やめろ、と。シンは最初そう叫んでいたはずだった。だが今となっては何を叫んでいるのかもわからなくなっていた。
文字通り空を飛んできたシンだったが、地面が近づくにつれ今度はどうやって着地すればいいかわからず、叫ぶ以外なにもできなくなっていた。
突如として降り注いだ絶叫に、その場にいた誰もが驚きの表情を浮かべた。
やがて全員の視界を霞める早さで落下したシンは、凄まじい勢いのまま地面を転がり続け、太い木の幹に背中をぶつけるようにしてようやく、止まった。
――死んだ。
体ごと逆さになった頭の中で思った。
だが――
目の前が暗くなるどころか、体のどこにも痛みらしい感覚が襲ってこない。
「……痛く、ない?」
声に出してみるが、やはり、どこにも異常は感じられない。
乗客の安全なんてまるで考えないアトラクションに乗せられた気分だった。とんでもない目に遭ったが、無事降りてしまえば、それで終わり。
「あ、あの子は?」
今まで目にしていた少女のことを思い出し、逆さになったまま周りを見渡すと、先ほど目にしていた光景の中の全員が唖然とした表情をうかべながらこちらを眺めていた。
「……貴様、アルゴードの兵ではないな。何者だ」
ベイルの絞り出すような声が静寂を破る。
「いえ、あの」
答えようがなかった。これまで生きてきた十六年の人生の中で一度たりとも聞かれたことのない質問だった。
だいたいこの状況は、いったいなんだ。
わけのわからない焦燥感に駆り立てられるように飛んできたものの(本当に飛んできたよな?)、これからどうすれば――
行き場を無くしさまようシンの視線が、自然と少女の翡翠の瞳と重なった。
その、次の瞬間。
ラスティアは自分に覆いかぶさっていた男の腕をつかんでなぎ倒すと、すぐそばに転がっていた剣を引き抜き、レリウスの傍らに立つ男たちとの距離を一瞬で詰めた。そのまま二人の首をほとんど同時に切り裂くと、倒れているレリウスを庇《かば》うように身構え、そして――ガクンと膝をついた。
すべては、一瞬の出来事だった。
「ふん、隙をうかがっていたか」
ベイルが独り言のようにつぶやく。
「あなたは、いったい……」
少女が疲弊し切ったように肩で息を切らしながら、シンを見た。
「こ、このばけもんが!」
シンが何かを言う前に、薙ぎ倒された男が逆上したように少女へと襲いかかる。しかし、周囲の男たちを瞬く間に屠ってみせたはずの少女は、まるで正気を失ったかのように動けなくなっていた。
「危ない!」
シンは反射的に少女の腕をとり、自分の方へと引き寄せた。
男の剣先がその凶悪な表情とともにシンへと向けられ、凄まじい勢いのまま目前へと振り下ろされる。
これから起きることを直感し、少女を胸に抱きしめるようにしていた体を強張らせ、硬く目を閉じる。が、シンの頭上に振り下ろされたはずの刃は深々と突き刺さることも、頭をかち割るようなこともしなかった。
男の剣は何かが弾けたような音とともに真っ二つに折れ、振り下ろされた勢いそのままにくるくると回転しながら地面へと突き刺さった。
おそる恐る目を開けたシンを含め、その場にいた誰もが、今いったい何が起きたのか、全く理解できないようだった。
襲ってきた相手はきょとんとした表情でシンと折れた剣先とを見比べるようにしていたが、るみるうちに表情を引きつらせていった。
「貴様!」
今度はベイルが一瞬にしてシンの目前へと迫り、先ほどの男とは比較にならない速さで手元の剣を振り下ろしてくる。
シンは表出することもできない恐怖にからみとられ、指先ひとつ動かすことができなかった。
不思議なことに、身動きができないまでも、周りのすべての動き、光景を、シンは確かにその目でとらえていた。
水中のようにゆったり流れる動きのなかで、限りなく死に近づいていこうとしている自分を他人事のように眺めていた、そのとき。
⦅――力の扱い方を教えてやる⦆
シンの頭に、誰のものともわからない声が響いた。
自分でも意識しないまま、思考が一気に明確化する。
(防げ)と。
バリバリッという衝撃音とともに、突如として現れた光の壁と、いつの間にか赤く輝いていたベイルの剣とが激しく衝突した。
「やはり器保持者か!」
ベイルの面頬からくぐもった叫びが響く。
⦅創造しろ、己の中にある拒絶を⦆
さらに何者かの声が続く。
⦅意志することを行え⦆
次の瞬間、ベイルの体は突風に巻き込まれたかのごとく吹き飛び、驚愕の表情を浮かべているラスティアの傍らを凄まじい速さで通り過ぎ、反対側の巨木へ体ごと叩きつけられて地面へと落ちた。
「がはっ!」
ベイルの苦しげなうめき声が響き渡った瞬間、まるで呪縛から解き放たれたかのように周囲が騒然としだした。
「な、なんなんだあいつは!?」
「エーテライザーだ! 不用意に近づくな!」
「アルゴートの護衛は全員始末したはずだろ!? どこから湧いて出やがった!」
「なんだよ、これ」シンが叫ぶ。「誰なんだよ、おまえは!」
まるで誰かに意識ごと体を乗っ取られてしまったような感覚だった。
先ほど襲われたのとは違う、また別の恐怖が全身を駆け巡る。
⦅身の危険が迫っているというのに、おめでたいやつだ⦆
「なんだって」
⦅私がいなければ終わっていた⦆
「貴様、何者だ!」
ベイルが片膝をつきながら叫ぶ。
キーンという耳鳴りにも似た音とともに、ベイルの掌が赤い光を放ちはじめた。
「正体を、明かせ!」
「いけない避けて!」
ラスティアの必死の叫びはしかし、ベイルよりも数段早くシンの手元から放たれていた閃光と爆音とによってかき消された。
ベイルは立ち上がる間もなく爆発に呑み込まれ、周囲の男たちも慌てて地面へと突っ伏した。
全員の視線が一斉に集まるなか、風で流されていく粉塵の中から片腕を庇うようにして立ちあがあるベイルの姿が見えた。
「……そんな、私より速いだなんて」
⦅直撃させてこの程度か。なんという軟弱な意志だ⦆
「なんだよそれ、どういう意味だよ!」
「おいおい、やべえぞこりゃ」
ことの成り行きを見守っていた野党たちが狼狽の色を浮かべた。
「あんなエーテライザーがいるなんて話は聞いてねえ!」
「引き上げだ!」
誰かがそう叫ぶや否や、男たちは一斉に森の茂みへと飛び込んでいった。
「悪く思わんでくれよ、あんたでさえ敵わん相手だ。アルゴート侯が率いていたエーテライザーたちとは格が違う。こっちも命あってのことだからな」
最後の一人がベイルへ向けて言う。
「それに、そろそろ変異種どもも騒ぎだす刻限だ」
「高い金を払ってこの体たらくとは」
ベイルは一時もシンから目を離すことなく言った。
「せいぜい遠くへ逃げるんだな。さもなくば、全員俺の前に首を転がすことになる」
男は一瞬怯んだ表情を浮かべたが、後ずさるように森の奥へと姿を消していった。
「「そう言うおまえも引き下がった方がいい」」
今度はシンの口まで勝手に動き出した。
「「さもなくば、このままおまえの首をへし折ることになる」」
何者かの声と重なり合いながら、ベイルへ向けて言う。
「あ、がっ!」
信じられないことに、シンの片手が宙を掴むようにすると、まるでその動きと同調するかのようにベイルの首がかしがった。
自分の中にいる何者かが、なにか、得体の知れない力によってそうしているのは明らかだった。
(おい、やめてくれ!)
咄嗟に頭の中の声に向けて叫ぶ。しかしその声が発せられることはなく、頭の中で反響しただけだった。
⦅言われなくてもおまえが意志しない以上、殺すような真似はできん⦆
「「さあ、どうする」」
「っわ、わか、った……」
ベイルの口から擦れた声が漏れた。同時に、首を鷲掴みされていたような状態から解放され、そのまま崩れ落ちる。
面頬の奥で激しくせき込みながらもシンと、そしてラスティアとに視線を向ける。
「……決して、このままでは済まさん」
そう言ってシン達に背を向けると、他の男たち同様、森の奥へと姿を消していった。
後にはシンとラスティア、レリウスの三人と、風に揺れる木々の葉音だけが残された。
「なんなんだよ、これ……」
シンは自分の声と体を取り戻していたことも忘れ、立ち尽くすことしかできなかった。
文字通り空を飛んできたシンだったが、地面が近づくにつれ今度はどうやって着地すればいいかわからず、叫ぶ以外なにもできなくなっていた。
突如として降り注いだ絶叫に、その場にいた誰もが驚きの表情を浮かべた。
やがて全員の視界を霞める早さで落下したシンは、凄まじい勢いのまま地面を転がり続け、太い木の幹に背中をぶつけるようにしてようやく、止まった。
――死んだ。
体ごと逆さになった頭の中で思った。
だが――
目の前が暗くなるどころか、体のどこにも痛みらしい感覚が襲ってこない。
「……痛く、ない?」
声に出してみるが、やはり、どこにも異常は感じられない。
乗客の安全なんてまるで考えないアトラクションに乗せられた気分だった。とんでもない目に遭ったが、無事降りてしまえば、それで終わり。
「あ、あの子は?」
今まで目にしていた少女のことを思い出し、逆さになったまま周りを見渡すと、先ほど目にしていた光景の中の全員が唖然とした表情をうかべながらこちらを眺めていた。
「……貴様、アルゴードの兵ではないな。何者だ」
ベイルの絞り出すような声が静寂を破る。
「いえ、あの」
答えようがなかった。これまで生きてきた十六年の人生の中で一度たりとも聞かれたことのない質問だった。
だいたいこの状況は、いったいなんだ。
わけのわからない焦燥感に駆り立てられるように飛んできたものの(本当に飛んできたよな?)、これからどうすれば――
行き場を無くしさまようシンの視線が、自然と少女の翡翠の瞳と重なった。
その、次の瞬間。
ラスティアは自分に覆いかぶさっていた男の腕をつかんでなぎ倒すと、すぐそばに転がっていた剣を引き抜き、レリウスの傍らに立つ男たちとの距離を一瞬で詰めた。そのまま二人の首をほとんど同時に切り裂くと、倒れているレリウスを庇《かば》うように身構え、そして――ガクンと膝をついた。
すべては、一瞬の出来事だった。
「ふん、隙をうかがっていたか」
ベイルが独り言のようにつぶやく。
「あなたは、いったい……」
少女が疲弊し切ったように肩で息を切らしながら、シンを見た。
「こ、このばけもんが!」
シンが何かを言う前に、薙ぎ倒された男が逆上したように少女へと襲いかかる。しかし、周囲の男たちを瞬く間に屠ってみせたはずの少女は、まるで正気を失ったかのように動けなくなっていた。
「危ない!」
シンは反射的に少女の腕をとり、自分の方へと引き寄せた。
男の剣先がその凶悪な表情とともにシンへと向けられ、凄まじい勢いのまま目前へと振り下ろされる。
これから起きることを直感し、少女を胸に抱きしめるようにしていた体を強張らせ、硬く目を閉じる。が、シンの頭上に振り下ろされたはずの刃は深々と突き刺さることも、頭をかち割るようなこともしなかった。
男の剣は何かが弾けたような音とともに真っ二つに折れ、振り下ろされた勢いそのままにくるくると回転しながら地面へと突き刺さった。
おそる恐る目を開けたシンを含め、その場にいた誰もが、今いったい何が起きたのか、全く理解できないようだった。
襲ってきた相手はきょとんとした表情でシンと折れた剣先とを見比べるようにしていたが、るみるうちに表情を引きつらせていった。
「貴様!」
今度はベイルが一瞬にしてシンの目前へと迫り、先ほどの男とは比較にならない速さで手元の剣を振り下ろしてくる。
シンは表出することもできない恐怖にからみとられ、指先ひとつ動かすことができなかった。
不思議なことに、身動きができないまでも、周りのすべての動き、光景を、シンは確かにその目でとらえていた。
水中のようにゆったり流れる動きのなかで、限りなく死に近づいていこうとしている自分を他人事のように眺めていた、そのとき。
⦅――力の扱い方を教えてやる⦆
シンの頭に、誰のものともわからない声が響いた。
自分でも意識しないまま、思考が一気に明確化する。
(防げ)と。
バリバリッという衝撃音とともに、突如として現れた光の壁と、いつの間にか赤く輝いていたベイルの剣とが激しく衝突した。
「やはり器保持者か!」
ベイルの面頬からくぐもった叫びが響く。
⦅創造しろ、己の中にある拒絶を⦆
さらに何者かの声が続く。
⦅意志することを行え⦆
次の瞬間、ベイルの体は突風に巻き込まれたかのごとく吹き飛び、驚愕の表情を浮かべているラスティアの傍らを凄まじい速さで通り過ぎ、反対側の巨木へ体ごと叩きつけられて地面へと落ちた。
「がはっ!」
ベイルの苦しげなうめき声が響き渡った瞬間、まるで呪縛から解き放たれたかのように周囲が騒然としだした。
「な、なんなんだあいつは!?」
「エーテライザーだ! 不用意に近づくな!」
「アルゴートの護衛は全員始末したはずだろ!? どこから湧いて出やがった!」
「なんだよ、これ」シンが叫ぶ。「誰なんだよ、おまえは!」
まるで誰かに意識ごと体を乗っ取られてしまったような感覚だった。
先ほど襲われたのとは違う、また別の恐怖が全身を駆け巡る。
⦅身の危険が迫っているというのに、おめでたいやつだ⦆
「なんだって」
⦅私がいなければ終わっていた⦆
「貴様、何者だ!」
ベイルが片膝をつきながら叫ぶ。
キーンという耳鳴りにも似た音とともに、ベイルの掌が赤い光を放ちはじめた。
「正体を、明かせ!」
「いけない避けて!」
ラスティアの必死の叫びはしかし、ベイルよりも数段早くシンの手元から放たれていた閃光と爆音とによってかき消された。
ベイルは立ち上がる間もなく爆発に呑み込まれ、周囲の男たちも慌てて地面へと突っ伏した。
全員の視線が一斉に集まるなか、風で流されていく粉塵の中から片腕を庇うようにして立ちあがあるベイルの姿が見えた。
「……そんな、私より速いだなんて」
⦅直撃させてこの程度か。なんという軟弱な意志だ⦆
「なんだよそれ、どういう意味だよ!」
「おいおい、やべえぞこりゃ」
ことの成り行きを見守っていた野党たちが狼狽の色を浮かべた。
「あんなエーテライザーがいるなんて話は聞いてねえ!」
「引き上げだ!」
誰かがそう叫ぶや否や、男たちは一斉に森の茂みへと飛び込んでいった。
「悪く思わんでくれよ、あんたでさえ敵わん相手だ。アルゴート侯が率いていたエーテライザーたちとは格が違う。こっちも命あってのことだからな」
最後の一人がベイルへ向けて言う。
「それに、そろそろ変異種どもも騒ぎだす刻限だ」
「高い金を払ってこの体たらくとは」
ベイルは一時もシンから目を離すことなく言った。
「せいぜい遠くへ逃げるんだな。さもなくば、全員俺の前に首を転がすことになる」
男は一瞬怯んだ表情を浮かべたが、後ずさるように森の奥へと姿を消していった。
「「そう言うおまえも引き下がった方がいい」」
今度はシンの口まで勝手に動き出した。
「「さもなくば、このままおまえの首をへし折ることになる」」
何者かの声と重なり合いながら、ベイルへ向けて言う。
「あ、がっ!」
信じられないことに、シンの片手が宙を掴むようにすると、まるでその動きと同調するかのようにベイルの首がかしがった。
自分の中にいる何者かが、なにか、得体の知れない力によってそうしているのは明らかだった。
(おい、やめてくれ!)
咄嗟に頭の中の声に向けて叫ぶ。しかしその声が発せられることはなく、頭の中で反響しただけだった。
⦅言われなくてもおまえが意志しない以上、殺すような真似はできん⦆
「「さあ、どうする」」
「っわ、わか、った……」
ベイルの口から擦れた声が漏れた。同時に、首を鷲掴みされていたような状態から解放され、そのまま崩れ落ちる。
面頬の奥で激しくせき込みながらもシンと、そしてラスティアとに視線を向ける。
「……決して、このままでは済まさん」
そう言ってシン達に背を向けると、他の男たち同様、森の奥へと姿を消していった。
後にはシンとラスティア、レリウスの三人と、風に揺れる木々の葉音だけが残された。
「なんなんだよ、これ……」
シンは自分の声と体を取り戻していたことも忘れ、立ち尽くすことしかできなかった。