スマートフォンを握りしめた上良栄治が、稲次浩太を押しのけようと腕を振るう。
だが稲次浩太は意地の悪い笑みを崩さないまま、重心を変えて上良栄治の行動を阻んだ。
「どけっ」
「まあ落ち着けって。先に何があったのか見せろよ」
「お前にゃ関係ねえだろうがっ」
上良栄治は感情が振り切れているのか、終始怒鳴り声を上げている。
しかし、対する稲次浩太はまったくの逆。
いつもの1に対して10は怒鳴り返すほど短気さは鳴りを潜め、冷静というよりは映画を見ている観客くらいにこの成り行きを楽しんでいるようであった。
「おいおい、そのスマホは俺が持ってきてやったんだぜ? 聞く権利ぐらいあるだろ。それにみんなも聞きたいよなぁ?」
稲次浩太がクラスメイトたちと視線を合わせ、同調を促す。
それに対する答えは、言葉という明確な形では返ってこなかったが、明らかに賛同を示す雰囲気を漂わせてはいた。
このままここで邪魔され続けるよりも見せた方が早いと判断したのだろう。
上良栄治が舌打ちをしてスマートフォンの画面を稲次浩太の眼前に突きつける。
「ん~……うっわ、宮苗ブチギレてんじゃん」
こんな時だというのに、稲次浩太は忍び笑いを漏らす。
「教室に早く来いっつってんだろ。証拠あんだよ……か。ほかには……?」
稲次浩太はスマートフォンを操作して、次々にメールの文面を読み上げていく。
それらにはことごとく、湯川大陽と中水美衣奈への憤懣と怨嗟がこめられていた。
こんなメールが送られていたと分かれば、誰であろうと確信するはずだ。
中水美衣奈と湯川大陽が、結託して宮苗瑠璃を殺したのだと。
「もういいだろうが」
「おっとぉ」
足早に立ち去ろうとした上良栄治を、稲次浩太はまだ引きとどめる。
「だから待てって」
「まだなんかあんのかっ」
「当たり前だろうが。お前、どうする気なんだ?」
一瞬、上良栄治が言葉に詰まったように見えたが、そうではないだろう。
殺意が高まりすぎて、感情に言葉がついて来なかっただけだ。
「――ぶっ殺す」
殺す。
普段からよく使われる言葉だ。
その意味は、脅し文句であったり、自分は不快であるからやめろという警告であったりするのがせいぜいである。
本気で相手の命を奪うという意味では無い。
でも今は、そういう意味にしか聞こえなかった。
「だから待てっつってんだろ」
「お前はそれしか言えねえのか!」
「お前はそれすら理解できねえだろうが。状況を考えろ!」
「あぁっ!?」
もはや一触即発といった雰囲気だ。
上良栄治はもちろん、稲次浩太の顔からも一切の笑みが消えている。
このふたりは私が暮井刑事たちと話をしている間に乱闘騒ぎを起こしていたらしいが、またもその二の舞になってしまいそうな雰囲気だった。
「やんのかオラ」
「っざけてんじゃねえぞ」
巻き込まれてはたまらないと、周りに居た生徒たちが次々と逃げ出していく。
なにかきっかけがあれば、このふたりはぶつかり合うだろう。
だというのに――。
「警察官、多いよね」
夜見坂くんは怖気づくことなく二人の間に割って入った。
「は?」
「中水美衣奈は今一階の指導室に居るんだよ。そこには生徒指導の先生とか校長先生も居る。それから一階の入り口付近には警官がわらわら居るでしょ」
殺人現場となったこの学校は、本来封鎖すべきである。
でも、学校に所属する生徒全員と、職員全員を警察署に入れることは出来ない。
なので仕方なく取調室を学校に設けて、事情聴取を行っていた。
その関係上、沢山の警察官がこの学校に配備されている。
例えばこの教室の直下。現場となった1年1組の教室前にふたり。
誰も逃げられないよう――不審者からの警護という名目だが――各入り口に複数人。
それから窓を見張れる位置や正門に裏門等に多数。
全員合わせればどのくらいになるのか見当もつかなかった。
「そんな中、トラブルを起こせばどうなるか。火を見るよりも明らかだよね」
怒声、罵声、悲鳴、物音。
なにかがあれば、誰かがすっ飛んでくるだろう。
そして警察官は暴力のプロなのだ。
多少スポーツをやっていて、体が大きくて力が強いだけでは太刀打ちなどできない。
例え女性警官であろうと、容易く人を組み伏せてしまう。
ちょうどその現場を目の当たりにしたばかりの私は、よくよく理解していた。
「だから、中水美衣奈が帰ってくるのを待ちなよってこと」
好きにできるよ、と夜見坂くんが付け加えると、稲次浩太を掴んでいた上良栄治の手からだんだん力が抜けていく。
冷静になった――いや、悪意が増した証左だ。
中水美衣奈に危害を加えるにはどうしたらいいかを考えているのだから。
「…………あぁ」
上良栄治の返答は、ずいぶんと簡素で穏やかなものであった。
ガラリと音がして教室前方のドアが開く。
私の時は誰も興味を持っていなかったが、今は違う。
とんでもなく大きな爆弾を抱えた存在が居る今、誰が帰って来たのか確認するのは死活問題であった。
私もみんなと同じく祈るような気持ちで入り口へと視線を向け――、
「なによ」
――帰ってきてしまった。
中水美衣奈が。
「早く教室に入りなさい」
ただ、下園先生とその背後に立つ校長先生は、教室内の異変に気づいてはいない。
不満そうな中水美衣奈を急かし、なんとしても平穏無事な学校を演出しようと躍起になっていた。
「ちっ」
「返事は?」
「ハイワカリマシター」
中水美衣奈の態度を見るに、反省はしていなさそうである。
ただ、暴れるのは己の利にならないことだけは理解した様だ。
「……みんなもこのまま静かに自習を続けていなさい、いいですね」
中水美衣奈は言われるがままに従い、自分の席へと戻っていく。
それを確認した下園先生はそのまま廊下に留まると、扉を閉め、校長先生と何事か話し始めてしまった。
せめてどちらか一人でも教室に入ってくれれば、なんて思ったけれど、先生方が頼りにならないのは身をもって知っている。
居ても居なくても、これから起こることは止められないだろう。
「…………」
そっと、上良栄治が席を離れて教室前方の扉へと向かうと、まるで示し合わせていたかのように稲次浩太も立ちあがり、上良栄治とは逆側の扉へと向かった。
ふたりの男子と中水美衣奈を除いた全員が、これから何が起こるのかは容易に想像がついているようで、しきりに視線を飛ばし合っている。
誰かが止めろよ。
そうやって責任を押し付け合っているのだが、貧乏くじを好んで引く者など居るはずがなかった。
やがて、カチャンと微かな音と共に錠が下ろされる。
それは処刑開始を知らせる鐘の音。
これでもう外から干渉することはできない。
もっとも、教室の鍵なんて人差し指一本で開いてしまうし、なんなら廊下に面している窓を開けてもこの密室は密室で無くなってしまう。
だが、いったい誰がそんなことをするのだろうか。
私を助けなかったクラスメイトたち。
面倒くさいことには関わるまいと私を見捨てた人。
消極的な態度で、直接的な危害だけは加えなかっただけの人。
進んで私をいじめ、優越感を得ていた人。
そんな彼らが中水美衣奈だけは助けるなんてことあるはずがない。
「な、何してるのよ、栄治」
不穏な空気を察したか、中水美衣奈は震える声で上良栄治へと問いかける。
しかし上良栄治は一言も言葉を口にせず、ポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと中水美衣奈へと歩を進めた。
「稲次っ。アンタなんで鍵かけて笑ってんのよ!」
稲次浩太も表情こそ違うものの、一切口を開かない。
中水美衣奈以外、全ての人たちが黙りこくって彼女を追い詰めていく。
周りに居る誰もが敵しかいない。
友人であったはずの者たちも、特に仲が良かったはずの崎代沙綾ですらも、敵。
どれだけすがっても、叫んでも、決して助けてもらえない。
それがどれだけの恐怖か。
私は良く知っていた。
「…………」
やがて、上良栄治は中水美衣奈の真正面に立った。
「なに……なんなのよっ」
中水美衣奈がヒステリックな叫び声をあげた瞬間――。
「てめぇが一番分かってんだろうがぁっ!!」
上良栄治の罵声が耳をつんざいた。
だが稲次浩太は意地の悪い笑みを崩さないまま、重心を変えて上良栄治の行動を阻んだ。
「どけっ」
「まあ落ち着けって。先に何があったのか見せろよ」
「お前にゃ関係ねえだろうがっ」
上良栄治は感情が振り切れているのか、終始怒鳴り声を上げている。
しかし、対する稲次浩太はまったくの逆。
いつもの1に対して10は怒鳴り返すほど短気さは鳴りを潜め、冷静というよりは映画を見ている観客くらいにこの成り行きを楽しんでいるようであった。
「おいおい、そのスマホは俺が持ってきてやったんだぜ? 聞く権利ぐらいあるだろ。それにみんなも聞きたいよなぁ?」
稲次浩太がクラスメイトたちと視線を合わせ、同調を促す。
それに対する答えは、言葉という明確な形では返ってこなかったが、明らかに賛同を示す雰囲気を漂わせてはいた。
このままここで邪魔され続けるよりも見せた方が早いと判断したのだろう。
上良栄治が舌打ちをしてスマートフォンの画面を稲次浩太の眼前に突きつける。
「ん~……うっわ、宮苗ブチギレてんじゃん」
こんな時だというのに、稲次浩太は忍び笑いを漏らす。
「教室に早く来いっつってんだろ。証拠あんだよ……か。ほかには……?」
稲次浩太はスマートフォンを操作して、次々にメールの文面を読み上げていく。
それらにはことごとく、湯川大陽と中水美衣奈への憤懣と怨嗟がこめられていた。
こんなメールが送られていたと分かれば、誰であろうと確信するはずだ。
中水美衣奈と湯川大陽が、結託して宮苗瑠璃を殺したのだと。
「もういいだろうが」
「おっとぉ」
足早に立ち去ろうとした上良栄治を、稲次浩太はまだ引きとどめる。
「だから待てって」
「まだなんかあんのかっ」
「当たり前だろうが。お前、どうする気なんだ?」
一瞬、上良栄治が言葉に詰まったように見えたが、そうではないだろう。
殺意が高まりすぎて、感情に言葉がついて来なかっただけだ。
「――ぶっ殺す」
殺す。
普段からよく使われる言葉だ。
その意味は、脅し文句であったり、自分は不快であるからやめろという警告であったりするのがせいぜいである。
本気で相手の命を奪うという意味では無い。
でも今は、そういう意味にしか聞こえなかった。
「だから待てっつってんだろ」
「お前はそれしか言えねえのか!」
「お前はそれすら理解できねえだろうが。状況を考えろ!」
「あぁっ!?」
もはや一触即発といった雰囲気だ。
上良栄治はもちろん、稲次浩太の顔からも一切の笑みが消えている。
このふたりは私が暮井刑事たちと話をしている間に乱闘騒ぎを起こしていたらしいが、またもその二の舞になってしまいそうな雰囲気だった。
「やんのかオラ」
「っざけてんじゃねえぞ」
巻き込まれてはたまらないと、周りに居た生徒たちが次々と逃げ出していく。
なにかきっかけがあれば、このふたりはぶつかり合うだろう。
だというのに――。
「警察官、多いよね」
夜見坂くんは怖気づくことなく二人の間に割って入った。
「は?」
「中水美衣奈は今一階の指導室に居るんだよ。そこには生徒指導の先生とか校長先生も居る。それから一階の入り口付近には警官がわらわら居るでしょ」
殺人現場となったこの学校は、本来封鎖すべきである。
でも、学校に所属する生徒全員と、職員全員を警察署に入れることは出来ない。
なので仕方なく取調室を学校に設けて、事情聴取を行っていた。
その関係上、沢山の警察官がこの学校に配備されている。
例えばこの教室の直下。現場となった1年1組の教室前にふたり。
誰も逃げられないよう――不審者からの警護という名目だが――各入り口に複数人。
それから窓を見張れる位置や正門に裏門等に多数。
全員合わせればどのくらいになるのか見当もつかなかった。
「そんな中、トラブルを起こせばどうなるか。火を見るよりも明らかだよね」
怒声、罵声、悲鳴、物音。
なにかがあれば、誰かがすっ飛んでくるだろう。
そして警察官は暴力のプロなのだ。
多少スポーツをやっていて、体が大きくて力が強いだけでは太刀打ちなどできない。
例え女性警官であろうと、容易く人を組み伏せてしまう。
ちょうどその現場を目の当たりにしたばかりの私は、よくよく理解していた。
「だから、中水美衣奈が帰ってくるのを待ちなよってこと」
好きにできるよ、と夜見坂くんが付け加えると、稲次浩太を掴んでいた上良栄治の手からだんだん力が抜けていく。
冷静になった――いや、悪意が増した証左だ。
中水美衣奈に危害を加えるにはどうしたらいいかを考えているのだから。
「…………あぁ」
上良栄治の返答は、ずいぶんと簡素で穏やかなものであった。
ガラリと音がして教室前方のドアが開く。
私の時は誰も興味を持っていなかったが、今は違う。
とんでもなく大きな爆弾を抱えた存在が居る今、誰が帰って来たのか確認するのは死活問題であった。
私もみんなと同じく祈るような気持ちで入り口へと視線を向け――、
「なによ」
――帰ってきてしまった。
中水美衣奈が。
「早く教室に入りなさい」
ただ、下園先生とその背後に立つ校長先生は、教室内の異変に気づいてはいない。
不満そうな中水美衣奈を急かし、なんとしても平穏無事な学校を演出しようと躍起になっていた。
「ちっ」
「返事は?」
「ハイワカリマシター」
中水美衣奈の態度を見るに、反省はしていなさそうである。
ただ、暴れるのは己の利にならないことだけは理解した様だ。
「……みんなもこのまま静かに自習を続けていなさい、いいですね」
中水美衣奈は言われるがままに従い、自分の席へと戻っていく。
それを確認した下園先生はそのまま廊下に留まると、扉を閉め、校長先生と何事か話し始めてしまった。
せめてどちらか一人でも教室に入ってくれれば、なんて思ったけれど、先生方が頼りにならないのは身をもって知っている。
居ても居なくても、これから起こることは止められないだろう。
「…………」
そっと、上良栄治が席を離れて教室前方の扉へと向かうと、まるで示し合わせていたかのように稲次浩太も立ちあがり、上良栄治とは逆側の扉へと向かった。
ふたりの男子と中水美衣奈を除いた全員が、これから何が起こるのかは容易に想像がついているようで、しきりに視線を飛ばし合っている。
誰かが止めろよ。
そうやって責任を押し付け合っているのだが、貧乏くじを好んで引く者など居るはずがなかった。
やがて、カチャンと微かな音と共に錠が下ろされる。
それは処刑開始を知らせる鐘の音。
これでもう外から干渉することはできない。
もっとも、教室の鍵なんて人差し指一本で開いてしまうし、なんなら廊下に面している窓を開けてもこの密室は密室で無くなってしまう。
だが、いったい誰がそんなことをするのだろうか。
私を助けなかったクラスメイトたち。
面倒くさいことには関わるまいと私を見捨てた人。
消極的な態度で、直接的な危害だけは加えなかっただけの人。
進んで私をいじめ、優越感を得ていた人。
そんな彼らが中水美衣奈だけは助けるなんてことあるはずがない。
「な、何してるのよ、栄治」
不穏な空気を察したか、中水美衣奈は震える声で上良栄治へと問いかける。
しかし上良栄治は一言も言葉を口にせず、ポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと中水美衣奈へと歩を進めた。
「稲次っ。アンタなんで鍵かけて笑ってんのよ!」
稲次浩太も表情こそ違うものの、一切口を開かない。
中水美衣奈以外、全ての人たちが黙りこくって彼女を追い詰めていく。
周りに居る誰もが敵しかいない。
友人であったはずの者たちも、特に仲が良かったはずの崎代沙綾ですらも、敵。
どれだけすがっても、叫んでも、決して助けてもらえない。
それがどれだけの恐怖か。
私は良く知っていた。
「…………」
やがて、上良栄治は中水美衣奈の真正面に立った。
「なに……なんなのよっ」
中水美衣奈がヒステリックな叫び声をあげた瞬間――。
「てめぇが一番分かってんだろうがぁっ!!」
上良栄治の罵声が耳をつんざいた。