来る。
先生たちが大声を上げながら上良栄治に突進していくのをしり目に、夜見坂くんは稲次浩太の耳元に口を寄せ、
「もっと混乱させたほうが、もっともっと面白くなるからさ」
なんて、不穏なことを囁いたのだった。
中水美衣奈の席は中心列、窓側。前から3番目。
一番窓際、最後尾からひとつ前の席に座る私の位置からは中水美衣奈の表情をうかがい知ることは出来ない。
でも、私には彼女の顔が容易に想像できた。
「わ、分からないっ。分かるはずないでしょ!」
中水美衣奈は肩を震わせながら抗弁する。
「……あ?」
上良栄治はそれ以上怒鳴りつけはしなかった。
その代わり、自身の真横にあった机を蹴り飛ばす。
机はそのまま横滑りして、逃げ遅れていた響遊を、椅子との間に思い切り挟みこんでしまった。
不運な響遊は、まるで鶏が絞め殺されたような悲鳴をあげる。
しかし、上良栄治は響遊のことなど気にも留めない。
視線を中水美衣奈に固定し、1ミリたりとも動かさなかった。
「なんで、お前のスマホのパスワードが太陽の誕生日なんだよ」
中水美衣奈が息を呑む音が、離れたところに居る私の耳にまで届く。
「なんで瑠璃がこんなにブチギレながら、お前と太陽を呼び出してんだよ」
「それ……っ!」
上良栄治のポケットから取り出されたばかりの赤いスマートフォン。
まるでカードかなにかのように、ひらひらと揺らされるそれは、中水美衣奈に対して絶大な効果をもたらした。
それまで小刻みに震えていた彼女の全身が、一気に硬直する。
なぜ上良栄治がスマートフォンを持っているのかという疑問や、自分は殺人など犯していないという抗弁をする余裕すらなくしていた。
「お前たちしか居ねえんだよ……!」
地の底から湧き上がってきたのかと思うほど低い声。
恨み、呪い、怒り、悲しみ。ありとあらゆる負の感情を煮詰めたらこうなるのかというほど、上良栄治の言葉は怨嗟に満ちていた。
「お前たちが瑠璃を殺したんだろ」
中水美衣奈が頭を左右に振る。
自分は宮苗瑠璃を殺していないという意思を示す。
だが、それは絶対に通じない。
例え本当に中水美衣奈が無実であろうと、嘘などついていなかろうと、上良栄治の中で決まったことだからだ。
上良栄治は、親友であった湯川大陽を殺してから、もう何もかもが振り切れてしまっていた。
「答えろよ美衣奈ぁっ!!」
ドンドンと、教室の扉を叩く音が響く。
これほどの大声で怒鳴っているのだ。
さすがに下園先生たちも気づいたのだろう。
だが、教室には入れない。
先ほど上良栄治と稲次浩太が鍵をかけたから。
そして、誰もが彼らの不興を買うのを恐れて中水美衣奈を助けようとしないから。
「私やってないっ」
「嘘つくんじゃねぇっ!」
上良栄治の足が、中水美衣奈へと飛ぶ。
下腹部か、足か。彼女自身の体が壁となって正確な場所を見て取ることはできなかったが、苦痛で体を折るほどの威力であったことは確かだ。
「お前が、殺した! そうだな!!」
「違うぅぅっ」
否定しても無駄だった。
上良栄治の望む答えではない。
だから、上良栄治はもう一撃、前蹴りを中水美衣奈に叩き込む。
「ひぐぅぅっ」
中水美衣奈は引きつった悲鳴をあげながら、椅子ごと後ろへ転倒する。
「そうだろっ!?」
「ちがうのぉぉっ。やめてぇぇっ!」
「なら本当のことを言えっ!」
上良栄治は怒鳴り声と共に、中水美衣奈の腹部辺りを思い切り踏みつける。
一度だけではない。
二度三度と、何度も、何度も。
「美衣奈ぁぁっ!!」
「いやぁぁっ!!」
そのたびに中水美衣奈からは悲鳴があがり、まな板の上の魚のごとくのたうち回る。
耐えがたい苦痛と暴力に曝され、助けられることもなく、たったひとりで終わらない絶望に抗わなければならない。
それは恐らく、彼女の人生において初めてのことではないだろうか。
「ハハハハハハッ!!」
こんな状況だというのに、場違いなほど無邪気な声で嗤ったのは、稲次浩太だ。
「もっとやれっ! もっと強くだっ! ハハハハハッ!!」
ああそうだろう。
彼にとってはこれ以上ない喜劇なはずだ。
彼が宮苗瑠璃を殺した。
全ての元凶であり、始まりの一歩を踏み出したのは稲次浩太だ。
しかし、それによって責め苦を受けているのは中水美衣奈で、更なる罪を犯そうとしているのは上良栄治なのだ。
映画の観客――いや、最高の映画を撮影できた監督の気分の方が当てはまるのではないだろうか。
「るっせえぞ、外野ぁ!」
上良栄治は一喝してその嗤いを黙らせると、意識を中水美衣奈へと戻す。
彼はその場で屈み、中水美衣奈の髪の毛を掴んで勢いよく引きずり上げた。
「い――あああぁぁぁっ」
ぶちぶちっという髪の毛が引きちぎれる音と苦悶の声が合わさって、悪趣味な協奏曲を奏でる。
それでも上良栄治の心は動かない。
中水美衣奈に真実を吐かせるために問いを続ける。
「もう一度聞くぞ。お前がやったんだろ?」
これはもう尋問ではなく拷問だ。
望む答えを得るまで痛めつけ続けるだけ。
中水美衣奈が、私が殺しましたと白状するまでこの暴力は続く。
「ちが……っ。わたし、太陽と、ぞうだん、しでて――」
上良栄治が腕を振るって、中水美衣奈の顔面を床に叩きつける。
告白が途中で途切れ、ゴッと鈍い音がしてまた悲鳴があがった。
「嘘つくなって言ってんだろうがっ」
「ほんどっ。ほんどだからぁっ」
もう、暴力を前にまともに頭が働いていないのだろう。
ただ違うと抗弁するだけ。
「わだしっやってないっ!」
「証拠があんだろうがっ」
「わたしじゃないっ」
とめどなくあふれ出す、涙と鼻水と涎と鼻血で顔をぐしゃぐしゃに汚しながら、感情のままに違う違うと同じ言葉を繰り返し続ける。
そんな中水美衣奈へ与えられるのは、無慈悲な苦痛だけだった。
――唐突に、カシャンと、微かな金属音が教室中に響き渡る。
音の出どころは、教室後方の扉。
先生たちの侵入を阻んでいた鍵が開いた音だ。
「お前……」
稲次浩太が振り向いて、信じられないとばかりに呆然と呟く。
物音に気付いたクラス中の視線が私に突き刺さった。
ああ、そうだ。
私自身も、まさか私がこんなことをするなんて思ってもみなかった。
私は中水美衣奈から苦痛しか受け取っていない。
先ほども殺人犯だと言いがかりをつけられ、襲われたばかりである。
それでも私が中水美衣奈を助けるべく動いたのは、彼女の痛みが我が事のように感じたからだ。
孤独は怖い。
絶望は痛い。
苦痛は辛い。
よく、知っている。
嫌というほど、分かっていた。
「あーあ、開けちゃった」
いつの間に移動していたのだろう。
私のすぐ隣で夜見坂くんが呟いた。
「こらえ性が無いんだね、君。トラウマがうずいちゃった?」
私の行動理由が中水美衣奈への同情ではないことなど、夜見坂くんはお見通しのようだった。
「ま、今のところはこのくらいでやめとこうよ」
夜見坂くんは誰に言うともなくそう呟くと、派手な音を立てて扉を開けた。
大きな音で、教室前方の扉を叩いていた先生たちがこちら側からならば入れることに気づき、一気に走りこんで来る。
先生たちが大声を上げながら上良栄治に突進していくのをしり目に、夜見坂くんは稲次浩太の耳元に口を寄せ、
「もっと混乱させたほうが、もっともっと面白くなるからさ」
なんて、不穏なことを囁いたのだった。